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記憶のワンピースを集めて、街のアルバムに〜広島県呉市のまちかど今昔 [2012年04月19日(Thu)]

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呉大空襲を受けた市街地。中央上部にあるのは旧住友銀行
(呉サポートセンターくれシェンド提供)

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海上から見る現在の呉の町

大空襲で焼け野原となった市街地(1945年7月)、港まつりでの武者行列(1960年代)、大正期の旧住友銀行支店…広島県呉市の往時の町角や人々の交流風景などアルバムの中に大切に綴られていた写真471点を持ち寄った「記憶の記録展」が3月9日〜11日、呉市宝町の大和ミュージアムで開かれた。「こんな素敵な町だったことを多くの人に知ってほしくて」と主催者。展示は終了したが、これらの写真をデジタルベース化。呉に行けばスマートフォンアプリ「街角アルバム」で懐かしい光景に出合えるという。
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大和ミュージアムで開かれた「記憶の記録展」(呉サポートセンターくれシェンド提供)

呉地域のまちづくりに取り組むNPO法人「呉サポートセンターくれシェンド」(明神裕子理事長)が日本財団の支援を受けて昨年、市民に風景や家族の写真などの提供を呼び掛けた。思い出の写真を集めることで多くの市民に「町への思いを膨れ上がらせる」ことが狙い。提供写真はデータベース化され、携帯端末を利用して写真を撮影した場所に行くと、かつての風景と説明文を見ることのできる「街角アルバム」として活用されるのが当初の構想だった。ところが“思い出提供者”は年配者が多く、デジタル化を前にしてまずは「アナログ写真展」の開催となった。

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明治年間に撮影された清盛塚/現在の清盛塚。音戸大橋の下、緑の木の根元

寄せられた写真は明治・大正期から戦後20数年の年代にわたっており、昭和40年代の市電が走っていた道路、進駐軍の兵隊さんが談笑する街角、別れのテープが乱れ飛ぶ港など、現在の若者には想像もつかない光景がびっしり。呉中央桟橋から船で15分ほどの「音戸の瀬戸」はNHK大河ドラマで人気の平清盛が、狭い海峡を広く切り開いたところとして知られている。その功績を称えて「清盛塚」が建立されているが、提供写真の中には明治期の清盛塚の光景があり、呉が軍港になる前の音戸周辺の様子をうかがわせる貴重な1枚となっている。

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提供写真を手にする上元さん(右)と小林さん

「街角アルバムプロジェクト」に携わった大和ミュージアム事務局長の上元新一郎さんは「軍港時代は40万人もいた呉の人口が今は約20万人。町の活性化のために呉に対する関心を呼び覚ましたい」と、プロジェクトマネージャーの小林隆暁さんは「5月に地元商店街、秋には市制110年を記念した市のイベントがあり、この写真パネルを使ってもらいます」と話した。また2人は「街角アルバム」のノウハウを東北の被災地にも伝えられたら…と今後の計画を練っている。(平尾隆夫)
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Posted by 日本財団 広報チーム at 09:16 | 文化・教育・社会問題 | この記事のURL | コメント(0)
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