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世界同時運動会・チャレンジデー [2007年05月31日(Thu)]

スポーツイベントの中で参加者が多くてユニークさを誇るのが「チャレンジデー」だ。毎年5月の最終水曜日に世界各国で行なわれ、日本では30日に92ヵ所(16市25町5村46地区)で約87万人がさまざまなスポーツに挑戦した。カナダで始まったこのイベントは国内では笹川スポーツ財団が「日常生活の中にスポーツを定着させる」ことを目的に1993年から普及を進めており、今年で15回目の開催。年齢や性別を問わず、だれでもが気軽に参加できるため、今後の広がりが期待されている。


福岡県久留米市大善寺・安武校区で行われたグランドゴルフ

チャレンジデーは1983年にカナダ・サスカチュワン州サスカトーン市を中心とする50の市町村で始まった。人口規模がほぼ同じ自治体同士が15分以上継続して何らかのスポーツをした住民の参加率を競うイベントで、次第にカナダ全土に広がった。現在では約600の自治体で実施され、カナダでは5人に1人の割合で参加しているという。カナダのほかにも日本など30カ国、1500地域で実施されており、世界的なスポーツイベントになった。カナダで最初に行なわれたのが5月の最終水曜日だったため、翌年以後この日が開催日になった。
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 10:08 | 文化・教育・社会問題 | この記事のURL | コメント(0)
神津島古民家再建プロジェクト [2007年05月30日(Wed)]


再建されることになった神津島の古民家「旧清水勘左ヱ門邸」


神津島(東京都神津島村)で「古民家再生プロジェクト」が進められている。島の古民家を移築再建し、島興しの活動拠点にしようという取り組みだ。島で生まれ育った中高年グループが、島の伝統文化を次代に伝え、より活気に溢れた地域づくりを目指そうとする世代を繋ぐ活動でもある。離島という制約の多い環境ながら、文化の層を厚く育みたいという願いが込められている。

神津島は伊豆七島のほぼ中ほどに位置する18.87平方kmの離島。神津島村は人口が約2100人、世帯数は870だ。小さな島ではあるが、タカベ、キンメ、赤イカなどの豊かな漁場に恵まれている。

この村に2006年10月、村の文化財保護審議会のメンバーと「地域史研究会神津島本部」の会員らによって「神津島古民家再建推進協議会」(石野田富士雄会長)が結成された。村が、島で最も古い民家である旧清水勘左ヱ門邸の提供を受けたことが契機で、その移築再建と有効活用を考えることが目的。

神津島は明治32年(1899年)の大火で310棟の集落の300棟が焼失したため、それ以前の建造物は残っていない。清水勘左ヱ門邸は大火翌年に建てられた民家で、いまでは島で最も古い建築様式を保つ貴重な存在だった。建坪は27坪(約90平方メートル)で、島の樹木や流木を使って建てられており、当時の島の暮らしをよく伝えている。

再建推進協議会は東京家政学院大学の大橋竜太助教授の協力でこの古民家を調査し、解体して保管している。再建場所について近く村の方針が決定される見込みで、協議会は今後2年をかけ、復元していく方針だ。この活動に対し、日本財団も助成している。
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 10:08 | 福祉・医療 | この記事のURL | コメント(0)
神社併設の海事博物館 昭和天皇ゆかりの葉山丸を展示 [2007年05月29日(Tue)]


展示された葉山丸


本州と四国を結ぶ「しまなみ海道」にある風光明美な大三島(愛媛県今治市大三島町)は、ミカン栽培のほか国宝・重要文化財を所蔵する大山祇(おおやまずみ)神社(三島喜徳宮司)で知られる愛媛県最大の島だ。同神社に、昭和天皇が海洋生物の研究に使った「葉山丸」を展示した「大三島海事博物館」が併設されていることは意外に知られていない。葉山丸はなぜ、大三島に渡ったのだろうか。

葉山丸は長さ15.5b、幅4.2b、15dの木造船で、速さは8ノット。1934年(昭和9年)昭和天皇の「御採集船」として旧横須賀海軍工廠で建造された。昭和天皇は、当時の宮内省に創設された生物学研究所で陸では「粘菌」(変形菌ともいい、下等菌類の一群)、海では「ヒドロゾア」(ヒドロ虫ともいう刺胞動物の一種)という生物の研究を進め、御用邸のある神奈川県葉山の海で材料を採集する際に葉山丸に乗船されたという。昭和天皇がこの船を利用したのは6、7年で、太平洋戦争戦局の悪化により旧横須賀工廠が保管。さらに海軍に下賜になり江田島の海軍兵学校で生徒の訓練用に使われた。

終戦時、海軍は葉山丸を瀬戸内海屈指の大社である大山祇神社に奉納、保管を依頼した。その後進駐してきた英・豪軍が接収したが、接収解除されてからは海上保安庁の巡視艇として使われたほか、昭和天皇が葉山滞在中には再び御採集船の役割も果たした。1956年にその役割を終え、終戦時一時保管していたという縁で同神社に払い下げられた。

同神社はこの葉山丸や昭和天皇の生物学に関する著作を中心に展示する鉄筋コンクリート2階建ての海事博物館(延べ床面積762平米)を日本財団の助成で建設、1972年3月にオープンした。その後、1998年にはコロニアル葺きの屋根の修繕も日本財団が支援した。博物館には葉山丸など昭和天皇ゆかりのもののほかに、四国の海に生息する魚介類や全国の鉱石、鉱物も展示している。これは同神社が「海と山の神」を祭っているためという。
                                      海事博物館

神武天皇の東征にさきがけて四国に渡った小千命(おちのみこと)が神の地と定めたのがこの神社の始まりといわれ、広大な敷地の神社には国宝、重文の指定を受けた武具類を保存した紫陽館、国宝館もある。三島宮司によると、海事博物館も含め、入館者は「しまなみ海道」オープン(1999年5月)直後には年間で70万人に達した。しかし、その後は観光ブームが終わった影響か、現在は年間で約7万人程度という。御用邸がある神奈川県葉山町から「うちに譲ってほしい」という要請が数回あったが、これまでの経緯もあって「手放す考えはない」と三島宮司は話している。

―――― ・ ――――

昭和天皇が生物学者であったことは、比較的有名だ。しかし、その研究に使われた船がどのような歴史をたどったのかは広くは知られていない。まして、四国に渡り、海事博物館に展示されているとは、不明にして今回まで全く私の知識の中にはなかった。いま、葉山丸は大山祇神社の一角で静かな余生を送っている。激動の昭和史を飾る貴重な資料として、葉山丸の存在を忘れてはならないと思う。訪問した当日は閑散としていた博物館だが、夏には臨海学校の子どもたちでにぎわうという。(I)
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 10:00 | 海と船 | この記事のURL | コメント(0)
青パト配備 明大前商店街 日本財団が初めて助成 [2007年05月28日(Mon)]


明大前商店街振興組合自警会に配備された青パト


子どもたちが犯罪に巻き込まれないよう、各地で登下校時を中心に地域住民による自主パトロール活動が盛んになってきた。この防犯パトロールに活用してもらうため、日本財団は24日、青色回転灯を装備した通称「青パト」を東京・世田谷のボランティア団体に配備(購入費を助成)した。全国的に青パトの巡回で犯罪の抑止効果が出ており、世田谷に配備された新しい青パトの活躍が期待されている。

地域の防犯パトロールの重要性が高まったことを背景に、警察庁と国土交通省が道路車両運送法の保安基準を緩和し2004年12月から一定の要件を満たした場合は、青色回転灯の装備を認めた。これが青パトと呼ばれ、2006年末にはこの車を所有する防犯ボランティア団体は全国で3645団体に達している。(写真:特別キーを手渡す)



日本財団が助成したのは、世田谷区松原2丁目の愛称が「ピースメーカーズ」という「明大前商店街振興組合自警会」(本杉香理事長)だ。配備されたのは軽乗用車の「スズキアルト」で、午前11時から京王線明大前駅前広場で始まった贈呈式では、約100人が見物する中、除幕のあと日本財団の三浦一郎常務理事が本杉理事長に特別鍵を手渡し「安心、安全な街づくりのために活用していただきたい」とあいさつした。これに対し本杉理事長は「青パトを利用してこの街の犯罪をゼロにしたい」と述べ、防犯活動にさらに力を入れる姿勢を示した。(写真:除幕式を盛り上げる地元明治大学チアリーダーの皆さん)
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 10:37 | 福祉・医療 | この記事のURL | コメント(0)
日本財団ミャンマーで100校目の小学校開校 [2007年05月25日(Fri)]


小学校の前で笑顔の子供たち


満足に教育を受けることができないミャンマー辺境の子供たちを支援するため日本財団は5カ年計画で小学校建設を進めていた。このほど100校目にあたる北部シャン州のオン・マ・ティ小学校が完成し、23日、笹川陽平会長が出席して「開校式」が行なわれた。日本財団はさらに5ヵ年計画で100校の建設を支援することにしており、民族紛争や人権問題を抱えるミャンマーにおいて教育支援が継続される。

  

開校式では少数民族が踊りを披露          スピーチに聞き入る子供たち

多民族国家として知られるミャンマーは、辺境地区に多くの少数民族が住んでいる。これらの地域は耕地も限られ収入が低く、地域に学校も少ないことから、就学期になっても教育を受けることができない子供も多い。こうした実情から、途上国で学校建設を進めてきた日本財団が支援に乗り出し、現地のNPO「セィダナー」を通じて2002年度から校舎建設のための資金援助を始めた。

開校式に臨んだ笹川会長は「子どもたちに教育を与えたいという願いから、親を中心とした村人が労力を提供し、この学校が完成しました。世界の学校建設のモデルとなる事業です」と述べ、教育における村の協力の大事さを強調した。同小学校はミャンマーの新学期である6月から子供たちに利用される。


―――― ・ ――――


日本財団の途上国に対する小学校建設は1993年度の南米ペルーから始まった。同国では計50校の建設資金を援助し、この後内戦の影響が深刻だったカンボジアでも2000年度から計100校の建設に協力し、ミャンマーでは02年度から支援を進めていた。
ミャンマーについては、2007年度からさらに5ヵ年計画で100校の建設を継続する。これまで通り、学校運営費を賄うための基金の創設も指導する。この基金は、学校農園でトマトづくりや養豚、小規模水力発電施設の建設や農業資金への貸付などに使われる。これらの技術や管理の指導はセィダナーが継続して行う予定。


≪お知らせ≫
ロチェスター工科大学名誉博士号授与
5月25日、アメリカのロチェスター工科大学で、日本財団会長笹川陽平が名誉博士号を授与される。この授与は、WHOハンセン病特別大使としてのハンセン病制圧活動奨学金国際交流を通じた平和構築への貢献、障害者への支援が評価されたもの。1968年以降、これまでに35人が授与され、今年はビル・クリントン前アメリカ大統領も授与される。
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ブックマークに追加する Posted by 日本財団 広報チーム at 09:50 | 国際 | この記事のURL | コメント(0)
WHO笹川健康賞を比医師が受賞 辺境の地域医療に貢献 [2007年05月24日(Thu)]


WHO笹川健康賞を受けたホセ・アントニオ・ソクラテス医師


「世界の人々に健康を」というWHO(世界保健機関)の目標を達成するために創設されたWHO笹川健康賞の2007年度の授与式が17日、スイス・ジュネーブのWHO本部で行なわれた。今回の受賞者はフィリピンの整形外科医で、日本財団の笹川陽平会長が賞金3万ドルと記念のトロフィーを贈呈した。同医師は、賞金を基に障害者のための職業訓練のワークショップを立ち上げるという。この賞は地域の中でいわば「草の根的」医療活動を続ける個人や団体が対象だが、これまで日本人の受賞者はいない。

WHO笹川健康賞は1984年に創設、世界の人々の健康増進やプライマリーケア(初期の保健医療)に貢献のあった個人・団体を表彰しており、1985年度から07年度までの受賞は19団体、29人。毎年11月までに各国保健省などから候補者の推薦を受け、WHOの選考委員会で受賞者(団体)を決定する。(賞金総額は年10万ドル以内)これまでの受賞者はアジア、アフリカ、中南米が目立ち、中国、韓国の個人も受賞している。

今回受賞したのは、フィリピンのホセ・アントニオ・ソクラテス医師(58)。同医師はフィリピンの最後の秘境といわれるパラワン州(島)にある医療センターで2つのNGO(非政府組織)を立ち上げ、過疎地域でプライマリーケアを提供している。また健康面で不安がある住民に対し、ビタミン類・衛生用具、飲料水を届け、これらの人々の健康管理もしている。この活動に加え、パラワン州の主任医務官としてフィリピンの地域保健プログラムの開発にも寄与した。

授賞式で笹川会長はソクラテス医師の活動を高く評価した後「あらためてプライマリーケアの大事さを思い直し、すべての人が健康と夢を実現するにはどうしたらいいか、もう一度考えよう」と訴えた。同医師は「妻と私のチームに感謝している。賞金は新しい事業の資金に充てます」と語り、地域密着の活動を今後も粘り強く続けることを表明した。

パラワン島はマニラ西方にあり、保健環境は充実しておらず、かつてはフィリピン有数のマラリア流行地といわれた。行政当局の対策強化によって流行は減少しつつあるが、依然マラリアは公衆衛生対策上重要な疾病の一つとされている。
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日本人の証を求めて 就籍に望み託す4人 [2007年05月23日(Wed)]

フィリピン残留2世の国籍取得に向けて5月19日、マニラで開催された日系人大会に関連して、大会を支援する日本財団の尾形武寿理事長ら一行は、就籍による戸籍回復に最後の望みを託す残留2世をダバオに訪ねた。終戦後、厳しい反日感情の中で日本人の子であることを隠して生きてきた2世の生活は苦しく、深く刻まれたしわが戦後60年の苦難の歳月を示している。


ダバオの日系人会館


ダバオはマニラから飛行機で約1時間半、フィリピン南部ミンダナオ島にある。戦前、東南アジア最大、2万人を超す日本人街が形成されたこの街には、「リトル東京」と呼ばれる地区もあり、日本人経営の商店や病院、寺院や病院が立ち並び、日本語の新聞(ダバオ日日新聞)まで発行されていた。

1980年代になって日系人会館などが建設され会員も5500人まで増加、戦争で崩壊した日系人社会が再興されつつある。企業の一線を退いた日本のシニア世代の長期滞在先としても注目され始めており、日本国籍が取得できないまま戦争の後遺症を引きずる残留2世の苦しい生活が余計、際立つ形となっている。
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タンカーの進水式に歓声 愛媛の造船所でちびっ子たち [2007年05月22日(Tue)]


進水したタンカー


小学生を造船所に招待し、タンカーの進水式を見てもらおうと、愛媛県の伯方島にある伯方造船(今治市伯方町)で16日「進水式見学会」が行なわれた。日本中小型造船工業会が日本財団の助成を受けて2005年から実施している「課外授業」だ。今回で23回目になる見学会には、地元の今治市立伯方小学校の5年生約80人が参加し、地元の住民や保護者らもタンカーが海に浮かぶ瞬間を見守った。

今回進水したのは、伯方造船で建造した霧島汽船(今治市)所有のタンカー第十五泊菱丸(全長76メートル、幅12メートル、深さ5・7メートル、999トン)。午前10時45分から行なわれた進水式では神事のあと祝いの餅がまかれ、子供たちが懸命に拾った。


(写真:投げ餅を取ろうと懸命な児童たち)


この後、支綱が切断され、くす玉が割られるとタンカーが船台から海に滑り始め、テープをなびかせながら30秒足らずで着水。子どもたちや見物の人々から歓声と拍手が起きた。子どもたちの中には船上から飛ばされた祝いの風船を拾うため、走り回る姿もあった。


(写真:テープをなびかせ海に)


父親が造船関係の仕事をしているために既に進水式を見たことがあるという児童もいたが、大多数は初めての経験で、迫力満点の進水式に多くの児童から「すごい!」という感想が返ってきた。子どもたちは、この課外授業の感想文を書くという。

伯方島がある旧愛媛県伯方町は、2005年1月、町村合併で今治市になった。本州と四国を結ぶ瀬戸内しまなみ海道がこの島にも通っている。伯方造船など造船所が4つあり、造船と海運の島だ。しかし、島の人口は減少傾向にあり、4つあった小学校も児童が減ったためこの春から統合され伯方小の1つだけになった。

見学会は、同工業会が時代を担う小学生にものづくりの大切さを知ってもらうために企画したもので、本年度も国内の造船所の協力を得て、全国12ヵ所以上で開催する計画だ。多くは平日に開いているが、4月21日の土曜日に広島県大崎上島町の佐々木造船で開催した進水式見学会では、小学生だけでなく保護者も参加した。

―――― ・ ――――

造船業界は1970年代のオイルショック後、造船不況に見舞われた。世界的な景気低迷、海運不況が重なり、受注量と建造量が激減し、工場閉鎖、雇用削減に追い込まれた。名門企業の造船部門から撤退というニュースも伝えられた。そんな中でも独自の技術力で頑張る中堅の造船会社も少なくない。今回、伯方造船が小学生を進水式に招いたことは、地元の造船会社が健在であることをアピールするものであり、子どもたちに船の大事さを教えることにつながるものだと考えた。男子児童に「将来、船関係の仕事をしたいですか」と聞いたら、満更でもないのか、ニコッと笑ってくれたのが印象に残った。(I)
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早期の就籍求め大会―フィリピン残留2世 [2007年05月21日(Mon)]


200人を超える日系人が参加


フィリピン残留2世の国籍取得をテーマにした「フィリピン日系人大会」が5月19、20の両日、フィリピン・マニラで開催された。フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC:河合弘之・代表)とフィリピン日系人会連合会(カルロス寺岡・会長)の共催で、8回目を迎えた同大会で国籍取得問題がメーンテーマに据えられるのは初めて。戦後60年を経て残留2世が老境を迎えている現状から、河合代表は「中国残留孤児のように日比両国政府が協力して(残留2世の就籍に)お墨付きを与えるようなシステムが必要」と指摘。事業を支援する日本財団の尾形武寿理事長は冒頭の挨拶で「日本の平和と繁栄は皆さんの犠牲の上に成り立っている。日本財団としても全力を尽くし支援したい」と述べた。

      

    力強い支援を表明した日本財団の尾形理事長     日本の繁栄は多くの犠牲者の上にある


フィリピン残留2世の父親の多くは大戦中、旧日本軍に徴用され、敗戦に伴い強制収用・送還された。戦火の中で死亡した父親も多い。現地に取り残された妻子は山岳地帯に隠れ住み、日本人の父とのつながりを裏付ける資料の多くが失われた。自ら捨てた人も多かったといわれる。父親の身元が判明し戸籍に名前が記載されている2世は既に日本国籍を取得しているが、約800人は証明できるだけの資料がなく、既に死亡した人などを除く約500人が就籍による日本国籍取得に望みを託している。

昨年、19人が新たに戸籍を設け日本国籍を取得する就籍の申し立てを東京家裁に起こしているが、戦後、反日感情が強かったフィリピンで迫害を恐れ、婚姻証明書、出生証明書などの書類を破棄したり、日本人であることを隠して生きてきたこともあって、申し立て後、身元が判明した2人と死亡した1人を除き、結論(審判)は出ていない。
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台湾で「大航海時代の日本と台湾」展開催 [2007年05月18日(Fri)]


松浦史料博物館 展示室内 (写真提供:松浦史料博物館)



長崎県平戸市にある松浦史料博物館は、江戸時代の平戸藩に伝わる貴重な史料や調度品を展示している。海沿いの丘の上に建つ博物館は、かつての藩主の別邸をそのまま利用し、石垣や石段は江戸時代の雰囲気をそのまま伝えている。平戸藩の藩主・松浦家は、平安時代に北西九州に土着した武士で、鎌倉時代から戦国時代にかけて東シナ海をその勢力下に置き、松浦党と呼ばれる海賊であった。

室町後期以降、平戸には多くの中国人の密貿易商や海賊が住んでいた。その一人に鄭芝龍がいた。芝龍は、密貿易商の頭目として松浦家に莫大な利益をもたらし、藩主から藩士の子女を娶ることを許された。そして、鄭成功が生まれた。鄭成功は、清に滅ばされた明の英雄で、歌舞伎や人形浄瑠璃の「国姓爺合戦」の主人公である。成功は、海賊の力を使い清朝に国を奪われた明の再興を願い、台湾や大陸沿岸部のアモイなどで戦った。

松浦史料館では、今年、鄭成功と縁の深い台湾の台南市にある延平郡王祠鄭成功文物館と台北市にある国立歴史博物館で、平戸に残る鄭成功に関わる展示品を中心に、平戸と台湾の交流に関する特別展を開催する。展示会の開催期間は、延平郡王祠鄭成功文物館が4月28日から6月20日、国立歴史博物館が6月29日から8月12日の予定。

この展示会では、17世紀初頭の平戸の海外貿易を舞台に、朱印船貿易、鄭成功、オランダ東インド会社の進出など台湾と日本の共通の歴史を糸口として、海によって育まれた海洋国家日本の文化を紹介する。
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