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「検査、麻酔」 [2008年02月29日(Fri)]

私は自分の病気が何なのかわかるまで地元の病院であらゆる検査をしました。蚊にさされて異常に腫れた箇所の皮膚の採取、腰からの骨髄液採取、胸の骨からの骨髄液採取、MRI、CT、胃カメラ、肝臓組織の採取、など色々な検査をしました。しかし、特殊な病気でしたので地元の病院では原因がわからず、ステロイドを飲む毎日でした。

小児がんの子供は長期入院をよぎなくされます。その為、毎日の血液検査の簡略化や、抗がん剤によって食事がうまく口から取れなくなった時、より栄養の濃度が高い栄養を血管から送るために、胸の大きな血管に入院中の一時的な管を入れます。小さな子供は全身麻酔をかけて、管を入れるそうなのですが、私は18歳ということで、局所麻酔でいれることになりました。痛くないと聞かされていたのですが、身をえぐっているのではないか、どんな太い針をさしているのか、これほどまでに痛いのかというぐらいの激痛だったのを覚えています。

腰からの骨髄液採取(マルク)は何回かありました。あれは一応局所麻酔をしてから採取してくださるようなのですが、体が引っ張られうめき声をあげたくなるような(実際はうめき声をあげました)、なんともいえない痛さです。しかし、小児がんの種類によっては、そのマルクを何十回としている子がいると聞き、数回の検査で痛がっていた自分が情けなく感じたのを覚えています。化学療法のように長期的に行う治療に比べたら、検査はすぐに終わるので特に辛いものではありません。

剛直
毎日新聞朝刊記事 [2008年02月27日(Wed)]

本日(2月27日)の毎日新聞朝刊の大阪・北摂面に、当NPOが紹介されました。オンラインでもご覧いただけます。
毎日jp記事へリンク
[2008年02月27日(Wed)]

話が前後しますが、阪大へ転院し、1ヶ月くらいたったころに向かいの部屋のお子さんが息を引き取られました。
その少し前くらいから、そのお母さんとは少しお話をするようになりました。「付き添いベッドはあそこに売ってるよ」など、闘病生活については何もかも知り尽くしているような方でした。闘病が始まり間もない私に色々と親切に教えてくださいました。

その日の朝はなにか病棟がそわそわしているような、何か違うものを感じました。
向かいの方が廊下にでて、涙を流しながら何人かの方とお話をしていました。

「今朝亡くなった」ということでした。
「いい顔してるねん、、、」「ほんまによく頑張ってくれたわ、、」「大好きな音楽聴きながら逝ってんで」 などというお話がドア越しに聞こえてきました。

当時私はまだ「子どもが亡くなる」ということを理解しきれていませんでした。
娘が入院しているこの病院で、この病棟で、子どもが大人より先に亡くなる。娘と同じ小児がんで亡くなる。私たちが寝ている間に向かいの部屋で亡くなる。というこの事実を受け止めることができなかったのです。「死」を認識しているつもりでも、現実に突きつけられると、やはり心が受け付けませんでした。
体中が震えだし娘を抱きしめつづけました。
今もあの時の衝撃は忘れることができません。

私も挨拶にうかがうと、いつも険しいお顔をされていたのですが、その日のお母さんはとてもリラックスし、きれいな顔色のいいお顔をされていました。たくさんの涙を流しながらでも、何とも言えない笑顔で、私を抱きしめ、背中をたたきながら「がんばるんやで。あんたの子は大丈夫やからな。負けたらあかんねんで」と言葉をくださいました。

やり遂げた。長い間闘ってくれた子どもがやっと楽になった。悲しみより先に病気から、そして闘病生活から解放されたというホッとしたような気持ちがにじみ出ていました。

それから、今日まで何人もの尊い、かわいい命を見送りました。
みんな安らかなお顔で、とても誇らしげなお顔で、立派で、尊敬の念が沸きあがり、今にもスッと起き上がりそうな、でも、もう起きないで!起きないで!もういいよ。。と何がなんだかわからない気持ちが入りみだり、涙がとまらなくて、とまらなくて。

お別れを言うときには「いい顔してくれててよかった。。。ありがとう。ありがとう。本当におつかれさま。」といつも思いました。いつも自然とそのような言葉がでてきました。いつもたくさん教えられた気になるのです。言葉では言い表せないとても貴重で大切な何かです。そして「おばちゃんもがんばるんやで!」といわれているような気になります。

小児科病棟にはとても頑張りやさんで、強くて、優しい子どもがたくさん頑張っています。
その尊い命の火を消してたまるか!!と必死に闘う大人たちもたくさんいます。

「命」の大切さ、尊さ。
恐ろしい殺人事件や自殺のニュースを流すより、こんなに頑張っている子ども達のニュースを流してほしいと思います。
ニュースを見るみんなが、個々に必要としている部分を教えられるのではないでしょうか?

クローバーまさみさまクローバー

チャイルドケモハウスでは現在応援メッセージを募集しております。
http://www.kemohouse.jp/cgi-bin/regist_members/regist.html

詳しくはこちら http://blog.canpan.info/kemohouse/archive/341
チャイケモイベントのおかげです [2008年02月25日(Mon)]

チャイケモでは昨年、一昨年と続けてイベントをしてきました。
イベントには、大きく二つの目的があります。
1 より多くの人に小児がんにたいする正しい知識を伝え、偏見をなくしてもらうこと。
2 チャイケモの目指す小児がんの子どもと家族が過ごしやすい施設の建設のために応援してくれる人、
ご寄付を募ること。

どちらも難しいテーマですが、今日は1について考えてみたいと思います。
チャイケモのイベントはいつも楽しい雰囲気の中に、「ケモってなぁに?」という問題をテーマに小児がんの子ども達の等身大の様子をわかってもらうしかけを作っています。

イベントには結人の同級生やそのお母さんたちも来て下さいました。
一昨年のかえっこと、昨年のチャイケモウォークは再発前だったので、結人も元気に参加しました。同級生のお友達と一緒に、おもちゃの交換やクイズを楽しみながら、なんとなく「ケモ」について学びました。

再発し、入院してから小児がんの子どもの親として、チャイケモイベントの価値を改めて知りました。
イベントに参加した同級生やそのきょうだいの子たちは、こちらが何も言わなくても結人と少し会うときにマスクをしてくれたり、頭の毛が抜ける事も驚く様子も全くなく、治療のせいだとわかっているような様子です。
元気そうにしていても感染のため学校には行けない事をわかってくれて、病気ことを知らない子にお友達が「結人は元気そうやけど、学校のみんなとはまだ遊ばれへんねん」と説明してくれたり、お母さんたちは「今、白血球が少ないのかな?学校はインフルエンザがはやってるから気をつけてね!」
「生ものは食べられないと思うけど、チョコレートとかは大丈夫かな?」
「面会は子どもはダメだけど、大人はいいのかな?」
などなど、自分の子どもが小児がんでなければ気づかないようなことまで気づいてくれます。
一人一人に細かく説明した覚えはないのに、とても安心して会話ができます。
幼稚園の時から、ゆうとの病気のことを少し話していたこともありますが、
ここまで理解してくれるのは、チャイケモのイベントのおかげだと思います。
自分が関わっている団体をほめすぎるのもどうかと思いますが、
改めて気づいたチャイケモイベントの大切さを皆様に聞いてほしいと思いました。

正直、イベントは毎年本当に大変です。投げ出したくなる事も多々あります。
でも、自分自身が当事者となったときに、「あのイベントがあったから、自分が助けれられている」と思ってしまったため、続きないわけにはいきません(苦笑)。また、ほとんどの小児がんの家族は(私も4年前はそうでしたが)退院後、小児がんの子をもたないお母さんたちとの交流や原籍校に戻ることを不安に思う人たちが多いのが現状です。
もっとたくさんの人に小児がんについて正しい知識をもってもらい、小児がんの子どもと家族が暮らしやすい環境を作っていくために、イベントを続けなければ、、、という思いが今回の入院で強くなりました。
いつもみなさまのお力で支えて頂いているチャイケモイベントですが、どうか今年もイベントを盛り上げて下さいますよう、この場をお借りしてお願い致します!

























「かえっこバザール」のオークションはいつも大盛り上がり!
「たのしかったぁ!」と次回のかえっこを楽しみにしながら、みんな帰ります。

















かえっこのポイントになるブースでは、小児がんの子ども達と付き添い家族が生活をする病室も再現されました。「こんな狭いところで1年も過ごすの?」と驚かれた方もたくさんおられました。
プロ [2008年02月22日(Fri)]

先日女の子がお生まれになり、パパになった医師が、突然私の横に座り
『先生、ちょっといいですか?』と言うので、こどもの相談かと思いきや、
『いや〜〜。娘がかわいくて仕方ないんですよ〜』とのこと。

また、最近子供が生まれた毒舌仲間の友人も、
『こどもかわいいわ。まさか僕がこんな気持ちになるとは思わんかった』と。
私もその毒舌友人からそんな言葉を聞くとは思いませんでした。

私が医師になりたてのころ、ある女医さんから
『こどもをもつ親の気持ちは計り知れない。けれど、自分にこどもがいないからといって、その気持ちがわからないようではプロではない』とおっしゃっていました。ちなみにこの女医さんには、こどもがいらっしゃいます。

そのころ独身で、やる気満々の私は『その通り!!頑張るぞ!!』と思いました。
「こども好き」という点に関しては自信がありましたし、自分なりに子供のこと、家族のことを考えて治療にあたるようにしました。

数年たち、私も結婚し、子供にも恵まれました。
そして、「今まで考えていた以上に、親の気持ちは深いな。今まで全然わかってなかったな」と思いました。
私のような未熟者には、想像できない気持ちでした。
こどもがいなくても、私以上にこどもの気持ちを考え、家族に優しく接している医療者の方々のすごさを再認識しました。
その方たちが、本当のプロなんだろうなと思いました。

もうすぐ春になれば、新しい医療スタッフが入ってきます。
その方たちの大半は独身です。
大事なこどもが「小児がん」になった家族を相手に仕事をするわけですから大変です。

どうしたらプロになれるのか。
どうしたらプロを育てられるのか。
ん〜〜〜難しいです。

s.kusuki




インフルエンザ予防接種 [2008年02月21日(Thu)]

小児科医(小)と内科医(内)の会話

(小)予防接種法で、65歳以上の大人はインフルエンザのワクチンを安く接種できるんですね。なんで、こどもは安くならないんでしょう。

(内)大人は文句言いますけど、こどもは言いませんからねえ。

(小)こどもには、選挙権もありませんしね。

(内)それと、ワクチンをうつ経済的なメリットがないと、お上はお金出してくれませんしね。老人がインフルエンザをこじらせた場合にかかる医療費と、こどもがインフルエンザをこじらせたときにかかる医療費を考えたら、大人には補助することになるんでしょうね。

(小)少子化ですし、こどもは大人よりも元気になるまでにかかる時間が短いですしね。でも、こどもが入院しないといけないときに、その親が仕事を休まないといけないことまで考えても、経済的なメリットはないんでしょうかねええ、、。お金がもったいないから、ワクチンを接種しない人が多いのに。4人家族で、例えば1回2500円としたら、家族で10000円ですよ。こどもは2回接種やから、こどもひとりあたり5000円ですよ。若い夫婦には結構な負担ですよ。

インフルエンザワクチンを接種しても、必ず予防できるわけではありません。また、ワクチンに公費が援助されると、ワクチンの副作用が起こったときに、国の責任が問われる可能性があるので、公費からの援助がないのでしょう。
しかし、こどもを育てにくい環境であることが事実としてあり、実際ワクチンを接種している人が多数いるのだから、接種したい人には公費からの援助があってもよいのではないでしょうか。

s.kusuki
泣く場所 [2008年02月19日(Tue)]

母は子どもの前では泣けません。。
どんなに辛いことを告知されても母は子どもが眠るまで、泣けません。
総室では、常に人目を気にしなければなりません。
たったカーテン一枚で仕切られた公共の場と、自分の場所。
突然開くかもしれないカーテン。
音も声も全部聞こえます。
歌も歌えません。
音楽も聴けません。
もちろん泣くこともできません。

お隣はとても楽しそう。経過も良さそう。もうすぐ退院。。。
でもこちらはとても危機迫る状況であるときもあります。

基本的に涙は「泣いてたまるかっ!!」とほとんど飲み込み、グッとこらえました。

でも、人間はどうしても泣かなければならないときがあるのでしょう、、涙をどうしてもこらえきれないときが必ずあります。その「原因」と「孤独」。
どうしても涙が止まらないときには、とにかく「トイレ行ってくるね〜」と言い残し、廊下に出て、母友達を同じく廊下にひっぱり出し、ドクターやナースそのほかの人々が公然と通る廊下の隅で嗚咽をこらえながら恥を忍んで泣きました。
もちろんその横を通り過ぎる医療者の中にはとても気まずそうに通り過ぎられる方もおられました。

お風呂では、シャワーとともにいつも思い切り泣きました。

泣きたいときに思い切り泣くことができれば気持ちが落ち着くときがあります。

泣いた後、子どもの待つところへ帰ります。
何も無かったように帰らなければなりません。
何も知らずにじっと私の帰りを待っていた子どもの顔を見ればまた涙が押し寄せます。
だけど、やっぱり私は涙をこらえ、そのまま闘病をつづけるしかないのです。
「何も気づかないでね。。。心配しないでね。。」と思いながら接しました。
でも娘はやっぱり不思議そうな顔をしていたような気がします。

「思い切り泣いてもいい場所がほしいね、、、どこかいいところないかな?」という話を当時よくしました。


クローバーまさみさまクローバー
移植2 [2008年02月18日(Mon)]

移植中、たったひとつだけ救われたこと。。
小児科病棟で、一番仲良しのお母さんとお子さんがこの病棟で治療中でした。
そのお子さんはとてもしんどい時期でしたし、私も慣れない環境にストレスフルな毎日を送っていたので、よく廊下の隅で色々と思いを吐き出し合いました。その環境がなければ乗り切ることはできなかったと思います。(Fさんありがとう!)

1週間後、ものすごく広い個室にお引越しとなりました。普通の個室が二つくっついたような大きさでした。
まずは、迷惑をかけるかもしれないというストレスからは解放されました。
そして、イヤホンでテレビの音を聞くことができなかった娘は(小児科病棟ではみんなイヤホンなしです)アンパンマンの声をやっと聞くことができて喜んでいました。私も大好きな音楽を聴くことができるようになりました。

主治医の先生と数人のヘルプの小児科医で試行錯誤し、ベッドの向き、場所、などセッティングしてくださいました。「お母さんのベッド、ここでいいですかぁ〜?」「もうどこでもいいわぁ〜」と少し投げやりな気持ちにもなりました。
が、娘のベッドは、ドラマで見るビニールカーテンで覆われはじめました。それを見ると「いよいよだ、、、」と覚悟を決めなければならない気がしました。
入室前に、部屋は徹底した消毒がされました。

向かいの部屋にはFさんが入室していました。ときどきFさんはこちらの部屋まで遊びにきてくれました。ちょっとした憩いのひとときです。
Fさんのお子さんは移植後のGVHDでとても辛い毎日を送っていました。Fさんはいつも泣いていました。「この子には今何も楽しみがない、、毎日毎日しんどいだけで、前は言わなかったおうちにかえりたいばかり言うねん、、そのほかは笑うこともなく、起き上がることもなく、嫌なことばっかりされて、、」と。私は明日は我が身という気持ちで、懸命にFさんの気持ちを受け止めるように努力しました。

s.kusukiは、別病院に行ったにもかかわらず、こちらの病院に用事があり来ることがあったそうで、マメに病室まで来ては、話相手になってくれました。今までの経過を知っていてくれる人の存在はとても大きく、精神的にとても救われました。

Sは造血幹細胞移植をすることになりました。臍帯血移植バンクからの到着を待ちます。
タイミングをぴったり合わせるため、1週間かかる移植前処置がいよいよ始まります。

つづく

クローバーまさみさまクローバー
移植 [2008年02月15日(Fri)]

年が開け、いよいよ移植の為に移植病棟へお引越しをすることになりました。
いつの間にか、部屋には生活用品や着替え、おもちゃなどものすごい量の荷物がありました。その荷物を何度かにわけ、階が違う移植病棟へのお引越しです。
不安な気持ち、逃げ出したい気持ち、色々な気持ちの悪い思いを押し殺しながら、荷物を運びました。
最後の荷物と、Sを迎えに小児科病棟へ戻りました。「しばらくの間のお別れ」と担当の看護師さんと少し話をしました。「頑張ってきますね!」エレベーターのドアが閉まるまで、その看護師さんは心配そうに手を振っててくれました。

最初の移植病棟の印象はとても物々しい雰囲気だったということです。
セキュリティも万全。病棟へ入るまでにものすごい分厚いドアが嫌な音を立てて自動で開閉しました。小児科と違って大人の方がほとんどで、ものすごく静かでした。
最初は4人部屋へのお引越しとなりました。
周囲のベッドにはわたしと同年代くらいの3人の女性が入院されていました。
その中に急に小さな子どもを連れた親子が入ってくることは、どんなに迷惑だっただろう、、、と今更ながらに思います。
やはり同じような病気をお持ちの方々でしたので、日々元気なようには見えますが、ちょっとしたことで、体調を崩されたり辛い思いをされていました。
中でも、申し訳ない、、、と思ったのは3人中2人の方がお子さんをお持ちの方でしたので、色々な複雑な思いをされるだろう、、、ということでした。
とにかく、個室へ移動するまでの1週間はひたすら、物音立てずにひっそりと過ごすように気を使いました。Sもできるだけ泣かさないよう、大きな声で話さないよう日中は廊下に出たりと神経を使いました。

まず、最初に担当の看護師さんから移植へ向けての注意や覚えのお話がありました。
何もかも滅菌処理をしたものを使い捨てるということでした。ティッシュペーパーもストローもスプーンもコップも滅菌処理をするためにたくさん買い、処理をお願いするために提出することになりました。

次にベッド柵に頭をぶつけるだけでも血が止まらないようになるかもしれないとのことで、ぶつけても大丈夫なように何か対策を。。。とのことでした。お風呂の下に敷くウレタンマットを柵にくくり付けました。
使うものの何から何まで滅菌もしくは消毒をしました。おもちゃも毎日消毒しなければなりませんでした。おもちゃは毎晩消毒液につけました。なので、おもちゃの種類は消毒液に漬けることができるもの、清潔を保てるものに限られました。

アルコールの入ったスプレーボトルを常備することになりました。
常に神経を尖らせておかなければ失敗してしまう、、、しかもその失敗は娘の命へと直結する。というものすごいプレッシャーを感じました。

つづく

クローバーまさみさまクローバー
初めての外泊 [2008年02月14日(Thu)]

初めてSが外泊したのは移植前の年末でした。
それまで、外泊は私が拒みました。
まだ、本人達には理解しにくいことが多く、外泊してしまうことで「すべて元通り」と娘達に期待を持たせたくなかったからでした。

外泊を決行したのにはわけがあります。
移植はとても辛く、危険な治療だということ。「もしも」とされることが医師の口からたくさん言い並べられました。たとえば、腎不全、心不全、命に関わる感染、、、などです。まだまだたくさんありました。だからです。

初めての外泊に二人とも大喜びでした。Sは約4ヶ月ぶりに外に出ました。
おうちのソファーに二人仲良くすわりずっとくっついていました。
小さな二人に、外泊の意味を告げることは酷だとは思いましたが「またすぐに病院にもどらなあかんねん、、、ちょっとだけおやすみもらってん、、、」と説明をしました。Aの「ふーん、、、」ととても複雑な表情をみれば、胸がいたくなりました。でも「期待させてはいけない!」と私の頭の中にはそれしかありませんでした。

11月生まれのSの1歳の誕生日とクリスマスとでケーキを焼きました。値段も何も見ず、急いで材料を買い込み、ケーキを焼きました。
このときで闘病が始まってから約4ヶ月半。私の家事の要領はとても悪く、料理の手順もめちゃくちゃでとても疲れたのを覚えています。
それでも、何とかケーキは仕上がり、みんなで楽しくたべました。

AはSの胸からぶら下がっているIVHカテーテルをみて「それなぁに?」とびっくりしていました。Aと一緒にお風呂に入っていた頃にはそんなものはSの胸についていませんでした。
Sがたくさんのお薬を飲むたびにAは「が〜んばれ!が〜んばれ!」と応援しました。Sもニコニコしながら頑張って飲みました。

突然小児がんになり、突然家族バラバラに過ごすことを余儀なくされました。
小児がんになったことはしょうがないことなのかもしれない。だけど、家族一緒に過ごしたい。
同じ場所で一緒に力をあわせて闘いたい。。みんなで分かち合いながら過ごしたいと思いました。

病院に戻るときの私たちの気持ちはみなさんのご想像にお任せします。思い出し、ここに綴るのも辛いほどの気持ちだったとだけお伝えさせてください。

初めての外泊はとても切なく、でも楽しいひとときを過ごすことができました。

このときからAの口癖は「みんなでくらしたい」になりました。


クローバーまさみさまクローバー
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