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乳房杉と自動販売機 [2006年10月20日(Fri)]

乳房杉
隠岐の島
800年

隠岐の島にある乳房杉は、私が粘って粘って描けなかった数少ない巨樹のひとつだ。
正確には、描かせてもらえなかった。

理由はわからないが、当時の日記にはこう書いてある。

「絵を描いていると森全体がざわめいている。何を言っているのかは分からないが、ひどく不安定なメッセージで絵を描くことに集中できない。昨日からずっと木の前に座っていたが、その間森のざわめきが止むことがない」

帰り際、新しいダムが完成間近だったので、それと関連付けてもみたが、正確にはわからない。ただ、巨樹とひとりで対峙していると、そういうこともある。

「ブログで離島応援計画」なるプロジェクトがマイクロソフトではじまった。ブログを立ち上げ、島を活性化するアイディアを募るそうな。
3つの島のうち、隠岐の島がトップを切ってブログを開設した。

「子供たちが日本中に友達を作れるような仕組みを」

というテーマでシステム案を募集する。
島の人が導入したいと思う提案をした人には「1トン級の牛のオーナー」権利が貰えるそうな。
うーん、闘牛のオーナーかぁ、ぜひなりたいが、アイディアが浮かばん(涙)。

実は、私は隠岐の島と関わりが深い。
親父の親友が境港にいて、小さい頃から家族づきあいをしている。境港と隠岐の島までは、フェリーですぐのところだ。
はじめて隠岐を訪ねたのは、20年以上前の話だ。
私、姉、よっちゃん、ヒデちゃんは、親父につれられて『魔天崖』という島の絶景ポイントまで歩いて行った。「足が痛い」とヒデちゃんが泣きべそをかきながら汗だらだらになって摩天崖についた。
「ジュースが飲みたい、自動販売機はないんか?」
と鳥取弁でつぶやくヒデちゃん。
(あるわけねーだろ!)
全員が無言のツッコミをいれた。
牛と馬しかいない風景は、当時の私にはとてもしんどく見えた。

それから15年。巨樹を訪ねて私は再び魔天崖に立っていた。
風景はちっともかわらないのに、時間はすぎて、私は当時の親父とそう変わらない歳になった。
あれほどジュースが飲みたいといっていた、その自動販売機があるではないか。
思わず苦笑してしまった。

「いいこと教えようか?いまなら自動販売機あるよ、ヒデちゃんに教えなきゃ」

私は自動販売機の横にある公衆電話から、東京の親父に電話をした。
電話の向こうで、親父は笑っていた。
こういう会話って、なんかいいなと思った。

ブログを書きながら、隠岐の応援提案を思いついた。
題して
『とって隠岐(おき)のふるさとヒミツ・交換しない?』
これは島のひとしかしらない、もしくは自分しか知らない島のヒミツを、教えあうヒミツ交換プロジェクト。

「シーカヤックで魔天崖の裏に行くと、サザエが採り放題の場所があるんだよ」
「乳房杉には伝説があって、おばあちゃんがそっと教えてくれたんだ」
「島にめちゃめちゃ民謡のうまいおじさんがいる」

それぞれヒミツの頭出しをブログなどでしておく。
秘密を詳しく知りたい人が、その人のふるさとヒミツを同じように頭だしして、お互いのヒミツの詳細を教えあうことを条件に、手紙で詳細を知らせる。
秘密の手紙の内容は、家族以外には3人までにしか知らせてはいけない。またヒミツを知って、共有したいと思った場合は、お互いを訪ねることができる。ヒミツを共有した人は、ヒミツを知った感想などは述べてもよいが、内容については他言してはいけない。

このプロジェクトのポイントは
1、自分しか知らないヒミツをもつことが、ふるさとを愛する基盤となる
2、最終的にネットではなく手紙というアナログなツールでヒミツを交換することで、隠岐に対する親近感がつよくなり、ぬくもりと価値の高いヒミツ交換となる
3、ヒミツを教えてくれた人との交流が、絆を深めていく
4、基本的にヒミツにすることで、大切な場所が、荒らされてしまうようなことを防ぐ

これは私が魔天崖で聞いた「自動販売機ないんか?」というヒデちゃんの言葉と隠岐の島が、なぜか強烈にリンクしていたという実体験に基づいている。
私が「いま魔天崖に自動販売機がある」というヒミツを親父に教えたことで、親父も当時の旅を鮮明に思い出しただろう。いずれそれを確かめにくるかもしれない。そして私に「なるほど、こうなってるのか」と電話してくるかもしれない。
ふたりはヒミツを共有しているのだ。

つながりって、なんかこういう何気ないことであったほうが良いような気がする。
こういうのってなんか良いな、と思いつきなのに自画自賛。

この思い付きをシステムにするほどの構成力はないが、隠岐の人々がこのプロジェクトで元気になってくれればいいと思う。

さらにできれば、闘牛のオーナーになって、ヒデちゃんに自慢したいものだ。
Posted by 平田裕之 at 18:39
9・11後の世界 [2006年09月12日(Tue)]
「あのとき自分が何をしていたのか?9・11は世界中の人がそのときの自分を、メディアやインターネットを通じてリアルタイムに重ね合わせる最初の大事件だったのではないか」

某・報道番組のキャスターがそのように述べていました。

たしかに、テレビから流れる信じられない光景をみつめていた5年前の自分をはっきりと思い出すことができます。

このブログの元資料となっている『森の語り部たち』は、まさに9・11をきっかけに何か自分もやらなければと思い、スケッチブックの資料をまとめたものでした。

開設のあいさつには下のような文章がありました。

今回の事件をきっかけに、私の考え方は大きく変わりました。私自身が巨樹たちから教えてもらったこと、この目で見てきた日本の現状、そして未来の主役となる子供たちに伝えるべきメッセージ ―平和へのメッセージ― を一日もはやく形にする必要があると、強く確信いたしました。

報復が報復を呼び、強固な鎖となって人々の憎悪をつないでいます。わたしたちは自分自身をコントロールする術を失おうとしています。それは環境問題においても言えることで、たとえば贅沢な生活が温暖化を推し進めているのにもかかわらず、みずからを自制するに十分な意志をもち合わせてはいません。

私たちは、大きな体を支えきれずに絶滅した恐竜たちと同じ運命をたどるのでしょうか、みずからの欲望を支えきれずに…。


あれから5年という時間が過ぎました。
9・11後の世界は、テロとテロ撲滅のための戦争が、あらたな憎しみを生み出しています。
5年前の文章は、色あせることなく、私の心のなかに残っています。

数千年を生きる巨樹もまた、同じ5年間の歳をとりました。その間に枯れたり、折れたりした木もあります。同時に数千年後の世界に巨樹となるであろう苗木も、この5年間に無数に誕生しているのでしょう。
ときに過酷な生存競争を展開しながら、ときにお互いに支えあい助け合いながら、自然は命の糸を紡いでいます。私たちは大河のように連綿とつながる命の川の恩恵を受けて生かされている小さな命に過ぎない、と巨樹たちは言っているような気がします。

巨樹の声に耳を傾けるとき、私たちは互いの命を尊重しつつ、自らを律し、報復の連鎖を断ち切り、別の道をすすむ勇気と知恵と希望を持ち得るかもしれません。

この5年間、私の生活環境も大きく変わり、様々な出来事や人との出会いがありました。
自分は何をしてきただろう、そんなことを昨晩は振り返りました。
Posted by 平田裕之 at 17:29
浅き川も深く渡れ [2006年08月15日(Tue)]
銀座の星野道夫展に行ってきた。

「浅き川も深く渡れ」

とは、星野さんの言葉だそうだ。

美しい写真の数々、奇跡的なシーンとの出会い。

膨大な時間をその場に居ることでしか、出会えない貴重なシーンを見せてもらった。

星野さんの訃報を聞いたときのこと、巨樹めぐりのこと、川下のこと・・・。

色々な懐かしいことも思い出させてもらいました。

ありがとうございます。


今日は61回目の終戦の日。
複雑に入り組んだ歴史や思いが、絡みついてほどけずにいる。
首相は心の問題だというが、それほどたやすい問題でもないだろう。
過去に向き合い、何を学び、未来をどう切り開くべきか。

戦争が残す傷は大きく、癒すことはむずかしい。
なのに今、この時に、私たちはまた戦争をしている。
Posted by 平田裕之 at 18:09
森のルール [2006年07月29日(Sat)]

松尾のアコウ
クワ科イチヂク属
高知県土佐清水市


先日、深夜遅くにNHKスペシャル「ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない」を見て眠れなくなった。

働く意欲があり、技術があり、経験があっても、生活保護受給水準以下の収入しか得られない。その結果、税金が払えない層が増えているという。しかもそれが全世帯の1割とも言われているが、実態はわかっていない。

仕立て屋のおじさん、イチゴの農家、若者のホームレス、深夜バイトの父親・・・。

番組の構成もあるのだろうが、映像の切り取られた部分だけを見る限り、救いがない。
貧困は次の世代に引き継がれ、学力格差と経済格差の悪循環を生むという。
非正社員の雇用や大胆なリストラ、設備投資の見直しなどを背景にした業績改善に沸く一部の企業がある一方で、一度転がり落ちたら這い上がれない、そんな恐ろしい社会が、いまこの時間に進行しているという事実。
「痛みに耐えて改革を断行し、成長していく」
痛みに耐え切れない層の顕著化は、華々しいスローガンの代償というにはあまりに痛々しく、また大きすぎる。
「勝ち組・負け組み」「自己責任」という言葉で、「先見性がない」と働く貧困層を簡単に切り捨ててよいものだろうか? それで本当に社会のバランスは保たれるのか?生きる尊厳を守り、お互いを支えあうという国民としての存在意義は、いったい何なのか?
人と人のゆるやかなつながりがなくなり、問題の多くが金を価値基準に解決しなければならない社会で、自分は死ぬまで勝ち続け、先を読みながら対処し続けられるのか?
ドロッとした後味の悪さを感じられずにいられない。

このようなドロッとした感覚に、私は旅先で何度もあった。

林業に携わるオヤジは
「木を切るか、首をくくるかやな」
と真顔でつぶやいたのを聞いてぎょっとした。
かつてうつくしかった棚田に、杉を植え放置されて荒れ果てたた風景に
「せっかく石を積んでくださったご先祖様に申し訳ない」
とつぶやくばあちゃん。
「戦争の頃はひどかったが今の世間はもっとひどい」
とはき捨てる豆腐屋のおじさんなどなど。

便利さや快適さを手に入れるために、助けるべき人を見捨ててまでも走り続けているのに、大切なものはこぼれ落ちていく。何かがおかしいことはわかるけれど、どうすればよいのかわからないせつなさ。

自然界にも弱肉強食はある。
自然の生存競争の厳しさはすさまじい。

松尾のアコウはもともと生えていた樹木(たぶんイスノキ)に着生し、樹木を絞め殺してその座についた。その証拠に、アコウの中心部は、人が入れるくらいの大きな空洞になっている。
「絞め殺し屋」
というおそろしい異名を持つアコウの性質をよくあらわしている。
しかし、イスノキを絡め殺したアコウは巨樹となり、鳥に食べ物を提供したり、お遍路さんに木陰をつくったり、防風林としての役目を果たしている。殺し屋は、鳥やお遍路さんの命まで取ることはない。巨樹としての役割を放棄することもない。
自然界の過酷な生存競争は、必要最小限を超えることはない。
秩序を乱してまで大きくなることもないし、長く生きることもない。
それは森のルール。

番組の内容がどうしようもなく絶望的だったのは、個別の様々な状況の先に、この国の秩序や誇りやよりどころなどの「失ってはいけないもの」が根こそぎなくなってしまうような、そんな気がしたからかもしれない。

巨樹は、それ自体では巨樹たりえないことを知っている。
だからルールを冒すこともない。ルールを冒すことの代償を知っているのだ。

(写真左:抱えた木を絞め殺した後が、トンネルのようになっている。台風で倒壊。写真右:ヤクタネゴヨウマツにからみつくアコウ。撮影2000年3月)
Posted by 平田裕之 at 00:09
ヒッチハイク天国 [2006年06月29日(Thu)]

玉置山の杉
和歌山県十津川村


日本はヒッチハイク天国だ。
ここ最近は、へんな事件が多すぎて、なかなかヒッチハイク旅をおすすめできないが、少なくとも、私がヒッチハイクで全国の巨樹を描いていた2000年ころまでは、そうだった。
これまで北海道から鹿児島まで4往復ぐらいした。
これまでの最速記録は、東京から札幌まで23時間&0円(津軽海峡横断含む)。
当時は、日本3指にはいるヒッチハイカーと自称していた。
「もうさすがにいい歳になったんだし、できないでしょうー」
と周りからは言われるが、本人は生涯現役とひそかに思っている。

車に乗せてもらった方には、説教されたり、昼飯をおごってもらったり、泊めてもらったりした。
「いいもん食えよ」
とこづかいをくれる人もいた。
ヒッチハイク旅は、いい人と出会えるから良い。
まあ、ヒッチハイクという旅は、そもそも道端に立っているどこの誰ともわからない男を乗せるのだから、よっぽど親切な人しか止まってくれないものなのだが・・・。
ヒッチハイクでの放浪を通じて、私はこの国の大きさを感じ、日本人を心の底から好きになった。アメリカ留学で、差別や言葉の違い、「俺は俺、お前はお前」という文化の冷酷さを目の当たりにしたあとだっただけに、ふるさとはぴかぴかと輝き、春の日差しのようにやさしかった。
学校で習う歴史や、メディアを通じて得るこの国についての知識と、私が肌で学んだこの国(そもそも国と言う表現がフィットするのかわからないが)の形は、かなり異なる。
おおらかで、困っている人を自分のことのように感じ、さりげないやさしさがあり、暖かさがある。
その印象は、メディアを通じて伝わる数々の凄惨な事件に心を痛めたとしても変わることはない。
20代のヒッチハイク旅は、私にとってかけがえのない時間だったように思う。

巨樹から巨樹へ、ピンポイントで旅をする手段としてヒッチハイクは絶望的なほど無謀だ。
思い通りにならない移動手段で、頑固に想いを遂げようというのだから、当たり前の話。
「誰もやったことがないことをやってみよう」
と思い、この企画を思いついたが、予定の半年を大幅に超えて2年もかかった。たぶん後に続くものはいないだろう。
それは旅をやり終えた私としてはとても寂しい。

玉置山の山道で描いた名もない杉。
玉置神社でテントを張った際、得体の知れない気配に囲まれて一睡もできなかったことも強烈だったが、帰りのヒッチハイクでも印象的な想いをした。

朝から車を拾おうと道を歩いていたが、まったく車がなかった。
奥熊野の山々は、小腸のひだのように入り組んでいて、人の出入りを拒む。ヘビや巨大ミミズが道路を悠々横断していた。
あること自体が信じられないが、路線バスがあり、道からはみ出すように走ってきた。しかしヒッチハイカーにとって、バスやタクシーは車であって車ではない。
無視して歩いていると、バス停でもないのに運転手さんが
「乗りなよ」
と声をかけてくれた。
ヒッチハイカーにとって金を払って車に乗るのは屈辱。
乗るくらいなら歩くよ、ときっぱり断った。

しかし、それから6時間の間に車は1台しか通らなかった。
夕暮れ迫る中、エンジンが聞こえて振り返ると、見かけた大型車。
朝に断った路線バスだった。本日2度目の遭遇。
運転手はまたしてもドアを開けた。
「次は、あしたの朝だよ。この谷抜ければ、ヒッチハイクできると思うよ」
とすでに心も体もばてばての私に、やさしく声をかけてくれた。
なんという親切な運転手。大きな荷物を背負って歩く私のヒッチハイカーとしてのプライドを傷つけず、相手の立場に立った掛け声に完落ちしたのであった。
路線バスに運転手と私。
いつものヒッチハイクと変わらない。たったひとつ
「私がバスに金を払って乗った」
ということを除いて・・・。
日本はヒッチハイク天国だ。ただし車が走っていればの話だが・・・。

・・・、ヒッチハイクの話はたくさんあるが、木の話と結びつかないのが難点だ。
Posted by 平田裕之 at 19:00
神社とお寺どちらが寝心地がよいか? [2006年06月17日(Sat)]

称名寺のシイ
宮城県亘理町
樹齢700年


 巨樹を訪ねて歩くと、たいてい神社や寺が多い。

 昔から日本人は自然を神格化する文化があり、巨樹も神木として注連縄などが巻かれている。狭い日本で数百年も樹木が存在し続けると言うのは、考えてみれば不思議なことだ。過去の人が切らずに残しておいた理由があるのだろう。実際、巨樹の多くは伝説やいわく付の物語を持っている。
 私の絵を描くスタイルは、現場で仕上げるというもの。
 その日で仕上げることができなければ、当然その周辺でテントを張って寝る。
したがって、神社や寺で寝ることも多い。

 ところで、みなさんは神社とお寺のどちらが寝心地がよいかご存知だろうか?

 私の経験では、ややお寺のほうが寝心地がよい。
 理由は「夜、丑三つ時になるとざわざわするのでさみしくないから」

 人の気配や声がしたほうが、かえって安心して眠れるという経験はないだろうか?
 テントで寝ていると、「わけのわからない音」が聞こえると不気味に感じることが多い。
 またその逆で、なんの気配もない、何の音もないことの方が、かえって不気味な場合がある。由緒ある神社内でテントを張って寝た際、一切の気配や音がなくなり、場違いな自分を震え上がりながら公開した経験が何度かある。
 テントの中の暗闇で、精神的に追い詰められると、「訳のわかるざわざわした音」のほうがありがたいのだ。それがたとえ仏さんのものであっても・・・。

 称名寺のシイでも不思議な経験をした。
 昼間、墓の中央に立っている木を描いていると、寺の双子の娘が、木登りをして遊んでいた。慣れたもので、ずいぶんと高いところまで登って見せてくれた。
 鬼ごっこなどをしながら絵を描いた。
 夜、近くの駐車場でテントを張っていると、二人がお母さんが焼いたホットケーキを差し入れしてくれた。ありがたくいただいて眠りにつくも、テントの周りを小走りする音がしばらく聞こえた。
 きっと昼間の鬼ごっこのつづきなのだろうと思っていたが、疲れていたので眠りについてしまった。足音はずいぶん遅くまで聞こえていた。
 翌日、寺にお礼に行ったが、二人の姿はなかった。聞けば、あのあと両親と親戚の家に泊まりに行ったと言う。
 では、テントの周りで走り回るあの足音はなんだったんだろう?
 私の夢、それとも・・・。
 こんなとき、よからぬことを想像してしまうと、その後の旅ができなくなってしまうので、
「私には霊感がない、したがって夢。子供と鬼ごっこの続きをした夢であった」
と自分に言い聞かせ、忘れることにしている。

 けれども、映画『となりのトトロ』を観ると、どうしても昔を思い出してつぶやいてしまう自分がいる。
「トトロはきっといるよ、でも多分あんなんじゃないと思う」
と。
Posted by 平田裕之 at 14:41
犬と私の共通体験 [2006年06月16日(Fri)]

口大屋のあべまき
兵庫県大屋町
樹齢400年

 飼っている犬が台所にあった生卵を食べて体調を壊している。
 怒ろうにも、現行犯でない限り、本人は怒られる原因が分からないらしいし、自業自得で苦しんでいるので、許してやろう。
 そもそもそんな場所に卵を放置した飼い主の責任と言う負い目もある。
 犬はトイレと水を飲む以外は静かに眠っている。
 動物は体調が崩れると飯も食わず、ひたすら眠って体力を回復させる。
 旅先で私も同じような経験が何度かある。

 口大屋あべまきを描いているときも、高熱を出して数日テントの中でうなっていた。
近くに沢の水を引いた水道があったが、水源がイノシシのぬた場(発情期になるとイノシシがドロ遊びをする場所)になっていた。濁った水をペットボトルに手ぬぐいを摘めてろ過してみるも、飲んだら腹を下して、症状はさらに悪化した。
 動くに動けず、丸2日、寝袋に包まって寝た。
 山ビルが足の指にしがみついて、弱った私をいじめるように血を吸った。
 3日目にようやく起き上がり、ろ過装置の精度を上げて、まずい水でおかゆを作った。おかずはなく、熊野でもらった梅干を白いおかゆにぽとりと落とした。
たきばあちゃんが作った塩辛い梅干を口にしたら、ぽろりと涙が出た。
 私はどれだけ人の情けに生かされているのだろうか?
 93才のばばあが、しわくちゃの手で揉んだ辛い梅干に、自分は生かされている。
 400歳の老木が私の話し相手をしてくれる。
 自分の小ささ、自然の大きさ、人の情の深さ・・・。
 そんなことを思いながらおかゆを食べ、あべまきを描いた。

「だからお前の気持ち、わかるよ」
 そういって犬の頭をなでてみるが、まったく通じている様子はない。
 ・・・、なんかないの?もっと、こう哲学的な交流みたいな。
 おい、こんどやったら表に出すよ。
 犬は耳を下げて上目遣いに私を見るのであった。
Posted by 平田裕之 at 17:48
緑のカーテン [2006年06月06日(Tue)]

今月は環境月間。
むしむしはじめるころでもある。
楽しく生活に密着した活動としておすすめなのが緑のカーテン。
板橋区では商店街などで盛んに取り組んでいる。
板橋第7小学校での取り組みがきっかけだ。
足立区の学校でも島根小学校ががんばっていて、近所のK小学校でも取り組みを検討している。
葉は裏から水分を出す蒸散作用というのがあって、空気を冷やすだけでなく、太陽熱を溜め込むコンクリートに日を当てない効果がある。
ちなみに写真はキウイで作ったカーテン。
4年目の今年は、大きな緑の屋根を作った。
キウイは管理に比較的手間がかかるが、秋の収穫のリッチさはたまらない。
これが東京で行っている、私の巨樹活動のひとつ。
Posted by 平田裕之 at 11:25
ハブと闘牛と板根 [2006年05月12日(Fri)]

三京のウラジロガシ
リュウキュウウラジロガシ
樹齢:不明
鹿児島県徳之島天城町


 庭に住みついているヘビが冬眠から起きたようだ。草むしり中の家族がシッポを見たという。
 毎年今頃になると大きなミミズのようなヘビと小さなヘビのようなミミズが出て、わけの分からないことになる。

 ヘビの名前は「ヒバカリ」。


 由来は「咬まれたらその『日ばかり』の命」からだが、本当は無毒。
 ずいぶんと大げさな名前をつけられたものだ。

 我が家の蛇はかわいい奴だが、南方で見るヘビはそうはいかない。
 テントで寝ている間にもぐりこまれたり、靴の中に入られたらと考えると気になってしまう。鹿児島以南の離島で木の絵を描くときは、ハブ出るなとつい呪文を唱える(ほとんど出る事はないそうだが・・・)。
 徳之島にある三京のウラジロガシも、ハブを気にしながら描いたものだ。

 闘牛と美しい海の島、徳之島。
 交通便の悪いことから、昔ながらの島の様子が保たれており、ゆったりとした雰囲気が島全体に流れている。海がとくに美しい。
 浜辺にテントを張り、腹が減ると目の前の海に入って貝と青海苔をとり、味噌汁をつくる。
 浜辺を散歩する人が連れているのは犬、・・・ではなくて闘牛!?
 この島は選挙といい、闘牛といい、血が騒ぐイベントが多い。
 私のテントは赤でなくてよかったと安堵した。

 天城町企画課のYさん、Rさんの案内で、ウラジロガシを見にいった。うっそうとした亜熱帯の森の奥に、見事な根を広げた巨樹がいた。

 屏風のようなこの根は「板根(ばんこん)」と呼ばれている。
 木は、表土が浅いと根が地中の奥深くまで伸びることができない。そこで成長と共に板のように根を太くすることで、自分のからだを支えようとする。雨がよく降ることから土が流れて浅い土地になりがちな、熱帯・亜熱帯でよく見られるという。
 木のそばの広場にテントを張って絵を描くことにした。
「ハブに気をつけてな、こっちのハブはやばいよ」
と柳さんがニヤリと笑っていう。
 なんという無気味な笑いだ。
 あの笑顔の意味を考えていると、テントの中でなかなか寝付けなかった。
 徳之島ではびびりまくりだった臆病な私を、この木はきっと笑っていたのだろう。


(浜を散歩する飼い闘牛としまんちゅ・2000年3月撮影)

Posted by 平田裕之 at 15:50
ばあちゃんとにちりんさんその2 [2006年05月02日(Tue)]


 ばあちゃんが亡くなって1年が経ったころ、熊野から冊子が送られてきた。

生前、ばあちゃんが書き溜めていた日記と書簡をまとめたものだ。
「にちりんさん」
というタイトルは、亡くなるひと月前放映されたNHK番組「巨樹は語る・ばあちゃんたちの小宇宙」で、太陽に手を合わせるばあちゃんの姿を、詩人・吉増剛造さんが
「ばあちゃんの谷にもにちりんさん」
と詩に読んだことからついた。ばあちゃんもこの響きが気に入っていたようだ。
 ばあちゃんの日記に私もでていた。以下抜粋。

平成□年
8月○日夕方東京から大木や川を書く青年が来て〜夜はかたをたたいてくれた。
8月○日平田君は朝から宮様へ行ってクスノキを書いて夕方もって来て見せてくれたが仲々良く書いて来ておどろきました 元気になればぼちぼち
8月○日平田さんとひるからゾウリつくり
8月○日平田さんは今日北山村の方へ出かけた
平成△年
11月○日尾中のかやの木祭り 東京から平田一家4人来て2晩とまってかえっていった

 冊子を眺めていると、ばあちゃんの声が聞こえてきそうだ。

 森に帰ったばあちゃんは、元気にしているだろうか?

 いつかまた熊野の森にいくとき、しとしと雨が迎えてくれることを私は知っている。
「また来たか、この雨男」
 そのとき私は、森の中からそんなばあちゃんの声を聞くのだろう。
Posted by 平田裕之 at 09:51
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