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子どもの頭の中 [2008年11月13日(Thu)]

オープンエンドというのは、投資や教育の世界の用語のようですが、語源をそのままとって「終わりが開いている」という意味で考えてみます。宇宙は誕生以来、膨張を続けるオープンエンドの世界。過去は閉じた世界ですが、未来はオープンエンド。いつまでも果てしなく続きます。インターネット(ウェブ)上の情報量も際限なく増え続けるオープンエンドの世界でしょう。

夏目漱石の「三四郎」の主人公は、大学進学のため田舎の熊本から上京する車中で、ある男性に「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より頭の中の方が広いでしょう」と言われます。そうです、人間の脳は無限のオープンエンドの世界です。

そして、子どもの未来もオープンエンドです。限りなく広がる可能性を秘めています。心身ともに健やかに育って欲しいと願うばかりです。

少し前の外来で、1歳の時に発病した病勢の進んだ神経芽細胞腫の患者さんを診ました。私はしばらく病院を離れていたこともあって、5、6年振りでした。その患者さんは中学生になっていました。笑顔ではきはきと受け答えする姿を見て、私は涙が出てきました。

私が医学生だった頃、卒業前に志望する科を決めなくてはなりませんでした。私はあまり迷わず小児科を志望しました。その理由は割と単純でした。子どもには未来があるから。当時、実習で接した子どもたちには泣かれっぱなしで、同級生から「小児科に向いてないで」とからかわれていました。

今でも当時の気持ちに変わりありません。自分が関わった子どもたちが、夢を抱えながら大人になってくれるのを感じることができるだけで充分です。

子どもたちの頭の中は、きっと地球よりも広いと思っています。

by Ohta
[2008年10月27日(Mon)]

鏡は不思議な物体です。左右逆に映るけれど、上下逆にはならない。試しに鏡の前で首を左右に傾けてみても、結果は一緒、上下はそのまま。でも、池に映る山は上下逆になっています。

「子どもは社会の鏡」とよく言われます。昨今の子どもをめぐる事件や現象が、大人社会の反映であることに異論のないところかと思います。子どもに映る大人の社会が未来に希望を持てるものであってほしいと願います。

さて、ミラーテストというのをご存知でしょうか。鏡に映る自分の姿を見て、自分であることが認識できるかどうかというテストです。もちろん、人間はYESです。他の動物たちでこのテストに合格するのは、チンパンジー、オラウータン、アジア象、イルカ、シャチだそうです。このテストに合格する動物は、仲間のことを自分のことのように感じることができ、仲間に対する共感能力が高いと言われています。

神経細胞の中にある「ミラーニューロン」。他人が何かしたときに、あたかも自分がしているかのように感じる神経細胞で、他人と自分を映し合う共感回路として機能します。社会の中で自己を感じる、他人を鏡として自分を磨く。高度なミラーニューロンを持つ人間は、他人のために行動でき、共生の社会を作ることができるのです。

そう言えば、アジア象が大きな群れを作って、大人の象が小象を脚の間に囲いながら、大地を歩く映像を目にしたことがあります。人間社会でも、大人たちが子どもたちを皆で見守り、育てるようにしたいものです。

by Ohta

(参考文献)
茂木健一郎 クオリア日記
9月7日 ビッグイシューと社会 音声ファイル
「生命とは何か」 [2008年10月09日(Thu)]

日本人のノーベル賞受賞が続きますね。きょうは、ノーベル物理学賞の日本人独占にちなんで物理の話題を。

この1年の間に、古典的名著と言われるシュレディンガー著「生命とは何か」の岩波新書判が版を重ね、岩波文庫判も新しく登場しました。湯川秀樹博士が渡米中にこの原著に感動して、日本に送って翻訳が開始されたという逸話が残っています。

著者のシュレディンガー博士は、湯川博士と同じ物理学者ですが、DNAが発見される10年ほど前に、物理学者の眼で生命について鋭く考察しています。

「なぜ原子はそれほどに小さいのか?」という命題と、その裏返し「ヒトはなぜそんなに大きいのか?」。原子の大きさは約1オングストローム(1メートルの100億分の1)。ヒトの身長を1メートルとすると原子の大きさの100億倍。

物体を構成する原子や分子は常に微細に勝手な方向に向かって運動していますが(例えばブラウン運動に代表されるように)、全体として、平均として一様な振るまいを示します。個々のバラバラな動き(不精密度)は全体に吸収されてしまいます。

ここで、統計学的な確率的な話になってきます。シュレディンガー博士は、√nの原則を持って説明します。物理現象は、その構成物の数をnとすると、√nの程度で不正確であると言うのです。数が100個なら、√100=10、つまり10/100=10%の誤差率となりますが、数が大きいと、例えばn=100 万(1,000,000)ならば、√1,000,000=1,000 となって、1,000/1,000,000=0.1%の誤差率となります。このことから、ヒトの大きさが原子の大きさの100億倍であることが、理にかなってヒトが原子の勝手なふるまいに影響を受けにくくなると言うのです。ちなみに、n=100億の場合の誤差率は、計算してみると0.001%になりました。もし、大きさの差が小さいと、わずかな数の原子の運動がヒトの感覚に影響を与えることになって、えらいことになるのです。

20世紀から続く物理学は、医学に多大な貢献をしています。放射線診断(レントゲン、エコー、CT、シンチ、MRI、PET)、放射線治療などきりがありません。

by Ohta

(追記)
以上の記載は物理に素人の私の解釈です。間違っていたらご指摘ください。

秋桜 [2008年10月06日(Mon)]

きのうの日曜日、全国的にぐずついたお天気でした。私は小雨のなか、大阪府北部にある、とよのコスモスの里を訪れました。見渡す限りにコスモス(秋桜)が咲き乱れ、圧倒されました。少し離れたところには曼珠沙華(彼岸花)も負けじと直立不動で立っていました。

園内には5,6体(人?)のおしゃれなかかし(案山子)が我が物顔で立ち、秋祭りの練習でしょうか、和太鼓を打ち鳴らす音も聞こえました。近くの田んぼには稲藁が行儀良く立ち並び、深まる秋を感じて帰ってきました。

ご存知「千の風になって」の原詩(作者不詳)には、こんな風に書かれています。

I am a thousand wind that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sun on ripened grain.
I am the gentle autumn rain.

私は吹きわたる千の風になって。
雪に輝くダイヤモンドになって。
実った穀物に映える太陽になって。
優しく降る秋の雨になって。
(つたない Ohta 訳で申し訳ありません)

先人たちが苦労を重ねて培ってきた稲作。実りの秋の田園にも、先人たちが風になって、雨になって私たちを見守っています。

by Ohta
赤とんぼ [2008年09月23日(Tue)]

お久しぶりです。半年ぶりにお目にかかります。

いつの間にか夏が過ぎました。皆さんの夏休みはいかがだったでしょうか。
きょうは秋分。ようやくすっきりとした秋晴れですね。

ここのところ、子どもたちが犠牲になる悲しい事件が続き、胸が痛みます。

20日の朝日新聞土曜版に、童謡「赤とんぼ」にまつわる記事が載っていました。

この歌を作詞した三木露風は、5歳のときに両親が離婚し母と生き別れます。

夕焼け、小焼けの あかとんぼ

負われて見たのは いつの日か。

山の畑の 桑の実を
小籠に摘んだは まぼろしか。

露風を背負っていたのは、母が頼んだ子守娘の「姐や(ねえや)」ですが、露風は幼時を思い起こし、この詩の中で母への想いを綴っています。

いつの世も、母を慕う子どもの気持ちは同じ。わが子をいつくしむ母の情もいかばかりでしょう。

露風が18歳のときに、再婚した母から便りが届きます。
文章が空白の部分があり、「汝の頬を当てよ、妾(わらわ)はここにキスしたり」。
露風は手紙を抱きしめて激しく泣いたそうです。

私は昨年、近くの畑で赤とんぼを一匹だけ見かけました。
今年はまだです。皆さんはいかがでしょうか。

by Ohta

(参考文献)
朝日新聞 9月20日朝刊 be on Saturday うたの旅人
Loved one [2008年03月25日(Tue)]

loved one、愛する家族(最愛の人)のことを英語ではこう言います。亡くなった家族を指す言葉でもあります。いつまでもいつまでも溢れんばかりの愛情を受け続けます。

先頃放映された番組「愛してるよ、カズ 君はママの宝物でした」。カズ君のお母さん、綾(りょう)さんが最期の瞬間まで呼びかけます。「愛してるよ、カズ」。カズ君もその言葉に答えます。「オレも」。

先日のチャイケモ研究会でチャプレンの沼野尚美さんが強調されていたのは、「愛している」ことを言葉で伝える大切さ。

身体的な生とともに、心理的な生、社会的な生を大事にしなくてはと思います。病気の子どもに孤独感を感じさせないようにしたいし、家族や関わる人たちに愛されているということを感じてもらいたい。

生活の質と同時に「魂の質」もとても大事なことです。

by Ohta


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節分 [2008年02月04日(Mon)]

早いものでもう2月。1月は往く。2月は逃げる。3月は去る。毎年のことながら、この季節、アッと言う間に月日は流れます。


2月3日は節分。もともと季節の分かれ目を指すことばでしたが、ご存じのとおり、特に立春の前日のことをいいます。2月4日は立春。暦の上では春の始まりです。

子どもの頃、父の帰りを楽しみに待って、一緒に家中に豆を撒いたのを思い出します。皆さんのお宅では今年の節分はいかがだったでしょうか。

この週末、低気圧と寒波がぶつかり、広く日本列島の太平洋側でも雪が降りました。私の田舎、兵庫県北部では、大雪が降ると学校が休みになって嬉しかったのを覚えています。大勢で雪合戦をしたものでした。今では、たくさんの雪や子どもたちを広場に見ることは少なくなりましたね。

雪は一つ。1月はしんしんと降り積もる。2月は冷たく降り急ぐ。3月は名残を惜しんで舞う。春の到来、間近です。進学、進級の季節がやってきますね。

by Ohta


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One for All, All for One. [2008年01月15日(Tue)]

1月7日におこなわれたラグビー全国高校大会決勝。対するのは4度の優勝経験のある伏見工業と悲願の初優勝を狙う東福岡。後半の中盤から終盤にかけて、5点差をはね返そうとゴールラインに迫る伏見工業とそれを必死で食い止める東福岡。見ごたえのある攻防でした。

ラグビーは楕円形のボールを少しでも前へ持っていって相手陣のゴールラインを目指すスポーツです。選手はボールより後ろにいなければなりません。つまり、手から手へのパスは後ろ向きのパスでないと反則です。キックは前に蹴ってかまいませんが、蹴った時点で味方が前にいればこれも反則です。

この試合の終盤の5点差という点差は、1トライ(相手陣のゴールラインにボールを置くこと)で同点になり、さらにその後のゴールキックが決まると逆転できる点差です。お互いに必死の攻防の末、守り抜いた東福岡に軍配が上がりました。

ラグビーは1チーム15人で闘います。スクラムを組むフォワード8人とその後ろに陣形を組むバックス7人。15人が一丸とならないとボールをうまく支配できません。逆に、15人が組織的に防御しないと相手に突き進まれてしまいます。

One for All, All for One. 1人はみんなのために、みんなは1人のために。ラグビーの精神を示す言葉として有名です。

東福岡の優勝記念のスナップ写真には、選手達の弾ける笑顔とともに大会直前に事故で亡くなった正選手のジャージ姿で笑う遺影がありました。スタンドにはそのお母様の嬉しい笑顔もありました。

One for All, All for One. 医療にも通じるところがあるように思います。

by Ohta


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Merry Christmas! [2007年12月24日(Mon)]

本を読んでいて次の文章をみつけました。


贈るのに小さすぎたり、もらって簡素すぎたりといった贈り物はない。思いやりで包まれて、愛情で結ばれていれば。(L. O. Baird)

May no gift be too small to give, nor too simple to receive, which is wrapped in thoughtfulness and tied with love.
L. O. Baird

メリークリスマス!

by Ohta
アフリカ部族の話 [2007年12月21日(Fri)]

アフリカは人類発祥の地として有名です。アフリカには6000もの部族があるそうです。以下に、二つの話を取り上げます。両者の間にはまったく関係がありません。独立した話としてお考えください。

一つ目は、小林秀雄の講演CDで取り上げられている話題です。彼は心理学者のユングが引用している話として、こんなことを言っています。

アフリカのある部族の、川に水を汲みに行った三人姉妹の二番目の娘がワニに食べられてしまったことがあった。それは科学からすれば単なる偶然である。しかし偶然は論理的に説明できない。二番目の娘が食べられて他の娘たちが難を逃れたことを科学はどう説明できるか。それはできない。残された家族はどのようにこの事実を解釈したか。それは川の神がそうさせたと。

二つ目は、今年の1月21日の天声人語から。

アフリカのある部族には、死者を二通りに分ける風習があるという。人が死んでも、その生前を知る人が生きているうちは、死んだことにはならない。生者が心の中に呼び起こすことができるからだ。記憶する人も死に絶えてしまったとき、死者は真に死者になるのだという。

この二つの話、共通点がひとつあります。ともに科学を超越している点です。

by Ohta

(参考文献)
小林秀雄・講演CD 「現代思想について」
朝日新聞・天声人語(2007.1.21)


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