松尾のアコウ
クワ科イチヂク属
高知県土佐清水市
先日、深夜遅くにNHKスペシャル「ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない」を見て眠れなくなった。
働く意欲があり、技術があり、経験があっても、生活保護受給水準以下の収入しか得られない。その結果、税金が払えない層が増えているという。しかもそれが全世帯の1割とも言われているが、実態はわかっていない。
仕立て屋のおじさん、イチゴの農家、若者のホームレス、深夜バイトの父親・・・。
番組の構成もあるのだろうが、映像の切り取られた部分だけを見る限り、救いがない。
貧困は次の世代に引き継がれ、学力格差と経済格差の悪循環を生むという。
非正社員の雇用や大胆なリストラ、設備投資の見直しなどを背景にした業績改善に沸く一部の企業がある一方で、一度転がり落ちたら這い上がれない、そんな恐ろしい社会が、いまこの時間に進行しているという事実。
「痛みに耐えて改革を断行し、成長していく」
痛みに耐え切れない層の顕著化は、華々しいスローガンの代償というにはあまりに痛々しく、また大きすぎる。
「勝ち組・負け組み」「自己責任」という言葉で、「先見性がない」と働く貧困層を簡単に切り捨ててよいものだろうか? それで本当に社会のバランスは保たれるのか?生きる尊厳を守り、お互いを支えあうという国民としての存在意義は、いったい何なのか?
人と人のゆるやかなつながりがなくなり、問題の多くが金を価値基準に解決しなければならない社会で、自分は死ぬまで勝ち続け、先を読みながら対処し続けられるのか?
ドロッとした後味の悪さを感じられずにいられない。
このようなドロッとした感覚に、私は旅先で何度もあった。
林業に携わるオヤジは
「木を切るか、首をくくるかやな」
と真顔でつぶやいたのを聞いてぎょっとした。
かつてうつくしかった棚田に、杉を植え放置されて荒れ果てたた風景に
「せっかく石を積んでくださったご先祖様に申し訳ない」
とつぶやくばあちゃん。
「戦争の頃はひどかったが今の世間はもっとひどい」
とはき捨てる豆腐屋のおじさんなどなど。
便利さや快適さを手に入れるために、助けるべき人を見捨ててまでも走り続けているのに、大切なものはこぼれ落ちていく。何かがおかしいことはわかるけれど、どうすればよいのかわからないせつなさ。
自然界にも弱肉強食はある。
自然の生存競争の厳しさはすさまじい。
松尾のアコウはもともと生えていた樹木(たぶんイスノキ)に着生し、樹木を絞め殺してその座についた。その証拠に、アコウの中心部は、人が入れるくらいの大きな空洞になっている。
「絞め殺し屋」
というおそろしい異名を持つアコウの性質をよくあらわしている。
しかし、イスノキを絡め殺したアコウは巨樹となり、鳥に食べ物を提供したり、お遍路さんに木陰をつくったり、防風林としての役目を果たしている。殺し屋は、鳥やお遍路さんの命まで取ることはない。巨樹としての役割を放棄することもない。
自然界の過酷な生存競争は、必要最小限を超えることはない。
秩序を乱してまで大きくなることもないし、長く生きることもない。
それは森のルール。
番組の内容がどうしようもなく絶望的だったのは、個別の様々な状況の先に、この国の秩序や誇りやよりどころなどの「失ってはいけないもの」が根こそぎなくなってしまうような、そんな気がしたからかもしれない。
巨樹は、それ自体では巨樹たりえないことを知っている。
だからルールを冒すこともない。ルールを冒すことの代償を知っているのだ。
(写真左:抱えた木を絞め殺した後が、トンネルのようになっている。台風で倒壊。写真右:ヤクタネゴヨウマツにからみつくアコウ。撮影2000年3月)