「稲むらの火」の人形劇で防災教育 全国のろう学校を巡回 [2008年10月21日(火)]
![]() 人形劇団デフ・パペットシアター・ひとみのメンバー ろう学校の子どもたちに、人形劇を通じて地震など自然災害について学んでもらおうという取り組みが10月からスタートした。財団法人現代人形劇センターが日本財団や日本芸術文化振興会、損保ジャパンなどの支援を受け3ヵ年計画で実施するもので、全国の105のろう学校で予定されている。これまで障害者に対する防災情報の伝達、防災教育は遅れがちだっただけに、この取り組みに対する期待は大きい。 |
同センターは、1969年から人形劇の普及と発展を目的にさまざまな活動を続けている。今回出演の「デフ・パペットシアター・ひとみ」も同センターが1980年に設立した。ろう学校での防災教育は「稲むらの火」という題で、津波から多くの村民を助けた男の物語だ。10月8日の川崎市立ろう学校から始まり、翌9日には東京都立大塚ろう学校で行われ、99人の子どもたちが熱心に人形劇を見つめた。この日は学校側が「どんな劇か、災害の時に人はどう考えるかよく見てください」と説明した後、人形劇(台詞付きで善岡修さんが手話の語り手、やなせけいこさんが音楽を担当)が始まった。。(写真右:稲むらに火を付け、危険を知らせる) まず地球の成り立ちや昔の人が地震は神様同士のけんかで起きると信じていた様子を表現、この後「稲むらの火」に入った。この劇は1854年(安政元年)12月24日、安政の南海地震(M8.4)が起きた時の紀州有田郡湯浅廣村(現在の和歌山県広川町)で醤油製造業を営んでいた濱口儀兵衛(後の梧陵)が地震のあと、津波が来ることを予感し大事な稲むらに火をつけて村人に知らせ、多くの村人を救ったという話がモデルだ。(写真左:避難する村人たち) 後に小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)が出版した本の中で(「五兵衛」という名前で登場)その活躍が紹介され、さらに八雲の作品は中井常蔵氏によって「稲むらの火」として書き改められ、戦前から戦後にかけて小学校の国語の授業で使われた。人形劇は地震発生から水が引いた海の様子、津波を察知した五兵衛の行動、村人たちの避難、津波の襲来と次々に起きる現象をリアルに伝え、子どもたちは真剣な眼差しで見入っていた。(写真右:終了後、人形を見る子どもたち) 人形劇に続いて「てるてる君」というアニメの男の子を使って洪水と地震が来たときには、耳の聞こえない人はどうしたらいいのかを勉強。善岡さんは「情報の確保に気をつけ、コミュニケーションの手段を用意しておくなど日ごろから災害に備えておくことが大事です」と伝えた。この日は地震の仕組みなどを学ぶため東大地震研究所の監修も受けたパンフレットも配られ、子どもたちを代表して男の子が「地震の怖さが分かった。大きくなったら劇団に入りたい」とお礼のあいさつをした。この後、子どもたちは劇に使われた人形やドラムなどに触って、人形劇の楽しさを再確認していた。稲むらの火の公演は08年度22校、09年度42校、10年度41校で実施する計画だ。(写真左:てるてる君を使った災害の勉強)(石井克則)詳しくはこちら(時間:1分33秒) |








同センターは、1969年から人形劇の普及と発展を目的にさまざまな活動を続けている。今回出演の「
まず地球の成り立ちや昔の人が地震は神様同士のけんかで起きると信じていた様子を表現、この後「稲むらの火」に入った。この劇は1854年(安政元年)12月24日、安政の南海地震(M8.4)が起きた時の紀州有田郡湯浅廣村(現在の和歌山県広川町)で醤油製造業を営んでいた濱口儀兵衛(後の梧陵)が地震のあと、津波が来ることを予感し大事な稲むらに火をつけて村人に知らせ、多くの村人を救ったという話がモデルだ。(写真左:避難する村人たち)
後に小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)が出版した本の中で(「五兵衛」という名前で登場)その活躍が紹介され、さらに八雲の作品は中井常蔵氏によって「稲むらの火」として書き改められ、戦前から戦後にかけて小学校の国語の授業で使われた。人形劇は地震発生から水が引いた海の様子、津波を察知した五兵衛の行動、村人たちの避難、津波の襲来と次々に起きる現象をリアルに伝え、子どもたちは真剣な眼差しで見入っていた。(写真右:終了後、人形を見る子どもたち)
人形劇に続いて「てるてる君」というアニメの男の子を使って洪水と地震が来たときには、耳の聞こえない人はどうしたらいいのかを勉強。善岡さんは「情報の確保に気をつけ、コミュニケーションの手段を用意しておくなど日ごろから災害に備えておくことが大事です」と伝えた。この日は地震の仕組みなどを学ぶため