6.村崎野大乗神楽保存会 [2010年07月27日(Tue)]
こんにちは!
芸能を知るの第6弾 本日は北上市村崎野を拠点としている、村崎野大乗神楽保存会の紹介を致します。 元禄2年(1689)に当地に天照御祖神社を建立した妙法院が始めた“和賀山伏神楽”が始まりと伝えられています。後に宮城県遠田郡桶谷の箆岳箆峰寺の修験者の影響を受け、嘉永2年(1849)には、南笹間の万法院を会場に第1回の大乗会が開かれ、その3年後に大乗仏教をもとにした加持祈祷神楽であることから改編し、“大乗神楽”と改称。明治30年に旧二子村下宿の八幡宮宮司千田行全に舞を伝授し、大正11年には、2代舘脇法全が二子上宿の秋葉山大権小原法覚や更木に伝授したと伝えられています。 昭和59年4月に地域の協力と援助によって“村崎野大乗神楽保存会”が結成されるとともに幕舞を復興し、現在に至っています。 村崎野大乗神楽保存会は、庭元の中野善一さんのもと、男性13名(小学生3名、 中学生2名、高校生1名、20代4名、30代1名、50代3名、60以上1名)女性2名の総勢17名で活動しています。 この日披露して頂いたのは、「帝童〜帝童の追駆」「三番叟」「神拝」の3演目です。 「帝童〜帝童の追駆」 帝童は、竜女で本地は師子音仏とされ、後生での考を願うものといわれています。 紫地の穏布で頭部を包み鉢巻きをしめ、若女の仮面をかぶり日輪のカンザシ(天冠)を付けて、裾模様のない紋付小袖に白足袋姿で錫杖と畳扇をもって舞う一人舞です。 また、追駆は、車扇の舞に入った段階で登場し、女舞のまねや化粧のしぐさをまねる舞で“胴”との掛け合いがあります。 装束は、黒のヒョットコの仮面を被り、頭部にザイを折り曲げて結び、扇を持って登場します。 大乗神楽における女の一人舞は、この「帝童」だけであり、女性の日常的なしぐさを取り入れた興味深い舞とされます。鏡を見る姿は手を鏡に見立てて顔の前に立て、見入る所作をします。 「三番叟」 天地創造の神と言われるイザナギ・イザナミの二神の間に生まれながら、三歳になっても立居が不自由だった蛭子命が、世の苦難に耐えながら、身は健やかに心優しく成長され、後には農耕の業を知り、漁労の道に長じ、金銀財宝に恵まれたという神話を舞に仕立てたものと言われ、神楽式舞の三番目に演じたことから、三番叟と呼ばれています。 「神拝」 大戸之道尊(おおとのぢのみこと)と大戸之辺尊(おおとのべのみこと)の男女二神の舞であり、大地が完全に凝固して国土が生成した時を神格化したもので、高天ヶ原において幣帛をもって形成された国土の安寧を神に拝む様子を演じた舞であると伝えられています。 活動の場所は? 主に地元で活動しています。 年間スケジュールは? 正月、火防祭、年祝い、鬼の館、みちのく芸能まつり、地区のお祭り他 団体として困っていることは? 二子と村崎野の団体を掛け持ちしている人が多いので、非常に忙しい! 皆さん、仕事を持っているので揃って練習が出来ない! 資金不足・・・どこの団体も大変みたいですね〜 今は、みちのく芸能まつりに向けて頑張って練習をしていますので、是非!当日足を運んでみて下さいね |