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ゆずっこ 〜優しい笑顔〜 [2007年10月31日(Wed)]

私が最初に会ったとき、『 もうすぐ、大阪城ホールでゆずのコンサートがあってそのチケットをもっている』と教えてくれました。もしそのコンサートに行けたら、ゆずの楽屋に会いにいけるかも、とのことでした。
本当はMake a wishで叶えられる夢は1回だけなのですが、特別に交渉してもらっているとのことでした。
ゆずっ子の病状は、痛み止めが持続的に必要で、そのほかにも栄養剤など沢山の点滴がつながった状態だったのですが、医師、看護師、リハビリの先生などスタッフみんながなんとか、ゆずっ子をコンサートに連れて行こうと力を合わせました。
ゆずっ子もリハビリをがんばり、車椅子の練習もしました。リハビリの先生が、ゆずっ子に合った車椅子を選んできてくれました。その車椅子で散歩に行った後、ナースステーションの前を通るとき、優しい笑顔でみんなに手を振ってくれました。

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ゆずっこ 〜Make a Wish〜 [2007年10月30日(Tue)]

歌手のゆずが結成10周年をむかえたそうです。感謝祭と銘打って、先日大阪城ホールでコンサートがありました。
ゆずの大ファンである私は、久しぶりにコンサートに行ってきました。
ゆずのファンのことを、『ゆずっこ』 と言います。
数年前、小児がんでゆずっこの女の子(以下ゆずっ子)が入院していました。
他の科に入院していたので、私が関わったのはゆずっ子の人生のほんの少しでした。
他科の医師から治療方針について相談を受け、ゆずっ子と知り合いました。
部屋には大きなゆずのポスターが貼ってありました。そしてそこにはゆず直筆のメッセージが書いてありました。
Make a wishでお願いしてもらったそうです。
本当は会いたかったのだけれど、病状が良くなかったので会いにいけず、またゆずもツアー中で会いに来れなかったのでメッセージにしてもらったとのことでした。

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メモリー [2007年10月29日(Mon)]

先日のよく晴れた昼下がり、近くの雑木林のベンチに座ってふっと足下を見ると、溜まった葉っぱの上に蝉の抜け殻がひとつ。がさがさっと音がして、葉っぱの下から出てきたこおろぎ一匹。過ぎ去った夏と秋の訪れを感じました。

さて、私は先々週、利根川進博士の講演を拝聴いたしました。利根川博士は「多様な抗体を生成する遺伝的原理の発見」により1987年にノーベル生理・医学賞を受賞なさっています。人間の体というのは病原体を含めた異物を排除する免疫のシステムを持っています。これは、異物(抗原)に対してリンパ球(白血球の一種)が反応することに基づきます。この際に、リンパ球という細胞の中では、抗原を認識する抗体(たんぱく質でできています)を規定している遺伝子を絶妙に変化させることで、抗原とぴったり合う抗体を作り出すことができることを、利根川博士は発見したのです。専門用語では「遺伝子の再構成」と呼び、個体の中では不変と考えられていた「両親から受け継いだ遺伝子」を、リンパ球という細胞の中でのみとは言え、構造を変えてしまうことが実際に起こっているのです。
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命の礎 〜今度こそ、、、〜 [2007年10月26日(Fri)]

私は現在医師9年目です。まだまだ未熟者ですが、このたった9年間でも小児がん治療の分野が進歩したことを実感することが多いです。
私でもそう思うのですから、何十年も医師をされている方はなおさらだと思います。
研修医のころに治すことができなかった病気と、同じ病名のこどもが入院してきたとき、
必ずその治せなかったこどものことを思い出します。楽しい思い出もありますが、このような状況のときは、つらかった風景を思い出すことが多いです。

その病気に対しては「今度こそ治してやる」と思います。
しかし亡くなってしまったこどもにとっては「今度」は無いわけです。
昔は治せなかったけど、今なら治せる。
このことは喜ばしいことなのですが「あの子も違う時代に生まれていれば」と思うと、心の底からは喜べないのです。

「命の礎」となってくれてたこども達は「医学の進歩」にももちろん貢献しています。
そして、その子に関わった「医療者の進歩」にも貢献してくれています。
私は研修医のころ、多和先生に
「今でこそ白血病の治療はほぼ確立しているけど、昔は『この論文読んで、考えて治療してみ』という時代だった」という話など「昔は、、、」という話をよく聞きました。

治療方針や、副作用の対策などかなりマニュアル化されてきていますが、私たちが相手しているのは生身の人間の体です。マニュアルから外れるようなこともよく起こりますし、マニュアルに書いてあっても、今起こっている事態がそれにあてはまるのかどうかも経験が無ければわからないこともあります。

自分が経験したことを伝えていくこと、
過去の経験に耳を傾けること、
老若男女の医療者が風通しよくコミュニケーションをとれる環境をつくることが大切だと思います。

s.kusuki

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命の礎 〜骨髄移植 2〜 [2007年10月25日(Thu)]

以前、中学生の男の子が自らが骨髄移植をしないといけないような病気でありながら、ドナーさんが見つかったとき、「ドナーになってくれる人がいただけで満足で、感謝している」とコメントしてくれました。

経験上ですが、小児がんになる子はこのような心の純粋な子が多いような印象があります。
自分のお子さんが小児がんになり、輸血や移植をした親御さんが、「自分のこどもがもらった分を少しずつでも返したい」と言って、献血をしてくださったり、骨髄バンクドナーに登録してくださることが結構あります。本当にありがたく、頭が下がります。

私の同級生で「自分が白血病になったときに遠慮なく骨髄移植をしてもえるように、ドナー登録をする」と言ってドナー登録し、実際に骨髄移植のドナーになった医師がいます。少しへそ曲がりですが、敬意を表します。
医療の進歩は、一般の方の善意によって成り立っていることが多いのです。

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命の礎 〜骨髄移植 1〜 [2007年10月24日(Wed)]

小児がんの治療の大きな進歩のひとつとして『骨髄移植』があげられると思います。
健康な人の骨の一部を削り取ってきて、患者さんの骨に埋め込む手術だと思っている方も結構いるようですが、全くの間違いです。
健康な人(=ドナー)から「骨髄液」という、血を創る源(液体です)を取ってきて、それを患者さんに「点滴」から投与します。
つまり患者さんは、手術をするわけではありません。

一方ドナーさんには全身麻酔が必要となります。
「骨髄液」というのは、骨の中心で創られているもので、腸骨(いわゆる骨盤の骨)に少し太めの針を刺して注射器で吸います。数本であれば、全身麻酔をせずに取れるのですが、何十本も取るので、全身麻酔なしではかなり痛いです。
しかし、骨を削るわけではないので、ほとんどの場合全く後遺症はありません。
ただ、全身麻酔をするリスク、骨髄採取のリスクなどはごく稀ではありますが報告されています。

完全に健康な人に、わずかでもリスクのある医療行為をするということは、非常に勇気のいることです。また、ドナーになってくださる方はそのリスクの説明を受けた上で引き受けてくださいます。骨髄バンクのドナーの場合は、その骨髄をあげる相手の方は全くの他人です。
つまり骨髄移植という大きな医療の進歩には、ドナーになってくださった方の奉仕の心があるわけで、移植をした医師よりもドナーになってくれた方のほうが医療に貢献していると私は思います。

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命の礎 〜臨床試験〜 [2007年10月23日(Tue)]

小児がんの治療は、多くの場合「臨床試験」と呼ばれる形式で治療をおこないます。
「臨床試験」というのは、わかりやすく言うと少し刺激的な言葉になりますが、
「倫理的に許された人体実験」だと私は認識しています。

小児がんの「治療成績」は向上していますが、この「治療成績」をだすためにはたくさんの患者さんで「新しい治療方法」を試す必要があります。
「新しい治療方法」「前の治療方法」よりも治癒率がアップすれば、「臨床試験」は成功したことになり、医療が進歩したことになります。

もちろん、この「新しい治療方法」は誰かが、「こんな治療やってみたいから、やってみよう」と言って簡単に決まるものではありません。
海外のデータなど、いろいろな資料を参考に、たくさんの偉い医師たちが議論しながら決めます。
そして、最終的には患者さんにインフォームドコンセントを行い、承諾を得た上で臨床試験を行います。
このようにして作られた臨床試験が成功すると、その臨床試験をつくった医師達が「医療を進歩」させたと考えられます。

確かにそうなのですが、実はもっと医療の進歩に貢献している人がいます。
もちろん、その臨床試験を受けた「こども」とその「家族」です。
約50年前には不治の病と言われた小児がんが、現在は7〜8割が治癒するようになりました。これは、臨床試験を受けたこどもたちの「命の礎」のもとに成り立っているということを忘れてはいけないし、本当に偉い医師はそのことを胸に刻み込んでいらっしゃいます。

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病気には2種類あります。 [2007年10月22日(Mon)]

病気には2種類あります。
治せる病気と治せない病気。

では、医学、医療者の役割はなんでしょうか。
治せない病気を治せるようにすること。
これが一番わかりやすいと思いますし、これこそ医学の進歩でしょう。

しかし、現在日本が抱えているがん医療の最大の問題はそこではないような気がします。
大人のがん医療は「日本のどこの地域にいても標準治療を受けることができるように」ということに力を入れています。
つまり、進歩した医学を何処でも受けられるようにすることが課題であり、折角進歩した医学を生かせていなというのが、現在の一番の問題点だと考えているのではないでしょうか。
最新医療も大切ですが、
治せる病気を治すこと、
スマートな医療をすること、
これらのことも非常に大切で、なおかつやる気になればできることです。
(やる気にならなければならないのは、医療者だけではなく政府もです)

では、治せない病気に対しては何ができるでしょうか。
「治せない」 ということは、「何もできない」ということとは違います。
ただこのことは、頭ではわかっていても受け入れることは非常に困難です。
このような状況の時の対応策は人それぞれで、かつ時々刻々と気持ちも変わります。
ものすごく大雑把に分けるとすると、次の2つの選択肢があります。
「 わずかでも治癒する可能性のある治療をしつづける」
「 病気を治すための治療は全くせずQOLを重視する」
この2つの選択肢の間を、気持ちが揺れ続けます。
治療するメリットと、治療しないメリット。
治療するデメリットと、治療しないデメリット。
こどもが何を望んでいるのか。どうすれば笑ってくれるのか。

難しいです。
本当に難しいです。

s.kusuki

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告知・病気の説明4 [2007年10月19日(Fri)]

そのあとすぐに大阪のベッドが空き、転院することになりました。
大阪の病院では病室以外の会議室のような部屋を使って、病気の説明をしてくださいました。19歳の私にもわかりやすく、納得できるように説明してくださったのを覚えています。
その説明を聞いて、「よし、ここなら病気が治る。そして家に帰って、健康な普通の生活を送るんだ。」という強い気持ちになったのを覚えています。
やはり病気の原因がやっとわかったという事と、その病気に対する治療法があるのだということが、私をそのような気持ちにさせたのだと思います。

その時の説明で、白血病は血液のガンだと知りました。そして私はこれからその白血病を治すのと同じ治療をするのだと言われました。とにかく病気というだけで不安ばかりでしたが、先生方が専門に小児がんを治療されているということと、看護師の方達の笑顔に救われて、大阪での説明は安心して聞けたことを覚えています。

剛直
告知・病気の説明3 [2007年10月18日(Thu)]

そしてその話を聞いてきた夕方に、県立病院の担当だった主治医と両親が、カーテンでしか区切られていない四人部屋だった私の元に来て説明をしてくださいました。

「とにかく、移植をしないと治らない重病」という事と、「病気がひどくならないうちにできるだけ早く化学療法を始めるという事」を言われました。私はベッドの上で涙が止まらず、これからどうなるのだろうという不安に襲われたことを今でも覚えています。もちろん19歳の私には内容を話ししても理解できる事だろうと思われたので、直接私に話をされたのだと思います。
しかしそんな重要な事なら、別室で話を聞ければよかったと思います。

大阪の病院のベッドがあくまでの間、河先生と県立病院の先生が連携してくださって、県立病院で抗がん剤による化学療法が始まりました。とにかく抗がん剤を今すぐ投与しなければならならないということだけしか理解できずに、化学療法が始まり、毎日が不安でした。

つづく 剛直
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