あらためて東日本大震災における犠牲者の方々のご冥福をお祈りし、
被災者のみなさまに心よりお見舞い申し上げます。
当法人は3月17日より4月1日まで、計4回の岩手・宮城・福島巡回を実施し、
医療物資搬送や避難所診療、原発避難状況の調査などを行ってまいりました。
その際には、外来患者様より寄せられた義援金を一部使用させていただき、
深く御礼申し上げます。
おかげさまで、特に薬や医療材料の不足が著しかった初期に
有効な援助を行うことができ、相手先の医療機関より、
皆様方への感謝の手紙もいただいております。本当にありがとうございました。
さて、震災発生から1ヶ月以上を経た今、残念ながら私たちの心には
まだ重く暗いカーテンがかかっているかのようです。
放射能汚染はピークを脱したとはいえ、いまだ根本的な解決には程遠く、
水も土壌も空気も危ないとなれば、余震の続く中で日本が
このまま沈んでしまうかのような恐怖を感じている方も少なくないでしょう。
しかし、ここでひるんではいけません。
少なくとも、直接の被害を受けなかった私たち多摩地区の人間には、
今こそやらなくてはいけないことがあります。
それは、笑うこと、できる限り普段の生活を取り戻すこと、
人と心を通わせる会話をすることです。
もちろん、ぜいたくをやめてさらに義援金を送ることも素晴らしいのですが、
それと同じくらい大切なのは普通にお金を使うこと。
先日、富士森公園で法人のお花見をしたのですが、人出は例年の五分の一くらい。
せっかくの桜が暗闇で見えなかったので、われわれは自家発電機で
局所的にライトアップをしました。樹齢百年の桜たちは
関東大震災にも太平洋戦争にも耐えて今年も花を咲かせてくれたんですよね。
ありがたく拝見し、東北のお酒をたくさん飲みました。
日本は今、経済の血液とも言えるお金の流れが滞っているので、
被災地以外が活気付かなくては国全体の元気が出ないのです。
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何で病院経営者がこんなことを言うのかとお思いでしょうが、
私には今回の震災を通してあらためて確信したことがあるのです。
それは、医療と暮らしは一体であり、地域の活力、
繁栄なくして住民の健康を守ることはできない、ということです。
震災から6日経った3月17日、私が運転する病院車は医薬品を積めるだけ積んで
緊急自動車として東北自動車道に乗り入れました。
岩手県一関市の県立病院に勤める医師から
「沿岸部から次々患者が玉突きのように運ばれて来るのに
医薬品や医療材料が届かない!」とSOSメールをもらったからです。
途中、どんな困難が待ち受けているかと思えば、
そんなことは高速道路では一切なかった。
通行止めもなくガソリンスタンドではスムーズに給油してくれて、
レストランも開いていた。
あの状態でなぜ関東や西日本からのタンクローリーや
医薬品供給車を通さなかったのか、まったく謎です。
正しい情報がきちんと為政者のもとに行っていなかったのか、
それとも正しい判断ができなかったのか、
いずれにしてもそのために多くの助かるはずの命が消えたことでしょう。
その最中、八王子市では"しっかりと"計画停電が実施されました。
当法人は第2グループ、実施された計6日以外に
"やるかやらないかわからない日々"のおかげで手術・検査の延期が相次ぎ、
救急患者を受け入れることもできなくなりました。
もちろん、災害緊急時の処置であることはわかります。
しかし、あれでは助かる患者も助けられない。
実はあとで知ったことですが、23区以外にも多摩地区で
停電しなかった病院がいくつもあったのです。
東京電力と行政機関が適宜判断したとのことですが、
毎年2500件の救急車を受け入れ、
地域貢献を自負してきた当法人職員は
非常に情けない思いを抱かざるを得ません。
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私は最初の岩手に続き、宮城、福島とすべて廻りました。
被害のあまりの甚大さに精神的にもまいりましたが、
いたる所で最後まで患者さんや地域住民を守り抜いた
医療福祉従事者や警察官、消防隊員、公務員の方々の存在に
日本人としての誇りを新たにしました。
また、自衛隊員をはじめとする規律正しくたくましい若者の姿に
「だいじょうぶ、日本はきっと立ち上がる!」と感じいった次第です。
今後、被災地の復興に医療と福祉の視点は欠かせません。
私はかねてより、医療による町興し、国興しを提唱し、
八王子活性化委員会を作ったり、カンボジアなどアジアの国に
医療輸出をしようと行動してきました。これからも、もちろん継続して働くつもりです。
しかし、2011年3月11日を境に、日本の歴史は変わりました。
被災地の復興、街づくりデザインを、今このとき、国家が全力をあげてやらなくてはなりません。私は医療による街づくり考想の提唱者の一人として
被災地の復興にも協力して行こうと思います。
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大災害の中で学んだことの一つは、もうこれまでの出来合いのシステム
(あえて批判したくはないのですが、いわゆる国家のリーダーシップを司る
組織のことです)に頼っていてはダメだということです。
これからはわれわれ一般市民が、街を、国を変えていかなければなりません。
長らく八王子に住み医療に携わってきたおかげで、私は、多摩地区のみなさんが、
そのエネルギーも実行力も内に秘めていることを知っています。
これからが、市民力の見せ場なんです。
どうか、八王子市や多摩地区の医療政策・防災対策づくりに、
被災地の復興街づくりに、いっしょに応援し、行動していきましょう!