CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2008年04月 | Main | 2008年06月»
<< 2008年05月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
nayuno
オープンハウスです (11/29) mn
【 模擬家族プロジェクト(看護師対象)の募集! 】 (05/10) かな
8月の建設現場にて (08/28)
24時間テレビ (03/05) まさみさま
新年です! (02/14) s.kusuki
小児がん治療の集約化(後) (02/09) ゆっきー
小児がん治療の集約化(後) (02/07) いつこ
新年です! (01/10) s.kusuki
産科病棟にて (12/05) nico*nico
産科病棟にて (11/29)
最新トラックバック
入院直後の子どもと親 [2008年05月29日(Thu)]

3才くらいの子が入院しているのを見ると、ゆうとの初発の頃の入院初期を思い出します。
わけもわからず連れてこられた病院、自分に痛い事、イヤな事ばかりする白い服を来た人たち、その人たちを手伝って突然こわい顔で、苦いお薬を無理矢理飲ませようとするお母さんやお父さん。。。
入院する子どもたちは、当然のことながらその前日までは家でお母さんやお父さんと一般の家庭と同じように過ごしています。苦いお薬を飲む事も、柵のあるベッドに起きている時に入れられることもない、行きたいところに自由に行ける、テーブルでご飯を食べる生活です。さらに、入院前から病気の症状はあるとはいえ、化学療法が始まるととたんに吐き気などの副作用がはじまります。「病院に来たらしんどくなった!」と思う子どもも少なくないでしょう。

よく考えてみれば、このような環境の変化に恐怖を覚えないほうが不思議です。
最初の入院時期に2歳9ヶ月だったゆうとの場合は、突然の環境の変化に「かあちゃん、、こわい、、」と言い始め、声がでなくなりました。私の事がこわくなったという意味でしたが、この言葉に私は心底ショックを受けました。お部屋に入ってくる医師や看護師さんたちには恐怖感と不信感を覚え、私と主人の前でも笑わなくなりました。
私たちがそんな状況を脱出したきっかけは、ある人からのメールでした。
「子どもは楽しい事がないと笑いません。お父さん、お母さんがこれまでと同じ対応をしていれば、子どもが人間不信に陥るという事はありません。まずお父さんお母さんがいつもと同じようにゆうとくんとあそんでください。そして医療者はゆうとくんのチームの一員でゆうとくんはチームのリーダーなんだということをゆうとくんに伝えてあげてください。」
私は目の覚める思いでした。それからは、痛い処置(尿検査のための尿パットを張る、はがすなど)はできるだけ私はせずに看護師さんにしてもらい、私と主人はゆうとと楽しく過ごすことに集中しました。そうすると、少しずつゆうとに言葉や笑顔が出始めました。
仮面ライダーが好きだったゆうとに、「ゆうとは仮面ライダーで、ゆうとのお腹にいる怪獣をやっつけないといけないねん。でもゆうとは寝転んで仮面ライダーのテレビを見たり遊んでればいいんやよ。先生や看護師さんが、点滴から怪獣をやっつけるお薬を入れてくれるから。先生や看護師さんたちはゆうとが戦う武器を用意してくれるんやよ」と言いました。治療の内容についても、時にはゆうとも医療者と私たちの輪の中に入り、画像の写真を見る事もありました。そうしているうちにこれまで無反応だった医療スタッフにも、そっぽを向きながらも足でお腹をつっついたりしてコミュニケーションをはかるようになりました。
ぶっきらぼうな態度でしたが病院のスタッフを自分の味方と思うようになり、退院後3年半たって入院しても医療スタッフにたいする恐怖心は全くよみがえることはありません。今では、医療者のみなさんへは絶対の安心と信頼感をもっています。

大きな環境の変化があったときこそ、親はいつもと同じようにいることが大切だと心から思います。(自分が出来ているかどうかは、、悲しい)また医療スタッフは子どもの仲間なんだと説明する工夫も必要だと思います。今、入院していろんなショックを抱えている幼少のお子さんたちにアンパンマンやプーさんなどその子の好きなお話を使って、医療スタッフが子どもやお父さんとお母さんの仲間だということを説明したり、子どもと一緒に誰がなんの役かなぁ、などと考えたりすると少し不安がとりのぞけるのでは、、笑い

今ではゆうとは処置をこわがる小さい子たちを、笑わせようとしています。「全然こわないで〜!」と自分のIVHカテーテルを見せて余計に泣かせてしまうこともありますが、、困った 恐怖と混乱の入院初期もあの手この手でなんとか乗越え、入院生活を楽しいと思える日が一日でも早くなるよう、チャイケモでは「あの手、この手」のメニューをたくさん作りたいなと思いますまる 

亜紀子
おねえちゃんと、おじいちゃんおばあちゃん [2008年05月27日(Tue)]

移植の間、姉妹は長い間いつもよりさらに引き離されました。
父と母に連れられて面会にくるA(長女)は相変わらず妹には会えず、私から状況を聞くくらいしかできませんでした。「Sは?どこにおるん?なにしてんの?」移植病棟には談話室のようなオープンなスペースもありませんでしたので、私はAが来ると父の車を借りていつも車で15分くらいのショッピングモールまで遊びに連れて行きました。
Sはその間、父と母に看てもらいながらお土産を楽しみに待ちました。
せっかく面会に来ても一緒に遊ぶスペースもないことはとても不便なことでした。

お買い物に行く元気のないときにはホスピタルパークをぶらぶらとお散歩しました。クローバーがたくさんある公園で、いつも四葉のクローバーを探しながら歩きました。もっともっと私の体力がないときにはエレベータホールにある公衆電話用のパイプイスに腰掛け、お話をしました。
長女とは週に一回2時間程度の時間しか一緒にいることはできませんでした。「じゃぁね。また来るからね。げんきでおってね。Aちゃんもがんばるからね。。」とお決まりのセリフを残し、複雑な表情で小さな手を振りながら私が病棟へ戻る背中を見送りました。

私は父と母にどれほど救われた闘病生活であっただろう。。。と思います。Aを安心して預けることのできる環境がなければ、私たちの闘病生活は闘病というところ以外での不安やストレスでいっぱいになっていたと思います。
父と母がAをしっかりと受け止め、私たち親の替わりに愛情をたくさん注いで育ててくれたこと、Aの安全基地になってくれたこと。私たちの闘病生活を理解し、サポートし、気持ちを共有することを途切れることなくずっと続けてくれたことに心から感謝しています。。。父と母がいなければ成り立たない闘病生活でした。

Aと「また来てね。ばいばい。。。」と別れて、スリッパを履き替え、移植病棟の重苦しい自動ドアを開け、手を消毒します。できることならば開けたくないそのドア。できることならば行きたくないドアの中。でも中には私を待っているSがいます。
自動ドアから病室のドアまでの間の廊下で気持ちを切り替えました。「さぁ!嫌でも、何でもがんばらなあかんねんっ!!」

クローバーまさみさまクローバー
間違った医療 [2008年05月26日(Mon)]

最近よく新聞などでiPS細胞について取り上げられています。簡単に言えば、体の全ての組織や臓器になることができる可能性のある細胞で、これが実現すれば移植用組織や臓器の作成が可能になるというものです。現在の移植医療は他人からの善意で成り立っていますので、助けられる生命に限りがあります。少しでも早く臨床現場に活用されることを期待したいです。
一方島根県の診療所で採血針を使い回したことにより、他の患者さんまで肝炎に感染したというニュースもありました。

医療はどんどん進歩していきますが、初歩的なミスはなかなか無くなりません。
研究が進み様々なことが解明される一方で、臨床の現場ではあちこちで医療崩壊を起こしています。
小児がんの分野においても同様です。日本の小児がんの治療成績は世界でもトップレベルですが、『小児がん』に対する情報が行き届いていないために間違った医療が行われてしまうこともあります。取り返しがつくことがほとんどですが、取り返しのつかない事も稀にあります。

もちろん取り返しがつけばよいという問題ではありません。
不要な苦痛、傷跡、麻酔などをこどもにさせることは、医療ミスではないかもしれませんが、間違った医療だと思います。
また初発で病気のこともよく知らない医師が、無神経に『ガンかもしれないから大きい病院に行って』とこどもの前で言うことも間違った医療でしょう。何のフォローも無い『告知』は精神的苦痛しか与えません。

どこからどこまでが医療ミスで、どこからどこまでは間違った医療で、どこまでが許容範囲なのかは議論があると思います。
いろいろなレベルの間違いがあると思いますが、採血針の使い回しレベルの初歩的な間違いは撲滅するべきです。

間違った医療をうけたこどもを診ることほどつらく、また腹立たしいことはありません。
医学の進歩を十分に活用できていないと思うのは私だけでしょうか?

s.kusuki
兄の退院を待つ妹 [2008年05月23日(Fri)]


いつも応援していただいている,輝く子どもたち、のホームページより転載させていただきました。
入院と子どものきもち [2008年05月20日(Tue)]

「かあちゃん、やっぱり入院いややなぁ〜、、、」
4人部屋の隣のベッドと仕切られたカーテンを見つめながら、ゆうとがつぶやきました。
私は必死で涙をこらえながら、「そうやなぁ、、、」
3月末に退院して1ヶ月半。学校にも慣れ、「楽しい、楽しい!退院ってやっぱりいいなぁ!」と何度も口にしていた日々があっという間に過去のことになってしまいました。
学校と家の生活を満喫していたゆうとに、今回の入院について話すのはあまりにも酷なことで、少しごまかして病院に来ました。「外来の輸血が多いから、一旦入院して院内学級にも行けるようにしてくれたよ。」と言う私の話を聞き、「久しぶりに院内学級の先生に会える!」と不安な気持ちを無理矢理吹き飛ばして明るく入院病棟に来たゆうとですが、部屋に入った瞬間に椅子に座り込んで、「しんどくなってきた、、」と言いました。この時は、体ではなく心がしんどくなってきたんだと思います。不安をかき消し、一日目は明るく院内学級へ。2日目は何度も「しんどい。いやなことを思い出す。」と言いました。2日目の夜、カーテンを見つめながら、真面目な顔で「かあちゃん、点滴に何入ってるん?ちゃんと前みたいに説明してや。」と言いました。私は、ゆうとの体の中で悪者がまたパワーを持ち出したこと、先生に早めにお薬を入れてもらうために入院したこと、闘いはしばらく続くことを例え話を使いながらも正直に話しました。ゆうとは事実を聞いたことにとりあえず満足し、その日は眠りました。翌日、やっぱりカーテンを見ると気分が悪くなります。「学校、行きたいなぁ。」とつぶやきます。悲しい気持ちを吹き飛ばそうと、はしゃいで笑うゆうと。でも大部屋では体調が悪いお子さんもおり、大声で笑ったり騒いだりはやはり自粛しないといけません。「プレイルームに行く?」というと「いやや」と一言。心と体が弱っている時は、たくさんの人の共有スペースではなく「自分の場所」でいたいようです。病院では、自分の場所はベッドの上だけです。大きなショックを抱えた子どもに、さらにいろんな我慢をさせないといけない環境を改めてつらいと感じました。

今日、ゆうとと初めて小児科病棟以外の病棟に行きました。
子どもがいなくて、大人の方々が病衣でしんどそうに歩いている可愛いイラストも全くない病棟を少し歩きました。
夜、寝る前に「かあちゃん、おれの入院している階いややと思ってたけど、にぎやかでいいほうやわ。他の階じゃなくてよかったわ。」と言いました。
ゆうとは今、一生懸命入院生活の良いところを探しています。気持ちを切り替えてがんばろうとしています。ゆうとだけでなく、入院したすべての子ども達は与えられた環境の中でできるだけ楽しく過ごそうとがんばります。でも私たち大人は、子ども達の健気な心に甘えていてはいけないと思います。子ども達の不安な気持ちをしっかりとサポートし、子どもたちがもっと自由に発散できる環境が整った病院が必要です。チャイケモの目指す小児がん専門施設は、子どもが子どもらしく、それぞれの家族がぞれぞれの家族らしく生活できる環境を実現したいと思っています。私も再び付き添い生活とチャイケモ生活をがんばりたいと思っています。みなさまも引き続きチャイケモを応援して下さい!どうぞよろしくお願い致します!

亜紀子
「あそびのボランティアさん」と「CLS」A [2008年05月12日(Mon)]

しんどくて、しんどくて自分で起き上がることすらできない状態のときの採血でも、娘は、何とか力をふり絞り、泣き叫び必死で私に助けを求めました。医療スタッフはそれでも仕方がないので、そんな娘を数人で押さえ付け、時にはネットのようなもので身動きができないような状態に縛り、採血を決行しました。

私は娘の叫び声に後ろ髪を強くひかれながら退室をうながされ、自分も泣き叫びたくなるようなストレスの中、検査が終わるまで感情を押し殺し、待ちます。

検査はもちろん採血だけではなく、画像検査、骨髄穿刺などたくさんの種類があります。その検査のたびに親子は恐怖の時間を体験します。
「自分のこどもや孫がこのような状況に度々置かれることになれば、、」と想像して平気な親やおじぃちゃん、おばぁちゃんがいるでしょうか?

CLSの役割のひとつに検査の介入があります。
子供に絵本や写真、お人形、ときには本物の医療器具などを使い、わかりやすく検査についての説明をしてくれます。「なぜ検査が必要なのか?」「検査中には何がどのような順序で行われるのか?」「検査はどこでするのか?」などです。子供は事前にCLSからうけた丁寧な説明とその子向けのリラックスができたり、勇気がでるグッズをお守りに検査に挑みます。説明のおかげで恐怖はやわらぎ、痛むポイントやタイミングもわかります。検査が成功すれば子供の自信につながり、次からの検査がスムーズに進むと言うお話も聞きます。もちろん親も救われます。

CLSの役割は、もちろんここに挙げた限りではありません。こどもとその家族の気持ちの奥深くに寄り添い、闘病生活を送る上で遭遇するさまざまな問題に対して力になってくれます。ここにあげた側面だけから考えてもCLSの存在の必要性は言うまでもありません。医療者も、家族もどうしても解決できそうにないと思っていたこと。「病気なんだから仕方がない」で片付けてしまっていたこと。それに温かく、そしてプロとして寄り添ってくれるCLSの活躍を期待してやみません。

「もし、自分の子供が。もし、自分の家族が。もし、自分ががんになったら、、、」と言う視点で多くの方にCLSならびにチャイルド・ケモ・ハウスへの活動の意味をお伝えすることができれば。。と思います。

あそびのボランティアさんが娘に作ってくださった手作りの作品の数々。



クローバーまさみさまクローバー
「あそびのボランティアさん」と「CLS」@ [2008年05月08日(Thu)]

闘病中の子どもにとって「遊び」は大きな癒しです。
また、付き添いの親にとって子どもの「笑顔」は大きな癒しです。
子どもを癒す「あそび」と親を癒す「こどもの笑顔」はつながっています。
その二つを「あそびのボランティアさん」は、いつも私たちのもとまで運んできてくださいました。

私は闘病中、子どもの体を気遣うがばかりに、子どもから「あそび」を遠ざけてしまいがちでした。「今日はしんどいから、ゆっくり寝ようね。。」
でも、娘はどんなにしんどいときにも「あそび」を求めました。

病状も悪化し、とてもしんどい状況のときでも娘は「あしょんでもらう。。あしょんでもらいたい。。」と部屋先まで「今日はあそべますか?」と訪問に来てくださっているボランティアさんとあそぶことを望みました。
「ブロックしたい。ブロックしゅる。。」といいながらも、やはりしんどさには勝てず、座ったままボーっとしてしまう状態でした。「また今度にしようか。。今日はねんねしようね。」と説得しようとしても、どうしてもあそんでもらいたいと涙を流しながら訴えました。そこであそびのボランティアさんがとられた行動は「自分があそんでいるところを見せる」ということでした。娘はボランティアさんがブロックでなにかを作るところを見ているだけで満足そうでした。

チャイルド・ライフ・スペシャリスト(CLS)のお話の中にもありました「代理あそび」というものがまさにこれだったのだ。。。と思いました。この「あそびのボランティアさん」は後にアメリカへ渡りCLSとなられました。(つづく)

クローバーまさみさまクローバー
手をつなごう [2008年05月04日(Sun)]

ありさちゃんが点滴をつけながらドラえもんの映画を観に行ったのは一ヶ月半前。
ありさちゃんと入院中に知り合い、少し仲が良かったゆうとは「おれもいくぅ〜!」とありさちゃんと一緒に映画へ。映画に行く直前まで、しんどかったありさちゃん。なんとか痛み止めの点滴をしながら、映画館までたどりついてくれました。映画館で、ありさちゃんとお母さんたちを待っていたゆうとと私は、ありさちゃんの姿を見て「ほっ」。
「最後までしんどくならずに見れるかな、、、」心配しながらドラえもんの映画を観ていました。途中、ありさちゃんはしんどくなってきたのですが映画館の方がソファを持って来て下さいました。横になって映画を観るありさちゃん。遠くからありさちゃんを気にしながら、映画を観るゆうと。エンディングソング、絢香さんの「手をつなごう」が流れて来た時、ゆうとはありさちゃんのソファの所へ行き、一緒に聞きました。帰り際、「今度はクレヨンしんちゃんみにいこうな。」とゆうとは車椅子のありさちゃんにポソッと言いました。

ありさちゃんは今、病院でがんばっています。
ゆうとは、家と学校と病院でがんばっています。
ありさちゃんは、「次はゆうとくんとお隣の席でポップコーンを食べながら、クレヨンしんちゃん観るねン」と言ってくれました。
ありさちゃんのお母さんは「いつ行けるかわからないから、ゆうとくん先にしんちゃん観に行ってね」とメールをくれます。

でもゆうとは、きっと待っていると思います。
「一緒にクレヨンしんちゃんの映画を観に行く」
こんなに些細で可愛い二人の願いが、どうか叶いますように。。。
どうかこの願いが神様に届きますように。。。
そんな想いを持って下さる方が一人でも増えれば、願いが叶うんじゃないかという想いで、この記事を書きました。

最後に、、ありさちゃんのお母さんより「ありさの大好きな絢香さんにも想いが届きますように。。。」

亜紀子
どんな医者になりたいか? [2008年05月03日(Sat)]

新年度が始まり、はや1か月が過ぎました。
私も医師10年目を迎えることになりました。

『どんな医者になりたいか?』
結構よく聞かれる質問です。
私はずっと『自分の判断に自信がもてる医師になりたい』と答えてきました。

そう答えたとき、あるベテランの偉い医師から『自分の判断に自信はなかなか持てない。今でもいろいろな医師に相談している』との返事が返ってきました。

同じ病名でも、治療の反応性には個人差があります。
同じ治療をしていても、副作用が強い人もいれば、ほとんど無い人もいます。

絶対正しいと思われていた治療も、時代が変われば否定されることもあります。
医療に、人間の身体に『絶対』という言葉は無いのだと思い知らされてきました。

まだまだ若輩者の私ですが、少しだけそのベテラン医師の言葉の意味がわかった気がしている今日この頃です。

『どんな医師になりたいか?』
と問われれば、これからは
『ひとりひとりの生命を大切にできる医師になりたい』と答えようと思います。

あたりまえのことなのですが、、、

s.kusuki