葦船と花壇 [2006年06月28日(Wed)]
![]() 通りに面した葦船花壇が人気を呼んでいる。 昨年、河川浄化活動の一環として作成した2艇の船だが、 「生命の儀式」 をして命を吹き込んだ大切な仲間なので、川に浮かべ終わったからといってむげには出来ない。 ということで、畑で第2の人生を送っている。 通りに面したこの場所は、かつては空き缶やレジ袋のポイ捨てスポットだったが、これだけゴージャスに整備されたいまではポイ捨ては、ほとんどみられない。 「ブロークン・ウィンドウズ理論」はNYだけでなく、ここでも証明されたわけだ。 かわって立ち止まる見学者が増えた。 通りがかった人は、しばらくこの物体の意味がわからない。 「??」 人は、自分の経験を超えた状況に出くわすと思考が停止するものだ。 看板をしばらく眺めたあと 「この船が写真の船なのか?」 「この葦船が本当に浮かぶのか?」 「水は漏れないのか?」 「何で出来ているのか?」 「何で花壇なのか?」 などなど、質問の嵐を浴びせる。 一方で、子供たちはその意味がすぐにわかるらしい。 「遊べるか、遊べないか」 頭で考えるのではない。匂いをかいで判断するのだ。 葦船はすぐにシーソーになった。母親も混じって遊んでいる。 「そんなことしちゃだめでしょ!」 などと無粋なことを言わず、一緒になって遊ぶ母親の子育て方針は素晴らしい(でも隣の家のフェンスに上るのは注意して欲しい)。 彼らの中から、サッカー日本代表のFWが育てば、得点力不足は解消されるかもしれない。 こうやって、花壇として観てもらい、遊び場として乗ってもらい、彼らは朽ち、その役割を終える。 生みの親のひとりとして、その過程をともにしている喜びを感じている。 ![]() |
Posted by
平田裕之
at 10:39




ご無沙汰しております。コメントありがとうございました。
葦舟進水式ではすっかりお世話になりました。おかげさまで彼女たちは今でも元気です。
葦舟が重すぎてボートが左右にドリフとする様子は伝説です。
またやりましょうねー。