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ニューススクランブル〜私たちの願い〜 [2008年09月30日(Tue)]

みなさまおひさしぶりです。すっかり秋になりましたね。笑顔

チャイケモ事務局は嬉しいことに、相変わらずあわただしく動いています。ブログ記事を書くこともままならないのが少し悲しいですが、、、悲しい
まったくのNPO素人の私が事務局のお仕事をしていると、みなさんへおかけする迷惑ごとも多く、初めてのことばかりで毎日毎日勉強の日々です。温かく見守って下さるみなさまに感謝いたします。

チャイケモがはじまってからもう2年を迎えようとしています。私事ですが、あの時お腹の中にいた3番目の娘ももう2歳になり、そういえばチャイケモと同い年だということに気づきました。
私も活動を通して色々な立場の方々とお知り合いになることができたり、学び続ける機会をいただいています。ありがたいことです。

事務局のお仕事はとてもバラエティに富んでいるので、お金の計算や登記申請書を書いているときなどは、闘病したあの時期が遠い遠い昔のことのように思えたり、はたまた研究会やソフト面をつめましょう。ということになれば、一瞬にして当時に戻ってしまったりという感じです。いったりきたり。

そんな様子を見て、もうすっかり大きくなっただろうSもお空から「かあしゃん、もっとがんばりなしゃい!」と応援してくれていることだと思います。

さて、昨日放送になったニューススクランブルでは奈良の樋口先生の現状、そして闘病経験者の話が紹介されました。
みなさんは番組を通して何をご覧になりましたか?

私たちの願いはこのような放送を通じて現状を知っていただき「だからチャイケモが必要なんだ。。。」と理解していただき、支援の輪を広げさせていただく=「夢の病院」を一日でも早く実現させることにつなげるということです。
情報を発信し「そうなんだ。。。そんな人もいるんだ。。。」で終わってはいけないといつも思っています。
闘病中に取材を受けることは並大抵のことではありません。物理的なことも、精神的なことも色々と問題がたくさん出てきます。それでも、出演してくださる方はやはり何かを発信しなければならない、この状況を何とか改善しなければならないとお思いになるからなのだと思います。そんな想いも汲み取っていただければ。。。といつも思いながら、一視聴者になり番組を見ています。

ありがたいことに、チャイケモは小児がんとは何も関係なく暮らしている方からの応援も増えています。
「私の子どもはおかげさまで丈夫に育ち、もう大きく、小児がんにはまったく関係はないのですけど、、私はこんな特技を持っています。特技を活かして何か子ども達のお役に立てることはできないかしら?」
「遠くハワイから応援しています!アメリカのNPOと企業とのつながりにはこんな例がありますよ参考にしてみてくださいね!」
などみなさん、色々な視点から本当にチャイケモと小児がんの子ども達のことを想い、ご支援くださいっています。子を持つ親の思いに国境も年齢もありません。ありがとうございます。

そして何より心強いのが「イベントします〜」「ちょっと助けてください〜」と発信すればすぐに駆けつけてくださる、お会いするだけでなぜかホッとするボランティアのみなさんの存在です。本当にいつもありがとうございます笑い
(またイベント準備が始まります。よろしくお願いしますびっくり

こんな『輪』が「情報発信」を元にもっともっと広がればうれしいなぁ。。。
と私たちは願っています。

クローバーまさみさまクローバー
当事者が伝える [2008年09月28日(Sun)]

少し前の話になりますが、歌手の絢香さんが、日本武道館のコンサートに小児がんのこどもたちを招待しました。
その様子がテレビで放送されていたのですが、その中でユウキ君という闘病中の男の子がインタビューを受けていました。
『小児がん患者本人が、取材を受けてくれることは非常に珍しいことです』 とのナレーションの後のユウキ君のインタビューです。

『どうして取材を受けてくれたの?』
『 絢香さんが小児がんに興味をもってくれたことが、本当にうれしくて。自分にも何かできることがないかなと思って、取材を受けることにしました。』
『 何かできることって?』
『 やっぱり本人たちが病気のことを、ちゃんと教えていかないと、わからないんだなって思いました。』

チャイケモに関わってくださっている方々も、小児がんのお子さんの親御さんが多いです。その方々に納得していただけるような活動を、これからも頑張っていきたいと思います。

9月29日(月) 関西ローカルですが、読売テレビのニューススクランブルという夕方の番組にチャイケモがとりあげられる予定です。
実は22日の月曜日にも同番組で小児がんの特集が放送されました。阪大病院の小児がん治療の様子と、闘病経験者の方の現状が伝えられました。『 小児がんが治る病気になってきたことと、治療環境が良くないこと』 を伝えるのが趣旨でした。
(ネット上でも見ることが出来ます→http://www.ytv.co.jp/ns/special/closeup_set.html
29日放送分は、チャイケモメンバーの想い、医療者の現状、チャイケモの紹介となる予定と聞いています。
お時間のある方はご覧下さい

s.kusuki

チャイルドケモハウスでは現在応援メッセージを募集しております。
http://www.kemohouse.jp/cgi-bin/regist_members/regist.html

詳しくはこちら http://blog.canpan.info/kemohouse/archive/341

リボンマグネットもあります!!
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赤とんぼ [2008年09月23日(Tue)]

お久しぶりです。半年ぶりにお目にかかります。

いつの間にか夏が過ぎました。皆さんの夏休みはいかがだったでしょうか。
きょうは秋分。ようやくすっきりとした秋晴れですね。

ここのところ、子どもたちが犠牲になる悲しい事件が続き、胸が痛みます。

20日の朝日新聞土曜版に、童謡「赤とんぼ」にまつわる記事が載っていました。

この歌を作詞した三木露風は、5歳のときに両親が離婚し母と生き別れます。

夕焼け、小焼けの あかとんぼ

負われて見たのは いつの日か。

山の畑の 桑の実を
小籠に摘んだは まぼろしか。

露風を背負っていたのは、母が頼んだ子守娘の「姐や(ねえや)」ですが、露風は幼時を思い起こし、この詩の中で母への想いを綴っています。

いつの世も、母を慕う子どもの気持ちは同じ。わが子をいつくしむ母の情もいかばかりでしょう。

露風が18歳のときに、再婚した母から便りが届きます。
文章が空白の部分があり、「汝の頬を当てよ、妾(わらわ)はここにキスしたり」。
露風は手紙を抱きしめて激しく泣いたそうです。

私は昨年、近くの畑で赤とんぼを一匹だけ見かけました。
今年はまだです。皆さんはいかがでしょうか。

by Ohta

(参考文献)
朝日新聞 9月20日朝刊 be on Saturday うたの旅人
私が受けた間違った医療 [2008年09月19日(Fri)]

首にコリコリができるようになってから、手術まで約3ヶ月。
コリコリはだんだん大きくなってきましたが、最初にかかった耳鼻科では新たな検査もせず、治療方針が変わることもありませんでした。
そして「 治らないので大きな病院で手術を 」 ということになりました。
手術前に「 顔面神経の麻痺が残るかも 」 との説明を受けました。
コリコリが小さければ、そのリスクも少なかったと思いますが、幸い合併症なく手術が終わりました。
手術の傷跡が少し大きくなったことを除けば、
発症から手術までの期間が3ヶ月と長かったことは、治療内容や予後に影響しません。

問題はここからです。

「とってみないとわかりません」
手術前によく聞く言葉です。
確かにその通りなのですが、正確には
「とるだけでは、わかりません。手術前に、いろいろな病気を想定し、適切な検体処理をして正確な診断がつきます」 です。

具体的に言うと、私の場合「悪性リンパ腫」という病名ですが、B細胞タイプやT細胞タイプなどいろいろ種類があり、治療方針も異なります。
化学療法で使用する薬剤も異なります。

このB細胞タイプやT細胞タイプを調べるには、手術でとった検体を適切に処理する必要があります。
つまり、いろいろな検査をするためには、検体をいくつかに分けて、異なった保存方法や処理をする必要があります。

しかし、私の場合「おそらく良性腫瘍だろう」 と耳鼻科医だけで判断され、とった検体はすべて「ホルマリン」という保存液につけられてしまいました。
約20年前にそんな検体処理をされてしまえば、B細胞タイプなのかT細胞タイプなのかわかりません。

手術の前に小児科医に相談していれば、このようなことにはならなかった、とのことでした。

ですから私の悪性リンパ腫は、B細胞タイプかT細胞タイプかわかりません。

当時の主治医は、どちらでも使えそうな治療方法を選択しました。

もちろん、必要以上の治療がなされています。

あれから20年たった今、医療は進歩し、腫瘍の遺伝子診断などもできるようになり、診断の精度が高まってきました。
ただし、これにも手術後の検体処理の方法が重要です。
何も考えず、すべてを「ホルマリン」に入れてしまえば、わかるはずのこともわかりません。

同じような間違った医療は、残念ながら現在も存在します。
長年、小児がんにかかわっている医師なら「悪性リンパ腫」のこういうケースを経験されている方も多いのではないでしょうか。

私は小児科医になったので、「あの治療はおかしい」と気付くことができました。
気付いたことがよかったかどうかは微妙なところですが、、、。

間違った医療を少しでも減らすためにも、小児がんの啓蒙活動は必要なのです。

s.kusuki
移植 [2008年09月17日(Wed)]

みなさま、こんにちは。
ご心配をおかけしたままでごめんなさい。
前回の「子ども、時々ケモ」に書きましたが、ゆうとは7月11日に移植をしました。
7月中は、移植前におこなった厳しい化学療法の副作用と闘っていました。
副作用が少しずつましになってきた7月末、今度は移植した臍帯血の立ち上がりによる炎症のため腹水と胸水がたまりだしました。

ベッドに寝たきりになって、3週間。
精神的にも肉体的にも、かなりきつい状態での腹水は、想像を絶するつらさだったと思います。移植前から、夜中に頻繁に起きる生活が続いていましたが、腹水がピークの時はまる3日間ほとんど眠ることができず、夜が不安で不安でたまらない、、
「地獄のような日々」という言葉があてはまってしまうような毎日でした。
「お腹が爆発しそう!」
「かあちゃん、しんどいなぁ。。。」
「病気ってなんであるんやろう。」
と、精神的にぎりぎりと感じさせる言葉ばかりが出てきます。

親子でつらかった日々を支えてくれたのは、病棟のスタッフと仲間たち。
「ゆうとくん、眠れないんやったら一緒になんかしてあそぼうか!」と明るくトランプを
してくれて看護師さん。
「ゆうとくん、おばちゃんの子どももゆうとくんと同じびょうきなんだよ。
わたしたちもがんばるから、ゆうとくんもがんばってね。」とお手紙をくれた病棟のお母さん。そんな力に支えられて、8月中旬には腹水もひき、少しずつ元気になってきました。

その後の回復は驚く程早く、心配を抱えながらも今では外泊もできるようになっています。

「移植」とひと言で言っても、一人一人の子どもの状態や病気、年齢などにより、副作用や心身の負担、回復は違うと思います。
私たちのことは一例として考えて頂ければと思います。
私自身、移植で学んだことがたくさんあります。まだまだ消化できていませんが、少しずつこのブログにも書き綴ってゆきたいと思います。

亜紀子

続 賛否両論 理由3 [2008年09月08日(Mon)]

理由3 もう十分だと思うのです。

長年かけて医療は進歩し、そのおかげで小児がんの治癒率は向上し、苦痛を軽減できる治療ができるようになりました。

良い薬ができたり、偉い先生方が研究されたおかげもあるとは思いますが、
医療に貢献しているのは、医療者だけではありません。

骨髄移植が良い例です。
私は一医師より、骨髄バンクのドナーさんの方が医療に貢献していると思います。医師はもらった骨髄液を、患者さんに入れるだけです。いくら技術があっても、この骨髄液がなければ患者さんを助けることができません。

そして、やはり医療に一番貢献したのは、患者さんです。
1人の小児がんのこどもを診た医師は、医師として十分なレベルアップがあるはずです。
1人の小児がんのこどもの死を経験した医師は、人としてもかなり成長するはずです。
このように、現場の医療者を育てているのは、患者です。
どんな医療をしても、必ず反省点はあります。その反省を次の患者さんに生かして医療者は成長していくのだと思います。
『昔こんなことをして大変な目にあったから、絶対にしたらあかんで』
『○○病院でこんなことがあったらしい。僕らも気をつけよな』
と教えられることも多いです。
最初から何でもできる医療者なんていません。

チャイケモ副理事長の座右の銘 『診させてくれて有り難う』 はこういうことなのだと思います。

患者であった時、長期間自分の身を捧げて医療に貢献したのだから、命の礎となったのだから、あとは他の人に任せてもいいんじゃないかと思うのです。

s.kusuki
続 賛否両論 理由2 [2008年09月05日(Fri)]

理由2 トラウマがでてくる。

治療が終わり、病院と無関係な生活をしていると、自分が病気であったこと、病気と関わっていたことを思い出す回数が、年々減ってくると思います。(こどもを亡くされた親御さんはそうではないかもしれませんが)

しかし、医療関係の仕事に就くことによって、思い出す回数が増え、今まで知らなかった情報が入ってきて、余計な心配が増えます。

例えば風邪をひいたときに、風邪のせいで頚部のリンパ節が腫れていても、『もし再発だったらどうしよう、、、』と一瞬頭をよぎります。なんとか理詰めでねじ伏せますが。

また小児がん医療の世界に入ってから1年に3回くらい再発する夢を見るようになりました。
そして3回に1回くらいは、『治療せずに残りの人生を過ごそう』と決断したときに目が覚めます。

病気であったことは忘れてしまいたい記憶ですが、その記憶を絶対に忘れられない環境に身を置くことを、とても他人にはお勧めできません。

s.kusuki