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古都・奈良に新たな障害者支援施設 興福寺近くの古民家を改修 [2012年11月02日(Fri)]

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オープンしたcafé壺音洞

古都・奈良に残された築90年の古民家が、日本財団の改修助成事業で喫茶店に生まれ変わり10月17日オープンした。名は「奈良興福寺 Machiya わ café壺音洞」、障害者20人が生活介護や就労支援を受ける新たな福祉拠点となる。経営に当たる特定非営利活動法人「COM」の吉澤佳子理事長は「店名の中の『わ』は“和”、“輪”など人と人のつながりをイメージしています。皆さんがゆっくり、ほっこりしていただける空間を提供していきたい」と語っている。
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意欲を語る吉澤佳子さん

café壺音洞は近鉄奈良駅横の小西さくら商店街入り口近くに位置し、木造2階建て約100平方メートル。もともと吉澤さんの大叔父に当たる俳人吉永一男さんの住家だった。壺音洞は吉永さんが主催していた俳句サロンの名前で、建物入り口に当時の額が掛けられている。

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正面に掛かる壺音洞の額(左)と古風な天井

大叔父夫婦の死後、障害を持った長女が一人残され、吉澤さんの祖父が後見人となった。「そんな関係もあって、大人になったら何か障害者のお役に立つようなことをしたいと漠然と考えていた」(吉澤さん)。結婚して家庭に入るまで京都、東京の福祉園児童ホームなどで心理職として働き、自身の子供2人が障害を持って生まれると、保育士や言語聴覚士の資格も取得。2006年には「こどもの発達・療育ステーションCOM」、さらに昨年、NPO法人COMを設立した。
 
改修前の壺音洞は35年間、空き家として手付かずで残されていた。「今となっては、こうした施設として利用するよう皆が残してくれたような気がします」と吉澤さん。2階の天井を取り外すなど大幅に改造し、現在は1階が喫茶店。吉澤さんとともにCOMのメンバー4人が運営に当たり、昼は喫茶のほか「おやき」を中心にしたランチも。1日15食の限定だが、たまたま20日午後訪問すると既に売り切れ。オープン4日目ながら反応は上々のようだ。

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すぐ近くには興福寺

2階は障害者の就労など多目的スペースとして活用することを検討しており、自由な発想で織物を作る「さをり織機」も購入した。全体を障害者が互いに支え合う交流の場にするのが吉澤さんの夢。ランチに添えられた豆腐も近くの障害者施設の製造という。7、8分、東へ進むと、1300年の歴史を刻む興福寺、その先には東大寺や春日大社も位置し、観光客の立ち寄りも期待できそうだ。

日本財団の改修助成事業は2004年度にスタートし11年度までに2389カ所の改修を進めた。café壺音洞も11年度分の事業で、日本財団の担当者は「その後、改修事業に対する公的補助制度も整備された。今後は施設より、障害者福祉を支える人材の育成に重点を移したい」と語っている。

「奈良興福寺 Machiya わcafé壺音洞」=奈良市小西町12-1。電話は072-31-2645。日、月曜は定休日。(宮崎正)
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Posted by 日本財団 広報チーム at 09:03 | 福祉・医療 | この記事のURL | コメント(0)
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