多くの聴衆が集まった早大の会場
日本国籍を求めて一時帰国した
フィリピン残留日本人2世16人は帰国に先立つ7月18日、早稲田大学で行われた公開講座に出席、戦後62年を経てなお大半の残留2世が日本国籍を取得できていない現状を説明するとともに支援を訴えた。これに対し学生からは「このような問題がなぜ放置されてきたのか理解できない」といった声も聞かれた。
公開講座は同大学のオープン科目「人権と市民活動・ボランティア」の一つとして日本財団と「
フィリピン日系人リーガルサポートセンター」(PNLSC、東京)の協力で開催され、会場に当てられた教室には満席の200人近い学生が詰め掛けた。講座は午後6時から始まり、まずPNLSCの担当者が、戦争の混乱で現地に取り残され日本国籍を取得できないでいる残留2世の経過や現状を報告。次いで白日光弁護士が新たに戸籍を設けて日本国籍を取得する就籍手続きについて説明した。(写真:フィリピンでの父親の写真なども展示された)
この中で白弁護士は「約800人の残留2世のうち手掛かりなどから現時点で就籍申し立てが可能なのは160人(うち84人申し立て済み)にとどまる。戦中戦後の混乱による資料の散逸もあり司法手続きによる日本国籍取得には限界がある」として、
中国残留孤児の日本国籍取得と同様、政治的救済の必要性を強調した。
この後、来日した残留2世を代表する形でアイリーン・サカイ・ルアさん(83)、グロリア・フジ・マンガオさん(76)、仲治男さん(75)の3人が悲惨な戦争体験を披露。グロリアさんは戦後、日本に強制送還された父について「日本軍の通訳をしており、終戦直前、軍とともに山に避難した。その際“日本人と分かれば殺される。日本人だと言うな。フジの姓も一切使うな”と言った」と語った。(写真:グロリアさん)
強制送還後、10年近く日本に住んだ後、フィリッピンに再度移住した仲さんは「戦争が終わった時12歳だった。軍とともに退却した山中ではゲリラに襲われ、負傷者を見捨てて逃げ回る毎日だった。米軍がまいた終戦のビラを見て白旗を掲げ投降した」と話した。「日本国籍が取得できたら・・」との会場からの問いには「私は高齢で無理と思うが子供や孫には日本に住んでほしい」(アイリーンさん)、「自分も日本に住み親族を探したい」(グロリアさん)と語った。同様の講座は7月16日に上智大学でも開催された。(写真:アイリーンさん)(宮崎正)