視覚障害者に平等の機会を カンボジア盲人協会会長のブン・マオさん [2008年12月03日(水)]
![]() 講演するブン・マオさん カンボジアで視覚障害者の自立と社会参加のための運動をしているブン・マオさん(38)が強盗に遭ったのは23歳の時だ。マオさんはいまも当時の状況を忘れることができない。この事件のためにマオさんは失明、顔面にはひどい傷が残った。絶望感から一時死ぬことを考えたというマオさんは、立ち直って視覚障害者の支えとなった。社会貢献支援財団の2008年度社会貢献者に選ばれ、表彰式で会場から大きな拍手が送られたマオさんは「これからも視覚障害者のために働きます」と、決意を話してくれた。 |
マオさんは、カンボジアの首都プノンペンに近いカンダール州で生まれ、極左武装勢力クメール・ルージュ(ポル・ポト派)による支配が終わった1979年、プノンペンに出てきた。大学に進学してからは輪タク(自転車を利用したタクシー)や大工、レストランのウェーターなどのアルバイトをしていた。さらにバイクタクシーの運転手をしていた1993年4月25日朝5時半ごろ、男を乗せた後、料金をもらおうとバイクを止めて後ろを振り向くと、いきなり男は車のバッテリー液のような液体をマオさんの顔に振り掛けた。激しい痛みが走った。男はそのままマオさんのバイクに乗って逃走、バイクはついに見つからなかった。(写真左:日本財団でインタビューを受けるマオさん)マオさんはプノンペン市内の国連関係の病院に運ばれ手当てを受け、6ヵ月間入院した。液体は硫酸系だったらしく、マオさんの顔面は焼けただれ、担当した医師は「目はもうだめです」と説明したという。大学で森林の環境問題を専攻し、将来はそうした関係の仕事に就くことを希望していたマオさんの夢は断たれてしまった。絶望したマオさんは、失意の果てに生きる希望を失った。 だが、芯の強いマオさんは立ち直った。生きるためにマッサージの勉強を始め、カンボジアの視覚障害者が社会から差別されていることに気がついた。こうした差別をなくそうと、2000年に友人ら10人と「盲人協会」を設立、会長として活動の中心を担ってきた。協会の活動はマッサージの提供、視覚障害者の子どもたちの教育、視覚障害者に対する眼科医の紹介や少額融資、日本の教育機関による点字教室の開催など幅広い。マオさんは「現在はカンボジア政府の支援は全くないが、視覚障害者にも平等に教育が受けられ、就労の機会を得ることができるようにするのが私の目標です」と話している。(写真右:講演会で日本の支援を訴えるマオさん) マオさんの活動に対し日本財団をはじめオランダやノルウェーの盲人協会からの支援がある。今回の社会貢献者としての受賞に対し「賞をもらうなんて考えていなかった」と、驚きを隠さない。副賞の日本財団賞50万円は、17歳になる養女の目の手術費用に使う予定だ。養女はこれまでに5回手術をしているが、失明の恐れがあるため、再手術が必要なのだという。マオさんは受賞翌日の11月18日、東京の世界銀行情報センターで開かれた講演会で「ゼロからの挑戦〜カンボジア視覚障害者支援」と題してスピーチ、活動に対する日本の支援を訴えた。(写真左:社会貢献者表彰式会場)(石井克則) |








マオさんは、カンボジアの首都プノンペンに近いカンダール州で生まれ、極左武装勢力クメール・ルージュ(ポル・ポト派)による支配が終わった1979年、プノンペンに出てきた。大学に進学してからは輪タク(自転車を利用したタクシー)や大工、レストランのウェーターなどのアルバイトをしていた。さらにバイクタクシーの運転手をしていた1993年4月25日朝5時半ごろ、男を乗せた後、料金をもらおうとバイクを止めて後ろを振り向くと、いきなり男は車のバッテリー液のような液体をマオさんの顔に振り掛けた。激しい痛みが走った。男はそのままマオさんのバイクに乗って逃走、バイクはついに見つからなかった。(写真左:日本財団でインタビューを受けるマオさん)
だが、芯の強いマオさんは立ち直った。生きるためにマッサージの勉強を始め、カンボジアの視覚障害者が社会から差別されていることに気がついた。こうした差別をなくそうと、2000年に友人ら10人と「
マオさんの活動に対し