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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


言い訳を、つらつら [2023年07月31日(Mon)]

この3月に母親が亡くなり、既に4ヶ月が過ぎています。
林家の家長として、色んなことから逃げ続けてきていましたから、目の前のことを自分なりにひとつひとつこなして、やっとここまで来たのですが、まだここまでしか来ていないというのが実感です。

葬儀や、49日の法要や、その後に続く「初盆」「一周忌」「遺産相続の分配」、そして何よりも大変なのが、実家の家の中の片付け、遺品整理、敷地内の建物の処分、リフォームです。

生前より、母親の捨てられない性格は十分に理解して、何となく諦めて、言葉に出した事はありませんでした。
ところが、実際に片付け始めますと、よくここまで65年間捨てられずに、タンスに、衣装箱に、押入れに、書棚に、あちこちに、溜め込んできたものだと憤りを覚え、目の前の物品に、愚知をぶつけつつ、自分に言い訳を付けながら捨ててきました。

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袋に詰め込み、燃える物・プラ類・不燃と分別し、借家の干し場に積み上げた袋が、100個くらいか?
母屋の横には、食器棚・衣装ケース・スピーカー・冷蔵庫・洗濯機・机・唐津やガラスの壊れたものがずらりと並びました。
家内の押入れ2つには、人形ケース・布団がギッシリと詰まっていました。

私達2人が3カ月かかり積み上げ、置き直してきた努力の結晶でもあるそれらを、あれよあれよという間に、強者4人は、たった30分で、ゴミ収集車と2tトラックに積み込んで、気付けば、引き上げていかれました。

すっかり、ポッカリと空いた空間を見て、清清しい気持ちと共に、なにやら切ない思いも湧きあがってきました。
私も母親に似て、捨てることがきっぱりと出きる性分ではありません。
ここまで捨てなくても、もう少し時間をかけて選別することもできたのに・・・。

そういう意味では、途中から(早い内から)奥さんが手伝えってくれて、本当に助かりました。
3ヶ月という短い時間で、ここまでの整理を済ますことが出来たのも、奥さんのおかげです。
奥さんは要る物、要らない物の選別に、私情をはさむことがないので、常識の範囲で選別し作業を進めていきます。
その速度たるや、2倍速といってよいでしょう。

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母屋の中の整理は今回で終わりましたので、次に、庭の整理と雑草対応に取り掛かっております。
庭には雑多な置物・鉢・瓶・石が隙間なく置かれていますので、これを間引きし、適度な空間をもてるように整理しながら、もうつぶしてしまうところの木の伐採も進めています。

本当に一年かかりそうな作業に、空を見上げて、汗を拭いては、ため息が思わずついて出るのです。
ポリテクセンターの見学 [2023年07月31日(Mon)]

月の初めに、近所のスーパーにあったチラシを見ました。
それで、ポリテクセンター(国が運営する物作り職業訓練校:基本6ヶ月間:3ヵ月毎の随時入学)が、月2回見学説明会を開催していることを知りました。

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メンバーに聞きましたら、最近溶接の道具を貰い、興味があるというので、軽い気持ちで電話しました。
見学は誰でも出来ますが、まずは近くのハローワークで見学説明会の参加手続きをして来て下さいと云われました。

ハローワークでの手続きは、求職活動として、ハローワークに登録する為のものだったのです。
私達はまだ、求職活動までいっていなくて、色んな職業を見学したいだけでしたが、お願いしたいと説明しました。
分かりましたと、受付が始まると、入学後、就職後のことまで説明を求められて、困りました。

それには、「まだ、考えていません」と何回か答えている内に、登録は終わりましたとのことでした。
その登録したメンバーに聞きましたら、特に緊張もなく、落ち着いて話ができて、話しやすいおじさんだったそうです。

色んな質問を丁寧に聞いてくださり、答えにくいことはそのまま受け止めて、話を進めてくださっていました。
以前とは違い、面接の雰囲気がやさしく、職員さんの対応も柔らかく、話しやすくなったと私も実感しました。

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いよいよ6月の末に、ポリテクセンターの見学に二人で参加してきました。
女性4人男性6人が参加されていて、年齢も雰囲気もいろいろな方が参加されていました。メンバーは最年少でした。

参加者は就職に直結した気持ちで参加されていましたから、真剣さが私達とは違って、真剣さが伝わってきました。

教官から全体説明があり、その後現場見学及び体験があり、私達は、溶接と電気を見学しました。
リフォーム科、ものづくり設計、CAD(建築設計)等、6教科が用意されていました。

広い駐車場があり、殆どの方が自家用車で通学されていて、一部自転車の方もいますとお聞きし、本当に色んな方が、就職の為の訓練学習に、実践で学びに来られているのだと、現場での学習の雰囲気からも感じました。
人間ばかりの作品展 [2023年06月30日(Fri)]

さる6月11日、毎年恒例の総会・研修会を、近所の公民館で開催しました。
ゲストは、10年ひきこもった末に、自ら大阪に移り住み、カメラマンを目指しておられるNさんです。

去年、ひょっこり風月庵を訪ねてくださり、不登校・ひきこもり経験者を撮影させてもらっていますとの話に、私も撮影してもらったことがキッカケでした。

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先ずは、卒業制作で発表された作品を、スクリーン画面に映し出しながら説明をしてもらいました。
ひきこもり経験者の写真と人物写真の間に、心の中を投影した様な物や風景の写真が映し出されました。
丁寧に感受されていて、素直に表現しようとする姿勢が強く伝わってきました。 
ジンワリと心に染入るような作品と、その説明でした。

第1部はNさんの体験談で、不登校・ひきこもり時代からこれまでの経緯を、身近なエピソードを入れながら、言葉を選ばれ、ゆっくりと語りかける様に、お話しが進みました。

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ひきこもり初期時代は、起き上がることが出来なくて、一日
中寝ていました。(横になっていた)
お母さんはずっと自分を支えてくれていたと思うのですが、
当時はそれに気付いていませんでした。
お父さんは、兎に角、恐かったです。
恐すぎて、死んだ振りをして、拒否していました。

ある頃から、いい意味で親が諦め、以前の親の雰囲気に戻っ
てきているのを感じ始めました。
買い物に誘われて、行かないといった時も、二人で平然と出
掛けて行き、帰ってきました。
そんな日常が、ゆっくりと、楽にさせてくれました。

カウンセラーさんに出会い、自分の気持ちや考えをそのまま
共感してくださり、誰かを怒る、腹を立てる、攻撃することが出来始めました。

自分の心に余裕が出てきたのでしょうか、お笑い番組を、楽
しめるようになり、第七世代の出現には、驚かされました。
そうこうしている内に、皆も楽しんでいるのだから、自分も
自分の気持ちを優先して、楽しみたいと言う気持ちが積み上げていったようです。

写真と出会い、自分のような者も、個性として「おもしろ
い!」と、明るく、いい意味で評価してくれる体験が増えていきました。
卒業制作の撮影を通して、自分の話で人の気持ちを動かせる
ことも、知りました。
自分は写真で何かが出きるという自己効力感を、はっきりと
感じることが出来たのです。

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第二部は、参加者の自己紹介と感想や意見交換をします。
上映された作品の中でも、「2面性を捉えた川面」「防風林の中の草」「タンポポの綿毛」が心に残ったそうです。

感想では、「私は35歳に親に言えたので、20歳代で言えたことは凄い」「静かな、染入るようなお話・口調に引きこまれていました」「お笑いが好きで、お母さんと一緒によく観ていたの話が、印象に残りました」

質問では、あるお母さんから「来年はやりたいと言う言葉を信じても、先延ばしになり、不安になります」には、「今も、今日も頑張っていることを認めてもらいたい気持ちが隠れていますよ」「履歴書を書いたことが大きな一歩と認めてあげてください」との言葉に続けて、外出、仕事に行くことは、ずっと先の段階で、身近な一歩を大切にしてあげてください。

ひきこもることも、ある意味で、親と離れる、距離をもつことがよかったと思います。
今も、考える前に、とりあえず、動いてみよう、外に出てみようと思うようにしています。
小さなことも、自分で決めることが大事な一歩、一歩になっていくと思います。

ご本人の変化・成長が、分かり易い言葉で入ってきて、参加の皆さんも、各々の思いに納得されていました。

今も撮影は続けているので、いつかは「人間ばかりの作品展」を開催出来るように願っていますと、締めくくられました。
ボランティア・スタッフのクッション [2023年06月30日(Fri)]

訪問を始めて3ヶ月、スクーリングにチョクチョク来るようになって1年になるメンバーと、月1回(1時間)のカンファレンス(意見交換会)をしました。

ご本人とお母さんと、ボランティアスタッフH君と私の4人です。
お父さんが、休みの日に参加して下さったこともあります。

初回面談の3ヶ月程前から、クリニックにも自分が通院するようになり、そこでパンフレットを見つけ、申し込んでくださったとのことでした。

その流れで、初回面談の席に座って下さったご本人からは「不安が積み重なり、何をするにも不安が付きまとい、恐くて何もできないのです」と、細い声でゆっくりと言葉を大切に、話して下さったことが印象に残っています。

それこそが大きな挑戦だったと、私は受け止めていましたが、その後ご本人から、風月庵を見学したいとの提案を頂き、その後に、週1回と通ってくださるようになり、今年の4月からは、5時間週2回を通ってくださっています。

この一年で、私がご本人の行動や発言に信頼を寄せ、安心して見守ることが出来るようになっていました。
これには、私自身が驚いています。
勿論、ご本人の成長の結果だといえばそれまでなのですが、家族の支えや、ボランティアスタッフの役割、私の真剣さが少しは役立っているのではないかと思うのです。

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私の人生の転機になった30歳代の子育て奮闘談を話しながら、自分を信頼できる「生きる力」の実感(底力)を、10年かけてものにできたのではないかという内容を伝えました。

自分の新しい人生を歩み出したあの頃のがむしゃらな挑戦が、人を頼る経験が、自分で出来ることだけでもやり続ける気持ちの持続が、後半の人生を切り開いたと、今分かるのです。

25歳の誕生日を迎えた直ぐの彼が、72歳の胡散臭い爺やんの話を、どんな風に受け止めて下さったことでしょうか?
それは、ご本人にお任せするしかないのですが、もう一つ私が不思議に思い、感謝していることは、「ボランティアスタッフの役割」なのです。

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彼の働きなくして、ご本人と私の信頼は、ここまで育ってくることはなかったと確信出来るのです。
いろんな場面で、彼が、私とご本人とのクッションとなり、仲介・翻訳・衝撃吸収・解説・整理法・ごまかし方等々、直ぐ隣で、すっと私への対処方法を実演して下さっていたからです。

これは、私がどれだけの言葉と時間を費やしても伝えきれるものではない実績として残りました。

帰り道、そんな話をしながら、スタッフの彼と、お互いに、感謝の気持ちを伝え合ったのでした。
「ひきこもり」は、動かないのがいい! [2023年05月30日(Tue)]

「もう、自分は、どうなってもいい。」「どうかなる筈もなく、存在さえなくなればいいのに」「どう考えても、失敗するしか頭に浮かばないから」「とりあえず、死ねないから、生きているだけだから」等と真剣に思いつつ、全てのことに諦めている人の心を動かすのは至難の技であろう。

「動きたくない時は、動かないのが妙案である」
 良寛禅師のコトバに似たようなものがあった。

はてさて、そんな思い、気持ちに時間をかけて、てこをねじ曲げ、動かしてきた自分(私自身)は、一体どうしてここまで来たものかと振り返ると、頭を抱えてしまうのです。

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 動きたくない人間を無理に動かそうとすると、お互いにストレスになるのは当たり前ですね。
 ぶつかり、お互いの感情もすり減らすことになりますね。
 そんなことが続くと、憎しみも生まれたりしませんか?

 正直、ふっと、動きたくない気持ちも分からぬでもないのなら、いっそ、認めて、「お互いに、動きたくない気持ちは分かるよ」までで止めておきませんか。

 そこを、自分だって動きたくないところを、これではいけないと、自分に言い聞かせて頑張っているんだから、あなたも頑張って生きろ! 等と、自分の考えを押し付け始めるところから、関係が、気持ちが、ややこしくなってくる。

 人は動きたい時に動き、動きたくない時には動かぬ方がよいと、そのままに読み込めれば、それでいいのだ。
と、バカボンのパパの言葉が、天から降りてくる。

 しかし、凡人の我々は、それでは人に迷惑が掛かる。
自分の食いぶちくらいは自分で稼ぎ、自分の身の回りのことぐらいは他人様の世話にならず、自分の及ぶところで満足できてこそ、一人前に生きているといえるらしい。

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 誰がそんなことを言い、現実離れの教訓がまかり通るのだ?
 しかし、しかしだ、今の世の中で、他人様に迷惑をかけずに生きていられる人は誰もいない。

それならば、50歩100歩の違いであり、それ程の違いはなく、皆、全ての人間は他人様に迷惑を駆け回って、何となく、其々に、命をつないで生きていると、神の目からは見えるのでありましょう。

私は、何を言っているのでしょうか?
ただ、真剣に、
「動きたくない時は動かないのが妙案である」と、
1週間だけ自分に言い聞かせてみませんか?
その結果、どんな風に自分が変わっていけるのか、冒険するのは恐いですか?

でも、ひきこもっている若者に、冒険をしろ・挑戦しろといい続けているのは、「動きたくない時は動かないのが妙案である」と、言い聞かせる冒険(挑戦)をしていないあなたと、同じようにも見えるのですが・・・。

今回は、すごく投げやりな内容になってしまいましたね。
すみません。
そんな時もありますよねと、許していただけると助かります。
「対話」という泉 [2023年05月30日(Tue)]

私の通うキリスト教会では、毎週の日曜日礼拝の内、牧師が来られない日の礼拝は、信徒役員が「説き明かし」を用意して話し、参加者がその内容を分かち合い、自分達の学び(信仰)を深めることにしています。

今回は私の担当であり、いつも風月庵活動の中から、自分なりにつながって理解している心理的な成長を、ピックアップして紹介しています。

今年の風月庵は、「対話」を取り上げています。
「対話」とは、対等な関係で、互いを尊重し、相手の理解の質に配慮しながら、誠意を持って関わるところから、信頼関係が育ち、お互いの意見や気持ちを大切にして受け入れることが出来る話し方や関係性を表していると説明しました。

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その結果、お互いの受け取った「対話」の刺激が心の湖に深く沈んでいき、次に似たような経験や新たな人との出会いで、さらに腑に落ちる気づきとなり、時間と共に身についてくるのでありましょう。
そういう関わり方の総称として、「対話」と表現しています。

「対話」のない関わりでは、若者と一緒に体験し、励まし、誉めて、自信を持たせ、その積み上げがあったにせよ、社会への信頼や、自分への安心を実感出きる生き方が、備わって来るとは決して思えないのです。

「対話」を温めながら、仲間と一緒に体験し、適正に評価を受け入れて、自分の内側から、自身や信頼が、ゆっくりと泉の様に湧いて出てくるところを想像してみてください。
これらの作業や活動の中には「対話」が存在しているから、自らの心の泉が湧き出ることになるのです。

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逆に言えば、ある時、沈んで見えていなかったものが、ゆっくりと表面に現れて、泉の様に「生きる力」が湧き出てくるようになった時、その関係性や、会話の質をもって「対話」といえるものではないでしょうか。

お互いの心に、湧き出る泉として、刺激を与える「生きる力」の種が「対話」であり、その種が、時という太陽と、愛という水によって、環境という大地の中から命として育ってくるものとなるのでしょう。

抽象的で分かりにくい説明になったと思いますが、次のような状況下では、人の気持ちを動かせる泉にはならない様に思えるのです。

気持ちのこもらない声掛け、話すだけ・聞くだけの一方通行の会話、配慮や思いやりの欠けたお喋り、存在を無視した関わり、単なる情報提供のテレビニュース、時の流れを伴わない判断、経験や想いを無視した評価、血の通わない言葉の審判等々には、「対話」という温もりが伝わってこないと思いますから。

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メンバー(利用者)も、家族(親)も、スタッフ(支援者)も、お互いに泉の湧く関係であることを守り、「対話」を温め、育てていく活動として、根付いてくれることを祈っています。
もうひとつの「対話」という切り口 [2023年05月01日(Mon)]

以前の研修で、フリースクール「まなび場」の幸伊知郎さんの「対話の場をつくる」という話が、とても気になり、今年の風月庵スクーリングのプログラムに「対話・個人クラス」を設けました。

「対話」とは、「話」よりも「対」にポイントを置いて見つめてもらいたいとの説明に、納得できました。
「対」とは、「1対1」「対等」「対峙する」「対面」「対応」「対比」「対決:向かい合う」等、そこに自分が向かい合い、直面するというイメージが、私には見えてきました。

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「体験」して、自分の気持ちに対面し、向かい合い、素直に生まれ出る気持ちを、率直に言葉にすること(コミュニケーション)を「対話」という様に思われました。

話を、単に言葉の伝達や、巷に流れる情報の提供だけで終わらせず、生の話でやり取り(相互の心地よい刺激が得られる)をすることで、自分の心の奥から気持ちや実感を通して流れ出た言葉をアレンジしてやり取りすることを、私は「対話」と読んできた様に思う。

「雑談」もコミュニケーションとしては大事なことなのですが、それに加えて、「会話」の要素(双方向理解)が取り入れられて、「対話」へとコミュニケーションを成長させていってもらいたいのです。

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4月に入って、プログラムをそしゃくすることを進めていた時に、一冊の本に出会いました「14歳の教室」(どう読み、どう生きるか)若松英輔著が、それです。

この本には、私が求めてきた「対話」というエッセンスが盛りだくさんに隠れていました。
読み進むにつれて、いろんなことがつながって動き出す感覚を覚えたのです。

この本は若松英輔さんが、ある中学3年生のクラスで、生徒達と共に、7回に分けて行なった授業内容だそうです。

さて、風月庵では、スクーリングは勿論のこと、家族会でも取り上げて、この「対話」について1年間、考え、話し合い、生活の中で身につけていけたらと願っています。

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私は、生活の中で、少しずつ、「対話」をいうコミュニケーションが身に着いてきたら、様々な人間関係の問題がゆっくりと紐解かれていかれる様に考えられるのです。

それは、22年間「ひきこもり」と対話してきた私の直感といえるものなのです。
「卵が先か、鶏が先か」ではなく! [2023年04月15日(Sat)]

風月庵でも、新学期は、4月から始まります。
成績表や卒業証書も、始業式や卒業式もありません。
そんな中でも、去年の一年を振り返り、これからの一年を、本人、家族、スタッフで話し合う時間をもちます。

その振り返りの時間で、Y君グループでの話しです。
「この一年間で、随分と気持ちが楽になってきて、いろんな
ことをやってみようという気持ちになってきた。」というのは、ご本人からの言葉です。

 お母さんからは、「色んなことで、緩んできたなと思います。」「昔は、出来たところをできたと認められずにいたのに、最近では、これでいいかなと認められる様になったから。」との言葉に続いて、「視野が広がったね。」と、感想が述べられました。

 スタッフは、「全体的に、柔らかくなった感じです。」と、発想や、考えや、行動や、態度が柔軟になったとの感想です。

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 何かをしようと考えても、不安がそんな考えを押し込んで、何をしても意味がない、きっと失敗するからと、行動に移すことに、きわめて慎重な態度に、立ちすくんでいました。

 今のY君からは、「調子がよくなったから、人と関われるようになったのか? 人と関わるようになれたから、調子がよくなってきたのか?」どっちなんだろうと、質問が出ました。

みんなの意見を総合して考えてみましょう。
 柔らかく、柔軟に物事を捉え直せるようになったことが、変化し始めたポイントのようです。
 人と関われるようになったからではありません。
 しかし、人と関わることが、以前よりは明らかに楽になってきたことも確かなので、こちらは結果と判断できます。

 情報や知識を得て、理解をして、行動をして、体験をして、次々と学習していく人が、成長していくとは限りません。
 ポイントは「物事を捉え直せる」柔軟性のようです。

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 学びとは、自分が自分を信頼し、自分の中で柔軟に変化させる「物事を捉え直せる」ことのようです。
 自分の回りから変わるものではなく、自分の中から、奥から変わってくるものなのでしょう。
その学びは、お互いの関わりの中で、お互いの信頼感が、お互いの心の奥へと沈み、各自のものになっていくと、互いに響き合うことで、「身に着いた」といえるのです。

あなたの成長は、あなたが自分への信頼を育ててきて、ある瞬間(とき)にジュワッと爆発した、心の化学反応によって、生まれてきたのでしょう。

人の心の化学反応は、「卵が先か、鶏が先か」ではなく!
自分への信頼が育ってきた、ある時、外からの刺激と共に、心の中の化学反応が起きて、成長の結果が目に見えてくるのです。

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言えることは、目に見えるものが人を成長・変化させているのではないのです。
母親からのお年玉 [2023年04月15日(Sat)]

先月、3月25日に、母親が亡くなりました。
6日に再入院してからは、もう少しだけ様子を見ようと時間稼ぎをしていたものの、23日に「覚悟しました。身内に連絡します。」と決心し、その2日後に現実となりました。

それからというもの、頭の中では手順を考えていたものの、いざ本番となると、葬儀社に聴きながら進めている自分が居たりするのです。
そんなものなのだろうと、自分に言い聞かせながら今日まで7日法要を重ねてきました。

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私は家を継ぎたくなかったので、33歳の時に父親に継がないことを宣言し、46歳ではクリスチャンとなり、仏式の行事には半分背を向けたまま参列してきました。

その被害をこうむったのは弟で、弟も家を継ぐことには、重いものを抱えていたことでしょう。22年前に、私が徳島に帰ってきた時には、激しい剣幕で私を責めている弟が、そこかしこから私を睨んでいました。

その弟は表に立つことが苦手で、心の病を患ってからは、無言で、私にそれらの役を押し付けていました。
いや、というより、元の役割を戻しただけだからというのが、実際の弟の言い分だったのではないでしょうか。

そんな流れの中で、今回の葬儀の一連も、私が全て取り仕切ることとなり、長男役を逃げ続けてきた私でも、流れに任せて、ただ役割を果たしただけと、自分で納得させているのです。

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若い時の私なら、そんな自分の理屈に納得を付けられずに、自分の考えを周りに押し付けていたことでしょう。

年齢を重ねたというだけではなく、風月庵でのひきこもり支援活動を通じて、若者と向き合う生活の中で、「こだわらずに、自分の正直な生き様を受け入れよう。」と、彼らに伝える工夫と共に、自分の心へも、ゆっくりと沈めてきたのでしょう。

7日法要では毎回、住職が自宅に来てくださいます。
合掌・礼拝があり、経を上げて下さり、焼香を回します。
その後、住職と一緒に経を唱えるのですが、住職に遅れまいと、経を唱えることに懸命になっている私がいるのです。

いやはや、これには本人の私すら驚いてしまいました。

住職を送った後で、数日前から始めている母親の遺品整理というよりかは、ゴミの分別と廃棄処分に挑戦しています。
スーパーのレシートは勿論、電気の検針票、あらゆる領収書、親戚・友人からの便り、景品に銀行から貰ったタオル、先々に買い貯めて忘れられた消耗品の数々、賞味期限が何年も過ぎたと判断できる化粧品や調味料、孫の成績表まで、出てきます。

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それを判断しつつ、その殆どを処分するのですが、その判断と手間は、神経をすり減らす作業となっているのです。
箱を開ける度に煩雑に押し込まれた数々の紙片を、一枚一枚確認しながら、進めていくことになります。

ただ、時折、1日に1回あるかないかの頻度で、薄汚れた包み・袋の中から、紙幣やコインが出てくることがあるのです。
こういう苦痛でしかないと思われていた作業の中でも、思わぬ宝物が出てくることがあるのです。

片付けに専念している奥さんに、こっそりと、「また、出てきたから、美味しいものでも食べに行こうか?」と、声を掛けて、笑い合っているのです。
支えてもらうこと [2023年03月31日(Fri)]

家族会に参加されているお母さん、お父さんで、支えてもらうのが下手だなと感じる方がいらっしゃいます。
甘えるのが苦手というのもあるのでしょうか?

又、別のお母さんは、甘えるのも上手で、他者に支えてもらうことを身につけていらっしゃると感じる方もいます。

その方には色々と支援者側もひきつけられ、関わりを持っていこうとしてしまいますし、お子さんも、コミュニケーションが苦手だとおっしゃる割には、人に好かれる一面をしっかりと持っていらっしゃると感じられます。

そのお母さんは、学校の担任は勿論のこと、他の先生、カウンセラー、適応指導教室のスタッフ、公的機関の相談員、福祉施設のスタッフに協力を求めて、年1回のカンファレンス(支援会議)を持ち、支援方法について意見を求め、話し合ってこられていたのです。

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私は以前より、個別にカンファレンスを持ち、関わる支援者同士(家族も含め)が、情報を共有すると共に、お互いの視点や考えを意見交換することで、支援内容が深まり、継続的に連携した支援を進めることを希望していました。

以前の風月庵で1度、あるご家族に学校とのカンファレンスを提案したことがありましたが、親御さんの方が、学校への不信感を募らせ、実現しなかった過去がありましたので、このことには、とても感動していました。

今春、お子さんが卒業するに当たり、学校では最後のカンファレンスが持たれ、多くの方が集まられ、私も参加させてもらいました。

今までの経過や成長の足跡、現状での見解、今後の課題についてと、ご家族側、学校側、そして関係者の見解と、たくさんの意見が寄せられ、私達風月庵が担っていく課題についても、また、その役割が明確になったように思われました。

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今後も、このようなカンファレンスが。定期的に行なわれ、ご本人の成長と共に、参加団体(スタッフ)が入れ替わり、増えていかれることを願っています。
今回残念だったことは、医療関係者の参加が叶わなかったことですが、今後は可能性が見出せるとのことで、是非、ご検討いただけたらと思います。

今後は何より、ご本人が自分のこととして受け止め、周りの関係者と共に考え、ご本人が決めていかれることが、最も望ましいやり方として、希求していきたいと願っています。
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