神津島古民家再建プロジェクト [2007年05月30日(Wed)]
![]() 再建されることになった神津島の古民家「旧清水勘左ヱ門邸」 神津島(東京都神津島村)で「古民家再生プロジェクト」が進められている。島の古民家を移築再建し、島興しの活動拠点にしようという取り組みだ。島で生まれ育った中高年グループが、島の伝統文化を次代に伝え、より活気に溢れた地域づくりを目指そうとする世代を繋ぐ活動でもある。離島という制約の多い環境ながら、文化の層を厚く育みたいという願いが込められている。 神津島は伊豆七島のほぼ中ほどに位置する18.87平方kmの離島。神津島村は人口が約2100人、世帯数は870だ。小さな島ではあるが、タカベ、キンメ、赤イカなどの豊かな漁場に恵まれている。 この村に2006年10月、村の文化財保護審議会のメンバーと「地域史研究会神津島本部」の会員らによって「神津島古民家再建推進協議会」(石野田富士雄会長)が結成された。村が、島で最も古い民家である旧清水勘左ヱ門邸の提供を受けたことが契機で、その移築再建と有効活用を考えることが目的。 神津島は明治32年(1899年)の大火で310棟の集落の300棟が焼失したため、それ以前の建造物は残っていない。清水勘左ヱ門邸は大火翌年に建てられた民家で、いまでは島で最も古い建築様式を保つ貴重な存在だった。建坪は27坪(約90平方メートル)で、島の樹木や流木を使って建てられており、当時の島の暮らしをよく伝えている。 再建推進協議会は東京家政学院大学の大橋竜太助教授の協力でこの古民家を調査し、解体して保管している。再建場所について近く村の方針が決定される見込みで、協議会は今後2年をかけ、復元していく方針だ。この活動に対し、日本財団も助成している。 |
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旧清水勘左ヱ門邸は網元の住宅として集落の中心部にあり、一時、呉服などを扱う商家としても用いられた。家屋は@軒先が低いA縁側部分など住宅開口部を板で囲うことが出来る――など、台風対策として神津島特有の工夫が施されていて、島の暮らしを伝える構造が保たれている。しばらく無人化していたため老朽化が進み、村の教育委員会が譲渡を受け、解体、移築することになった。
![]() 再建される古民家の復元模型 協議会は当面、この古民家の再建に全力を傾注することになるが、重要なのは復元後の活用。協議会の石野田会長は「島の生活や文化を伝える作業をこの場で実際に行い、それがきっかけでさらに人が集まる場にしたい」と抱負を語っている。地域社会を維持発展させるには、先人から受け継いだ文化を掘り起こし、さらに現代の生活を積み重ねていく多層的活動が欠かせないと考えるからだ。 河合健一事務局長によると、協議会は「神津島の郷づくり」を支援するNPO法人の設立も視野に今後の活動を展開していく方針だといい、復元古民家での島料理の教室や、特産品の開発、販売も手がけて行きたい考えだ。 ![]() 解体され保存されている建材について語る河合事務局長 神津島は小さな島に集落がひとつだけという離島だが、合計特殊出生率は2.51で全国3位、東京都では突出した高さを維持している。このため高齢化率も約20%台に留まっており、島には子どもたちの姿が少なくない。それだけ豊かな土地だといえるが、昭和40年代にピークだった離島ブームが去り、人口は確実に減少しつつある。 そうした中での協議会の結成は、古民家の提供を受けたことを契機に、かつて村の青年団として活動したメンバーらが「今こそ村民の力を結集して島興しを」と立ち上がった観がある。しかしその活動はまだ必ずしも村民総意の盛り上がりにまでは届いていないようで、協議会は地域の理解を高める活動にも取り組んでいる。 神津島は、江戸時代の殉難者「おたあジュリア」の生涯を悼んで、毎年「ジュリア祭」を開催しているという、島文化を考えてきた実績がある。すでに38年間続いており、ジュリアの故地・韓国との民間交流の場にもなっている。5月の第3週末に開催されるジュリア祭には、今年も東京や埼玉から韓国舞踊の学生らが来島、ツアー客らとともにジュリアと神津の歴史を偲んだ。 ![]() 「ジュリア祭」に訪れたツアー客をもてなす島民たち 村の墓所には一年中献花が途絶えないのが神津島で、ジュリアの墓にも山のように花が供えられ、村人は餅を搗いて来島者をもてなしている。こうした美風が今も続く島だけに、再建古民家を新たな活動拠点として島文化を見直し、新たな伝統を作るエネルギーの高まりが期待されている。 ![]() 古民家再建推進協議会の主力メンバー
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