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風をあつめて

不登校・ひきこもりの支援活動をしているNPO法人フリースクール阿波風月庵の代表をしているかぜさんです。この活動で色んな若者やその親御さんと会いました。人の心っておもしろいです。僕自身も活動の中で、生き方がどんどん楽になってきました。そんな不思議な心の話をしてみたいなあ!


桜、舞い散ぃ〜る [2019年04月11日(Thu)]
毎週訪問しているOさん宅で、
「この天気なら、花見に行くしかないでしょ!」と、私が声掛けをしたら、迷いもなく「運転手さん、どうします?」となり、即決で、行きましょうとなった。

 なかなか私たちの訪問活動中では、突然に切り出した提案に即行きましょうとなることは少ない。まず、ない。

 家族3人とスタッフ2名、ボランティアスタッフ2名の総勢7名で、
さあ、出かけよう。先ずは、弁当とお茶だと、
途中の[ホットモット]で、各自、好きな弁当を選んだ。

 風月庵がある町から隣町に入る手前の道路を左に入り込む神社に続く道沿いに、桜並木が続いている。
三年前に、自転車で町内散策の途中に見つけたスポットだった。

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 並木に沿って土手を歩けるようになっており、その土手に桜の枝が伸び、ちょうど桜のトンネルをくぐる様に歩けるのだ。
 その土手に敷物を敷き弁当を広げた。風はやや冷たいものの、
陽射しは暖かく、気温は20度と上着を必要としなかった。

 時折、枝を吹き抜ける風が花びらを連れて行こうとしている。
それにあがなうように、枝はゆらゆらと震えていた。
 土手に上がる坂には、土筆と春の花草が咲き、その上を黄蝶が右左へと、香りに漂いながら過ぎていった。

 ほのかに温かさが残る弁当は、味わう毎に、体をゆっくりと包み込み、いつの間にか語らいの時間は過ぎていった。
 人気なのだろう。いつの間にか、あちこちで人の輪が出来て、人々の声が増し、スマホを手にする姿も増えてきた。

 気持ちよい春空の下、桜の花びらが舞い散り、土手の道上にピンクの模様が広がるのを眺めていた。
 桜の歌はたくさんある。
それぞれの人の心に、それぞれの歌が流れていることだろう。
何をしようか? [2019年04月11日(Thu)]
風月庵の活動は4月〜3月となっている。だから2月あたりから、それぞれの若者やご家族の1年間を振り返り、さてはて「来年は、なにをしようか?」と考え始める。

だが、今年は少し考え方を変えようかとも思っている。
春だから、年度替りだからという発想を置き、本人やご家族の今の課題、次の段階は何だろう?
そこから見つめ直したいと思った。

風月庵は25家族のひきこもりの状態にある若者やご家族と一緒に活動している。
しかし、中心的に関わっているのは5家族程であり、他の方々は相談があった時々に応じているくらいである。

先ずは、気になっている若者やご家族にメールかお手紙をしてみようと思う。去年は前半月、月平均15通であったが、後半では5通に減ってしまっていた。今年は20通を維持しよう。
それと共に、会報「風と月と」の原稿を書くときに、実際の若者やご家族に問いかけるように文章を練り直してみよう。

次にブログの更新回数が、月平均4件であったのを、今年は楽しみながら月8件→年間100件を目標にしたいと思う。

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毎年一つは新しい活動に取り組んでいる。なかなか持続が出来ないのだが、時々に必要と思う事業だ。
今年は「支援学習会」が、それに当たる。

ボランティアスタッフが増えて、支援内容の質的充実を図り、互いの共通認識も深めたいと思ったからだ。
それに、活動中のスタッフや本人・家族との交流も含め、共に学びあう風月庵スタイルを十分発揮するためにも必要だ。

その辺を、ゆっくり、じっくり、進めていこうと思っている。
言わない罪、言わせない罪 [2019年04月11日(Thu)]
不登校・ひきこもり支援は、「コミュニケーション訓練」で信頼を育て、
「認知の変換」と「生きる力」を育てることと考えている。

まずは、コミュニケーションを工夫するところから、本人も家族も
始まるといっても過言ではない。

話してくれたら、こちらも努力の方法があるのですが?

親御さんからよく耳にする言葉だ。
子どもからすると、言えなくしたのは親達だというだろう。
今までに子どもは、散々言う工夫・努力をしてきたが、
言っても辛いだけ、言っても意味がないと感じ、言っても
聞いてくれないと信じ、言うだけ無駄だと思い込んでいる。
そして、子どもの言わない罪は、今に至っている。

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コミュニケーションは、双方が工夫・努力して、始めて動く。
不登校・ひきこもりからの開放は、
本人だけでは動けない、好い方向に行けない。
親と子どもの新たなコミュニケーションの開発と育成が求められる。
親が子どもの成長・変化を待っているだけでは、
基本的には改善する動きは生まれない。

話をしてくれないんです。→そうだろうか?

子供が言わない罪も確かにある。

しかし、親の言わせない罪も、十分に、今も有効なのだ。

まず、親が、言ってもらう雰囲気を作る工夫・努力をして、
子どもの言う気持ちが膨らむことを待つことが、
家族・親が、子どもを支える第一歩だと、私は考えている。
生の体験 [2019年04月05日(Fri)]
メンタルの弱い子(柔軟性が乏しい)が増えている。

これは不登校・ひきこもり支援を見つめてきた僕の感覚だが、「生の体験」が乏しいことが上げられる。
それの原因としては、漫画、アニメ、ゲームが好きな若者は
不登校となることで「生の体験」が乏しくなり、その結果人間関係が不安で、外出ができなくなるからだ。

不登校・ひきこもりの若者は何事も決めることができない。決めることが出来ないのは、「生の体験」の実感が自分の中に持てていないからだ。
知識が豊富で感性が豊かだからこそ、人との関わり体験をすることが不安でしかたない。だから外出できない。

しかし、現実社会で打ち込むこと「生の体験」に早く出会えた若者でも、皆漫画・アニメ・ゲーム好きだし興味を持っている。そうでなければ生活できない時代といってよい。
漫画・アニメ・ゲームの世界や類似した「生の体験」があれば、実感が蓄積され、刻み込まれる質が自信に繋がるだろうが、それは現実にはありえないし、逆に現実世界で体感できないから魅力的でもあるのだろう。

だから漫画・アニメ・ゲームが、不登校・ひきこもりの状態を作っているのではない。
「生の体験」をしていないことこそが、知識が豊富で感性が豊かな若者の心の成長を止めていることに気付いてもらいたいのである。

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 「生の体験」とは、一大決心で勇気を持って挑戦するようなことではない。
 窓を開けて、春を感じて、「寒いなあ!」「まぶしいなあ!」と自然に心が、気持が動くことを大切にしてみることである。
学校以外の教育保障 [2019年04月05日(Fri)]
学校という制度に馴染めない子どもの教育保障を
国や自治体はゆるやかに考えてもらいたい。
 子どもが成長の中で個性的に生活する技術や生き方を学び、
身につける教育施設や制度を作って欲しい。

 私の様に集団や一斉講義で学ぶことにアレルギーを感じ、自分に合わない学び方を強いられてきたことを、誰に伝えることもなく今まで生きてきたことを残念に思う。
出きるなら、私の学び方は自分で選びたかった。
 
 小5から不登校で小学と中学は学校に行っていない若者が正社員として仕事を任されている。そんな実例を活動を通していくつも知っている。今でも高校卒業しなくても生きていけるのである。
小学・中学・高校・大学と順に進む以外に社会人となる方法は本当にないのか?そんな神話がいつまで信じられるのか?

学校だけが人生を学び、生きる術を身に付ける場所とは限らないと、私は考えている。
芸術家や芸能界では、弟子入り制度の中で生きる術を学んだ先人は多い。職人世界もかつてはそうだった。自然農を伝える学舎もある。
その世界に飛び込み、生活の中でいろんなことを学ぶ制度、
弟子入り制度で子どもを育てることが、何故教育として認められないのか?
 
sakura_kaika.png

 何歳でも学びたい人には学べるようにすることが、学校教育保障のあり方ではないだろうか?
しかし、学校に行けなかった子どもが、後年小学を、中学を学ぶことは出来ない。行きたくない子どもの教育は、個性や能力を尊重されたやり方で保障されているともいえない。

 何歳であれ、どんな個性も、どんな境遇も、外国人も、学びたい人には学ぶことが出きる教育保証が求められる。

加えて、学校に行きたくない子が、自分の個性や能力に合った学びを探すところからも、教育を考えてもらいたい。
三好保健所相談 [2019年03月28日(Thu)]
年に4回、6月・9月・12月・3月と「ひきこもり相談」を、
三好保健所で担当させてもらっています。

もう、ここも10年超えることとなりました。
ある保健師さんとの出会いがあり、その翌年からですが、その頃からずっと相談に来て下さるお父さん、1回だけのお母さん、年1回毎年来られる家族の方と様々です。

 時々訪ねて来られるお母さんは、ひきこもっている子どもをどう見守るべきか、父からは意見を云ってもらえるが、協力は得られない。このやり方でいいのかと不安になる様です。

 私への相談は、母・父・家族がほとんどであり、家族と一緒に当事者の若者もやって来ますが、めったにいないのです。

ここ10年で三好地域は支援連絡会議を作り、支援の協力関係により支援が途切れないように、どこかの機関・団体が常に関わっていられるように年4回の会議を持っています。
他の地域でも、同様の取り組みをお願いしたいものです。

先日の13日にも伺い、二人のお父さんと話し合ってきた。

一人目の方は、次々と家庭内のお話をされ、聞きながら相談のポイントを絞っていくと、「そんな訳で、大丈夫なんですわ」と、話が終わってしまい困惑しました。そこから保健師を含めた
3人で、次の取り組みを決めていきました。

二人目の方は、再びひきこもっている息子さんの健康管理の
相談で、心配の気持ちが先にたち、周りの協力者・団体・医療や福祉機関の各役割分担が整理できていない様でした。それらを総合的に理解し、成り行きを見守ろうと話し合いました。



 ひきこもり相談は、日ごろ接する家族の理解とコミュニケーションの成長で、環境を安心できるものに変えることが第一歩です。
安心の家族の中で、「生きる力」を養うことなのです。

※ 相談内容は個別の内容ではなく、一般化しています。
つめたい兄 [2019年03月18日(Mon)]
私には難病と闘い、38歳で世を去った妹がいた。

生まれたときから生死をさまよい、見るからに虚弱児で、
小学校時代は、私が毎朝手を引いて登校していた。
18歳から5年に1度の割りで、手術を受けた。
その度ごとに、「万が一の事態は覚悟してください。」と、
医師から両親は聞かされていた。

 手術前、妹は荒れた。

 死が怖いのだ。
悩み苦しむ妹を観て、両親はオロオロとした。
その妹に「人は誰しも死ぬ。お前よりも苦しい難病と闘い、
常に死と共に生きている人もいる。わがままを言うな!」
と、たしなめた。
 
 その私に両親は、
「なんで、そんな言葉が言えるの!冷たい兄じゃ!」と返した。

私が「冷たい人間」という刷り込みは、深く、強く残り、
今も、私をチクチクと傷めてくる。

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風月庵の活動の中で、私の「人の気持ちに配慮した接し方・言葉掛けが足りない(できない)」のは、発達障害的(ひきこもり)特性ではないのかと、自分に問いかけるようになって来た。



ようこそ!19年目 [2019年03月04日(Mon)]
2001年3月1日に活動を始めた風月庵は、19年目を迎えるようになった。

父に「3年続いたら、たいしたものだ。」と云われながら始めたものだが、途中からは、「飯くらいは、ゆっくり食べたらどうだ。」と気を使ってくれるようになった。
何事も続かない私を励まし、やりだすとやりすぎる私を諌めていたのだろう。いまなら、それが分かる。
その父は、他界して実家にはいない。

風月庵事務所の開設当時は、実家の敷地内にある2Kの借家だった。その頃は、寄宿生もいた。
その後、県の施設内に事務所を移転した時期もあるが、今は実家敷地内のプレハブの1室のみで活動している。

先日、相談に事務所を訪れたお母さんが、入って来るなり
「ここは、本当に落ち着けるわ!」と何気なく云われた。
その雰囲気に私もほっとしながら、お話を始めた。

 雑然とした事務所は、面談にはそぐわない様だと、私は気にかけているので、その言葉と和らいだ表情に、私の方が救われた気持ちになったのだろう。

 ここには18年間活動してきた「温かな空気」が漂っている。

ここで、これからも、多くの人の悩みや、戸惑いや苦しみや、葛藤を、共に、青空へ大地へと返していきたい。

今年は、どんな雰囲気を持つ方が事務所を訪れ、
新たな風(心の空気)を運んでくださるのだろう。

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あめなし(卒業発表会) [2019年02月18日(Mon)]
1月27日、由岐学習交流会(毎4日曜開催)の会場である美波町由岐地域交流センターにおいて「風月庵卒業発表会」が行われた。

風月庵に何年か通った若者たちが、風月庵に来るまでと来てからの成長の過程を語る会で、多くの家族が集まって下さる。

今回は3年間通ってくださったK君の発表だったが、必ず発表をするわけではなく、これまでに5回程開催した。
発表の為にはこれまでの日誌を掘り起こし、スタッフと共に風月庵での活動と自分の変化・成長を振り返る。

忘れていたこと、今は当たり前と考えていることが昔は考えが及ばなかったこと、出かけた先、出会った人の一人ひとり、活動や家族会での色んな家族や仲間との出会い。

その一つひとつを何回かに分けて振り返り、文章にして話し合って整理した内容を、会員の前で発表するものである。

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昨年参加した研修で印象に残った「あめとあめなし」の切り口で、自分が変化・成長した足跡とポイントを説明した。

不登校・ひきこもり青年は自己肯定感が低いので、

「褒める」というあめをたくさんあげてほしい。
罰を与えてはいけない。

そしてその経験の積み上げで、ありのままの自分を受け入れてもらえるという実感をものにすることだそうです。

これは周りの家族や支援者にお願いすることですが、一番難しいのは自分が自分に「あめとあめなし」をできるようになることだと締めくくってくれました。

自分を褒めてやり、決して罰を与えないことを、周りの人たちとの経験や実践で、彼は実につけてこられたのでしょう。

 いざ、成田へ! [2019年02月04日(Mon)]
私の東京ひきこもり時代後半は、東長崎での6ヶ月でした。
そこでは、私の先輩が知人を連れてきては、いつしか私の部屋に2〜3人が、いつも居候をしていました。

いきさつは覚えていません。

しかし、その同居人の友がやって来ては、語り合い、夜を明かし、朝方には解散し、部屋を出て行きます。

 ひきこもりの私は、住人なのでそこにいるのだが、それほど重要視されない存在で、皆の輪の端に位置していました。

 住む所が無い秋田出身の自称詩人は、得意の芸術論を語っては、先人の詩人に対する批判を述べ私に同意を求めるのですが、私にはわかりません。でも、面白かったのです。

 福岡から来たカメラマンは、市民運動に属し報道関係で仕事をしていました。それは雑誌「市民資料」の編集です。

当時、色んな思想が市民の間で拡散され、池袋駅構内では、毎夜帰宅者が集い、輪になり政治的話題を論じ合っていた。
山手線各駅構内では、何処も同じような風景があった。
 
 そんな人が実際を知るために全国の右翼から左翼までの論評を各ニュース別に一覧にした雑誌が「市民資料」だった。

 いつの頃からか、日の出と共に我家から、釘を打ちつけた角棒とヘルメットと白タオルを手にした若者数人が、成田を目指して出かけていき、1週間は帰ってこなかった。

 芸術家にも、カメラマンにも、詩人にも、革命家にもなれない住人は、出かけていく仲間を見送りながら、東京青春時代を温め続けながら、ひきこもっていたのだった。
 
 勿論、彼らと私は語ることは無かったが。

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