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坂野潤治著 「日本近代史」 [2012年04月21日(Sat)]

 坂野潤治著「日本近代史」を購入しました。
 1857年(安政4年)〜1937年(昭和11年)までの80年間を「改革(公武合体)」「革命(尊王倒幕)」「建設(殖産興業)」「運用(明治立憲制)」「再編(大正デモクラシー)」「危機(大政翼賛会)」に区分し、その後「崩壊の時代」につながっていった根本原因を探る、といった趣旨の書籍です。
 著者は、「おわりに」のなかで、東日本大震災と原発事故を引き合いに出し、「「国難」に直面すれば、必ず「明治維新」起こり、「戦後改革」が起こるというのは、具体的な歴史分析を怠った、単なる楽観にすぎない。」「2011年3月11日は、日中戦争が勃発した1937年7月7日のほうに近く見える。」と言っています。
 今年は、「歴史に学ぶ」と自分で決めたことを思い出しました。
まずは、通読する中で、自分が今どのような時代の流れのなかにいるのかを考えてみようと思っているところです。


http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BF%91%E4%BB%A3%E5%8F%B2-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%9D%82%E9%87%8E-%E6%BD%A4%E6%B2%BB/dp/448006642X/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1335011439&sr=1-2
スティーブ・ジョブス [2012年03月10日(Sat)]

 実は、スティーブ・ジョブスが立派な人かはよくわからないのですが、リンクのジョブスのスピーチは彼が亡くなる前から、気に入っています。
このスピーチがされた時には、ずいぶん話題になったと記憶しています。これからを考える時、振り返る時に見ると良いと思います。 


夏目漱石の「こころ」 [2012年03月08日(Thu)]

 今、柄谷行人に触発されて、思い出したように夏目漱石の「ここ​ろ」を読んでいます。
実は、「こころ」に関して確かな記憶があるのは、「先生」が「お​嬢さんをください」と下宿の女将さんに行った際、女将さんが「よ​うござんす。差し上げましょう」と行ったシーンぐらいでした。
 夏目漱石は50歳で亡くなったのですが、その生涯で4つの大き​な戦争があったとのことで、(西南戦争(西郷隆盛で有名な)、日​清戦争、日露戦争、第一次世界大戦)常に戦争は、身近なものであ​り、その時代背景をふまえながら読むといろいろなことに気づくこ​とがあります。
「協同」を5W1Hで問う [2012年03月06日(Tue)]

 現在、地域と協同の研究センターから、私が席を置いているワーカーズコープについて、文章を作ってほしいとの依頼がきています。そのことで正直なところ苦悶している訳ですが、表題を「「協同」を5W1Hで問う―ワーカーズコープセンター事業団の組合員の経験から―」にしようと考えています。
 「協同」とは広い概念で、具体的なイメージもできれば、抽象性の高い論議もできる。その中で直面する「困り事」に対して、5W1Hにしてゆく、という訳です。
 いろいろな意味での悪戦苦闘が、現在進行形なのですが、今後を占う意味でも、なんとか取りまとめようとしているところです。
ケアの社会学 上野千鶴子 [2012年01月02日(Mon)]


 ベストセラー『おひとり様の老後』の著者 上野千鶴子さんが「ケア」というテーマを取り上げた書籍です。本​書では「ケア」の定義をした上で、「よいケア」とは「ケアされる​者とケアする者双方の満足を含まなければならない」としています​。その上で「当事者主権」を基本に「ケアの人権」を@ケアする権​利 Aケアされる権利 Bケアすることを強制されない権利 C(不適切な)ケアされることを強制されない権利の4つに整理し​ています。また今日の家庭、市場、国家におけるケアの限界を指摘​した上で、「共助」のしくみとしてワーカーズ・コレクティブやN​POによる小規模多機能型居宅介護等の事例を取り上げて検討して​います。
  本書ではくりかえし「ケア労働の値段はなぜ安いのか?」が問われ​ています。
誰もが必ず日常となる日が来る「ケア(する、される)」というテ​ーマを考える上で、基本文献となる一冊であると言えます。


災害ユートピア  レベッカ・ソルニット [2012年01月02日(Mon)]

 本書では、地震や爆撃、台風、事故などの大惨事に見舞われた時に​、人々はどのような行動を取るのかが、具体的な事例で示されてい​ます。「危険や喪失、欠乏を広く共有することで、生き抜いた者た​ちの間に親密な連帯感が生まれ、それが社会的な孤立を乗り越えさ​せ、親しいコミュニケーションや表現への経路を提供し、物理的ま​たは心理的な援助と安心感の大きな源となる。」その結果、著者が​言う「災害ユートピア(相互扶助のコミュニティ)」が立ち上がる​ということが紹介されています。
3月11日に発生した東日本大震災において、日本人が略奪などを​起こさず、整然と行動していることが海外で話題になったとのこと​ですが、それは必ずしも日本の文化的特性の問題ではなく、西欧社​会においても災害時に同じようなことが起きていた、ということが​ここで示されています。


明けましておめでとうございます。 [2012年01月02日(Mon)]

あけましておめでとうございます。

「激動」の2011年でしたが、2012年も引き続き「激動」に​つながる潜在的な要素は存在しており、雷管はいたるところに埋め込まれていると考えられます。

また、少子高齢化などの「じわじわ型」の危機も存在しつづけています。

@長期的な視野で危機をとらえ、中期的には危機に準備するものさしを持ち、短期的には楽観して日々を楽しむ。
Aグローバルに考え、地域・隣近所で行動する。
B歴史に学ぶ。

今年は、この3点に注意して行こうかなと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

KYとヒラメと縄張り [2011年09月22日(Thu)]

 最近、「KY」と「ヒラメ」と「縄張り」の三つで、組織内力学のおおよその部分を説明できると思うようになりました。

「KY」
「空気を読めよ」または、「空気が読めない奴」の頭文字であり、状況にふさわしい言動を欠く人への警告として使われます。もとはインターネットの掲示板上で使用されてきたそうですが、メールでも使用されはじめたことをきっかけに、会話にも使われるようになった言葉であるとのこと。

「ヒラメ」
ヒラメ社員というのは、上司のご機嫌を窺ったり、出世ばかりを気にしている社員のこと言い、組織の中に多く生息します。企業人、組織人であれば、上がどんな上司であっても従わなければならないことは確かで、その意味ではある程度のヒラメは仕方のないことでしょう。でも、ヒラメの度合いが大きくなってしまうと、周囲に多大なる害毒を撒き散らし、「環境」悪化をもたらすようになります。

「縄張り」
地域間、組織間、分野間でグループ相互の間でそれぞれの関係する領域がぶつかりあう場合に、自己の領域の存在を主張したがることを縄張り根性あるいは縄張り意識という、とのこと。

「KY」と「ヒラメ」と「縄張り」の三つのキーワードの三次元マトリクスをつくり、何かあった時に使えるようにしてみたい、と思います。

「何かあった時」は、何があった時なのか・・・。
スティーブ・ジョブス [2011年09月20日(Tue)]

 スティーブ・ジョブスがアップルのCEOから外れるとのニュースを聞き、やはり「ひとつの時代が終わった」感のようなものをあらためて強くしました。

 スティーブ・ジョブスがスタンフォード大学の卒業式でした有名なスピーチは、それがネットで出回った時期があって、大変感銘を受けた覚えがあります。

 実はこのスピーチに触れたことが、私自身の判断として安定した職場からあえて「リスク」がある職場への挑戦のきっかけの一つだったことは確かであり、その意味でもスティーブ・ジョブスは私に大きな影響をあたえた人物のひとりだと思っています。

 現在では「You Tube」でスタンフォードが撮影した映像が翻訳つきでアップされており、関心のある方は、一度ご覧になることをお勧めいたします。

スピーチの結びの言葉は、
「stay hungly,stay foolish」 (ハングリーであれ、バカであれ)

あらためて、スティーブ・ジョブスのメッセージを胸にきざみこみ、自らの行動を振り返ってみたい。

そのような思いを強く持ちました。



(アスキー刊 スティーブ・ジョブス 偉大なるクリエイティブ・ディレクターの軌跡 より)
「協同」は普遍的な原理か? [2011年08月26日(Fri)]

 「協同」という考え方は、難しい理屈は抜きにして、決して特別なものではなく、人類が太古の昔、集団で狩りをしていた時代から実態として存在した、人間が生活を営む上での普遍的な原理の一つだと思っています。

 それは、「生活の技術」の域を超える、切実な「あり方」だったし、今もそのようなものとして存在していると思います。

 お断りするまでもなく「協同組合」のような看板を掲げている組織だけが、「協同」の原理をもって日々の営みをしているわけではありません。そのように考えると、「協同」と「協同組合的」なものとの間には、若干のギャップが存在しているのかもしれません。

 東日本大震災が起こった直後は、ホッブスが言ったような「万人は万人に対して狼」という状態は、必ずしも発生せず、むしろ複数の人間が生きてゆく上での最初の知恵とも言える「協同」がそこにはあった、ようにも聞いています。
 今、『災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』という書籍が、本屋の店頭に並んでいます。そのような関心から、この書籍をぜひ一読したいと思っています。

 最近、所属する協同組合が掲げている「協同労働」のことを考える機会が増えています。「協同労働」は、日常業務・労働の中でいかにして可能なのか、といったことを考えています。

 最近少し感想として思ったことは、もし、協同を旗頭に掲げつつ、「協同」を踏み絵に使うようなことがあるような組織があるとしたら、その組織に含まれている「協同」の文字は、犬にでも食わせてやればよい、くらいに思っている、ということです。
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