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父の郷里、熊本で親族と涙の対面 比残留日本人2世のダビッドさん [2012年08月17日(Fri)]

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父親の身元が判明した本田ダビッドさん

「一度も父に会うことはなく人生は苦痛に溢れているものだと思っていた。しかし兄弟や親戚に会って人生は美しいものだと実感した」。戦中、戦後の混乱で父と生き別れになったフィリピン残留日本人2世・本田ダビッドさん(67)が8月7日来日、父親の故郷・熊本県で親族と対面し、感動と喜びを語った。日本財団フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)が進める日本国籍回復支援事業で残留日本人2世が肉親と対面するのは今年2件目、10月には沖縄の関係者の訪日も予定されている。
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親族18人が熊本空港に出迎えた

ダビッドさんの父親である本田寅雄さんは1933年、フィリピン・レイテ島へ移民として渡り、44年に医師のベリヤさんと結婚、日本軍に徴用され通訳として従軍した。やがて米軍の強制収容所に収容され、終戦後、長男のダビッドさんが1945年1月に生まれたことを人づてに聞いたが対面することもないまま46年、日本に強制送還され、出身地の熊本で新しい家庭を築いた。フィリピンに残した妻子のことをさかんに気にしていたが、再会を果たすことなく1979年、死亡した。

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父の墓前に頭を下げるダビッドさん(左)、ダビッドさんが叔母から譲り受けた寅雄さんの写真

一方、ベリヤさんは1950年に死亡、ダビッドさんは母方の祖父母に育てられ32歳で結婚、現在はルソン島で教会の牧師を務める。2009年、フィリピン残留日本人2世に関する報道を見て現地日系人会に父親捜しを相談、PNLSCなどで調査を進めた結果、外務省外交史料館が保管する「海外旅券下付表」に寅雄さんの渡航記録が残されており、これを基に戸籍紹介した結果、寅雄さんとベリヤさんの結婚が記載されており、身元判明につながった。

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PNLSCで活躍する金丸友香さん

ダビッドさんは7日、熊本空港に出迎えた異母弟の本田孝明(64)さんら親族18人を対面。本田さんが「父は“家族に会いにフィリピンに行きたい”と口癖のように言っていた」、「毎年のようにクリスマスカードも書いていた」と話すと、ダビッドさんは「周りからは父に捨てられたと聞かされていた。そうではないと分かってとてもうれしい」と涙を流した。本田さんも「今回、会えたのは奇跡。念願が叶いました。これから兄弟としてよろしくお願いします」と語り掛け、互いに手を取り合った。ダビッドさんはこの後、寅雄さんの故郷・甲佐町で墓参りなどをし10日、フィリピンに帰国した。

ダビッドさんの父親親捜し、一時帰国を支援したPNLSCの金丸友香さん(27)は「2世たちは、戦後反日感情による差別がひどかったため、名字を母親の旧姓に変えるなど日本人の子どもであることを隠さざるを得なかった。このプロジェクトで2世たちが日本や自身のルーツに少しでも誇りを持ってくれたらうれしい」と語っている。(松岡 直)
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Posted by 日本財団 広報チーム at 09:03 | 国際 | この記事のURL | コメント(0)
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