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国連でハンセン病差別を訴え [2007年09月28日(Fri)]


多くの各国代表が集まった


国連人権理事会が開催されているジュネーブで9月25日、日本財団主催による「ハンセン病と人権」に関するセミナーが開催され、笹川陽平会長は多剤併用療法の確立で「治る病気」となった現在も回復者やその家族が深刻な差別にさらされている現実を指摘、人権理事会に「病気と人権」として扱うのではなく、「差別と人権」として取り組むよう求めた。

セミナーは人権理事会メンバー国にハンセン病差別の現状や問題点をアピールするのが目的。笹川会長は国連欧州本部・本会議場に隣接した部屋に集まった各国関係者らに@この30年間に世界で1500万人近い人が回復し、医学的な制圧にはめどが立ちつつあるAしかし、その家族も含め1億人を超える人々が依然、深刻な差別を受けている−としたうえ、人権理事会に差別撤廃に向けた決議をするよう求めた。

パネリストとして同席したインドのハンセン病回復者組織IDEAのP・K・ゴパール会長もホテルの宿泊拒否事件など差別の実態を紹介した上、人権理事会がガイドライン作りに取り組むよう求め、フィリピン・クリオン島で治療に当たるクナナン医師は「回復者が求めているのは特別な人権ではない。ごく当たり前の一般的な人権を求めているに過ぎない」と訴えた。(写真:左からクナナン医師、ゴパール博士)

セミナー終了後、近くの日本代表部公邸で日本政府代表部主催のレセプションが行われ、各国代表部やNGO関係者ら140人近くが出席。藤崎一郎大使は外務大臣がさきに笹川会長に「ハンセン病人権啓発大使」を委嘱したことを報告するとともに、ハンセン病制圧に向けた日本財団のこれまでの活動などを紹介した。

人権啓発大使の委嘱は「ハンセン病と人権」の問題に日本政府が国際人権外交の政策として取り組む姿勢を正式に表明した形で、笹川会長は2001年から務めているWHO(世界保健機関)のハンセン病制圧特別大使を合わせた2つの肩書きで引き続き活動を続けることになる。

(英文記事はこちら
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 09:12 | 国際 | この記事のURL | コメント(0)
ベトナムで義足3万本を提供 [2007年09月27日(Thu)]


記念式典で利用者の義足の様子をみる笹川会長


ベトナム戦争や地雷などで足を失くしたベトナムの市民のために、日本財団は1999年から無料の義足配布を続けており、本年度でその累計が3万本に達した。これを記念する式典が9月18日、首都ハノイで開かれ、提供された義足の利用者も参加し、事業の継続を訴えた。

日本財団の義足配布は、地雷と戦争の被害が集中しているベトナム中部地域の農村部を中心に進めている。2005年からは北部山岳地域に住む少数民族の地雷被害者への支援も開始した。この地域ではベトナム政府の支援は退役軍人だけで、一般人は対象外のため義足のニーズは高いという。(写真:ベトナムの農村)


労働福祉省内で開かれた式典で、あいさつに立った笹川陽平日本財団会長は「ベトナムは近年経済的に成功し、国民の生活レベルが上がることは喜ばしい。しかし光が当たらない影の部分もある。それは障害者ら社会的弱者を励まし、社会復帰のために活動をすることだ。障害者には働く意欲もエネルギーもある。日本財団はこうした社会的弱者のためにベトナムで仕事をしていきたい」と述べ、義足支援の活動を今後も継続することを約束した。(写真:記念式典であいさつする笹川陽平会長)

式典には戦争や交通事故で障害を持った被害者も出席した。2002年1月に交通事故で右足を失ったドン・ティ・ジュンさん(44)は、事故の前には農業をしていたが、いまは洋服の仕立てで生計を立てている。06年12月に義足の提供を受け、元気を取り戻した。「私だけなく義足を必要としている人がまだたくさんいる。みんなに行き渡るようにお願いしたい」と話していた。また、ことし1月にひき逃げの交通事故で左足に障害を受けたグエン・ティ・ハンさん(29)は、「3ヵ月で義足をもらいとても感謝している」と語った。(写真:左から、義足を受け取ったグエン・ティ・ハンさんとドン・ティ・ジュンさん)

現地でこの事業に協力しているベトナム障害者援助組織(VNAH)のカ・バン・トラン氏は「テレビやラジオを通じてキャンペーンをしているが、まだ山岳地帯では義足の提供のことを知らない人が多い」と述べており、義足提供事業の必要性は依然高いようだ。

日本財団は、カンボジア、タイ、スリランカで地雷、交通事故、ポリオ、感染症、栄養失調などで手や足を失ったアジア途上国の人々のために義手、義足の装具をつくる義肢装具士の養成を重点事業にしている。ベトナムの義足無料配布もアジアの障害者支援事業の一環だ。

(英文記事はこちら
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 13:25 | 国際 | この記事のURL | コメント(0)
日本知識クイズ大会 中国・吉林省で初開催 [2007年09月27日(Thu)]


第1回吉林省でのクイズ大会で優勝した長春師範学院チーム



「鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟であり、平家を倒すなど大活躍をして伝説的な人物となっているのはだれか」――。これは9月6日から12日まで、中国の3地域で開催された大学生を対象とした「笹川杯日本知識クイズ大会」のある問題だ。日本の学生なら答えの「源義経」は常識だが、外国人の中国人学生には難問のはずだ。しかし中国人学生たちは早押しで、しかも日本語で間違いなく素早く答える。学生たちの日本に対する知識は幅広く驚くほどだった。各地域で優勝したチームのメンバーは来年日本に招待され「日本文化」を体験する。写真:クイズ大会の問題には北京五輪のキャラクターも登場

このクイズ大会は、日本科学協会が1999年から日本財団の支援で取り組んでいる「教育・研究図書有効活用プロジェクト」の一環として、中国で日本語図書に触れる学生たちにより意欲的に日本について学んでもらおうと企画したもので、ことしで4年目。今回は黒龍江省、吉林省、華東地域で開催され、黒龍江・吉林省で8大学、華東地域で12大学(各大学3人ずつ)のチームが出場した。地域ごとに主催大学のスタッフが中心となって企画し、大会ごとに特徴のあるクイズ大会となった。写真:第4回黒龍江省クイズ大会の様子

初開催の吉林省では、長春師範学院が主催し、受験を終えた日本の学生には選択肢を示されてもなお頭を悩ますような難しい問題がかなり出題された。同学院では担当者が「成功はしなくてもいい、失敗さえしなければ」という意気込みで本番まで何と14回のリハーサルをしたという。こうした努力が実を結び大会は成功し、クイズ大会も長春師範学院チームが最終問題で逆転優勝した。優勝したメンバーの1人金梅花さん(23)は流暢な日本語で「おじいちゃんが日本の軍隊に入れられたけど、あまりそのころの話はしてくれなかった。日本は発達した国で文化は朝鮮族と似ているところがあると思う。日本へ行けるのはとても嬉しい」と笑顔で語った。写真:喜びを語る金梅花さん

黒龍江省のチャムスではクイズ大会の出題の合間に同大学音楽学院の学生による歌やラッパ、男性3人組のポップミュージックなども披露された。一方、華東地域では、クイズ大会参加者のすそ野を広げるためクイズ大会は中国語で実施し、現地の日系企業10社による就職説明会や駐上海日本総領事館の留学説明会も併せて開催した。写真:チャムス大学生が披露したラッパ演奏

(英文記事はこちら
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 10:44 | 国際 | この記事のURL | コメント(0)
敬老の日に「昭和の記憶」を聴く 山梨・上野原の子どもたち [2007年09月26日(Wed)]


お年寄りと子どもたちが向き合っての「聴き取りの会」


お年寄りが語る「昔の暮らし」を聴き取って、記録に残す運動を続けているNPO「昭和の記憶」(東京都千代田区神田神保町、盛池雄歩代表)が、その「聴き書き活動」を全国に広め、家族間・地域間のコミュニケーションの場にもしていこうと、「敬老の日を聴き書きの日に」キャンペーンを開始した。今年は17日の「敬老の日」を中心に神奈川県鎌倉市や山梨県上野原市でスタートさせ、「2010年までに全国1000カ所での聴き書き実施」という目標を掲げている。

上野原会場は市内の学習塾で開催、近在のお年寄り10人が参加した。聴き取り役は市内の中学生や高校生、それに塾OBの大学生らで、2人1組になってお年寄り一人一人から若いころの生活体験などを聴いた。かつてはどの家庭でも使われていた「かまど」「洗濯板」「ちゃぶ台」といった生活道具は、画集「道具の記憶」をもとにお年寄りがその使い方を教えた。また「井戸端会議」や「薮入り」といったかつての社会慣習を、現代っ子たちは不思議そうに聞いていた。写真左:絵をもとに道具にまつわる思い出を聞く

お年寄りの最高齢は86歳。聴き取り役の14歳の中学2年生は「たった60年前だというのに、こんなに今と違う生活だったなんて!」と驚いていた。子どもたちにはどんな話も新鮮だったようで、熱心に聞き入り、録音したりメモに取るなどしていた。会場は祖父母が孫たちに若いころの暮らしを語って聞かせているような光景で、夫婦で参加したお年寄りは「私らも忘れていたことをたくさん思い出しました」と、語り聞かせる楽しさを実感していた。

NPO「昭和の記憶」は、激動の昭和を生き抜いた人々の実体験を「聴き取り」という手法で発掘し、記録に残すことを目的に活動している。理事の和栗由美子さんは「市井(しせい)の記憶はどんどん薄れ、消えて行きます。お年寄りの皆さんの人生に刻まれた体験を記録に残していくことは、これからの社会にとっても必ずや寄与すると考えています」と語っている。写真右:若者には新鮮な「昭和の生活」が次々と


すでに全国300人を超える高齢者からの聴き取りを行っており、これらの記録は『市井の昭和史』として刊行が始まっている。今後はこの聴き取り活動が「敬老の日」と組み合わせた企画となるよう全国キャンペーンを展開する考えで、年内には団体事務所のある新潟県上越市でも開催する。日本財団もこの活動や記録保存を支援している。写真左:刊行が始まった『市井の昭和史』
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 10:25 | 福祉・医療 | この記事のURL | コメント(0)
いのちを考える講義 千葉大で10月スタート [2007年09月25日(Tue)]


講義が始まる千葉大(写真提供:千葉大学)


がんなどの末期患者にターミナルケア(終末期ケア)を行うホスピス・緩和ケアについて学生に理解と関心を深めてもらおうと、千葉大学(千葉市)で、10月から日本財団の寄付講義「いのちを考える」がスタートする。医師、看護師、哲学者、カウンセラーらこの分野の第一線で活躍する15人がさまざまな視点から講義を行う。ホスピス・緩和ケア病棟はこのところ急速に増加しているが、医療に従事する医師・看護師だけでなく、利用する市民側にも理解度は濃淡があるため、講座のスタートは大きな意義があるといえよう。

日本財団はホスピス緩和ケアに携わる看護師の育成を支援し、1700人以上がホスピス看護師として育っている。今後はニーズの高い専門のドクター育成にも力を入れる方向で、千葉大の寄付講義はこの第一のステップ。

「医療の原点をみつめて」というサブタイトルがついた講義は、10月2日のケアタウン小平クリニック院長の山崎章郎医師による「ホスピスはなぜ必要なのか」を皮切りに来年1月末まで15回続く。第3回(10月16日)では住職の高橋卓志さんが「団塊世代のメメントモリ」、第11回(12月11日)では仙台市で在宅ケアの施設を営むNPO法人代表、中山康子さんが「市民活動として取り組む在宅緩和ケア」を、第12回(来年1月8日)では聖路加国際病院理事長の日野原重明医師が「いのちを時間として考える」という講義を予定している。(写真:日野原理事長)

受講対象は1、2年生で、受入人数は450人程度。将来の医療界の担い手となる医学部、薬学部、看護学部のほか、医療系以外の学生にも門戸を開放する。講義は火曜日の3時限目(12時50分−14時20分の90分間)に行い、単位の対象にもなる。この講義をホスピス・緩和ケアについてのテキストとしてまとめ、他の大学の講義に使ってもらう構想があり、千葉大でのこの試みが全国に広がることが期待されている。

上記以外の講師は以下の通り 第2回(10月9日)石垣靖子(看護師・大学教授)、第4回(10月23日)沼野尚美(カウンセラー)、第5回(10月30日)紀伊國献三(笹川記念保健協力財団理事長)、第6回(11月6日)山折哲雄(宗教学者)、第7回(11月13日)アルフォンス・デーケン(大学名誉教授)、第8回(11月20日)内藤いずみ(医師)、第9回(11月27日) 岡部健(医師)、第10回(12月4日)木澤義之(医師・大学院講師)、第13回(1月15日)濱口恵子(看護師)、第14回(1月22日)向山雄人(医師)、第15回(1月29日)眞嶋朋子(千葉大教授)(写真:講義の案内チラシ)
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笹川会長、ハンセン病人権啓発大使に 外務省が委嘱 [2007年09月21日(Fri)]


町村外相から委嘱状を受ける笹川会長


ハンセン病制圧に向け幅広い活動を進めている日本財団笹川陽平会長が政府の「ハンセン病人権啓発大使」を務めることになり、9月21日、外務省で町村外相から委嘱状が手渡された。日本財団のハンセン病との取り組みは30年以上の長期にわたっており、笹川会長は2001年からWHO(世界保健機関)のハンセン病制圧特別大使も務めている。

委嘱状交付式は21日午前、外務省で行われ、町村外相は日本財団および笹川会長の長年のハンセン病との取り組みが「世界でも高く評価されている」とした後、「政府としても今後、国際的なイニシアティブをとってハンセン病に取り組むことを検討しており、高い知名度と知識を有する笹川会長にハンセン病人権啓発大使として活躍していただきたい」と述べた。これに対し笹川会長は、病気としてのハンセン病がほぼ制圧されつつあるのに回復者や家族が依然、深刻な人権侵害にさらされている実態を指摘、「政府が差別問題に積極的に取り組むのは人権外交にとって大きな意義があり、貢献したい」と答えた。

ハンセン病は1980年代に開発された多剤併用療法(MDT)の普及により世界で1500万人近い患者が回復、119カ国がWHOの制圧目標である人口1万人当たり患者1人以下を達成し、未制圧国は4カ国まで減少している。しかし教育や就業などに対する差別は依然深刻で、国連人権委員会の下部組織である人権小委員会でも差別問題に関する決議が行われてきている。

国連改革で人権委員会は現在、人権理事会に改組され、この中で日本政府も初めて「ハンセン病と人権」について本格的に取り組むことになり、今回の委嘱となった。ハンセン病人権啓発大使としての笹川会長の初仕事は、人権理事会の各国政府代表を対象に25日にも開催される特別セミナーとなる見通し。ハンセン病回復者の差別撤廃や貧困の問題などについて訴えを行う予定だ。
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 16:48 | 総合 | この記事のURL | コメント(0)
与那国で国境フォーラム開催 [2007年09月21日(Fri)]


日本最西端、与那国島


与那国島は、日本の最西端にある国境の島である。県庁のある沖縄本島からは、約520km離れているが、台湾まで約110kmの近さだ。この与那国島で、さる9月15日、16日の二日間、2007年次日本島嶼学会与那国大会が開かれた。同学会の一環として、日本の国境地域の首長が集まり「国境フォーラム」が開催され、「島と国境交流」をテーマに意見が交わされた。

同フォーラムは、北海道大学の岩下明裕教授がコメンテーターを務め、外間守吉与那国町長のほか、長谷川俊介根室市長、山田吉彦日本財団広報チームリーダーが参加。参加予定であった松村良幸対馬市長は、台風11号の影響で参加できず、代わりに対馬市活性化東京委員会の委員でもある山田リーダーが代役を務めた。

フォーラムの席上、外間守吉与那国町長は、地政学的、文化的に近い台湾との交流を進めるべきであると国境交流特区構想を述べた。町では、2005年と06年に国境交流特区を国に申請したが、いずれも却下されている。そのため、町では独自に台湾の花蓮市に事務所を開設し、交流策を推進している。長谷川市長は、北方領土返還交渉と併せて市民同士の交流が必要であるとし、政府の動きに頼らない施策の必要性を訴えた。山田リーダーは、対馬を訪れる韓国人旅行者の増加に伴い発生したさまざまな問題を報告し、対馬市が模索している韓国人旅行者の受け入れに必要な仕組み作りについて説明した。さらに、「与那国町と台湾の交流が本格化したときには、台湾に迎合するのではなく、与那国の伝統や文化を理解してもらうのが重要だ」と述べた。岩下教授は、「日本政府は、片方で北方領土を返せと言いながら、その片方で、石垣島などの離島のマネジメントをしていない」と問題提起した。(写真:与那国の新名所「Dr.コトー診療所」)

国境離島の問題は、あまり議論をされてこなかったが、今年7月20日に施行された海洋基本法には離島の意義が謳われたこともあり、今後、具体的に国境離島の重要性が取り上げられることになるだろう。
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 11:15 | 総合 | この記事のURL | コメント(0)
伝統陶芸で地域交流 障害者施設・三彩の里 [2007年09月20日(Thu)]


生産班の作業:片手でろくろを使う利用者


緑,黄,赤,茶,そして藍色の流れるような美しい色合いが特徴の「三彩」。長崎県大村市の社会福祉法人「三彩の里」は、この伝統陶芸の創作を通じて身体障害者の社会進出を支援する社会就労センターだ。日本財団の支援で整備された作業棟や授産機器を活用し、19歳から71歳の60人が陶芸やパンの製造に取り組んでいる。(写真:三彩の里 全体図)

三彩は唐の時代に中国から伝来した陶芸の一種で、日本では奈良三彩が有名。「長崎三彩」を生んだ陶芸家の江口洋氏が、障害があっても素晴らしい陶芸を生み出せるという信念で、昭和52年にこの福祉施設を開いた。現理事長の江口司氏は洋氏の長男で、自身も身体に障害があるものの陶芸に取り組み、国際展等での受賞歴もある。入所者のなかには長崎陶磁展で読売新聞社賞を受賞し、一水会陶磁展で入選した田嶋良治さんのように、全国的な展覧会で入賞する陶芸家もいる。

陶芸作業は一人ひとりの能力を生かすため、生産班とリハビリ班の二つに分かれて行うなど分業が進んでいる。生産班はろくろを用いて売り上げに結びつく商品を製作。電話発注も受けつけているため、遠方からの問合せも多い。塗料は銅、スズ、鉄、コバルトなどで、思い通りの色を出すために電気釜と鉄釜を使い分けている。

リハビリ班は、粘土で何本もの紐を作り輪にして積み上げていく「ひもつくり」の製法で創作を進めるほか、地域交流のための陶芸体験教室で講師役を務める。体験教室の参加者は学童クラブの児童ら年間約3000人。夏休みの自由課題として人気があり、リピーターも多い。(写真:リハビリ班の作業)

毎年5月と10月には施設内で「陶芸まつり」を開催。佐賀県の有田焼とのコラボレーション企画などで集客に工夫を凝らしている。三彩の花瓶はひとつ5000円程度で、陶芸作業による収入は一人当たり月4500円から2万円。まだ陶芸で生計を立てるには至らないものの、着実に地域での知名度を高めており、全員が熱心に創作と取り組んでいる。(写真:三彩の花瓶 左:完成品、右:釜に入れる前)
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 11:33 | 福祉・医療 | この記事のURL | コメント(0)
ホスピス紹介の漫画制作 NPOが全国に配布 [2007年09月19日(Wed)]


ホスピスを紹介する漫画


がん患者の痛みをやわらげるためのホスピスを紹介する漫画が完成、全国の医療機関、医師たちに配布される。一般市民に正しい医学知識を広めるための活動しているNPO「ライフボート」(大久保幾久美代表)が日本財団の支援で制作したもので、がんとの闘いでホスピスの重要性がクローズアップされている中で、関心を集めそうだ。

ライフボート代表の大久保さんは、編集の仕事の傍ら「多発性骨髄腫」になった友人2人が運営していた「患者の会」を手伝っていた。2人が亡くなった後、この病気に関するガイドブックを出版した。この編集を通じ、他の病気についても正しい知識を伝える必要性を感じて「救命艇」という意味のライフボートを立ち上げた。(写真:ライフボート代表の大久保さん)

ホスピスについてWHOは「終末医療だけでなく早期の抗がん治療の際にも並行して利用すべき」としているが、日本の医療現場では、この認識は浸透していないのが実情という。このため、大久保さんは昨年出した「漫画でわかる多発性骨髄腫」に続いて、ことしは「苦しいときはいつでも緩和ケア」「痛みは上手に正しく伝えよう」の2つの漫画(各8ページ)を制作した。2つの作品とも大久保さんが実際に聞いたこと、見たことを基に考案、漫画家のきみのみきさんに描いてもらった。

いずれも、がん患者と医師とのやりとりの中で、緩和ケアの位置づけや医師と患者の意思疎通の重要性を紹介し「ホスピスとは何か」という疑問に答える内容だ。各5千部制作、がんの治療に当たっている全国の医療機関に配布した。さらにこの秋に開催される日本がん学会、血液学会でも参加者に無料で配布する予定。個人で必要な場合は、ライフボートのホームページからダウンロードできる。各病院の院内報への掲載もOKという。

漫画の制作目的について、大久保さんは「日本のがんの先生は、治療を優先して患者の痛みを取ることにあまり関心がない。ホスピスケアも並行して考えてもらいたいと思った」と話している。
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 10:34 | 福祉・医療 | この記事のURL | コメント(0)
小さいけれど笑顔でパン作り、佐世保の「マザーワート」 [2007年09月18日(Tue)]


みんなの店の前で、パン職人さんが勢ぞろい


昨年施行された障害者自立支援法で、障害の種別ごとに細分化されていた施設や事業が大幅に再編された。それまで「小規模作業所」として地域の障害者の生活・就労支援を行っていた施設の多くが、新体系では「地域活動支援センター」に移行した。長崎県佐世保市柚木町で、パンの製造・宅配を行っている「マザーワート」もそのひとつだ。

運営しているのはNPO法人・バイタルフレンド(横石たまき理事長)で、9人の知的障害者と4人の職員が毎日、食パン40斤と菓子パン200個を製造している。販売先は地域の中学校に週2回のほか、老人ホームや幼稚園、病院、道の駅などだ。横石さんらがプロの講習を受け、みんなで工夫してメニューを増やしている。

      

午前8時半から午後4時過ぎまで、分業でパン作り         菓子パンの種類もしだいに増えている


福祉施設に勤務していた横石さんは、夫を交通事故で失い悲嘆にくれたが、施設の通所者に慰められたことを契機に、これからは福祉事業に生きようと決心した。47歳のときだった。挫折を繰り返しながらも「マザーワート」を設立、店舗を提供してくれる人も見つかって昨秋、「地域活動支援センター」に移行した。パン製造の機器整備も進み、法定施設の認可をめざして順調に活動が広がるかに思えた。

しかしせっかく技術を仕込んだ通所者3人が、いっきに他の大きな施設に移行してしまった。「子どもさんの安定を考えれば、親御さんとして当然の判断なのだろう」と自分を納得させている横石さんだが、運営上は大きな痛手だ。「頑張っても頑張っても展望が開けない。どうしてなのでしょう」と孤軍奮闘に疲れをにじませるバイタルフレンドである。

地域活動支援センターは、障害者の身近できめ細かいサポートが可能だとして新制度でも重視されている。しかし法定施設に比べ自治体による支援が少なく、経営の安定は難しいのが現実だ。横石さんは「日本財団の支援で不十分だったトイレや更衣室も整備できました。気持ちを新たに頑張ろうと思います」と、今日もパンの仕込みや配達に走り回っている。(写真:「いずれは街の中に店を出したい」と夢を語る横石さん)
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 09:28 | 福祉・医療 | この記事のURL | コメント(3)
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