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たくさんの企業の協力 [2007年12月27日(Thu)]

先日、アトランタであった米国血液学会で、太田先生に1年ぶりにお目にかかり、チャイケモのその後の活動についていろいろお話を伺いました。改めてスタッフの皆様にエールを送りたいと思います。

さて、学会閉会後、会場の近くに買い物に出掛けたのですが、そのお店の入り口で緑色のセントジュードのロゴを見付けました。


以前に紹介したThanks and Givingのキャンペーンが今年も始まっていて、それに協力して下さっているお店のようです。入り口だけでなく、売り場のスタッフも全員同じロゴのバッジを着けていました。買い物をしながらスタッフの人に、「セントジュードに勤めている者です」と話すと、とても喜んでくれて、このキャンペーンやセントジュードについていろいろ話が弾みました。

テレビCMだけでなく、今年はYouTubeのバナーにもこのキャンペーンが登場しているのを見掛けました。そして、下のリンクにある通り、IT企業、百貨店、スーパーマーケット、コンビニエンスストア、レストラン、宅配ピザ店、チョコレート会社、自動車用品店、キッチン用品店、航空会社、プロスポーツなどなど…、たくさんの企業がこのキャンペーンに協賛し、様々な形で募金活動に加わって下さっています。

http://www.tg.stjude.org/supportingpartners_flash.shtml

勿論、企業側にも宣伝効果などのメリットがあるのでしょうが、このように、セントジュードのような病院運営には、収益を社会に還元しようというたくさんの企業の協力が大きな役割を果たしています。

今年もいよいよ押し詰まって来ました。
皆様、良いお年をお迎え下さい。

by Hiro, in Memphis
社会への公開と還元 [2007年11月27日(Tue)]

私の義妹がハワイで暮していた時、米国人の友人たちにセントジュードのことを尋ねると、殆ど全員がこの病院のことを知っていたという話を聞いたことがあります。有名なのは知っていたのですが、そこまでだというのには少し驚きました。

院内を歩いていると、毎日のように見学ツアーの人たちを見掛けます。2人組くらいから大人数の団体まで様々ですが、職員が引率して院内を回り、時々立ち止まっては説明をしています。見学の人たちも真剣に耳を傾け、熱心にいろいろ質問をしています。病棟や外来診察室には私自身も入れないので分からないのですが、恐らくそれら患者さんの治療に影響のある場所以外を見学しているのでしょう。こちらに勤務し始めた直後は、「メンフィスは名所も少ないから、セントジュードが観光ツアーの中に組み込まれているのだろうか?」とも思っていたのですが、どうもそうでもないようで、この病院に寄付をしてくれたり、各地でボランティアとして支えてくれたりしている人たちのようです。

また、院内では、私たち研究者や医師のためにさまざまなセミナーが催され、勉強することが出来るのですが、これらはインターネットで全世界に無料公開されています。小児がん等に携わる医療従事者であれば、登録・承認されることで、以後これらを録音音声付のスライドで視聴することが可能です。私がこのことを紹介した日本の小児科のドクターも登録して、勉強されているとのことです。

寄付で支えられている病院ですから、社会に出来る限り公開・還元し、そのことにより病院への理解をさらに深めたいということなのでしょう。

by Hiro, in Memphis

Chili's Grill & Bar A [2007年10月03日(Wed)]

9月24日の夜、Chili’s レストランへ行って来ました。9時を回っていたのですが、行列が出来、ドライブ・スルーにも車が沢山並んでいました。地元の同僚によると「月曜の夜に混んでいることなんてまずないから、セント・ジュード効果に違いない」とのことでした。

しばらくして順番が来て案内されましたが、店内はお客さんの楽しそうな話し声・笑い声で本当に賑やか。座席に着くとテーブルには、恐らく今年のチャリティーが始まった9月に入ってからずっと置かれているのでしょう、”Create-A-Pepper to Fight Childhood Cancer” のキャンペーンを示す案内が立ててあり、ナイフ・フォークを包んだナプキンには、セント・ジュードのロゴが印刷された帯が巻かれていました。隣のテーブルに目をやると、高校生くらいの男女のグループがケーキを食べながら、何やら一生懸命塗り絵をしています。塗っているのはこのレストランの唐辛子のロゴマークで、1枚何ドルかの募金になるようです。ふと見上げると、店の天井いっぱいに、9月に入ってから塗られた凄い数の唐辛子マークが、まるで万国旗のように飾られていました。Tシャツやdog tagなどのグッズ販売も募金となるようです。

食事の方ですが、私たちが注文したのはバーベキュー・リブとタコス。普段はメンフィス・スタイルのドライなリブを食べることが多いのですが、スパイシーなソースのウェット・リブもなかなか。タコスも予想以上に美味しく頂けました。

店を出る時に「当店では1万2千ドルの募金が目標です」というポスターとともに唐辛子を模ったグラフが張ってあるのを見つけましたが、そのグラフは既に9千ドルを達成したことを示していました。

by Hiro, in Memphis

チャイルドケモハウスでは現在応援メッセージを募集しております。
http://www.kemohouse.jp/cgi-bin/regist_members/regist.html

詳しくはこちら http://blog.canpan.info/kemohouse/archive/341
Chili's Grill & Bar [2007年09月07日(Fri)]

先日、出勤して職場のパソコンを立ち上げると、「9月24日には、Chili's レストランへ食事に行きましょう。ご家族やご友人にも声をかけて下さい!」という全職員宛のEメールが届いていました。「何のことだろう?」と思ってSt. Judeのホームページを覗いてみたら、その理由が書かれていました。

このレストラン、名前から想像すると何だか料理がとても辛そうなので、私自身は食べに行ったことがないのですが、全米各地に店舗を展開しているレストランチェーンで、メンフィス市内でもよく見かけます。そして、2002年からメンフィス地域の店舗でSt. Judeへの支援活動を開始し、04年にはその活動を全米に拡大したそうです。これまでに、1000万ドルの募金を集めただけでなく、毎年9月のある日、その日の収益を全額St. Judeに寄付しているとのことです。さらに、昨年、St. Jude始まって以来最大となる10年間に5000万ドルの寄付計画を発表し、新しく建設された臨床・研究棟に、このレストランの名前が冠せられることになりました。

そして、今年は9月24日、全米で売り上げた収益が寄付されます。レストランのホームページを見ると、いろいろなメニューがありそう…。是非、その日に食べに行ってみようかなと思っています。

http://www.chilis.com/


by Hiro, in Memphis

チャイルドケモハウスでは現在応援メッセージを募集しております。
http://www.kemohouse.jp/cgi-bin/regist_members/regist.html

詳しくはこちら http://blog.canpan.info/kemohouse/archive/341
アルバート・プホルス選手 [2007年08月02日(Thu)]

今日は私の大好きな野球の話です。ここメンフィスにはレッドバーズというプロチームがあります。ダウンタウンのすぐ横を流れているミシシッピ川を300マイル北に行ったところにあるセントルイス・カーディナルス傘下のAAAチームで、現在カーディナルスでメジャーリーグ史上通算勝利3位の名将トニー・ラルーサ監督の全幅の信頼を得、ここ一番の勝負どころで攻守に起用され、期待に応える本当に良い仕事をしている田口壮選手も、渡米直後の2年間は主にこのチームでマイナー生活を送りました。

そのようなわけで、こちらでは自然とカーディナルス・ファンになっています。そのカーディナルスで不動の3番ファースト、押しも押されもせぬチームの中心打者なのが、アルバート・プホルス(Albert Pujols)選手です。27歳、身長190.5cm、体重104kgの大男、背番号は「5」。2001年のメジャーデビュー以来6年連続での3割・30本塁打・100打点は史上空前の記録で、この若き右打者がいなければここ数年のカーディナルスの隆盛、そして昨年のワールドシリーズ制覇はなかったと言っても過言ではないでしょう。そのプホルス選手に、とても良い話があります。

ドミニカに生まれた彼は、貧困のどん底に育ちましたが、野球のお蔭で奨学金を得て、16歳でアメリカ・カンザスシティーに移住しました。18歳の時、彼はカンザスシティーのラテン・ダンス・クラブで、21歳のデイドルという女性と出会い一目惚れしました。彼は自分の年齢に嘘をついてデートにこぎつけ、何とか交際へと発展させることが出来たそうです。やがて彼は本当の年齢を告白。すると、デイドルも「隠していたことがある」と打ち明けました。 実は彼女にはイザベラというダウン症の娘がいるというのです。彼はそんな2人を心から受け入れて結婚し、メジャーリーグ屈指の有名選手となり、2005年にダウン症児とその家族の生活を支援するための基金を設立して、ダウン症の子供たちへのチャリティー活動を続けています。敬虔なクリスチャンでもある彼は、現在年俸の10%を寄付しているそうです。

http://www.pujolsfamilyfoundation.org/

まさに、気は優しくて力持ちという表現がぴったりですが、この話を聞いてから、打席に立つプホルス選手がますます頼もしく見えるようになりました。

現在、チームはナショナルリーグ・中地区3位。首位ブルワーズにはかなり差をつけられていますが、彼の頑張りによる奇跡の逆転、地区4連覇、リーグ・ワールドシリーズ連覇を信じて応援しています。

by Hiro, in Memphis
臨床の現場より F [2007年07月04日(Wed)]

前回まで6回に分けました「臨床の現場より」ですが、まずはこのブログで紹介することを快く承諾して下さいました、○○先生に改めて感謝します。以前にも書きましたように、彼は私と同い年で、この夏からSt. Judeのスタッフに採用されます。先日、あるプロジェクトで、病棟担当メンバーの一員として彼が、研究室担当メンバーの一員として私が名前を連ねました。彼はわざわざ研究室まで足を運んでくれて、「一緒に頑張ろう!」と激励に来てくれました。本当に嬉しい話です。私も一緒に良い仕事が出来れば、と心から思っています。

さて、「臨床の現場よりE」を書いてから暫く時間が経ちました。7回目をこのシリーズのまとめにすることは決めていたのですが、なかなか筆が進みませんでした。日本の現場から離れている立場でありながら、このような記事をたくさん書くことが「盲目的なSt. Jude礼賛」となり、日本で頑張っていらっしゃる先生方に失礼になるのは本意ではないという思いと、そうならないようにまとめるのがどうにも難しかったからです。

私たちここで働く日本人小児科医は、このような病院を日本でも実現したいと強く感じました。その理由は、うまく表現し難いですが、小児がんの患者さんを助けることをミッションとして全職員が働き、それを寄付・ボランティアを通じて社会の人たちが支えることの素晴らしさであり、豊富な物量とマンパワーによって提供される医療サービスの高さへの憧れです。

しかしながら、一方で、これは寄付金からの圧倒的な物量があってこそ可能なのであって、それを現状のままの日本でもというのは土台無理な話だと思います。小児血液腫瘍の分野では、日本の医療スタッフは、限られた医療資源の中で本当に限界一杯まで頑張っておられます。私が駆け出しだった頃と比べても、患者さんに提供できる治療内容も、安全対策や説明、その他のサポート体制もどんどん進歩しています。それに伴い、医療スタッフの業務量もどんどん増えています。その一方で、医療費に関しては抑制することが善とされています。患者さんが求められる治療や安全対策などの医療水準はこれからも高くなるでしょうし、医療側も可能な限りそれに応えるべきだと思います。しかしながら、このことと医療費抑制とが両立するとはとても思えません。これは小児血液腫瘍以外の分野でも同じでしょう。今回、豊富な物量があればこのようなことが可能だという実例を6回にわけて紹介しました。現在の日本で、現状以上の医療の向上は、マンパワーの充実なしには有り得ないと思います。もっと病院医療にお金をかける必要があるでしょう。小規模に分散している治療施設は患者さんのアクセスに配慮しながら集約する、などの工夫も必要かも知れません。

また、チャイケモには、日本での寄付金による小児がん病院という扉を是非開けてもらいたいと思います。St. Judeも最初は小さな病院でした。扉を開けた後は、少しずつでも大きな病院に発展して行ってもらって、既存の概念・規制にとらわれることなく、その理念を日本の社会の人々の前に具現して欲しいと思います。その時、私たちがSt. Judeで感じた思いを、そういった人々にも理解してもらえるのではないかと思います。

Hiro, in Memphis

Stanford St. Jude Championship [2007年06月07日(Thu)]

今日は、ゴルフの話を挿みます。

今週の木曜日から、メンフィスで、Stanford St. Jude Championshipが開催されます。
http://www.stanfordstjude.com/
PGA(全米プロゴルフ協会)ツアーのイベントでは、唯一非営利団体の名前を冠した大会で、それだけ、生命を救い治療法を見つけるというSt. Judeのミッションが、大会やスポンサー、社会にとって重要であるということを表しているそうです。

1年に1回のこの大会は、1958年にMemphis Openとして始まり、60年には当時St. Jude設立のための募金運動をしていたDanny Thomasに600ドルの寄付をしました。70年にはDanny Thomas Memphis Classicという名前になり、St. Judeだけのためのチャリティーになりました。77年には、当時のフォード大統領が、プロアマトーナメントでホール・イン・ワンを記録したとあります。その後、何度か大会名が変わり、昨年まではメンフィスに本社を置くFedExがスポンサーで、FedEx St. Jude Classicと言っていました。 これまでに、1650万ドルを超える病院への募金を集めたそうです。

ゴルフのことは全く分からないのですが、米国人の同僚によると、有名な選手がたくさん出場し、丸山茂樹、丸山大輔、今田竜二といった日本人選手も出場するようです。
http://www.stanfordstjude.com/index.php?option=com_content&task=view&id=91&Itemid=96

by Hiro, in Memphis
臨床の現場より E [2007年05月22日(Tue)]

先日、St. Jude病院の病棟担当のドクターから、骨髄移植を前にして白血病が再発してしまった患者さんについてある特殊な治療を試みたいのだが、それにあたって私達の研究室でよく使っている方法で準備を手伝って貰えないかとの依頼がありました。結局、技術的にクリア出来ない問題があって断念したのですが、非常に困難な状況になった患者さんを前にして、それでも何とかしたいという医療スタッフの思いは、国や病院が異なっても同じだなと感じました。

前回は、散漫にいろいろな事を書き過ぎました。小児救急についてはうまく伝わりにくかったかも知れませんが、トリアージという言葉を調べてもらえれば、もう少し理解して頂けるかも知れません。散漫ついでに書きますと、こちらにいても、日本の小児救急に関する話はインターネットを通じてたくさん入って来ています。ネットからだけでも相当深刻に感じますから、現場のリアリティは推して知るべしと思っています。行政が解決すべき大きな問題だと思っていますが、その中で心配な事があります。小児救急を求める声が大きい余り、小児がん患者さんに皺寄せが来るのではないかという点です。St. Judeの日本人仲間の間でも、出身施設などで、小児がん治療を専門にしていた施設やその担当医が新たに行政等の要請で小児救急の診療を開始したりする例を散見します。大学病院やその他の専門施設における小児がんの臨床は、決して片手間で出来るものではありません。一方で、小児救急も生半可なものではありません。業務を兼任することによる疲弊や、一般小児疾患の多くが感染症であることを考えると、小児がん患者さんの治療環境が後退するのではないかと危惧します。小児救急の問題解決の必要性に異論はありませんが、だからと言って、そのような治療環境の後退があってはならないと思います。

引用した化学療法剤投与におけるチェック体制の話は、前に勤めていた阪大病院でも、内科の一部で似たようなシステムが試み始められていたと思います。ただ、御多分に漏れず、予算もマンパワーも不足した大学病院ですから、その後継続されているのかどうか、小児科を含め他科にも運用が広がっているのかどうか、当時は難しそうに感じましたが、どうなっているでしょうか?

さて、引用記事です。これが最後の引用になります。

[患者のサポート体制]
St. Judeでは、患者及びその家族のサポート体制は非常に充実しています。まず、Behavioral Medicine(行動医学)という科があり、新患患者が来ると直ちにその科に属するソーシャルワーカーが患者のもとを訪れ、患者の家族背景(家族構成、患者の性格、保護者及び家族の教育歴や職業、経済的側面、患者をサポートできる親族の存在、宗教)などを調べ、個人に適したサポート体制を計画します。
チャイルドライフスペシャリストは、患者が子供らしく生き生きとした生活ができるような遊びや催し物などを通じてサポートします。人形を用いて、骨髄穿刺や腰椎穿刺、あるいは中心静脈管理の重要性を患者に教える遊びはメディカルプレイと呼ばれます。
St. Judeでは、2月あるいは3月のマルディグラ(Mardi Gras)、5月のシンコ・デ・マヨ(Cinco de Mayo)、10月のハローウィン、12月のクリスマスなどは非常に大きな病院のお祭りです。そして、患者の誕生日や、化学療法最後の日の“No More Chemo”パーティーは、チャイルドライフスペシャリストを中心に医療スタッフが突然患者のいる病室に“突入”し盛大に祝います。また、チャプラン(Chaplain)という宗教的なサポートを行う人たちもいます。なお、病名の告知は理解可能であれば原則として全例に行っており、これが患者と医療スタッフのコミュニケーションを比較的スムーズなものにしています。
その他、患者の病気が長期寛解に入り治療が終わると、医師とソーシャルワーカーが晩期障害の評価を行ったり、社会適応を助けたりする1年おきのクリニック(ACTクリニック)、年に1回小児悪性腫瘍の生存者が集う“Survivor day”、そして残念ながら亡くなられた患者の家族が集う“Day of Remembrance”もあります。


by Hiro, in Memphis

臨床の現場より D [2007年04月09日(Mon)]

「臨床の現場よりC」に関連して、外来化学療法中の敗血症性ショックについてコメントを貰いましたので、その件に関して質問してみました。まず、特に外来化学療法中で白血球減少中の患者さんには、発熱したら直ちに病院受診するように強く指導している。また、遠方に滞在している患者さんであっても、どの地域のERに受診しようと、学会レベルで化学療法のため白血球減少中の発熱患者に対する治療マニュアルが徹底しているし、そのような患者さんは優先して診て貰える。その上で、実際に敗血症性ショックにまで陥ることは殆どないとのことでした。

また、米国では念のための入院というのが、あまりないのかも知れません。こちらの病院で妊娠・出産された方の話によると、出産直後にトイレに行ってシャワーも浴びて来るよう促され、「え?」と戸惑っていると、「だって、シャワーを浴びないと気持ち悪いでしょう?」と言われたそうです。シャワーを浴びた後には、病室で赤ちゃんの世話を開始させられ、1泊したら退院。自宅で会陰部の消毒を自分でしたそうです。「あれでは、無痛分娩でないと持たない」というのが彼女の感想でした。

それから、ERで優先して診て貰えると書きましたが、ある人が耳かきで鼓膜を突き破ってしまってERを受診したところ、数時間待ちとされました。銃で撃たれた人など重症の患者さんが優先だったそうです。また、上に書いた赤ちゃんが大きくなって、ウイルス性腸炎でしょうか下痢・嘔吐の症状になった時に、やはりERに連れて行かれました。この子は本当に人見知りしない愛想の好い子で、私たち夫婦も大好きなのですが、ERでもその本領を発揮してしまったようで、受付で「比較的元気だ」とされて、やはり数時間待ちにされたそうです。トリアージという災害医療の分野から出た考え方・方法があります。私自身、渡米前には小児救急の仕事もしていましたが、実際のところ殆どの患者さんは軽症の患者さんでした。そして、現在でも同じでしょうが、それらを含めた全ての患者さんについて、どのようにして短時間で小児科専門医にアクセス出来るようにするかというのが大きな社会問題でした。米国のプライマリー医療については批判も多いし、何の経験もありませんが、もう少し、本当に小児科専門医による診療が必要な患者さんが確実に専門医にアクセス出来るシステムを作るという発想が必要ではないか、そうでないと不可能ではないか。そんなことを考えています。

脱線が過ぎました。引用です。

[化学療法、輸血の投与におけるチェック体制]
小児の悪性腫瘍の治療において、臨床医を最も悩ませるのが、患者のサイズが年齢・個人によって大きく異なることです。化学療法は、患者の体重や体表面積に基づいて計算され、もちろん悪性腫瘍やプロトコールの種類によって投与する薬剤も異なります。投与を間違えると、致命的な医療ミスに陥る可能性があるため、細心の注意を払わなければなりません。私が日本で働いていた頃は、主治医がプロトコールを確認し、それに基づいて薬剤部に薬のバイアルをオーダーし、そのバイアルから主治医が必要な量を取り、ナースに渡すという手順でした。この際、薬剤の投与に関与するのは主治医とナースの2人のみであることもありました。当時は私を含め、どの医師も化学療法の投与については非常に神経質になっていました。 
St. Judeでは、以下のような手順が踏まれます。1)主治医がプロトコールをもとに化学療法のオーダーを書く。このオーダーは実際の投与の72時間以内になされなければならず、オーダーした医師がフェローなどトレーニング中の身であればアテンディングのサインが必要です。2)このオーダーが薬剤部に届くと、プロトコールに照らし合わせて1人の薬剤師が、日程、薬剤の種類、投与量をまず確認します。3)そして、さらなる2人の異なる薬剤師によって、必要量の化学療法剤が処方されます。4)この薬剤が病棟あるいはメディシンルームに送られ、実際に患者に投与される際、2人のナースがプロトコールを読み、プロトコールの日程に即した薬剤であるか、さらに医師によるオーダーと処方された薬剤に記載された情報が同一のものであるかを確認します。5)すべての患者は名前、患者番号などが書かれたリストバンドをつけており、そのバンドを声に出して読んで本人であることを確認し、ナースが薬剤を患者に投与します。このように実際に薬剤が患者の体内に入るまで通常6−7人の確認を必要とします。輸血の投与も同様の確認作業を行います。St. Judeではこのシステムにより、化学療法剤や輸血の投与ミスは極めて少なく、米国内の他施設からこのシステムを学びに来ることもあります。

by Hiro
Martin Luther King, Jr. [2007年03月19日(Mon)]

Hiro先生より以下のメッセージとともに、ブログ記事をいただきました。
Hiro先生は、大学病院の仕事をほとんど知らない私に優しく指導してくださいました。
そして、いまはメンフィスから温かいメッセージをいただいていること、
感謝の気持ちでいっぱいです。

s.kusuki

「臨床の現場より」の続きを書くつもりでしたが、先生の記事を読んで、急遽変更しました。

「臨床の現場より」のシリーズの途中ですが、今日は余談を挿みます。

以前、週末に妻と近くの街で、ダウンタウンへ向かう電車に乗っていた時に目にした光景です。休日とあって、車内は結構混んでいました。私達の前の座席は初老の白人夫婦でしたが、ある駅で小さな赤ちゃんを抱いた黒人女性が乗って来ました。すると、その夫婦のご主人がさっと立ち上がり、黒人女性に座るよう促しました。「Thank You」とお礼を言って、女性は着席しました。電車に揺られながら、隣に座っている白人の奥さんの方が「可愛い赤ちゃんね。幾つなの?」と尋ねました。「5ヵ月です。可愛いでしょう」、嬉しそうに黒人女性は答えていました。

メンフィスに国立公民権博物館という所があります。黒人公民権運動の指導者キング牧師が1968年4月4日に暗殺された*モーテルを改装した博物館で、米国での黒人公民権運動史に関する展示の他、暗殺当日彼が宿泊していた部屋、撃たれたバルコニー、通りを挟み狙撃犯が引金を引いた部屋が当時のまま保存されています。展示では、リンチされ殺された黒人や、白人のみとされたバーのカウンターに恋人と座った為に、白人に頭から飲み物を掛けられている黒人青年の写真などショッキングなものばかりでした。それらの中に一台のバスの模型があります。そのバスは本物と同じく中に乗れるようになっていて、座席もあります。ところが着席すると、白人優先席に座った事を運転手から咎められます。それでも座り続けると段々怒声が激しくなり、最後には「降りないと警察に突き出すぞ!」と怒鳴られます。ガイドブックに書かれている通りとは言え、降りる時には本当に悲しい気持ちになりました。黒人公民権運動史における重要な出来事に、アラバマ州モントゴメリーでのバス・ボイコット運動があります。1955年、ローザ・パークスという黒人女性がバスの座席を白人に譲るのを拒否して逮捕された事を契機に、黒人市民がバス乗車をボイコットし、遂には連邦最高裁から公共交通機関での人種差別を禁止する判決を勝ち取りました。この運動を指導したのが、当時モントゴメリーの教会牧師だった若き日のキングです。やがて彼は全米の公民権運動を指導するようになり、1963年にはワシントンで「I HAVE A DREAM」の演説をします。

http://www.writespirit.net/inspirational_talks/political/martin_luther_king_talks/i_have_a_dream/

その一節です。

I have a dream that one day out in the red hills of Georgia the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.

この演説は余りにも有名ですが、もう一つ、彼が凶弾に斃れる前夜にメンフィスで行った演説を紹介します。私はこの演説を公民権博物館の映像資料で見たのですが、最後の部分では本当に鳥肌が立つのを感じました。

http://www.mlkonline.net/video-been-to-the-mountaintop-speech2.html

http://www.youtube.com/watch?v=n6yZ2YrKPlI

Well, I don’t know what will happen now. We've got some difficult days ahead. But it doesn't matter with me now. Because I've been to the mountaintop. And I don't mind.
Like anybody, I would like to live a long life. Longevity has its place. But I'm not concerned about that now. I just want to do God's will. And He's allowed me to go up to the mountain. And I've looked over. And I've seen the Promised land. I may not get there with you. But I want you to know tonight, that we, as a people, will get to the Promised land.
And so I'm happy, tonight. I'm not worried about anything. I'm not fearing any man. Mine eyes have seen the glory of the coming of the Lord.

現実には黒人差別も格差もまだまだ解消されていませんが、冒頭の光景を思い出すと、彼の願いは少しずつ実現しているように感じます。

チャイケモで社会を変えられるかどうか、困難かも知れませんが、先生の思いが少しでも通じて将来の患者さんに役立てば…。最初のメッセージ「I HAVE A DREAM」を寄せた時の気持ちです。

* 撃たれたキング牧師が運ばれた病院は、現在St. Judeの敷地になっている一角にあったそうです。

by Hiro, in Memphis
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