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おねえちゃんと、おじいちゃんおばあちゃん [2008年05月27日(火)]

移植の間、姉妹は長い間いつもよりさらに引き離されました。
父と母に連れられて面会にくるA(長女)は相変わらず妹には会えず、私から状況を聞くくらいしかできませんでした。「Sは?どこにおるん?なにしてんの?」移植病棟には談話室のようなオープンなスペースもありませんでしたので、私はAが来ると父の車を借りていつも車で15分くらいのショッピングモールまで遊びに連れて行きました。
Sはその間、父と母に看てもらいながらお土産を楽しみに待ちました。
せっかく面会に来ても一緒に遊ぶスペースもないことはとても不便なことでした。

お買い物に行く元気のないときにはホスピタルパークをぶらぶらとお散歩しました。クローバーがたくさんある公園で、いつも四葉のクローバーを探しながら歩きました。もっともっと私の体力がないときにはエレベータホールにある公衆電話用のパイプイスに腰掛け、お話をしました。
長女とは週に一回2時間程度の時間しか一緒にいることはできませんでした。「じゃぁね。また来るからね。げんきでおってね。Aちゃんもがんばるからね。。」とお決まりのセリフを残し、複雑な表情で小さな手を振りながら私が病棟へ戻る背中を見送りました。

私は父と母にどれほど救われた闘病生活であっただろう。。。と思います。Aを安心して預けることのできる環境がなければ、私たちの闘病生活は闘病というところ以外での不安やストレスでいっぱいになっていたと思います。
父と母がAをしっかりと受け止め、私たち親の替わりに愛情をたくさん注いで育ててくれたこと、Aの安全基地になってくれたこと。私たちの闘病生活を理解し、サポートし、気持ちを共有することを途切れることなくずっと続けてくれたことに心から感謝しています。。。父と母がいなければ成り立たない闘病生活でした。

Aと「また来てね。ばいばい。。。」と別れて、スリッパを履き替え、移植病棟の重苦しい自動ドアを開け、手を消毒します。できることならば開けたくないそのドア。できることならば行きたくないドアの中。でも中には私を待っているSがいます。
自動ドアから病室のドアまでの間の廊下で気持ちを切り替えました。「さぁ!嫌でも、何でもがんばらなあかんねんっ!!」

まさみさま
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