• もっと見る
« チャイケモ感謝グッズHP | Main | 寿雄»
<< 2020年09月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
nayuno
オープンハウスです (11/29) mn
【 模擬家族プロジェクト(看護師対象)の募集! 】 (05/10) かな
8月の建設現場にて (08/28)
24時間テレビ (03/05) まさみさま
新年です! (02/14) s.kusuki
小児がん治療の集約化(後) (02/09) ゆっきー
小児がん治療の集約化(後) (02/07) いつこ
新年です! (01/10) s.kusuki
産科病棟にて (12/05) nico*nico
産科病棟にて (11/29)
最新トラックバック
24時間テレビ [2011年08月24日(Wed)]

先日、24時間テレビで息子、結人をご紹介頂きました。

当日は、笑顔と涙がいっぱいの放送となりました。
放送内容にあたり不安なことはたくさんありましたが、等身大の結人を伝えていただき、
出演者や関係者、視聴者の方々の温かい涙がとても心強く感じました。
心よりお礼申し上げます。

本当はチャイケモのことをもっと紹介したかったのですが叶わなかったので、この場をおかりして、24時間テレビを見られて初めてこのブログにたどりついて下さった方が
もしおられたらお伝えしたいことがあります。

あの放送の中では、ご紹介できませんでしたが、私たちチャイルド・ケモ・ハウス(通称チャイケモ)は、小児がんの子どもと家族が、治療中でも家族ですごすことのできる専門施設の建設を目指しています。

現在の小児の入院病棟では、子どもと一緒に病院で付き添えるのは多くて一人、病院によっては日中の面会だけで夜は両親は付き添えないところもあります。

私の家族は結人と主人と三人家族でしたが、私が夜、付き添う時は主人が帰り、主人が付き添う時は私が帰るという生活でした。

病院から出れない結人を残して家に帰るのは本当に心が痛み、結人も「今日はかあちゃん、帰るん?かあちゃんもでいやん(お父さん)も一緒に三人でここで寝れたらいいのに。」と
何度もいいました。

また病棟は12歳以下の子どもは入る事ができないので、兄弟がほとんど会えない上、家族の生活の大変さははかりしれません。
入院中は、外泊時以外はそんな生活が毎日続きます。
それは亡くなる前日まで。。。
小児がんの子ども(小児がんだけではないと思いますが)と家族は、あとひと月しか生きられない、もう明日どうなるかわからない、という時でさえ家族はバラバラで過ごさないといけないのです。

そんな環境をなんとかしたいと、私たちは「小児がんの子どもと家族が家族らしく治療ができる」施設の建設に5年以上前から取り組み始めました。
家族が一緒に笑顔ですごしながら、治療のできる施設を一日でも早く作ることができるように、これからも活動していきます。

みなさまのご理解とご協力をよろしくお願い致します。

亜紀子
チャプレンの方のことば [2010年06月15日(Tue)]

先日、神戸YMCAにて淀川キリスト教病院のチャプレンである藤井理恵様の講演会に参加してきました。藤井様は、死を前にした人々に寄り添い続けて20年。講演の中で、子どもをもちながら、40代にして死を目の前にされた女性のお話を教えてくださいました。我が子を残して自分だけ離れる孤独感や自分の存在がなくなるということへの悲しみから、精神的な苦悩におしつぶされそうになっていたその女性に藤井さんがかけられた言葉。それは「存在はなくならない。信じるものは死んでも生きる」という言葉でした。その言葉を聞いた後から、女性は「子ども達に手を出してはあげらなれないが、死んでも一緒にいられる。」と思われたそうです。

私事になりますが、息子、結人が亡くなってこの16日で7ヶ月になります。「見えない、触れられない、声がきけない」ことがとてつもなくつらく寂しいという想いは消えるばかりか深まるような気さえします。それでも、元気に遊ぶ子どもを見てつらくなる時、活動の中で壁がある時、「結人ならなんて言ったかな。病院でどうしたかったかな。あの時、一緒に入院していた○○ちゃんならどんなことが喜んだかな」と考えることで、またなんとか前に進みだすことができます。天国にいった子ども達の存在は、いろいろな場面で私を助け、支えてくれています。

「存在はなくならない。信じるものは死んでも生きる」
私はその言葉を信じようと思います。

亜紀子
「今から、ここから、、」 [2009年12月03日(Thu)]

大変ご心配をおかけしております。
この3ヶ月間、いろいろな事がありました。
自分のすべてを犠牲にしてでも生きていてほしいと思った最愛の息子、
結人は、先月11月16日午前7時54分、天国へ旅立ちました。
ご報告が大変遅くなりました事、お詫び申し上げます。

肺炎による呼吸困難になり、10月18日に人工呼吸器をつけてから約1ヶ月間、
言葉が出せない、目がほとんど見えない中で私たちはコミュニケーションを取りました。
つらくて苦しいその1ヶ月間に、「大切なことは、心で感じること。目に見えなくても、声が聞こえなくても、心で見て聞くこと。」を学びました。
「あと1日か2日」と言われた時を経験し、こちらも何度か覚悟をしました。
親子ともに治ると信じて走り続けて来た6年間。そんな結人に言い残したこと、それは「もう病気との闘いは終わり」ということでした。
「もうがんばらなくていいよ。結人は病気に勝ったんやで。かあちゃんももう心配せえへんよ。」というと、本当にほっとしたような顔をしていました。
それから数日後、結人は私の膝の上で静かに息をひきとりました。

発病から6年、再発から2年、厳しい治療を受けつつも、お友達とおもいっきり遊び、楽しんだ結人。
小学校が大好きで、できない事が多くても一生懸命通っていた結人。
病気と真っ正面から向き合い、再発以降は「自分の治療がうまくいけば、他の同じ病気の子どもにも役に立つ。」と自覚し、前向きに治療を受けた結人。
書道と剣道が大好きで、手に点滴の針をつけながらお稽古を続けていた結人。

そして、主人と私の覚悟ができるまで、旅立つことを待っていてくれた結人。

子どもを失った親は、子どもを失ったことそのものの悲しみ、寂しさとともに、
子どもが病気に苦しんだ姿を思い出し、また苦しみ、、、そのつらさは私もまだまだこれから何度となく味わうのだと思います。
それでも、子どもが残してくれたものは悲しみだけではないことが私を支えてくれています。

結人が亡くなった日に以前主治医だった先生から、
「つらいと思いますが、『立派な田村結人』のかあちゃんなので、なんとかがんばってください。」と言われました。
この言葉を聞き、確かに結人から与えられた宿題はたくさんあると思いました。

「今からやで、かあちゃん。ここからやで、かあちゃん。」
朝、鏡の前の結人の写真が私にそう言います。
「うん。そうやな。ここからやな。」と私も応えます。

悲しみ以上に確かなものがここにあることを信じて、これからも「結人のかあちゃん」を続けてゆきたいと思っています。

最後になりましたが、今まで応援して下さった皆様、本当に有難うございました。
私たち家族がここまでがんばれたのも応援してくれた皆様のおかげです。
深く深く、感謝致します。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。

亜紀子

もうひとつの強さ [2009年08月30日(Sun)]

「体が弱い子は病気になりやすい、病気知らずは元気な子。」
おそらく普通はそう考えられると思いますし、私もずっとそう思っていました。
学校でも病気をしない、いつも走り回っている子どもは「体の強い子」。
入院治療などを繰り返している子は「体の弱い子」と思われていると思います。

でもきつい治療を繰り返す結人を見て、最近ふと思います。
「本当は結人の体ってめちゃくちゃ強いんじゃないかな。」と。
化学療法(抗がん剤治療)は、この5年間で15回以上。
手術、放射線を経験し、大人なら耐えられないと言われる大量化学療法を2回、
移植も2回乗越えました。
それでも調子の良い時は元気に飛び跳ねています。

結人だけじゃない、闘病を繰りかえす子どもたちはみんな、
本当は「心身ともに強い子」なんだと思います。

学校でも、「病気の子も強い子。大変な治療をがんばっている強い体と心の子」と
子どもたちに教えてもらえたら嬉しいな、と思います。

亜紀子
特別支援教育セミナー「親の立場から」 [2009年08月11日(Tue)]

 特別支援教育セミナーin「関西」の感想です。
ブログの活動報告のもあるように先日@特別支援教育セミナーin「関西」にパネリストとして出席させて頂きました。私は「小児がんの親」という立場で呼ばれました。チャイケモについて話す時は、目標や活動状況などとわかりやすくまとめて話さないといけません。でも今回のテーマは「私そのもの」を話せばいいので、作らず、飾らず、自然体でお話させてもらいました。(もちろん、緊張はしましたがドキドキ小

 私が話した内容は、初発のショック、日常に戻れた喜び、再発のショック、院内学級の大切さ、地元校の楽しさ、院内学級と地元校の狭間での苦労、お友達への「がん」の説明などにまつわる結人の様子と親の想いです。

 なんの資格もない、あるのは大病を経験している子どもとの泣き、笑いの生活だけの私の話は、どんなふうに会場にいる方々に届くのだろうと、内心不安でした。

 病院、家、幼稚園、学校、初発、再発etc、の写真を見て、結人の事をよく知ってくれている院内学級の先生が「私の知らない結人君がたくさんいました」と感慨深げに言って下さいました。出席者の教育者の方々は熱心に聞いて下さいました。そして、パネリストとして出ておられた専門が小児がんではない小児科医の方々も感想を下さいました。

 私たち、小児がんの親には、私たちにしかわからない事がたくさんあります。きっと人にはわかってもらえないだろう、勇気を出して話したけど反応にがっかりした、やっぱり経験者しかわからない悲しい」と感じることは少なくないと思います。
 でも、勇気を出して話をすれば私たちの悩み、つらさを感じてくれる人がたくさんいることを今回のセミナーで実感しました。悩んでいるのは、つらいのは私たちだけではないこも。そして、それを変えようと動いてくれる人達がいることも。
 
 小児がんの子どもたちが過ごしやすい学校、生きやすい社会を作ることに、私たち親も出来る事があるのではないかな、、と嬉しく思えた1日でしたラブ 

亜紀子
オレって幸せ [2009年07月08日(Wed)]

先日の入院から、退院して2週間がたち、
化学療法が効いたせいで、結人は元気を取り戻しました。
病院と家の往復の日々から、病院→学校→家という日が数日続きました。
入院生活が長かったせいもあり、家の中での遊びが中心の結人でしたが、
最近は外でボールを蹴ることもしばしば。
その日は特別調子がよく、学校→お習字→友だちと遊ぶ、と1日を満喫し、
夕方サッカーボールを蹴り終わり、お風呂に入る時に嬉しそうに言いました。
「かあちゃん、オレってなんてしあわせ〜笑い」と。

こんなに元気に過ごせる日は多くなく、採血はほぼ2日に一回。
手に点滴針を指したまま帰り、家で点滴をすることも多い毎日。
大好きな図工と音楽の時間は病院の外来でほとんど行く事が出来ず、
体育ももちろんみんなにはついていけません。
突然の入院に涙することもしばしば。
なのに、この言葉???
きょとんとする私に、
「こんなにいろいろ出来て、オレってしあわせやなぁ〜。なぁ、かあちゃん!」
そう言いながらお尻をふって、お風呂に入る姿に、
「出来ない事より、出来る事に感謝、、だなぁ〜ドキドキ小」とまたもや結人に気づかされましたまる

亜紀子
かあちゃんの幸せ [2009年07月02日(Thu)]

先日、結人の調子が悪くなり、緊急入院をしました。
入院先の医療者のみなさんは、とても優しく
私たちを迎えて下さいました。
4日間の入院でしたが、部屋移動がありました。
最初は日当たりの良い明るい部屋でした。
移動した時は、日当たりの悪い暗い個室で、
トイレとお風呂はついているものの、暗くて使いづらい雰囲気で、
ベッドの頭の近くに汚物をあらう水道がありました。
トイレの汚物洗浄場所と同じような雰囲気に
目のやり場に困り、結人にも「そっちを向いて座らずに
窓のほうを向いて座ったら?」と言いました。
結人もさすがに「暗いなぁ。。あれおしっこ洗うとこ?うわぁ〜。。」
と驚きを隠せません。
でも、個室でしたので多少大きな声を出して笑ったり
遊んだりしても気を使わない、というのが助かり、
トランプやUNOで盛り上がりました。

UNOをしながら、私の中学生の時のクラブの話になりました。
男の子「かあちゃん、バレーボールしたかったけど、心臓がよわくて
入られへんかったんやろ?」
女の子「うん、じいちゃんがすっごい心配したからやめておいてん。
でもやっぱり自分のしたいことは、ちょっとくらい無理しても
しておけばよかった、って思うわ。ずっと『あの時バレーボールした
かったなぁ』って思ってるもん。」
男の子「でも、かあちゃん、その時バレーボールしてたら、かあちゃんの
人生変わってたかもよ。こんなに幸せじゃなかったかもしれへんで〜!
オレのかあちゃんじゃなかったかもしれへんし、そしたらチャイケモとかも
やってなかったかもよ〜。よかったやん、かあちゃん。」
その言葉と今いる環境のギャップに正直戸惑いながら、
思わず吹き出して笑ってしまいました。

世間一般から見た幸せとはほど遠い環境でいる私たち。
結人の言葉で、私は「幸せ」を人と比べて考えていたことに
気づきました。真っ白な状態で、自分自身の心の声を聞けば、
確かに私はとても幸せだと心から思いましたラブ

亜紀子
闘いを続けていくこと [2009年07月01日(Wed)]

大変ごぶさたしております。
息子、結人が昨年7月に臍帯血移植をし、
経過は良好だったものの腫瘍マーカーが上がりだしたのは
昨年12月でした。
次に再発すれば、完治を目指す治療は難しいというのは
医療者の方々と私たち親の暗黙の了解でした。
なので、どうしてもしてほしくなかった再発。(実際には3度目の再発です)
その現実に向き合い続けて、半年が過ぎました。
この間、チャイケモの事務局の仕事の一切は任せ、治療に打ち込ませてもらいました。
治療といってもいわゆる大学病院で行なわれる標準治療(化学療法、
放射線、手術、移植)を行なってもしぶとく出て来たがん細胞にたいしての
治療に、はっきりとした計画はありません。
その時、その時、効果的な治療を考えていく必要があります。
インターネットで情報収集をする日々。化学療法のタイミングなども
先生と相談し、うまくいくときもあれば効果が出にくいときもあります。
結人が元気な顔をしている時はやっていけるのですが、
顔色が悪かったり、しんどそうな時は不安で不安でたまらず、
経験者のお母さんに電話をし、大泣きします。
お子さんが天国に行ってしまったお母さんに言われた言葉、
「がんばれるのがうらやましい。がんばれるんだから
がんばって!」。
結人のブログ記事にたいしてのありさパパさんのコメント
「闘いを続けていきたいよ。ね。応援してる♪」。

どんな励ましよりも強く、背中をおしてくれるそんな言葉に、
「よし、まだまだがんばるぞ〜!!」と力が湧いてきます。
天国に行った子どもたちとそのご家族からのエールのおかげで、
前向きに、闘いを続けている毎日です。

またいろいろご報告させて下さい。

亜紀子
がんを生きる7 [2009年03月24日(Tue)]

息子、ゆうとの闘病を温かく励まし続けて下さった方々の中に、新聞記者の方がいました。
記者の福田さまの記事は、私たち家族を元気づけてくれるものも多く、この場をおかりして是非みなさまにも読んで頂きたいと思い、毎日新聞の許可の下ご紹介致します。
亜紀子

◆2008年07月22日  毎日新聞掲載

がんを生きる:/13 小児がん 「魔人が暴れだした」/抗がん剤の副作用と闘いながら成長

 阪大病院に入院し、乳幼児に特有ながん「神経芽腫(がしゅ)」と闘う茨木市の田村結人(ゆうと)君(7)。人気アニメ「ドラゴンボール」に例えた闘病生活は、円滑にスタートした。結人君は主人公・孫悟空で、がんは難敵の魔人ブウ。寂しさや苦痛に向き合うつらさは、なかなか手ごわいものだった。

 「かあちゃん、魔人ブウが暴れだした気がする」。今月初旬のある日。結人君はこう言うと寝転び、熱、痛み、苦しさに襲われ、吐き気と軟便でほとんど眠れない夜を過ごした。抗がん剤の副作用だった。血液検査をしたところ、確実に効果が表れていた。「今、やっつけてるで! 結人、勝ってるで!」。主治医や両親の応援を聞きながら、結人君はひたすら耐えた。

 再入院してから、母亜紀子さん(34)は結人君の成長を度々感じた。「いつ帰れるか、先生に聞かなくていいの?」と聞いても「それはかあちゃん、わからへんわ」ときっぱり。「これまでは『帰りたい』って泣いていたのになぁ」と亜紀子さん。しかし、病室はどうしても無機質になりがちで、結人君は学校のクラスメートへの手紙に「一人べやはくらくてさびしいです。空気をきれいにする風をだすきかいの音がうるさいです」と書いた。

 そんな中、院内学級の先生のベッドサイド授業や、子どもの入院生活全般を支える専門職「チャイルド・ライフ・スペシャリスト」の来訪は、結人君の心に潤いを与えている。

  ◇   ◇

 結人君の闘病生活をどう伝えるか。記者と結人君の両親は、取材の度に話し合った。父太郎さん(37)は初対面の時、「結人がどれだけ多くの人に支えられて治療を受け、学校に通えるようになったか。そう考えると、ちゃんと実名で記事に出て、周囲の皆さんに説明したい。ごまかさないんだ、逃げないんだ、と示したいんです」と話し、小児がんへの理解促進のため協力する決意を語ってくれた。今回、厳しい治療を前に、結人君は「これからのしんどい時のことも書いてほしい」と言ってくれた。

 今、その結人君が苦しみに耐えている。太郎さんは「闘病の厳しさを伝えるために」と、ベッドにうずくまる結人君の写真を送ってくれた。現場の厳しさを伝える写真があるなら、それを掲載するのが新聞の基本だ。しかし、載せるべきか迷った。母亜紀子さんは「落ち着いてから、結人の意見を聞いてみてはどうか」と提案した。戦いは長い。今度「攻撃に耐える孫悟空の姿も、かっこいいと思うけど、どう?」と、聞いてみようと思う。【福田隆】=つづく(月曜掲載)

がんを生きる6 [2009年02月17日(Tue)]

息子、ゆうとの闘病を温かく励まし続けて下さった方々の中に、新聞記者の方がいました。
記者の福田さまの記事は、私たち家族を元気づけてくれるものも多く、この場をおかりして是非みなさまにも読んで頂きたいと思い、毎日新聞の許可の下ご紹介致します。
亜紀子

◆2008年07月13日  毎日新聞掲載

がんを生きる:/12 小児がん 「どう戦うかは、オレが決める」/主治医との作戦会議で決意

 乳幼児に特有ながん「神経芽腫(がしゅ)」を持つ田村結人(ゆうと)君(7)=茨木市。5月中旬に阪大病院に再入院し、今月、本格的な治療が始まった。

 今月5日、記者は結人君と電話で話した。「しんどくない?」「しんどくないで。何ともないわ」「いい感じやな?」「いい感じで進んでる」「(病気に)勝てそうやな?」「それはわからへん。たぶんやっつけれるわ、勝てそうや。まあ、わからんけどな」「結人君、強いもんな」「まあな。またテレビゲームやろうな。もう切るで」。相変わらずのクールな「ガキんちょ」口調に、ホッとした。

  ◇   ◇

 結人君は本格的な治療に入る前、自宅に一時帰宅した。そして、6、7月に誕生日を迎える仲良しの友だちに、プレゼントを渡した。ある友だちは、玄関口まで来てくれた。感染防止のため、近づくことはできない。それでも2人は、ラジコンのゴキブリを飛ばし合ったり、頭に虫取り網を掛けたりして、30分間ほど遊んだ。2〜3メートル離れたまま遊ぶ様子からは、子どもなりに、互いを思いやっていることがよく分かった。そして、こう告げた。「オレ、明日からしんどくなるから、しばらく会われへんからな」。船乗りのような粋なセリフを残し、結人君は決意を固めていった。

 この連載でも何度か紹介しているが、結人君は、人気アニメ「ドラゴンボール」になぞらえて闘病生活を送っている。結人君は主人公の孫悟空。がんは、相手の力を吸収しながら強くなっていく手ごわい敵「魔人ブウ」だ。

 きつい抗がん剤を使う前に、主治医との「作戦会議」が開かれた。個室に移り、外泊はできない。結構きつい治療になる。主治医はこう説明し、「1人で戦うんじゃない。みんながついている」と言葉を添えた。結人君は真剣に聞き、「最初は弱気なふりで行って、後で本気で行った方がええな」と作戦を決めた。「どうやって戦うかは、オレと(主治医の)先生で決める。かあちゃんたちはいい情報があれば、くれるだけでいい」。こうして、治療はスムーズに始まった。【福田隆】=つづく

| 次へ