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がんを生きる5 [2009年02月10日(Tue)]

息子、ゆうとの闘病を温かく励まし続けて下さった方々の中に、新聞記者の方がいました。
記者の福田さまの記事は、私たち家族を元気づけてくれるものも多く、この場をおかりして是非みなさまにも読んで頂きたいと思い、毎日新聞の許可の下ご紹介致します。
亜紀子

◆ 2008年06月30日  毎日新聞掲載

がんを生きる:/11 小児がん 再入院先で「お兄ちゃん」に/校長「いつでも帰って来て」

 乳幼児に特有ながん「神経芽腫(がしゅ)」と闘う田村結人(ゆうと)君(7)=茨木市=は、5月中旬に再入院した。病院での暮らしぶりは「結構忙しいなぁ」。胸には点滴用の管が付いたままだが、「そんなに痛くないで。風呂に入る時は、ビチーッとテープを張って、水が入らんようにするねん」と教えてくれた。

 再入院した結人君は、周囲に成長を感じさせた。母亜紀子さん(34)は、最初に入院したころのことを思い出していた。

 当時、結人君は2歳9カ月。「かあちゃん、怖い……」と言うと、そのうち声が出なくなり、笑わなくなった。怖がったのは「がん」ではなく、大好きな「かあちゃん」そのものだった。発病のショックを隠しきれない家族の姿が、結人君を追い詰めていた。

 ムードを変えようと、結人君をリーダーとする闘病チームを組んだ。結人君が痛がる処置は看護師に任せ、家族は結人君と楽しく過ごすことを心がけた。こうして、周囲の助言を一つ一つ実行するうちに、少しずつ余裕が生まれ、なんとか危機を脱した。

 今や結人君は患者として「お兄ちゃん」的な存在だ。点滴を怖がる小さい子どもたちを笑わせようと、自分の点滴のカテーテルを見せて、逆に怖がらせて泣かせてしまうこともあるが、ご愛きょうだ。

   ◇   ◇

 結人君は今年3月、いったん退院していた。4月の始業式には元気に登校し、仲良しの友だちに突っつかれながら再会を喜んだ。「楽しい!楽しい!退院ってやっぱりいいな」と何度も口にしていた姿が印象的だっただけに、再入院との落差が堪(こた)えた。

 亜紀子さんは、学校に行かせたことを後悔しかけたこともあったが、校長の言葉に救われた。「一カ月半だけでも学校に通えて、良かったですね。担任や友だちとも関係ができて、クラスにちゃんと居場所ができました。まずは治療に専念して、いつでも学校に帰って来てください」

 見通しが立たない中、状況の変化に振り回される日々。それでも、結人君の成長と校長の言葉に、亜紀子さんはこれまでの経験が無駄ではなかったことをかみしめていた。【福田隆】=つづく(月曜掲載)

がんを生きる4 [2009年01月21日(Wed)]

息子、ゆうとの闘病を温かく励まし続けて下さった方々の中に、新聞記者の方がいました。
記者の福田さまの記事は、私たち家族を元気づけてくれるものも多く、この場をおかりして是非みなさまにも読んで頂きたいと思い、毎日新聞の許可の下ご紹介致します。
亜紀子

◆2008年06月23日  毎日新聞掲載

がんを生きる:/10 小児がん 人気漫画のキャラ、心の糧/記者再会、ゲーム手に「さあ、やるで!」

 「なぁなぁ、はよう家に帰って遊ぼうや!」。6月中旬の阪大病院。記者は乳幼児に特有ながん「神経芽腫(がしゅ)」を持つ田村結人(ゆうと)君(7)=茨木市=と、約2カ月ぶりに再会した。感染防止のため身に着けている帽子とマスクの間からのぞかせる瞳は、らんらんと輝き、早く遊びたくて仕方がない様子だ。

 結人君は化学療法などの効果で容体が落ち着いたため、今年3月に退院し、地元の公立小学校に復帰していた。しかし、そのころ、腫瘍(しゅよう)マーカーの値が少しずつ上昇し、やがて集中的な治療が必要となり、5月中旬から再入院していた。記者と再会した日は、外泊で帰宅するところだった。

   ◇   ◇

 再入院した当初、結人君は病室のベッドとカーテンを見て「なんか、しんどくなってきた」「嫌なこと思い出す」と言い、いすに座り込んだ。久しぶりの院内学級には張り切って通ったものの、2日目は「しんどい」と休んだ。母亜紀子さん(34)の目には、身体だけでなく、心も参っているように見え、つらかった。

 この現実にどう向き合うか。父太郎さん(37)が「今回は『魔人ブウ』で行こう」とアイデアを出した。「魔人ブウ」とは、人気漫画「ドラゴンボール」シリーズに登場するキャラクターで、しぶとい相手だ。

 「結人の体には魔人ブウのような、やっつけてもやっつけても出てくる者がいて、それを結人と先生、看護師さんたちと一緒にやっつけるために、病院にいるんや」

 「じゃ、おれ孫悟空!?」

 「そう。孫悟空もそうやけど、強い人は強い悪者と戦うことになってしまうねん」

 「そうかー、おれ、強いんやー」

 結人君と家族に勇気が宿った。

   ◇   ◇

 話を記者との再会の日に戻す。家に着くなり帽子とマスクを脱ぎ去り、手洗いを済ませると「さあ、やるでっ!」と“宣戦布告”する結人君。ドラゴンボールのテレビゲームだ。孫悟空を操る結人君に、記者は3戦ともボコボコにやられた。「魔人ブウには負けない」というプライドを見せつけた、この強くてかわいい孫悟空は、別れ際「また来てな」と余裕の言葉をくれた。【福田隆】=つづく(月曜掲載)





がんを生きる3 [2009年01月04日(Sun)]

息子、ゆうとの闘病を温かく励まし続けて下さった方々の中に、新聞記者の方がいました。
記者の福田さまの記事は、私たち家族を元気づけてくれるものも多く、この場をおかりして是非みなさまにも読んで頂きたいと思い、毎日新聞の許可の下ご紹介致します。
亜紀子

◆ 2008年04月28日 毎日新聞掲載

がんを生きる:/3 小児がん 患者家族、医師らでNPO/「やればできる」未来の医療へ夢込めて

 田村結人(ゆうと)君(7)=茨木市=は乳幼児に特有のがん「神経芽腫(がしゅ)」を患っている。化学療法の効果で現在は落ち着いているが、再発の不安は消えない。免疫も弱いためマスクや手洗いは必須だが、事情を理解する学校や友だちの協力で、元気に通学している。

 父太郎さん(36)は結人君の闘病をきっかけに、同じ経験を持つ家族や医師らと力を合わせ、化学療法と生活の場を融合した理想の施設「チャイルド・ケモ・ハウス」(通称チャイケモ)作りを進めている。活動のきっかけは、ある医師から太郎さんに向けられた強いメッセージだった。

  ◇   ◇

 3年前の05年春。結人君が入院していた阪大病院(吹田市)の楠木重範医師(33)=小児科=は、小児がん治療の未来に絶望しかけていた。厳しい労働環境に加え、人材や設備の集約化、医療の質の標準化が進まない。そして退職の波。そんな時、患者家族の口コミで、太郎さんがNPO活動に詳しいことを知った。

 太郎さんは阪神大震災をきっかけに、外国人との共生社会作りに向けた活動を始めた後、NPOや企業の社会貢献活動のサポートを手がけていた。病院には普通の生活がなく、ストレスから逃げられない雰囲気で、震災後の避難所の様子と重なった。太郎さんも改善の必要性を感じていた。

 「子どもたちのために、理想の医療施設を実現したいんです」との楠木医師の訴えを、太郎さんは「やりましょう!」とがっちり受け止めた。05年12月、患者家族、医療関係者、建築家らによる研究会を発足し、2カ月に1度会合を開いて準備を進め、06年11月、楠木医師を代表とするNPO法人「チャイルド・ケモ・ハウス」を設立した。太郎さんも理事に名を連ねた。

 子どもから「子どもらしい生活」を奪うことがいかに残酷か。患者家族や医療スタッフの経験を生かし、チャイケモでは、家族と生活しながら化学治療を受けられるような「病院であり、家である」施設作りを目指す。設置事業費は8億〜10億円。楽観視できる額ではないが「第1例を作って『やればできる』ことを証明し、後に続いてほしい」と、楠木医師の決意は揺るがない。

 チャイケモには、現時点でがんの治療に取り組む子どもたちだけでなく、未来の子どもたちの医療への夢も込められている。【福田隆】=つづく(月曜掲載)

がんを生きる2 [2008年12月30日(Tue)]

息子、ゆうとの闘病を温かく励まし続けて下さった方々の中に、新聞記者の方がいました。
記者の福田さまの記事は、私たち家族を元気づけてくれるものも多く、この場をおかりして是非みなさまにも読んで頂きたいと思い、毎日新聞の許可の下ご紹介致します。
亜紀子

◆ 2008年04月21日  毎日新聞掲載

がんを生きる:/2 小児がん 「もっと自信を持とう」/周囲に支えられ、笑顔取り戻す

 桜の花びらが舞い始めた4月のある日、茨木市内の市立小学校で始業式があった。グラウンドには約2週間ぶりに、たくさんの子どもたちの笑顔が並んだ。マスク姿の田村結人(ゆうと)君(7)の姿もあった。

 そわそわムードの中、新2年生のクラスが発表された。先生が「先月まで入院していたお友達もいます」と言うと、結人君は友だちにつつかれながら、照れ臭そうに手を挙げた。「体育の時間にみんなと同じことができない時もあるので、知っていてくださいね」と先生。かわいい声で「ハーイ」と児童たち。結人君は免疫が弱いためマスクが欠かせないが、そうした事情もクラスは理解している。

 母亜紀子さん(34)は「結人は、友だちや先生たちに二重、三重に守られている。本当に感謝しています」と目を細めた。

   ◇   ◇

 結人君は2歳9カ月の時、乳幼児に特有ながん「神経芽腫(がしゅ)」と診断された。亜紀子さんら親族がショックを隠しきれない中、父太郎さん(36)は「自分はしっかりしていなければ」と平静を保った。

 診断後、付き添いの亜紀子さんを病院に残して、一人で帰宅した。インターネットで神経芽腫について調べ、一般的に治療が難しく、予後(病後の経過)も良くないことを初めて知った。客観的で具体的なネット情報は、あまりに残酷だった。「助からない」と思い、夜中に一人で泣いた。その後、太郎さんは仕事を休み、家族を守るために全力を注いだ。

 しかし、大人たちの落ち込みは結人君にも伝わり、そのうち、結人君から笑いが消え、話しもしなくなった。そんな時、ある知人から「結人君をリーダーにして、病気と闘うチームを作ったらどうか」とアドバイスされた。そして、「親がふびんに思うことが、子どもにとって一番つらい。結人も私たちも、何も悪いことはしていない。もっと自信を持って入院生活を送ればいい」と悟った。そこから家族は危機を脱した。

 「これだけつらい経験をしているのだから、今よりも良い医療作りに生かさない手はない」と太郎さん。同じ経験を持つ家族や医師らと力を合わせ、化学療法と生活の場を融合した理想の施設「チャイルド・ケモ・ハウス」(通称チャイケモ)作りを進めている。【福田隆】=つづく(月曜掲載)
がんを生きる1 [2008年12月15日(Mon)]

息子、ゆうとの闘病を温かく励まし続けて下さった方々の中に、新聞記者の方がいました。
「連載記事」「取材」を精神的に負担がかかっている闘病中に受ける事ができるのかなと最初は不安も少しありましたが、記者の福田さんはゆうとへの取材は5分程、あとはいつもカメラをほおったらかしてゆうとと夢中で遊んで下さいました。そんな福田さんの記事は、私たち家族を元気づけてくれるものも多く、この場をおかりして是非みなさまにも読んで頂きたい思い毎日新聞の許可の下、ご紹介致します。
亜紀子

◆ 2008年04月07日  毎日新聞掲載

がんを生きる:/1 小児がん 家族の幸せ、一瞬で暗転/経験生かし理想の医療施設実現へ

 イチローが大リーグ・シアトルマリナーズと正式契約を結び、日本中の注目を集めていた00年11月、府内の病院で3200グラムの赤ん坊が産声を上げた。固く握っていた妻の手を放し、「男の子や!」と声を上げる夫。看護師が体をふくと、赤ん坊は勢いよくおしっこの「噴水」を披露し、お祝いムードは最高潮に達した。指をしゃぶる表情はなぜかしかめっ面で、とにかくかわいくてたまらない。その名前には「人と人を結びつけるような存在になってほしい」との思いを込めた。

 田村結人(ゆうと)君(7)=茨木市=は太郎さん(36)、亜紀子さん(34)夫婦の長男だ。2歳になったころ、走ったり跳びはねたりする動作が、他の子どもより「ちょっと遅れてるかな」と感じたが、「運動が苦手な両親の特徴を遺伝したのだろう」くらいに思っていた。

 夏になると、38度前後の熱が続いた。「夏風邪かな」と思いながらも、鼻水やせきがないことから、納得できないでいた。すると、両目のまぶたが腫れてきた。血液検査の結果の紙を持つ医師の手は震えていた。「鉄分不足ですか?」との問いに「そんな簡単なもんじゃない」と医師。結人君はみるみる弱り、おなかがふくれた。そして、2歳9カ月の時、乳幼児に特有のがん「神経芽腫(がしゅ)」と診断された。おなかのふくらみは、腫瘍(しゅよう)そのもので、がんの段階は既に最も重い「ステージ4」だった。亜紀子さんは取り乱し、泣きわめいた。太郎さんは結人君を動揺させまいと、努めて冷静さを保った。当たり前の幸せが突然、暗転した。

   ◇  ◇

 発病から4年半が経過した3月末、記者は大阪大学病院の小児科病棟に、結人君を訪ねた。同じ入院中の友だちと頭をくっつけて、ゲームに夢中だ。自宅に外泊することもあったが、ようやくこの日、退院となった。化学療法などの効果で、地元の小学校に通えるまで回復したが、完治したわけではない。退院後も通院治療に加え、マスク、手洗いなど感染防止策は欠かせない。結人君は、医師や看護師、院内学級の先生たちに笑顔で見送られ、跳びはねるように病棟を後にした。

 田村さん家族は、がんをきっかけに、同じ経験を共有するたくさんの人々と出会い、思いを分かち合ってきた。名前に込めた思いを反映するように、結人君が生み出した人の縁は、化学療法の場と生活の場を融合させた理想の医療施設「チャイルド・ケモ・ハウス」(通称チャイケモ)の実現に一歩ずつ進んでいる。【福田隆】=つづく(月曜掲載)
「退院」 [2008年11月30日(Sun)]

たくさんの方々のご支援のおかげで、ゆうとは無事退院することができました。
これまでのいろんな経験から、退院してもすっきりと安心できずにいましたので、ブログでのご報告が遅くなり申し訳ありませんでした。

退院の目処がたった頃から、ゆうとは「退院したいけど、さびしくなるなぁ」と病院を歩きながらつぶやくこともありました。私も、外泊で家に帰っても退院後への不安からか急に涙が出たり、イライラしたりという日々もありました。

そして退院の日、本当にたくさんの方がゆうとに「おめでとう!がんばったね!」と
笑顔を下さいました。お医者さん、看護師さん、検査技師さん、CLSさん
院内学級の先生、付き添いのお母さん、入院中のお友達、、みんなみんな大切な人ばかり、
たくさん私たちに力を下さった人ばかりです。
ゆうとへ「あなたは世界で一番強い小学2年生です!」という言葉も頂きました。その言葉や見送ってくださる皆さんの笑顔の中に、「こんなに頑張れたんだからこれからも大丈夫だよ!」という励ましも感じ、「さぁ、また新たな気持ちでがんばろう!」と思うことができました。

夕方暗くなり二人で病院を後にしようとした時、ゆうとが私の手を握って
「かあちゃん、病院も楽しかったな。。。」と言いました。たくさんの「人」の温かさが、苦痛の多い病院の思い出に、楽しく温かなものを加えてくれました。

この1年間私たちを支えて下さった医療スタッフのみなさま、付き沿いご家族、
入院中のお友達、院内学級の先生方、地元校の先生方、ご近所のみなさま、小学校のお友達、天国にいるお友達、私の旧友たち、、、

そしてブログの記事を読みながら、ずっと心配し、応援してくださった皆様、本当に本当に
有難うございました。この場をお借りして、心からお礼申し上げます。

亜紀子
「自分の力で」 [2008年10月22日(Wed)]

一昨日、ゆうとはマルクの後の傷が珍しく痛み、自分で立つこともできない状態でした。
(ほとんどの場合、マルクの傷跡は痛みません)
車から私が抱っこで降ろすと、痛いのと悔しいのとで私に捕まりながらポロポロと涙を流していました。痛みがつらいのだと思う私は、早く痛みをとってあげようと痛み止めをすぐに用意しようとしました。

「痛み止めを飲んだら、らくになるよ」と早くお薬を飲むようにすすめた時のゆうとの言葉に驚きました。

男の子「かあちゃん、おれ、自分の力で治したいねん」
女の子「え?」
男の子「かあちゃん、くすりは大事やし、痛いのん治るのもわかるねんけど、おれ、自分の力で治したいねん」
女の子「え?それって、今の痛いのんもやけどもっと手強い敵でも?」
男の子「それこそやん!」
女の子「・・・・・」

移植中、移植後、お薬によって痛みを軽減したり、感染を予防したりということがどうしても多くなります。
飲み薬が増える負担もありますが、ゆうとはお薬を避けたいというよりも、本当に元気な体になりたいのでしょう。
お薬によってではなく自分で自分の体をコントロールしたい、という気持ちをその言葉から感じました。
ゆうとの涙は、痛みもありますがそれ以上に自分自身の体が自分の意思や行動とは全く別のところで痛くなったり、元気になったりしていることへの悔しさが大きかったのかもしれません。最近、お薬に頼りがちな私でしたが、ゆうとの力もきちんと見てあげないといけないな、、と思いました。

たくさんの人に助けられていることを身にしみて感じているゆうとが「自分の力で」と言ったことを大切したいです。
なかなか難しいですが。。。
また我が子に新たな課題を突きつけられた気分ですバラ

亜紀子ひまわり



移植 [2008年09月17日(Wed)]

みなさま、こんにちは。
ご心配をおかけしたままでごめんなさい。
前回の「子ども、時々ケモ」に書きましたが、ゆうとは7月11日に移植をしました。
7月中は、移植前におこなった厳しい化学療法の副作用と闘っていました。
副作用が少しずつましになってきた7月末、今度は移植した臍帯血の立ち上がりによる炎症のため腹水と胸水がたまりだしました。

ベッドに寝たきりになって、3週間。
精神的にも肉体的にも、かなりきつい状態での腹水は、想像を絶するつらさだったと思います。移植前から、夜中に頻繁に起きる生活が続いていましたが、腹水がピークの時はまる3日間ほとんど眠ることができず、夜が不安で不安でたまらない、、
「地獄のような日々」という言葉があてはまってしまうような毎日でした。
「お腹が爆発しそう!」
「かあちゃん、しんどいなぁ。。。」
「病気ってなんであるんやろう。」
と、精神的にぎりぎりと感じさせる言葉ばかりが出てきます。

親子でつらかった日々を支えてくれたのは、病棟のスタッフと仲間たち。
「ゆうとくん、眠れないんやったら一緒になんかしてあそぼうか!」と明るくトランプを
してくれて看護師さん。
「ゆうとくん、おばちゃんの子どももゆうとくんと同じびょうきなんだよ。
わたしたちもがんばるから、ゆうとくんもがんばってね。」とお手紙をくれた病棟のお母さん。そんな力に支えられて、8月中旬には腹水もひき、少しずつ元気になってきました。

その後の回復は驚く程早く、心配を抱えながらも今では外泊もできるようになっています。

「移植」とひと言で言っても、一人一人の子どもの状態や病気、年齢などにより、副作用や心身の負担、回復は違うと思います。
私たちのことは一例として考えて頂ければと思います。
私自身、移植で学んだことがたくさんあります。まだまだ消化できていませんが、少しずつこのブログにも書き綴ってゆきたいと思います。

亜紀子

なつやすみ [2008年07月20日(Sun)]

夏休みが始まりましたね。
去年の夏休みは、ゆうとは再発がわかる直前で何も知らず、虫あみをもって外を走り回り、
毎日ラジオ体操に学校のプール、剣道、そして海へ旅行、、と夏休みを満喫していました。
3才で発病して以来、一番元気に楽しく過ごした夏休みでした。
子どもにとって一番楽しい「なつやすみ」。自分の子どもの頃を思い出しても、楽しい思い出がたくさんです。
でも、この夏、ゆうとは腹痛と下痢とともに夏休みを迎えました。
7月11日に移植をし、その前処置のきつい化学療法(抗がん剤治療)のために、全身の痛みと下痢、吐き気、高熱との闘いの日々が、10日以上続いています。
開きづらい口を開いて「かあちゃん、、、なつやすみおわってしまうなぁ。。。」と言います。
私はあふれそうになる涙を必死でこらえ、「ゆうと、大人はなつやすみって夏休みにお休みとれへんねんで。夏休みじゃないときに、お休みにするねんで〜」というと、看護師さんが「そうそう、私の夏休みは先にとったからもうおわちゃったぁ」と気の利いた一声。
「そうなんやぁ。。」という少し意外そうな表情のゆうと。
「ゆうと、ゆうとの夏休みはこの部屋から出ておうちに帰れるようになったら夏休みにしよう!院内学級も学校も休んで、ゆうとの夏休み!!」と言うと、痛みをこらえてにっこり。
「でも、、このお部屋にいるうちに夏休みの宿題しておこうか、夏休みはあそびまくりたいもんね!」というと「ひっさんもする。」とゆうと。(ゆうとは算数が苦手です笑顔

今日、入院生活に必要な物を買いにショッピングモールに行きました。
夏休みに入って、海などに旅行に行く準備の買物をしているようなご家族を見るたびに、正直涙が出そうになります。
「なんでかな、、なんでこんなに違うんかな。。。」と思ってしまいます。楽しそうに見えるご家族でもそれぞれ見えない悲しみがあるだろうから、そんなふうに思いたくないのですが、まだまだ未熟な私です悲しい
ゆうとだけが可愛そうなのではありません。
先日病棟に七夕の笹が飾られ、入院中の子ども達が短冊を飾りました。
短冊には
「プールに入れますように」
「まぐろが食べれますように」
「外であそべますように」
と、ありふれた、どこにでもある日常がたくさん書かれていました。
誰一人として、贅沢なお願いは書いていませんでした。

チャイケモでは、あたりまえのことができない子ども達が少しでも「あ〜、病気になってもいいことあったなぁ」と思えるような瞬間をたくさんたくさん作りたい、、、そう思います。
さぁ、自分たちだけの夏休みを目指して今週もがんばります!太陽
みなさまも夏バテに気をつけて、1週間がんばってくださいね!ひまわり

亜紀子
子どもの気持ちと親の気持ち [2008年06月17日(Tue)]

先日、3週間だけ小児科病棟に医学生の方が来られました。
ゆうともその先生のことが大好きで、たった3週間でしたがとてもよく遊んでもらいました。今週から、小児科を離れ皮膚科に実習に行かれたのですが、午後に小児科病棟に顔を出して下さいました。
「あっ!先生や!」と喜ぶゆうと。私も「ゆうとと一緒に写真をとってくださいますか?」とお願いしました。
先生の横に素直に並ぶゆうとが言った言葉は、
「点滴、撮らんといてやぁ怒り!」
自分とつながっている点滴を写真に写してほしくないというのです。
「わかったよ〜」と軽く流しましたが、何度も「点滴、はいってない?」と言います。
撮った写真はあたかも点滴がついていないようなショットで、ゆうとは大満足でした。

その時はそのことについてあまり深く考えませんでした、ゆうとを寝かせて、こうして1人でコンピューターに向かいながら、ふと気になります。点滴がついているほうが「普通」の病院で、なぜ点滴のことを気にしたのかな、、、

今日、同じ病室の子が「この部屋で1人だけ仲間はずれの子がおる〜」と言いました。
「ゆうとくん! だって、髪があるから〜」
ゆうとは治療の期間が少し空いたので髪が生えていて、他の子は治療中なので髪がほとんどありません。その言葉にゆうとは「そやなぁ〜。おれ、普通に学校行ってる子みたいに髪あるもんなぁ〜」と、とても嬉しそうでした。

そんなゆうとの姿を見ながら、複雑な気持ちになります悲しい
これから長くて厳しい治療生活、元気な頃の生活から長く離れてしまうなら、できれば病院の生活に馴染んでほしい、点滴だって、髪の毛だって、どうだっていいと思ってほしい、病院で親友をたくさんつくってほしい、、、最近そんなふうに思ってしまいます。

病院でも楽しそうにしているゆうと。髪がないときも帽子もバンダナもかぶらず、平気そうなゆうと。IVHカテーテルの管をつけながら、地元の学校に行っても何も気にしていなかったようなゆうと。でも、口に出さなくても「元気になりたい、元気になってみんなと同じように早く学校に行きたい」と思っているのだなぁと感じてしまう場面があります。そんな時、親はどんなふうに自分の気持ちを整理し、どんなふうに子どもを支えていけばいいのかなぁ、、と、まだまだわからないことが多いです。
少しずつでも、子どもの気持ちに寄り添えますように、、、太陽

亜紀子