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アンジェリーナ・ジョリーに伝えたい「海の武士道」 [2015年01月13日(Tue)]

■ アンジェリーナ・ジョリー監督「アンブロークン」の上映

昨年12月25日より米国にて映画「アンブロークン」が上映されています。元々、この映画は製作発表の段階から日本内外で大きな話題になりました。

原作では、五輪出場経験のある英国の陸上選手がオリンピックに出場し、大東亜戦争で日本軍の捕虜になるのですが、捕虜収容所を描写する場面で、日本軍が人肉を食べたり、または捕虜に対して非人道的な扱いがなされていた、という事実をねつ造している箇所があり、批判を受けていたのです。

著名な女優、アンジェリーナ・ジョリーが監督を務めている事でも話題になりますが、残念ながら、この映画をみて日本を好きになる方はいないと思われます。今年は、戦後70年という節目の年を迎える事になりましたが、このような反日攻勢が行われている事も事実です。

■ 1942年2月28日、スラバヤ沖海戦での出来事

さて、今回は、まさにその大東亜戦争で、日本人の真の武士道を体現した軍人がいた事をお伝えしたいと思います。

大東亜戦争勃発後、日本帝国海軍は、一気に原油国のインドネシアを目指しましたが、1942年(昭和17年)2月28日、艦隊との海戦に臨みました。スラバヤ沖海戦と言います。この海戦は、帝国海軍の一方的な勝利に終わり、原油確保という目的を達成することができました。

この戦いで、英艦「エンカウンター」に乗船していたのが、後に英国を代表する外交官として知られる事になるサムエル・フォール卿(当時は少尉)でした。「エンカウンター」も勇敢に日本帝国海軍に立ち向かいましたが、日本軍の砲弾が、のエンジン部に命中し、停止。乗員は、直ちに脱出しました。フォール少尉(当時)を含む乗員合計約450名はボートに分乗し、ひたすら、味方が助けてくれるのを待っていたのです。

■ 駆逐艦「雷」工藤俊作艦長の決断

漂流から20時間以上たった3月2日、フォール達は、一隻の艦船が近づいてくるのを発見しました。しかしながら、それは敵国であった帝国海軍の駆逐艦「雷」(いかづち)でした。

海戦中に、敵兵を救助することは、自らの防御体制を放棄する事になるために、必ずしも、義務ではなかったのです。今回の「雷」のケースでも、連合国の艦船が攻撃してきたら、防御することができず、英兵を見過ごす事はできたはずです。

この時の「雷」の艦長が、工藤俊作少佐(当時)でした。

彼は、英国兵が漂流している状況を確認した時点で、自らの艦が危機に陥るにも関わらず、敵兵を救助する決断を行いました。

フォール少尉たちは、敵国の駆逐艦が近づいてくるのを見て、最悪の事態を覚悟しました。ところが、「雷」のマストには「救難救助中」を示す国際信号旗が掲げられ、直ちに救助活動が始められました。

結果として、乗員220名の「雷」には、450名の英国兵が救助され、甲板は捕虜となった英国兵で一杯になりました。

■ 日本軍人の武士道は存在していた

この日の夜、工藤艦長は、フォール少尉他捕虜となった英国士官に対して流暢な英語で次のように話しました。

「You have fought bravery.(諸官は勇敢に戦われた。)
Now, you are the guests of the Imperial Japanese Navy.(諸官は日本海軍の名誉あるゲストである。)」

一時は、自らの死を覚悟した英国兵たちは、工藤艦長の武士道的な精神の元、翌日、無事に捕虜としてオランダの病院船に引き渡されました。

フォール少尉をはじめとする英国士官たちも、工藤艦長の配慮により、敬意をもった待遇をされ、終戦の後、無事に帰国する事が出来ました。

冒頭に掲げた米国映画では、日本の軍人による「捕虜虐待」もテーマの一つのようですが、アンジェリーナ・ジョリー監督には、上記のような感動的な武士道精神を発揮した実例も数多かった事を知って欲しいのです。

■ 戦後70周年、今一度日本人の誇りを取り戻そう

当時の英国士官、フォール少尉は、戦後外交官として活躍、中東、マレーシア勤務を経て、スウェーデン大使を歴任し、その功績によって「サー」の称号を与えられました。

外交官としてのキャリアを終えたフォール卿の心の中には、戦争で生命を救ってくれた恩人の事が忘れられず、工藤艦長の消息を追い求めていました。

しかし、1987年(昭和62年)、工藤艦長がすでに8年前に他界していた事を知りました。工藤氏は、戦争を生き延びることはできたのですが、その後は、実に地味な人生を選択し、親戚が経営する病院の事務員としてひっそりと戦後の高度成長期を生きていたのです。

そして、自らが帝国海軍で艦長を勤めていたことや、英国兵を救助したことなど、一切語る事なくその生涯を終えていたことも明らかになりました。工藤艦長の親戚は、フォール卿の訪日によってはじめてその偉業を知る事となり、大きな驚きを持ったそうです。

その後、フォール卿は、2003年にかねてからの念願であった工藤艦長の墓前(埼玉県川口市の薬林寺)に訪れることができました。そして、そこで以下のような話をしたのです。

「最初、日本の駆逐艦が現れた時には、銃撃されるのではないかと恐怖を覚えました。ところが、駆逐艦は救難活動中の信号旗をマストに掲げた。困っている人がいれば、それが敵であっても全力で救う。それが日本の誇り高き武士道だと認識した瞬間でした。」

この時、フォール卿は、以下のような話をして

この物語は、元自衛官としても知られている、恵隆之介拓殖大学客員教授の手によって「海の武士道」として産経新聞社から書籍またはDVDとして出版されていますので、ぜひ、ご覧いただきたいと思います。

今年は、戦後70周年という区切りの一年となりました。

中国・韓国はもちろんの事、欧米においても、残念ながら、反日の動きが強まる可能性があります。

私たち幸福実現党は、「南京大虐殺」「従軍慰安婦問題」に関し、内外に対して正しい歴史認識を伝えていくと共に、国際的に見ても立派な日本人が数多く存在していた事もしっかりお伝えし、「日本の誇りを取り戻す」活動を今後もさらに進めて参ります。

1人でも多くの国民の皆さまのご理解をお願いする次第です。
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