「宗谷」で南極を聴く 海の男のギャラリートーク [2007年11月21日(水)]
![]() 「宗谷」士官食堂でのギャラリートーク 東京・台場の「船の科学館」前に係留されている南極観測船「宗谷」で、かつての乗組員による体験トークの会が開かれている。『海の男のギャラリートーク 奇跡の船・宗谷』と題し、12月23日までの毎週末、元乗組員がかつての体験を語り、船内を案内する。昭和基地が建設されて今年で50年。その輸送を担った宗谷の役割りと苦労を現代に語り伝えたいと、当時の乗組員8人が「語り部」を引き受けた。 トーク会場は宗谷の士官食堂。語り部の一人、稲葉光秋さん(68歳)は第6次南極観測で甲板員として宗谷に乗り込んだ体験を語った。宗谷はその役割から船底の構造がお椀状をしており、嵐の中の航海では最大傾斜角が60度を超えることもある。このため横揺れが激しく、稲葉さんは「ベッドの両脇に毛布を詰め、転がり落ちないようにして眠ったものです」と航海の苦労を語った。(写真:第6次観測隊の「語り部」を勤めた稲葉さん(左)) また南極の潮の流れは強く、毎時1ノットのスピードで西に流されて、1週間もするとヘリコプターが昭和基地に到達できないほど遠ざかってしまったという。だから時には閉じ込められるおそれがあっても氷の海に突入していかなければならないのだが、「宗谷の馬力は小さく、限界があった」と稲葉さんは振り返り、「極地輸送船として最も重要なのは馬力だと思う」としみじみ語った。(写真:参加者は船内を解説付きで見学)来年で建造70年となる宗谷は、1956年以来、6次にわたる南極観測隊の輸送に従事した。氷の海ではソ連船などの救援で脱出するといった数々のドラマを生みながら、昭和基地での南極観測を支え続けた。宗谷と乗組員の活躍は、戦後間もない日本人の心に勇気を与え、いまはその役割を終えて静かに余生を送っている。その船内での体験トークだけに話はリアリティーに富み、聞き手も南極観測気分になっているようだった。 『海の男のギャラリートーク』のスケジュールは以下の通り。各回とも午後1時から(45分間)で、定員20人。問い合わせは「船の科学館」(03-5500-1113)まで。▼11月10日(土)三田安則=終了▼11月17日(土)稲葉光秋=終了▼11月24日(土)磯貝重信「オビ号の救出」▼12月2日(日)内山長徳「寄港地の思い出」▼12月8日(土)佐々木昭人「基地との通信」▼12月15日(土)滋野千秋「砕氷能力の実態」▼12月22日(土)島崎里司「恐怖の暴風圏」▼12月23日(日)島崎満雄「タロとジロ」(写真:「船の科学館」前に係留されている「宗谷」) |






トーク会場は宗谷の士官食堂。語り部の一人、稲葉光秋さん(68歳)は第6次南極観測で甲板員として宗谷に乗り込んだ体験を語った。宗谷はその役割から船底の構造がお椀状をしており、嵐の中の航海では最大傾斜角が60度を超えることもある。このため横揺れが激しく、稲葉さんは「ベッドの両脇に毛布を詰め、転がり落ちないようにして眠ったものです」と航海の苦労を語った。
また南極の潮の流れは強く、毎時1ノットのスピードで西に流されて、1週間もするとヘリコプターが昭和基地に到達できないほど遠ざかってしまったという。だから時には閉じ込められるおそれがあっても氷の海に突入していかなければならないのだが、「宗谷の馬力は小さく、限界があった」と稲葉さんは振り返り、「極地輸送船として最も重要なのは馬力だと思う」としみじみ語った。