一期一会 [2011年12月12日(Mon)]
私が自慢できることは、こども好き、と言うことです。
なぜかわかりませんが、子どものころから、自分より年下のこどもや赤ちゃんを、かわいいと思えました。 きっと、自分より純粋で、未来のあるこどもへの、憧れがあったのだと思います。今でもそうですが。 約20年前、私が入院していたころ、同じように長期入院していた男の子がいました。偶然ご近所さんで、母親同士も仲良くしていました。 とても、かわいい子で、ベッドの上で楽しそうに飛び跳ねていた姿がとても印象的でした。 私は退院し、通常の生活を送っていたある日、母親から、その男の子が亡くなったと聞きました。その時の自分には、全く意味がわからず、受け入れられませんでした。 約1年前、母親から、その男の子のお母さんが学会でシンポジストとして出席する、と連絡がありました。 なんせ20年前なので、会ってもわかるかどうか、と不安でしたが、男の子のお母さんが、私を見つけてくださり、声をかけてくれました。 正直、よくわかったなあ、そんなに顔が変わってないか??と思いましたが、あのころのベッドで飛び跳ねていた男の子の姿が、また思い出されました。 そして、自分の中学生時代を知られていることが、気恥ずかしく、、、、、。 そして、約2か月前、チャイケモの活動を中心に読売新聞に取り上げていただいたのですが、そこに掲載された私の写真を見て、一通の手紙が病院に届きました。 私を担当してくれた、看護婦さんからでした。あきらかに新人で、頼りなかった看護師さんでした。採血を失敗した後、「ごめん、ごめん、だれか他の看護婦さんに代わろうか??」と動揺するような看護婦さんでした。 ただ、とても優しく、いつも私のことを想い、心配してくれていました。 その手紙で、今も看護師として活躍されていること、私が医学部に合格したことを報告しに訪れた時のことなどが、書かれていました。 やはり気恥ずかしい気持ちになりました。 そういえば、数年前、当直に行った病院で、救急外来に子どもを連れて受診されたお母さんが、「くすき君?」と言ったと思ったら、突然涙ぐまれました。誰かと思ったら、私が入院していた時に働いていた看護婦さんでした。自分の子どもの病気(ただの風邪ですが)そっちのけで、喜んでくれました。そして帰り際に、当直病院の看護師さんに、私のことを「よろしくお願いします」と頼んで帰られました。あの時は、ほんまに恥ずかしかった。 いずれにしても、全く良い患者ではなかった私のことを、みんなが心配してくれて、覚えていてくれたことが、ただただ嬉しいのです。 一つ一つの忘れていた出会いが、長い時間を経て思い出され、 今の自分を形成する一部になっていることを感じ、 決して、自分ひとりで生きてきたんじゃなかった、と実感する今日このごろです。 先日、阪大病院の小児科患者同窓会に出席させていただきました。 きっと20年後、30年後に、子どもたちが作ってくれたこの出会いが、私達の人生にとって、かけがえのない出会いであったのだと、実感する日が来るのだろう、そう感じた一日でした。 お招きいただき、ありがとうございました。 (同窓会の詳細は、ここで書けるような内容ではないので控えますね(笑)) s.kusuki facebookでも記事を配信しています。もしよろしければ、『チャイルドケモハウス』で検索し、友達申請をお願いいたします。 s.kusuki(Just giving 挑戦中 http://justgiving.jp/c/7074 ) |