こんなことを言って、めそめそしている僕は、きっと甘いのですね。
[2006年02月21日(火)]
りとるらいふは、今、約120人のボランティアさんが登録してくれています。
っていっても、全てのボランティアさんが常に動いているわけじゃなくって、
月に数回の人から、1回の人から、年に数回という人もいます。
年に一回、特別なイベントのときだけ!イベントの後の打ち上げが楽しみ!!
っていう人もいます。
それでいいんです。ボランティアですから。
自分のペースで参加してくださっていいし、自分の思いのままに、
りとるらいふを思ってくださっていいのです。
それが健全な、在り様だと思うし、それで今までやってきました。
でも、最近、ボランティア性というのが、
僕の中で崩れていくような出来事が続いています。
それは、例のボランティアによる有償移送サービスのことです。
詳しいことは以前、プログに書いているので、↓を参考にしてください。
「旧・理事長日記 2005年10月26日」
僕は、りとるらいふと同じようにチカラを入れている
くびき野市民ふくしネットワークという組織の
事務局長もさせていただいています。
くびき野市民ふくしネットワークの構成団体は、
そのほとんどが「たすけあいボランティア」の組織で、
お互いに会員になり、相互に助け合うというしくみで活動をしています。
こういう形態の組織は、全国に広がっていて、上越市内だけでも、
吉川区、板倉区、三和区、安塚区とあります。
どの団体も、地域で起こっている課題を解決しようと、
それこそ、もう涙がでるくらい
いい実践をしていて、ひとりひとりの利用者に寄り添い、魂を注いでいます。
そういう支援する人たちもまた、ボランティアだったりするわけで、
事務局長としては、張り切ってがんばらにゃあならんわけです。
で、例のセダン特区やら、運営協議会やらの話を詰めて、
ようやくもうじき一つの決着を見そうなのですが、
僕は、どうにも悲しくなっています。
「自分のできることをできる範囲で」という、
あの昔のボランティアの姿から、どんどんかけ離れていってしまって、
「となりのおばあちゃんが困ってっから、俺がちょっくら病院まで連れてってやらあ!」
みたいな、そこに対して、あばあちゃんが
「それじゃ悪いからガソリン代くらいは出すよ」という、
「共助」として生まれた、たすけあいボランティアの仕組みが、
どんどん「専門性の高まり」という閉塞感にのみこまれていくような、
そんな悲しさがあります。
最近の移送サービスをめぐる動きに対して
「何か、何か違うんじゃないか」と問わずにはいられません。
ボランティアが専門性を高めていくことが、
本当に幸せな世の中のありようなのか?
そんなことで、本当にみんなが幸せになるのだろうか?
地域の小さな関係性の中で、
生活がある程度完結して、
「そりゃあ、プロに比べたら、足りないけどさあ、
そのあたりは多めに見てよ、お互い様でしょ?」みたいな
そういういい意味での地域が持つ
「曖昧さ」や
「ファジーな部分」や
「白黒はっきりつかない」部分に、
本当は
人のぬくもりとか、
温かさとか、
あるいは
何かをやっぱり許さざるを得なかったり、
あきらめたりという、
人が営みを紡ぎだしていく大切なものがあるような
そんな気がしていたのは僕だけでしょうか?
僕は最近、会う人会う人に
「この世から移送サービスのボランティアってなくなっちゃうんですよ」
とちょっとふざけて言っています。
でも、半分は本心で、
きっと少ながらず移送サービスに関しては、
「お互い様の精神」というのは崩れて、
サービスと、その対価(お金)の交換という、
なんとも味気ないやりとりがこの地域で展開されていく風景を想像します。
そう考えると、すごく悲しい気持ちになります。
書きながら、泣けてきます。
地域でえらいことが起こっている。
その現場を「見てしまった」からには、
なんとかしてこの人たちの生活を支えなければならない。
そこがモチベーションとなって活動している僕たちと、
タクシーの持つ価値観は、決定的に違うはずなのに、
なんでこんなことになってしまったんだろう?
そんなことを、最近、考えるのです。
こんなことを言って、めそめそしている僕は、きっと甘いのですね。
すいません。独り言でした。
っていっても、全てのボランティアさんが常に動いているわけじゃなくって、
月に数回の人から、1回の人から、年に数回という人もいます。
年に一回、特別なイベントのときだけ!イベントの後の打ち上げが楽しみ!!
っていう人もいます。
それでいいんです。ボランティアですから。
自分のペースで参加してくださっていいし、自分の思いのままに、
りとるらいふを思ってくださっていいのです。
それが健全な、在り様だと思うし、それで今までやってきました。
でも、最近、ボランティア性というのが、
僕の中で崩れていくような出来事が続いています。
それは、例のボランティアによる有償移送サービスのことです。
詳しいことは以前、プログに書いているので、↓を参考にしてください。
「旧・理事長日記 2005年10月26日」
僕は、りとるらいふと同じようにチカラを入れている
くびき野市民ふくしネットワークという組織の
事務局長もさせていただいています。
くびき野市民ふくしネットワークの構成団体は、
そのほとんどが「たすけあいボランティア」の組織で、
お互いに会員になり、相互に助け合うというしくみで活動をしています。
こういう形態の組織は、全国に広がっていて、上越市内だけでも、
吉川区、板倉区、三和区、安塚区とあります。
どの団体も、地域で起こっている課題を解決しようと、
それこそ、もう涙がでるくらい
いい実践をしていて、ひとりひとりの利用者に寄り添い、魂を注いでいます。
そういう支援する人たちもまた、ボランティアだったりするわけで、
事務局長としては、張り切ってがんばらにゃあならんわけです。
で、例のセダン特区やら、運営協議会やらの話を詰めて、
ようやくもうじき一つの決着を見そうなのですが、
僕は、どうにも悲しくなっています。
「自分のできることをできる範囲で」という、
あの昔のボランティアの姿から、どんどんかけ離れていってしまって、
「となりのおばあちゃんが困ってっから、俺がちょっくら病院まで連れてってやらあ!」
みたいな、そこに対して、あばあちゃんが
「それじゃ悪いからガソリン代くらいは出すよ」という、
「共助」として生まれた、たすけあいボランティアの仕組みが、
どんどん「専門性の高まり」という閉塞感にのみこまれていくような、
そんな悲しさがあります。
最近の移送サービスをめぐる動きに対して
「何か、何か違うんじゃないか」と問わずにはいられません。
ボランティアが専門性を高めていくことが、
本当に幸せな世の中のありようなのか?
そんなことで、本当にみんなが幸せになるのだろうか?
地域の小さな関係性の中で、
生活がある程度完結して、
「そりゃあ、プロに比べたら、足りないけどさあ、
そのあたりは多めに見てよ、お互い様でしょ?」みたいな
そういういい意味での地域が持つ
「曖昧さ」や
「ファジーな部分」や
「白黒はっきりつかない」部分に、
本当は
人のぬくもりとか、
温かさとか、
あるいは
何かをやっぱり許さざるを得なかったり、
あきらめたりという、
人が営みを紡ぎだしていく大切なものがあるような
そんな気がしていたのは僕だけでしょうか?
僕は最近、会う人会う人に
「この世から移送サービスのボランティアってなくなっちゃうんですよ」
とちょっとふざけて言っています。
でも、半分は本心で、
きっと少ながらず移送サービスに関しては、
「お互い様の精神」というのは崩れて、
サービスと、その対価(お金)の交換という、
なんとも味気ないやりとりがこの地域で展開されていく風景を想像します。
そう考えると、すごく悲しい気持ちになります。
書きながら、泣けてきます。
地域でえらいことが起こっている。
その現場を「見てしまった」からには、
なんとかしてこの人たちの生活を支えなければならない。
そこがモチベーションとなって活動している僕たちと、
タクシーの持つ価値観は、決定的に違うはずなのに、
なんでこんなことになってしまったんだろう?
そんなことを、最近、考えるのです。
こんなことを言って、めそめそしている僕は、きっと甘いのですね。
すいません。独り言でした。



