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「あそびのボランティアさん」と「CLS」A [2008年05月12日(月)]

しんどくて、しんどくて自分で起き上がることすらできない状態のときの採血でも、娘は、何とか力をふり絞り、泣き叫び必死で私に助けを求めました。医療スタッフはそれでも仕方がないので、そんな娘を数人で押さえ付け、時にはネットのようなもので身動きができないような状態に縛り、採血を決行しました。

私は娘の叫び声に後ろ髪を強くひかれながら退室をうながされ、自分も泣き叫びたくなるようなストレスの中、検査が終わるまで感情を押し殺し、待ちます。

検査はもちろん採血だけではなく、画像検査、骨髄穿刺などたくさんの種類があります。その検査のたびに親子は恐怖の時間を体験します。
「自分のこどもや孫がこのような状況に度々置かれることになれば、、」と想像して平気な親やおじぃちゃん、おばぁちゃんがいるでしょうか?

CLSの役割のひとつに検査の介入があります。
子供に絵本や写真、お人形、ときには本物の医療器具などを使い、わかりやすく検査についての説明をしてくれます。「なぜ検査が必要なのか?」「検査中には何がどのような順序で行われるのか?」「検査はどこでするのか?」などです。子供は事前にCLSからうけた丁寧な説明とその子向けのリラックスができたり、勇気がでるグッズをお守りに検査に挑みます。説明のおかげで恐怖はやわらぎ、痛むポイントやタイミングもわかります。検査が成功すれば子供の自信につながり、次からの検査がスムーズに進むと言うお話も聞きます。もちろん親も救われます。

CLSの役割は、もちろんここに挙げた限りではありません。こどもとその家族の気持ちの奥深くに寄り添い、闘病生活を送る上で遭遇するさまざまな問題に対して力になってくれます。ここにあげた側面だけから考えてもCLSの存在の必要性は言うまでもありません。医療者も、家族もどうしても解決できそうにないと思っていたこと。「病気なんだから仕方がない」で片付けてしまっていたこと。それに温かく、そしてプロとして寄り添ってくれるCLSの活躍を期待してやみません。

「もし、自分の子供が。もし、自分の家族が。もし、自分ががんになったら、、、」と言う視点で多くの方にCLSならびにチャイルド・ケモ・ハウスへの活動の意味をお伝えすることができれば。。と思います。

あそびのボランティアさんが娘に作ってくださった手作りの作品の数々。



まさみさま
「あそびのボランティアさん」と「CLS」@ [2008年05月08日(木)]

闘病中の子どもにとって「遊び」は大きな癒しです。
また、付き添いの親にとって子どもの「笑顔」は大きな癒しです。
子どもを癒す「あそび」と親を癒す「こどもの笑顔」はつながっています。
その二つを「あそびのボランティアさん」は、いつも私たちのもとまで運んできてくださいました。

私は闘病中、子どもの体を気遣うがばかりに、子どもから「あそび」を遠ざけてしまいがちでした。「今日はしんどいから、ゆっくり寝ようね。。」
でも、娘はどんなにしんどいときにも「あそび」を求めました。

病状も悪化し、とてもしんどい状況のときでも娘は「あしょんでもらう。。あしょんでもらいたい。。」と部屋先まで「今日はあそべますか?」と訪問に来てくださっているボランティアさんとあそぶことを望みました。
「ブロックしたい。ブロックしゅる。。」といいながらも、やはりしんどさには勝てず、座ったままボーっとしてしまう状態でした。「また今度にしようか。。今日はねんねしようね。」と説得しようとしても、どうしてもあそんでもらいたいと涙を流しながら訴えました。そこであそびのボランティアさんがとられた行動は「自分があそんでいるところを見せる」ということでした。娘はボランティアさんがブロックでなにかを作るところを見ているだけで満足そうでした。

チャイルド・ライフ・スペシャリスト(CLS)のお話の中にもありました「代理あそび」というものがまさにこれだったのだ。。。と思いました。この「あそびのボランティアさん」は後にアメリカへ渡りCLSとなられました。(つづく)

まさみさま
手をつなごう [2008年05月04日(日)]

ありさちゃんが点滴をつけながらドラえもんの映画を観に行ったのは一ヶ月半前。
ありさちゃんと入院中に知り合い、少し仲が良かったゆうとは「おれもいくぅ〜!」とありさちゃんと一緒に映画へ。映画に行く直前まで、しんどかったありさちゃん。なんとか痛み止めの点滴をしながら、映画館までたどりついてくれました。映画館で、ありさちゃんとお母さんたちを待っていたゆうとと私は、ありさちゃんの姿を見て「ほっ」。
「最後までしんどくならずに見れるかな、、、」心配しながらドラえもんの映画を観ていました。途中、ありさちゃんはしんどくなってきたのですが映画館の方がソファを持って来て下さいました。横になって映画を観るありさちゃん。遠くからありさちゃんを気にしながら、映画を観るゆうと。エンディングソング、絢香さんの「手をつなごう」が流れて来た時、ゆうとはありさちゃんのソファの所へ行き、一緒に聞きました。帰り際、「今度はクレヨンしんちゃんみにいこうな。」とゆうとは車椅子のありさちゃんにポソッと言いました。

ありさちゃんは今、病院でがんばっています。
ゆうとは、家と学校と病院でがんばっています。
ありさちゃんは、「次はゆうとくんとお隣の席でポップコーンを食べながら、クレヨンしんちゃん観るねン」と言ってくれました。
ありさちゃんのお母さんは「いつ行けるかわからないから、ゆうとくん先にしんちゃん観に行ってね」とメールをくれます。

でもゆうとは、きっと待っていると思います。
「一緒にクレヨンしんちゃんの映画を観に行く」
こんなに些細で可愛い二人の願いが、どうか叶いますように。。。
どうかこの願いが神様に届きますように。。。
そんな想いを持って下さる方が一人でも増えれば、願いが叶うんじゃないかという想いで、この記事を書きました。

最後に、、ありさちゃんのお母さんより「ありさの大好きな絢香さんにも想いが届きますように。。。」

亜紀子
どんな医者になりたいか? [2008年05月03日(土)]

新年度が始まり、はや1か月が過ぎました。
私も医師10年目を迎えることになりました。

『どんな医者になりたいか?』
結構よく聞かれる質問です。
私はずっと『自分の判断に自信がもてる医師になりたい』と答えてきました。

そう答えたとき、あるベテランの偉い医師から『自分の判断に自信はなかなか持てない。今でもいろいろな医師に相談している』との返事が返ってきました。

同じ病名でも、治療の反応性には個人差があります。
同じ治療をしていても、副作用が強い人もいれば、ほとんど無い人もいます。

絶対正しいと思われていた治療も、時代が変われば否定されることもあります。
医療に、人間の身体に『絶対』という言葉は無いのだと思い知らされてきました。

まだまだ若輩者の私ですが、少しだけそのベテラン医師の言葉の意味がわかった気がしている今日この頃です。

『どんな医師になりたいか?』
と問われれば、これからは
『ひとりひとりの生命を大切にできる医師になりたい』と答えようと思います。

あたりまえのことなのですが、、、

s.kusuki

あらためて一言 [2008年04月30日(水)]

1年間で、こども約1万人に1人が小児がんを発症します。
予防する方法はありません。
1人が小児がんを発症したおかげで、残りの9999人は小児がんにならずにすんだと考えることもできます。
小児がんになったことは不運ですが、不幸ではありません。
小児がんを発症したこどもとそのご家族にも、そう感じてもらえるように
残りの9999人のこども+大人たちは、少しだけでもサポートをするべきではないでしょうか。
がんになっても笑顔で育つことはできます。


s.kusuki

チャイルドケモハウスでは現在応援メッセージを募集しております。
http://www.kemohouse.jp/cgi-bin/regist_members/regist.html

詳しくはこちら http://blog.canpan.info/kemohouse/archive/341
「もっと自信を持とう」 [2008年04月28日(月)]

いつもご心配をおかけしています。おかげさまで結人は3月末に一旦退院し、現在は通院治療を受けながら少しずつ学校にも行ってます。親の心配はよそに本人はとても元気です
この度、チャイケモと結人のことが毎日新聞で紹介されました。(一番下にリンクしましたのでよろしければご参照ください)
新聞で紹介されている始業式には私も同席しましたが、記事の通りお友達や先生方にあったか〜く支えられて、結人は生き生きとしていました。小学校の先生方をはじめ、周囲の大人のサポートがあってこそ結人の不安や心配を最小限にできているのだと思います。大人の理解と努力が、クラスのお友達の理解につながっていることを実感した始業式でした。
小児がんの治療をがんばった、がんばっている子ども達、もっと自信を持っていいんだよ、、そう心から思い応援してくれる大人が増えることが、小児がんの子どもたちの自信につながるのだと思います。

亜紀子

毎日新聞・大阪版(2008年4月7日)
毎日新聞・大阪版(2008年4月21日)
毎日新聞・大阪版(2008年4月28日)
小児外科医から見たCLS A [2008年04月25日(金)]

CLSが初めて小児外科症例に関わってくれた事例を記します。男の子で、胸に大きな腫瘤が見つかったために緊急入院してきました。呼吸もかなり苦しそうです。仰向けに寝ると腫瘤の重みが心臓や気管(口や鼻から吸った空気を肺に送る管)に直接かかる状態で、座っているか横向きでないと息ができない状態です。とはいえ、病気の診断をつけるためには、頚部のリンパ節を採取して詳しく検査しなければなりません。つまり手術が必要なのです。ところが、全身麻酔で手術をするために筋弛緩薬(筋肉の力をなくす薬)を使うと、腫瘤の重みがもろに大きな血管や気管にかかり、一瞬にして心臓が止まったり、呼吸できなくなってしまいます。そのため、胸に大きな腫瘤がある患児については、局所麻酔だけで意識のある状態で手術をしなければいけません。そこでCLSにお願いをしました。術前にプリパレイションブック(絵や写真で手術室に行ってから病棟に帰るまでを絵本風にまとめた本)を使いながら、年齢に合わせて手術手順を説明してくれました。当日は手術室の中まで患児と一緒に絵本を持って付き添ってくれ、処置中も絵本を読み聞かせてくれました。担当の麻酔科の先生も全面的に協力してくれて、適度に鎮静剤を使いながら、少し眠るくらいの状態を保ってくれました。おかげで、処置をしている間、患児は少しも怖がることなく、夢見るような状態の中で全てを終えることができました。一旦パニックになったら、命に関わるような危険がある処置でした。そう思うとCLSの存在はどんなに高価なお薬よりも価値があったと言えます。その子はその後お薬の治療が奏効し、いまではすっかり元気になって、病棟を走り回っています。ほんとうにすばらしいCLSの手術場デビューでした。

とはいえ、現状では小児内科、小児外科系を合わせた阪大病院小児医療センター内に87床の病床数があり、これを1人のCLSでカバーするのは無理があると思います。毎日の病棟での検査や処置だけでも相当の数があり、1人ずつしっかりと時間をとりながら、患児の心に寄り添ってくれるCLSは何人居てもらっても充分とは言えない状態です。

大阪で、日本で、もっともっとCLSが増えて、病棟のこどもたちが笑顔でいられるように、怖がらないで検査や手術がうけられるようになってくれたらと願っています。

a.yoneda
小児外科医から見たCLS @ [2008年04月23日(水)]

ある日、同僚の小児外科医のお子さんが、心臓病のため手術を受けることになりました。

「ドナドナの歌やった。」

ストレッチャーに乗って手術室に運ばれていく我が子を見送った時の父親としての心境を、彼が振り返ってそう話してくれました。「ドナドナ」という歌は、「大切に育てた子牛が市場に売られていく」という内容の悲しい歌です。小学校で習った方もおられると思います。

毎日のように赤ちゃんやこどもたちの手術をしている小児外科医でさえも、自分のこどもが手術室に消えていく時に、このような心境になるのですから、一般のご両親はもっと不安が強いことと思います。まして、運ばれていくこどもたち自身は、「お母さんはなんでついてきてくれへんの?」「これからどんな怖いことが待っているのやろ」といった恐怖心でいっぱいになります。

手術室の入口で泣き叫ぶ子、或いはひきつった顔で固まってしまう子を見るにつけ、小児外科医としてなにかできることはないのだろうか?或いは看護師さんが何とかしてくれないだろうか?しかし自分達にそういうケアをしてあげられる時間的余裕はないし・・・というジレンマを常々感じていました。

「チャイルド・ライフ・スペシャリスト(CLS)」という専門家の存在を知ったとき、「これだ!」と感じたのを覚えています。そして小児病棟で実際にCLSが活躍するようになり、「ドナドナ」を解決してくれるのはCLSをおいて他に居ないと感じるようになりました。(つづく)

a.yoneda
海苔の佃煮? [2008年04月21日(月)]

「しばらくは海苔の佃煮のようなにおいがするんですよ。。。」
移植直後主治医の先生が言いました。「臍帯血を保存するためのお薬のせいです」
「ほんまに〜?何で海苔なん???」と半信半疑で話を聞いた数十分後、Sの全身から本当に海苔の佃煮のにおいがしだしました。しばらくすると部屋中にそのにおいがひろがりました。においの原因についてはいい気はしませんでしたが、子どもの頃からよく食べている海苔の佃煮のにおいはなぜか移植の緊張から私を救ってくれました。いまでも海苔の佃煮を見るとこの頃の想いがリアルによみがえります。

においは数日で消えます。

S(次女)は普段とあまり変わりなく過ごしていました。予想していたよりずっとスムーズに一日一日が過ぎました。ビニールカーテン越しのため、少しゆがんで見える大好きなアンパンマンのビデオをくり返し見ました。ベッドの手すりを小さい手でしっかり持って、柵から足を出しぶらぶらさせながら座っていたかわいらしい姿が目に焼きついています。。。

私はこの頃から小学生のころぶりに、編み物をはじめました。毛糸の帽子から始め、ベスト、セーター、コートと本当に色々と編みました。SもA(長女)も作品が出来上がるととても喜んでくれて、調子に乗った私はたくさんの毛糸を買い込んで、いつも二人おそろいに編みました。その頃からの作品のコレクションは今もしっかりと残ります。

「移植って思ったほど大変じゃないんや。。。」と思いかけたある日、Sが急に悲鳴を上げてあばれました。
びっくりして、ナースコールを押し、看護師さんや先生に診てもらいましたが、原因がわかりません。叫んで、暴れたかと思うと、何もなかったように機嫌が戻ります。
でも明らかに痛すぎる悲鳴です。夜中も突然叫び、暴れます。
擦るくらいしかできないまま、しばらく観察を続けると、おしっこの出が悪いことに気づきました。さらに、痛がるときはどうもおしっこの出るタイミングだということもわかってきました。そのことについて先生に相談すると「今投与中のお薬は排尿痛を起こすことがあるんです、、、」との説明がありました。
対処法を考えてもらいましたが、痛み止めを使用しようとしても、いつ起こるかわからないピンポイントの痛みに対しての対処は難しい、、、との事でした。それでも、ほんの少しでも痛みが和らぐかもしれない、、、と持続的に痛み止めのお薬を入れてもらうことにしました。

Sの排尿痛は約1週間続きました。
痛みもなくおしっこができるようになったときには、親子とも全身の力が抜けるほどホッとし、何の痛みもなく生活できることがどれだけ満たされているということなのかをしみじみと思ったのでした。

「油断できない、、、」と改めて気持ちを引き締め、白血球の立ち上がりを首を長くして待ちました。

まさみさま

取材って難しいですね。 [2008年04月18日(金)]

最近数件、チャイケモや小児がんについて取材を受けることがありました。
取材を受けることによって改めて、いろいろな事を思い返すきっかけになっています。
ただ、いつまでたっても慣れません。

先日も、
『最後にチャイケモに寄付したくなるようなコメントをもらえませんか?』
との質問を受け、正直言葉に詰まってしまいました。
『寄付したくなるようなコメントってなんだろう??』
私自身にできることは現状を伝えて、共感してくださった方から御支援をいただいていると思っているので、
この質問には困ってしまいました。現状を伝えることなんて一言ではむつかしいし、、、。

でもこれって大事なことだと思うので何かいいコメントないでしょうか??
でもこのあたりは、さすがにマスコミの方はプロで、長くなりがちな私のコメントをコンパクトにまとめてくださることが最近わかったので、
一言で言おうとせず、言いたい事を全部言うようにしています。

みなさまのご支援のお陰で、チャイケモの輪が着実に広がっていっていると実感している今日この頃です。
今後ともよろしくお願いいたします。

s.kusuki

チャイルドケモハウスでは現在応援メッセージを募集しております。
http://www.kemohouse.jp/cgi-bin/regist_members/regist.html

詳しくはこちら http://blog.canpan.info/kemohouse/archive/341
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