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かつての特産品で街を再び元気に〜水害被災の兵庫県佐用町で竹炭祭り [2011年02月24日(Thu)]


竹炭づくりに慣れない手つきで取り組む大学生ら

2009年8月の水害で死者18人、行方不明2人を出した兵庫県佐用町。この街を元気づけようと2月10日から4日間、「佐用町竹炭祭り」が開かれた。炭焼きコンテストや地元住民とボランティアとの交流会、まちづくりシンポジウム…と多彩なイベントの主役は『炭』。被災直後に全国から15トンもの竹炭が贈られ、消臭や湿気調整などのため浸水した家屋の床下に敷き詰められた。この“復興のシンボル”でもう一度街の再生を、というわけだ。
竹炭の復活への意気込みを話す関友優里香さん

佐用町はもともと炭の最高級品「白炭」の生産地として知られ、阪神間に出荷していた。しかし、戦後しばらくして石油にとって代わられ衰退。15年ほど前に見直しの機運が上がり、佐用町上月竹炭生産振興会(内海義隆会長)が結成されたが、高齢化などもあってメンバーも今は10人ほどに減り、低迷状態だという。竹炭祭りを主催した「佐用町を支援する市民ネットワーク」代表の関友優里香さん(神戸大学4年)は「水害の原因のひとつに、竹林を含む山林整備の不十分さが指摘されています。水害防止のため、また佐用町の経済的復興と発展のために山と向き合うことが重要。だから炭に着目しました」と話す。

千種川が氾濫し、傷痕が今も残る佐用町の集落

イベントに参加したのは、「市民ネットワーク」を構成する関西や新潟の大学生有志、日本災害救援ボランティアネットワーク、国際復興支援チーム中越など約16団体。神戸で大震災にあって以来助け合いの活動を続ける「被災地NGO協働センター」の村井雅清代表の呼びかけに応じて同町を支援している人たちで、佐用町役場などが後援、日本財団などが協賛した。初日の10日午後、炭焼き会場となった町営笹ケ丘荘を訪れた。新幹線岡山駅から山陽本線、智頭急行と乗りついで久崎駅に到着。氾濫した千種川に沿って歩くこと15分。水害で土が削り取られた山の斜面に窯場が設けられていた。

内海会長

炭焼き用に準備された孟宗竹は350本。乾燥され、手頃な大きさにカットされており、準備に半年間かかったという。全国の学生やボランティアら10数人が4つの班に分かれて、竹炭焼きのコンテストがスタート。内海会長の指導で、竹を削り、窯に火を入れる。「煙が透明になってくると、良質の炭の出来上がりです。お風呂に入れると、お湯がまろやかになり、湯冷めもしない」とか。新潟県を前夜車で出発し、昼過ぎに着いたという楡井将真さん(23)=長岡技術科学大学院生=は「水害時に炭を贈った縁で参加しました。新潟・中越で作る炭はナラの木で、竹は難しい」と火加減に悪戦苦闘していた。

最終日に炭を取りだす学生ら/炭焼きコンテストで優勝した大阪大・関学の混成チーム

窯場には電線が張られ、歩きやすいように砂利が敷き詰められていた。「最初は遠くで見ていた地元の人が、私たちが本気で復興に力を入れていることを知って手助けしてくれだした。この盛り上がりを大切にしたい」と村井代表は笑顔を見せ、「竹炭入りお菓子など工夫して、もう一度木炭の良さをアピールしていきたい」と話した。このほか期間中、「炭焼きを活かした福祉と防災のまちづくり」シンポジウム(12日)、竹炭石けんづくり体験や足湯体験コーナーなど(13日)、活気あふれる交流会が繰り広げられた。(平尾隆夫)
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Posted by 日本財団 広報チーム at 09:13 | 文化・教育・社会問題 | この記事のURL | コメント(0)
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