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写真決め手に身元判明 就籍の申し立ての比残留日本人2世 [2012年07月23日(Mon)]

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決め手となった写真、抱かれているのはカルロスさん

日本国籍の取得に向け就籍の申し立てをしているフィリピン残留日本人2世の身元が両親が残した写真を手掛かりに判明、7月17日一時帰国し親族と感動の対面をした。2世には、フィリピン外務省アジア太平洋局長官と入国管理局長官も同行、引き続き残留2世の国籍取得に協力すると表明したが日本政府の対応に対するコメントは一切避けた。これに対しフィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)代表の河合弘之弁護士は「中国残留孤児問題に比べ日本政府は腰が引けている。この点が問題の解決を難しくしている」と指摘した。
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「いとこ」ら7人と感動の対面

身元が判明したのはミンダナオ島ダバオに住む利光カルロスさん(76)。1936年、フィリピン・セブで利光和平・デオグラシア夫妻の長男として生まれ、戦前はカズオの日本名で呼ばれた。その後一家はダバオに移住、開戦に伴いカルロスさんは母の実家があるボホール島に疎開し、ダバオに残った両親と妹は米軍の爆撃で消息不明となった。

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比外務省アジア太平洋局、カターリャ局長らも出席

戦後はゲリラの迫害を恐れフィリピン名のカルロスを名乗り、母の姉から贈られた両親と生後間もないカルロスさんが写った写真を唯一の手掛かりに肉親捜しを続け、現地日系人会やPNLSCも協力。この結果、外務省に残る「海外旅券下付表」の記載から父親が利光和平さんと判明、大分などに住む親族と写真を確認した結果、最終的に和平さんの長男と判明した。

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会場には多数のメディアも

カルロスさんは17日、戸籍回復事業を支援する日本財団(東京・赤坂)で父方の「いとこ」ら7人と対面、トツトツとしたビサヤ語で「早く就籍を認めてほしい。認められれば父も喜んでくれる」と語り、フィリピン外務省アジア太平洋局のカターリャ局長も「当時のフィリピンの憲法からいってもカルロスさんは間違いなく日本人」と言葉を添えた。カルロスさんは就籍を申し立てている東京家庭裁判所の裁判官面接に臨んだ後、和平さんの故郷・大分を訪問するほか、8月と10月にも残留日本人2世2人の一時帰国が計画されている。

潜在的に日本国籍を持ちながら戸籍に記載されていないため家庭裁判所の許可を得て新たに戸籍を作る就籍の申し立ては2006年から始まり、これまでに65人が就籍を認められた。PNLSCによると、なお200人を超す残留2世が戸籍の取得を求めており、既に約1300人が国籍を取得した中国残留孤児の孤児名簿と同様、残留日系人2世の名簿作りが日本財団の支援で進められている。

既にフィリピン外務省が50人について「残留日本人2世」と認証しており、就籍の審判でどこまで証拠として活用できるかが今後の焦点。挨拶に立った日本財団の尾形武寿理事長は「(戸籍がないのは)戦争の結果であって本人の責任ではない。残された時間も少なく、これ以上、同胞を苦しめるのは許されない」と引き続き支援する方針を述べた。(宮崎正)
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Posted by 日本財団 広報チーム at 09:18 | 国際 | この記事のURL | コメント(0)
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