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「被災地の聞き書き101」事務局
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自分から動き、働きかける(掲載数80作品) [2012年05月24日(Thu)]

「本当にね、こういう災害の時のリーダーってのはさ、ものすごい孤独。もう全て自分の頭で考えて、行動する、即断をする。ものすごく難しいよ。でもねぇ、思うのはさ、やっぱ人間捨てたもんじゃないつう感じはある。自分では何にもできないんだよ、できないんだけっども、自分が真剣に頼めば、誰かが動いてくれる。いろんな人たちに世話になってきた。」

南三陸町志津川地区で区長として、避難所の運営だけでなく地区単位での仮設住宅入居に向け奔走した方のお話です。

自分の考えや発言の責任を引き受け、行動できているか。また、自分の手に負えないことであれば、周りを巻き込むよう真剣に働きかけているか。リーダーの地位にあるかどうかに関わらず、日々の暮らしや仕事の中で大事なことを教えていただきました。

以下、今回登場する4名の話し手をご紹介します。

佐藤徳郎さん 「600人の生命がかかってる。」
園芸農家の経営者として40年間、トマト、菊、ほうれん草を栽培し、常に挑戦を続けてきた。震災後は行政区長として、地区単位での避難と仮設入居に尽力してきた。

阿部宗則さん 「志津川 第3区区長」
農家に生まれ、農業の専門学校を出た後、食糧事務所にて定年まで40年間勤務。志津川の地区では第3地区の地区長を務め、地区の広報や情報伝達のため、地域住民を日頃から訪問しコミュニケーションを取っている。

千田ユリ子さん 「震災での辛さと、色んな人に対する感謝の気持ち」
昭和15年7月8日、小友町で生まれる。浜で昆布やワカメを獲っていたが、震災後は津波により船が流される等の影響で、辞めざるを得なくなった。現在は息子夫婦と孫3人の6人で生活している。

菅原幸子さん 「お茶っこの会をひらく、志津川唯一のかばん屋さん」
南三陸町で育ち、静岡県の機織り工場で働き、南三陸町へ戻り結婚。ご主人とふたりで南三陸町の商店街でかばん専門店を60年近く開いていた。7年前からはひとりで店番の傍ら、地域のかたとお茶っこの会を開いている。

※「被災地の聞き書き101」サイトの作品中の写真は、聞き手・カメラマンが撮影したものの他、「Yahoo! Japan 東日本大震災 写真保存プロジェクト」や被災地の方々がお撮りになったもの等を使わせていただいています。
Posted by 佐伯 哲也 at 09:25 | お知らせ | この記事のURL | コメント(0)
買う文化、つくる文化(掲載数76作品) [2012年05月17日(Thu)]

「元旦やお盆には海苔巻き、お稲荷さん、そして、おふかし。今はお店で買えるけど、うちで作るんだよ。昔は正月にお餅つきしたの。今のもんは機械だけど、私もついたの。」

陸前高田市田束地区で、半農半漁の生活を送っていた方のお話です。これを聞いて、昨年5月に福島で開催した「日本再発見塾」での語り合いを思い出しました。

「買う文化は、愛着がないから、買えばいいからすぐに捨てる。自分でつくれば、愛着があるから大事にする。」
「お茶をいれるにも待つことが大切。でも、今はペットボトルのお茶を飲んでいる・・・待たないということは考えていない、味わっていないということ。待つということは感性を育てたり、離れて考えるということ。離れるとおかしいところが見えてくる。」

手間をかけてつくるという行いが、モノを大切にする気持ちだけでなく、物事を具体的に考える姿勢を生むのではないでしょうか。
身のまわりのことだけでなく世の中の問題についても、誰かに任せて終わりではなく私たち一人ひとりが考えなければいけない今、「つくる」ことの意義を見直すことが大事だと感じました。

以下、今回登場する4名の話し手をご紹介します。

柴田憲一さん 「雄勝に育まれて」
小さい頃から山で遊び、中学卒業後に林野庁の事業である苗畑事業に従事する。苗畑廃止後は国有林の管理経営に携わる基幹作業職員として働き、森林管理署の統廃合に伴い石巻森林事務所にて勤務、現在に至る。

佐藤カヨ子さん 「海と波の音と共に陸前高田で暮らした日々」
浜の近くに18歳で嫁ぎ、それからは海と共に生活を送る。家事に子育てに畑に田んぼに漁業にたくさんの仕事をこなした。漁をしていたこともあり、魚料理に詳しい。

堀合俊治さん 「これからも、海で。」
岩手県大槌町吉里吉里にお住まいの48歳。自宅が津波の被害に遭ったが、修復し、現在自宅で暮らしている。職業は、父から受け継いだ養殖漁業。父、妻、子供5人で暮らす。

田中巌さん 「ここで漁師になるのは当たり前だった」
16歳の時に職場訓練のため鉄鋼場にて2年半働き、遠洋漁業の道へ進む。約20年間マグロの遠洋漁業に携わる。後に内航船のタンカーで油を運ぶ職に移り約10年間働く。退職後、観光船の臨時機関長としてアルバイトをする。

※「被災地の聞き書き101」サイトの作品中の写真は、聞き手・カメラマンが撮影したものの他、「Yahoo! Japan 東日本大震災 写真保存プロジェクト」や被災地の方々がお撮りになったもの等を使わせていただいています。
Posted by 佐伯 哲也 at 11:11 | お知らせ | この記事のURL | コメント(0)
身体で判断する(掲載数72作品) [2012年05月10日(Thu)]

陸前高田市で復興支援のNPOを立ち上げた方のお話を紹介します。

防潮堤を高くすればかえって身の危険が増す可能性があることを指摘しています。身体で判断することの大切さは、私たちの日常生活にも言えることだと思います。

「市街地にいた人のほとんどは松原が視界を遮って、津波が迫ってくるのが見えなかった。気が付いたときは町に波が入って、逃げ遅れて津波に飲まれていました」
「私たち海の人間っていうのは、気象庁より誰よりも引き波で津波の高さ、大きさっていうのは判断できます。今回、浜の人間がビックリして上がってきた。『見たこともない引き波だ』って」
「『今まで通りの2、3mの堤防でいいよ』といったのは、大方の意見なのさ。ただ数字だけを見て、津波を経験したことのない偉い学者がおそらくそろばんはじいて、『今回13.8mの波が来たから、それに近い防波堤を造ろうね』って考えたんだろうけど。それより政府や自治体には、もっと地元の人の話を聞いて伝えて欲しいです」

以下、今回登場する4名の話し手をご紹介します。

田中信博さん 「工場を再建し、働く場所をつくりたい」
自動車整備工などの仕事を経て、5年ほど前から吉里吉里に戻り、父母が経営する水産加工会社に勤める。震災で工場と自宅の両方を失った。現在、浪板地区の親戚の家を借りて、家族と暮らす。半壊状態だった自宅の建物を活用し、水産加工場を再建しつつある。

吉田幹夫さん 「教員としてこのまちと。」
39年間岩手県で小学校教諭を務め、現在は町の民生委員を務め、奥様と2人暮らし。2人の息子さんがいる。

蒲生哲さん 「震災から見事立ちあがった素晴らしい町って言わせたい」
震災以前はモビリアキャンプ場の支配人をしていた。現在はそのキャンプ場を拠点にして特定非営利活動法人「陸前たがた八起プロジェクト」代表理事として復興支援に力を注いでいる。

首藤正紀さん 「集落で暮らす」
地元で酪農を始め、ビニールハウスで輪菊と野菜などを栽培している。集落では行政区長を務め、自主防災にも力を入れている。町の農業委員や消防団の分団長、宮城県の酪農農業協同組合の代表幹事も務めた。

※「被災地の聞き書き101」サイトの作品中の写真は、聞き手・カメラマンが撮影したものの他、「Yahoo! Japan 東日本大震災 写真保存プロジェクト」や被災地の方々がお撮りになったもの等を使わせていただいています。
Posted by 佐伯 哲也 at 10:38 | お知らせ | この記事のURL | コメント(0)
自分のルーツを訪ねる(掲載数68作品) [2012年05月02日(Wed)]

「被災地の聞き書き101」に掲載されているおじいさん、おばあさんが若かった頃の話を読むたびに、身近な年長者がどう暮らしてきたか、ほとんど知らない自分に気づかされます。

連休で帰省される方もいらっしゃると思います。両親や祖父母がどう生きて、何を大事にしながら暮らしてきたのか、一度聞いてみてはいかがでしょうか。身近な人が話す昔の暮らしから学ぶことが見つかるかもしれません。

以下、今回登場していただく4名の皆さんです。

後藤とく子さん 「ばあちゃんと生きる」
昭和26年6月17日に黒川郡大郷町の田んぼの中で生まれた、4人きょうだいの長女。おばあちゃんの影響で始めた趣味の手芸が生活の糧であり生きがい。

吉田富男さん 「夢中で駆け抜けた76年」
陸前高田に生まれ、石巻の修行と東京や新潟への出稼ぎを終え、老後は家族と陸前高田で過ごす。地域の行事に積極的に参加し、部落会長も務めた。

中村勝彦さん 「地域の人たちに育ててもらった店だから」
岩手県大槌町浪板地区の漁師の家に生まれる。実家の漁師、東京での建設業を経て、38歳のときに、奥さんの実家のある岩手県大槌町吉里吉里地区で、フランチャイズチェーンのコンビニを始める。現在は店長として勤務。

川原弘平さん 「やっぱ、吉里吉里が一番いい」
岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里地区で生まれ、水産学校を卒業後、東京都の築地で7年間働く。その後、地元吉里吉里へ戻り現在の川原商店を継ぐ。吉里吉里地区のホームセンターとして愛されてきた。

※「被災地の聞き書き101」サイトの作品中の写真は、聞き手・カメラマンが撮影したものの他、「Yahoo! Japan 東日本大震災 写真保存プロジェクト」や被災地の方々がお撮りになったもの等を使わせていただいています。
Posted by 佐伯 哲也 at 09:54 | お知らせ | この記事のURL | コメント(0)
聞き書きの様子などが描かれた映像が公開されています [2012年04月27日(Fri)]

この度、被災地の聞き書きなど大槌町の復興に向けた取り組みが紹介された映像が公開されましたの紹介いたします。

国連大学高等研究所は「SATOYAMAイニシアティブ」の取組の一環で、被災地の聞き書きの様子等の岩手県大槌町吉里吉里地区の復興の様子を紹介するビデオを制作し、被災地の聞き書きを東京財団とともに行うNPO法人共存の森ネットワークもこれに協力しました。

その映像が、SATOYAMAイニシアチブのホームページから、全世界にむけて発信されています。
http://satoyama-initiative.org/video

復興に向けた地域の様子、聞き書きの様子などが動画で描き出された貴重な映像になっています。
2月にケニアで行われたSATOYAMAイニシアチブの国際会議でも、当映像の英語版が流され、国際会議に参加した各国の人々が震災復興に向けた日本の状況について理解し、真剣な眼差しとエールを送っていました。

みなさまも是非一度ご覧になっていただければと思います。
Posted by 共存の森ネットワーク at 12:00 | お知らせ | この記事のURL | コメント(0)
聞き書きが紡ぐ縁(掲載数64作品) [2012年04月26日(Thu)]

昨年12月、陸前高田市のオートキャンプ場に建てられた仮設住宅に暮らす、田束(たつがね)地区の方々にお話を伺いました。その作品を今回から掲載します。

現地では当初、聞き手の学生の来訪に反対の声もあったそうですが、聞き書きの後は、「あれだけ心を込めて活動してくれるなら」と積極的に学生ボランティアを受け入れています。その交流を含め、現地ではNPO法人「陸前たがだ八起プロジェクト」を受け皿として、日本のみならず世界中からの支援者との活動が広がりつつあります。「被災地の聞き書き101」プロジェクトが、現地の方々と「よそ者」との縁結びに一役買ったようです。

以下、今回登場していただく4名の皆さんです。

千田勝治さん 「地域のみんなにお世話になった恩返しをしなくっちゃ」
高校を卒業後、仙台で会社員として働く。その後家業を継ぎ、カキの養殖業に携わる。会社員時代の経営理論を養殖業に活かし、現在は県内一の生産量を誇る。消防団での活動経験など地域の繋がりも深く、漁業の傍ら市議会議員を務めている。

及川トシ子さん 「人とのつながりに生きる70年」
陸前高田市の広田町で生まれ、23歳で小友町に来て以来、米、野菜、花などを作る農業を営んでいた。現在も家の近くの畑で野菜を作り生活している。

渡辺重一さん 「農業、漁業、土木で培った経験で復興を支える」
農業と漁業(のりの養殖事業)の兼業を経て、土木建築会社の生コンクリート製造に携わり工場長、常務を務める。ガソリンスタンドの統括者を経て、再び土木建築会社の総務を務めている。青年会、4Hクラブの一員として活躍の後、現在も南三陸町の行政区長を務めている。

佐々木さとみさん 「みんなに支えられて。いーいとこだったのよ。」
食材豊かな志津川で、季節料理を出す居酒屋を夫婦で約40年間営んできた。川沿いにあった住宅兼お店は津波で流されてしまったが、6月には息子さんがお店を継ぎ、営業を再開した。

※「被災地の聞き書き101」サイトの作品中の写真は、聞き手・カメラマンが撮影したものの他、「Yahoo! Japan 東日本大震災 写真保存プロジェクト」や被災地の方々がお撮りになったもの等を使わせていただいています。
Posted by 佐伯 哲也 at 10:14 | お知らせ | この記事のURL | コメント(0)
メディア掲載のお知らせ [2012年04月24日(Tue)]

「被災地の聞き書き101」プロジェクトで陸前高田市を訪れた玉川大学生の活動が、「タウンニュース」に掲載されました。
「聞き書き、繋がる支援」

また、聞き書き作品の確認のため滞在中発生した山火事に際し、学生たちは仮設住宅を回り、住民の避難誘導を行いました。その活躍が現地紙「東海新報」に掲載されました。玉川大学のニュースでも取り上げられています。
「お手柄!玉川大生 陸前高田市で高齢者らの手を取り避難」
Posted by 佐伯 哲也 at 16:03 | 報告 | この記事のURL | コメント(0)
世の中と関わる営み(掲載数60作品) [2012年04月19日(Thu)]

「いろんな雑草だのなんかも、ほとんど名前わかりますんで。こういう草が生えてるなっていうの確認しながら、紙に書き留めているんです。そういうのを見つけると楽しくてね」

南三陸町志津川地区で、園芸店を営んでいる方の言葉です。流された店を別の土地で再開すべく、新店舗予定地の草取りを毎日されています。

体を動かして日々を過ごす中に喜びを見つけるという暮らしが戻りつつある方もいらっしゃいます。津波で妹を亡くした大槌町の女性が、伝統工芸の「刺し子」に出会い、日々針を刺すことで救われているというお話も聞きました(詳しくは田中陽子さんのお話をお読みください)。

自ら何かを生み出し、それが誰かの役に立つ。そうやって世の中と関わっている自分の存在を感じることは、被災された方々のみならず私たちの日常生活でも大切なことだと思います。

以下、今回登場していただく4名の皆さんです。

川原繁夫さん 「大工一筋40年。友だちいっぱいつくって家族を支えた」
吉里吉里生まれ。吉里吉里生まれの奥さんと末っ子の娘の3人暮らし。15歳のときから40年間大工一筋で、5人の子どもを育て上げた。

佐藤節男さん 「復興への歩み、草木とともに」
7人兄弟姉妹の末っ子、「めんこたまっこ」と可愛がられた。学生時代、勉強はもちろん、スポーツでも活躍。昼夜なく働いた講師生活、教育委員会での勤務の後、60歳の定年を前に大好きな園芸を生業に。津波で流された総合園芸店の復活に向け、草取りを楽しむ毎日。

前川竹美さん 「吉里吉里は『本当にいい町』」
昭和17年12月13日の吉里吉里に7人兄弟の末っ子として生まれる。洋裁学校卒業後、吉里吉里で小さな雑貨屋兼洋裁屋を営む。水産加工会社に勤めた後、息子夫婦が営む飲食店「凛々家」の手伝いなどしながら、息子夫婦と生活する。

平原慶子さん 「つながりが多いのが吉里吉里」
吉里吉里生まれ。親の代からの米屋を営み、役場主催の食生活改善推進委員を務めるなど、吉里吉里の食を守り続けている。お話が大好きな浜育ちのおちゃっ子。

※「被災地の聞き書き101」サイトの作品中の写真は、聞き手・カメラマンが撮影したものの他、「Yahoo! Japan 東日本大震災 写真保存プロジェクト」や被災地の方々がお撮りになったもの等を使わせていただいています。
Posted by 佐伯 哲也 at 10:07 | お知らせ | この記事のURL | コメント(0)
生きる力を紡ぐ大槌町の刺し子 [2012年04月17日(Tue)]

「刺し子」という東北に古くから伝わる工芸が、岩手県大槌町で被災されたある女性の心の助けになっているというお話を紹介します。
話し手は、青森・秋田・岩手3県をはじめ 東北の手づくりの品々を扱っておられる、「暮らしのクラフトゆずりは」店主の田中陽子さんです。


「生きる力を紡ぐ大槌町の刺し子」

震災後しばらくしてから、岩手県の漁港・大槌町の被災地で「刺し子」が女性たちの助けになっていると聞きました。ですが、刺し子という手仕事が港町である大槌町に伝え残っている認識がなかった私は、すぐ現地に問い合わせました。それは、復興の取り組みの一つで支援団体が現地の避難所で被災者の方たちに提案した活動だったことを知りました。

「刺し子」とは東北に古くから伝わる代表的な工芸のひとつで、北国の厳しい気候風土を生き抜くために生み出されました。麻しか身につけられなかった庶民は、温かく丈夫にと麻地に貴重な木綿糸を埋めるように刺し、一枚も捨てられない端切れは積み重ねるようにして糸を刺し込みました。まるで、命があるかのように大切に布を使い尽くした、かつての北国の女性たちの暮らしの知恵です。

大槌町で作っているという刺し子の作品・コースターやふきんは、写真で見るかぎりではごくごく簡単な作りで、元来の「刺し子」とは言えないものでしたが、今に伝え残る刺し子が被災地の方たちにとってどのようなものなのか、どんな風に受け入れられているのか、無性に知りたくなり、9月初めに大槌町へ向いました。…(続きを読む)
Posted by 佐伯 哲也 at 10:31 | 報告 | この記事のURL | コメント(0)
目的に立ち返る(掲載数56作品) [2012年04月12日(Thu)]

「防災対策でも、想定っつうのにあんまり重きを置くと、こういう被害がおっきくなんだな。やっぱり、基本は自分なんだよ。もう少し学校での防災教育ってのを考えなきゃだめだなあ。マニュアルで全部決まってるんだ。ところが、臨機応変にしなければだめなんだ。」

南三陸町志津川地区で被災した、元校長先生の言葉です。

私たちの生活は、国の法令から会社の規則、町内会の取り決め等に至るまで、様々なルールやマニュアルであふれています。言うまでもなくそれらは、あくまで当座の情報や想定を前提にしたものです。

だからこそ、状況の変化に応じて、そもそもの目的は何だったのか、そのためにどうしたらいいのか、一人ひとりが考えることがとても大事だと思います。

以下、今回登場する4名の話し手をご紹介します。

佐野孝治さん 「震災を通して得たもの―人とのつながり」
昭和49年10月22日、山形県朝日村(現鶴岡市)に生まれる。高校卒業と同時に故郷を離れ、自衛隊に入隊。5年半勤めた後、運送会社に転職。10年ほど勤めたのち、結婚と同時に吉里吉里へ移り住む。現在妻の母、妻、娘の4人で仮設住宅に居住。

勝倉彌司夫さん 「人生3度目の被災」
出版会社に勤務のあと志津川に戻り、社会教育指導主事として働く。その後、社会科の教員となり、小中学校の校長、志津川町教育長を歴任。退任後は、志津川町のシルバー人材センターの初代理事長を、震災まで9年間務める。

佐藤貞興さん 「復興の中心になる今の子供に正しいケアを」
昭和24年8月27日生まれ。生まれも育ちも志津川。宮城教育大学・同大学院で生物を専攻し、卒業後は理科の教師に。管理職を務め、定年後は家で新聞販売店を営んでいたが、津波の被害により現在は休業中。

門崎タツさん 「わたしの居場所」
岩手県大槌町吉里吉里在住の72歳。震災前は、夫、娘、息子夫婦、孫2人の計7人で同居しており、孫の面倒を見る毎日だった。震災後、仮設住宅で夫、娘の3人で暮らす。

※「被災地の聞き書き101」サイトの作品中の写真は、聞き手・カメラマンが撮影したものの他、「Yahoo! Japan 東日本大震災 写真保存プロジェクト」や被災地の方々がお撮りになったもの等を使わせていただいています。
Posted by 佐伯 哲也 at 10:10 | お知らせ | この記事のURL | コメント(0)
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