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講座奮闘記

参加した講座と学習記録です。


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イジメられない為に [2007年05月09日(Wed)]
チャイルドライン設立の1998年当初は、『できるならイジメに加わりたくない』と言うような相談も多く、イジメられる恐怖というより、良心と現実の間で苦しむ子供の姿が少なからずあったそうです。

しかし、この頃では、イジメられる事に恐怖を抱く余り『イジメられる前にイジメるしかない』と言うような割り切った内容の相談?も増えているようです。

相談開始直後は、『どんな電話何だろう?』と言うお試し電話が多く、電話件数は今よりはるかに多かったそうです。しかし、チャイルドラインの根付いた地域では、件数は減ったものの、個々の通話時間は明らかに長くなっているそうです。

子供達から見た、教師のイジメに対する取り組み方の評価は相変わらず低く、『話す相手がいない』『こんな事は誰にも言えない』と思っていた子供が、勇気を振り絞って電話して来るんだそうです。

政府主導の24時間イジメ相談ダイヤルの取り組みも、ついこの頃始まったばかりですが、果たして自殺を思いとどまらせる事が出来るでしょうか?

イジメの問題を先送りにしてきたつけは、思いの他高い物についてしまったようです。全ての子供が『イジメられる前にイジメるしかない』と思っている訳ではないんでしょうが、そこまで追い詰められている子供が少なからず居るのも事実です。

『見て見ぬ振り』を自衛の手段の一つとして刷り込んで来た我々大人に、意見など言う権利はあるのでしょうか?相談してきた子供達に対して、助言などできる立場にあるのでしょうか?考えさせられます。

ならばせめて『悩みを黙って聞く姿勢』チャイルドラインの受け手さんの極意を、我々大人も真剣に学び取ろうとする努力も、していかなければならないのではないでしょうか。


…携帯より…
悩みを話す相手 [2007年05月07日(Mon)]
今日久し振りにチャイルドラインの紹介が、ラジオから流れてきました。牟田先生、相変わらずお元気で、益々パワフルでした。

チャイルドラインは相談電話ではありません。悩んでいる子供達の話しを聞いてあげるのが一番の目的で、意見を強く求められない限り助言は御法度です。

『話しを聞くだけ』ってのが意外に難題で、受け手さん(あえて相談員とは呼ばない)になるためには、十分なトレーニングが施されます。

因みに、そのトレーニングの徹底ぶりも時間のかけ方もそうですが、チャイルドラインの電話の受け方が凄い、一人の子供に電話の前の受け手さんと、それを後ろから見守るサポート役が一人つきます。それ程『聞くだけ』の作業は体力気力を奪うものかも知れません。

自分の悩みを自分の言葉で電話の先にいる人に伝える作業は、殻に閉じこもりかけた子供にとっては難題です。しかし、それ無しには問題解決は有り得ないと言うのがチャイルドラインのモットーのようです。

牟田さんの言葉を借りれば『この試みが実を結べば、大人にだって応用できます。子供達だけが相談相手が居ないのではなく、大人もそうだから子供達も相談出来ずにいるのです。』
(鋭い!う〜ん…弱った…。ある意味図星。)

『あなたは困った時や思い悩んだ時、相談出来る人はいますか?』って続く訳ですが、改めて問われると結構微妙です。

女性アナウンサーによれば、『恋愛、仕事、人間関係など、個別の相談相手はいても、何でも相談出来る相手はいませんね。』となる訳です。

なる程、自分の抱え込んでしまった悩みや問題を、電話の向こうの相手に、ただ話し続けることで問題解決につなげようとする試み、けっこう良いのかも知れません。『悩みを相談出来る人』あなたはいますか?


…携帯より…
目に見えない障害 [2007年02月12日(Mon)]
『自閉症とアスペルガー症候群はひとつながりのもので、一見自閉症にみえない自閉症が、アスペルガー症候群といっても良いでしょう。』って分かりやすいのか分かりにくいのかが、非常に微妙です。

そこで、解説を抜粋してみました。
『アスペルガー症候群の人の人付き合いの特徴を一言で述べれば、人の中で浮いてしまうことが多いということでしょう。』
『同年齢の子どもと対等の相互的な遊びをすることがとても難しいのです。接し方のルールがわからず無邪気に「本当のこと」を言ってしまったりします。子どもでも大人でも社会生活には暗黙のルールがあり、わざわざ口に出して確認する必要もない暗黙の秘密があります。しかし、こういった暗黙の秘密が分からず、大人に問われるままに子ども同士の秘密を話してしまうのです。ここでも友人を裏切ったという認識も悪意もないのが特徴です。』
『また、自分の関心のある話題を一方的に話しかけたりもします。相手が困惑していたり迷惑がっていても気がつかず、自分にとって関心のあることは相手にとっても関心のあることだと思ってしまいます。そして、曖昧な聞き方をされると意味がつかめないようです。久しぶりにあったので「最近どう?」と何気なく聞くと「どうって、何のことですか?元気かという意味ですか?勉強のことですか?友人関係のことですか、それとも家族との関係を聞いているのですか?」などと細かく聞き返されることがあります。その場で何が話題になっているか、言外の意味を汲み取ることが苦手なのでどうとでもとれる曖昧な質問には答えることが難しいようです。』
『相手の話が「見えなく」なったときに聞きなおしたり、さりげなく確認したりといった「会話の技術」も未熟なことが多いようです。会話の内容よりも「音声」の方に関心があって、やたらと語呂合わせの駄洒落をいう人もいます。』
『一日の行動パターンを完全に決める人もいます。毎朝の通学電車では同じホームの同じ場所から、同じ時間の同じ号車に乗ることに決めていたりします。それは、想像力の障害のためで融通の利かなさという形で現れます。』
(う〜ん…。ますます弱った)

ちなみに、これは思春期や成人のアスペルガー症候群にも当てはまるそうです。「人の中で浮いてしまう」「秘密をバラす」「自分の関心のあることを一方的に話す」「曖昧な問い掛けに弱い」「会話の技術が未熟」「語呂合わせの駄洒落を好む」「融通が利かない」「こだわりが強い」チョット乱暴な抜粋ですが、私の周りにもけっこうみかけます。
(オイ!オイ!己ににも十分当てはまるって正直に言えんとかい!)

今日、若年認知症と診断された方が『目に見えない病気のため、会社や社会で認めてもらえない、私は1人の人間として生きていきたい』と訴えていらっしゃったのが、強烈に蘇って来ます。

続けて、主催者側の人が『若年認知症は病気です。怠けている訳でも、ずるをしている訳でもありません。目に見えない内臓の病気は、病気として認知されます。しかし、脳の病気は偏見がつきまといます。どうか、偏見を捨て、誰にでも発症する恐れのある病気であることを理解して下さい。』とも言っておられました。

【目に見えない病気への偏見】特に脳の病気には確かにあります。見た目が健常者と変わらないのが更に溝を深めます。病気への無知からくる物だとしたら悲しい話しです。もっと謙虚に学ぶ姿勢が求められているようです。


…携帯より…
漫画で学ぶ発達障害 [2007年02月11日(Sun)]
息子が読んでる週刊少年マガ○ン、当然私もお相伴に預かる訳ですが、なかなかどうして侮れません。

もちろん、私も気に入った連載物があるんですが、今週のお薦めは、問題提起コミック第三弾『15の夜』(いじめられているきみへ〜)ってやつです。

いじめられ続けてきた、アスペルガー症候群の少年の特性を知り、彼を守ろうと立ち上がった少年の話しです。

転校してきたアスペルガー症候群の少年と、始めは友達になろうと近づいてみたもの、『その場の空気を読めない』彼に、何時しか敵意を覚え、いじめる側に回ってしまう。

しかし、彼の独特の行動や言動が、発達障害から来ているものであることを知り、彼を助けられるのは、自分しかいないと立ち上がる所で来週に続くとなってます。

物語形式で、発達障害を図式で説明し、「ADHD」「LD」「カナー症候群」「アスペルガー症候群」の関係をサラッと示し、診断の難しさや専門家の少なさなども理解出来るように構成されてます。

しかも、よこはま発達クリニックの内山登紀夫院長のQandA形式の直撃インタビュー付きです。(アスペルガー症候群を知っていますか?)

実に良くできてます。講座で聞くより分かりやすい。私のレベルが丁度合っただけ、って突っ込まれたら逸れまでですが、入門編以上の効果があると思います。

いじめを議論する時、「いじめられる方にも問題がある」ってのが、いじめる側の言い訳として出て来ますが。今、その意見はタブーになりつつあります。しかし、こういう事でもいじめは起こるなと想像してしまいます。

もちろん今の「いじめ」は、それだけが原因ではありません。単なる憂さ晴らし、弱いものいじめってのが多いようですから。発達障害イコールいじめの図式でではないはずです。

しかし、今の学級崩壊等に代表される学校の問題には、少なからず、発達障害に対する無知が、問題をより深刻にしているのも、確かなようです。

マンガと侮らず、是非、一読してみて下さい。


…携帯より…
ともに生きる社会 [2006年11月30日(Thu)]
【この世は弱い人が居るから進歩する】
好きな言葉だそうです。この県立高等養護学校の校長先生の、話しを締め括るには、先生の呼び掛けを伝えなければいけません。

『今、生徒の実習や就職先の確保に生徒、保護者、教師が一丸となって努力しています。どうか心当たりの方が、おられましたら、是非、お知らせ下さい。お願いします。』

『あわせて、私達は、【生涯をとおした切れ目のない支援体制】を目指しています。
在校中は【個別の教育支援計画】を立て、どうにか就職し、一人立ちできるように、【個別移行支援計画】を立てます。』

『しかし、全ての生徒が、就職先を見つけることが出来る訳ではありません。
卒業後、家の中に閉じこもり気味の卒業生も沢山います。折角、就職できたとしても、職場と家の中から出れずにいます。』

『就職した子も、休みの日や職場での「休み時間」の過ごし方が上手くできません。孤独なんです。これが、卒業後、家に居る卒業生となると、尚更です。』

『そこで私達は、卒業後は、在校中から培ったネットワークを活かしたサポート体制を目指しています。余暇の有効利用に付いても、なるだけ外に連れ出そうと、我々自身でイベントを企画し卒業生達と交流したりもしています。』

『勿論、ボランティアの人達による企画に呼んで頂くこともあります。ありがたいことです。卒業生達を呼んで下さる催しものがあれば、是非、教えて下さい。』

『私達は、今、時代のながれに期待を寄せています。特別支援教育への一大改革が始まろうとしているからです。
そして、「安心」をキーワードにした利用者主体の支援地図の作成ができればと思っております。』

『障害者が、安心して暮らせる社会を目指し、【ともに生きる社会】の実現に向け、時代が動くことを期待しています。
私達は、支援を要する人々は【ともに生きる時代】の牽引役だと考えています。』

『皆様の、ご理解とご協力を、宜しくお願い申し上げます。』
以上が校長先生からのお願いです。あくまでも、私のフィルターを通してのことですので、ご了承を…。

※障害者自立支援法に付いての、恨み事で終わるものとばかり、思っていましたが、いやいや、天晴れ!あくまでも、前向きに締め括られました。とうとう一言の愚痴もありませんでした。前向きな人は、やはり美しい…。
(けして、変な意味ではありませんから)(くれぐれも、お間違いないよう、お願いします)

(くどい!…)


…携帯より…
デッドライン [2006年11月29日(Wed)]
人間関係において【困り感を持つ子供】とは、『場を読む』『関係を読む』『相手の顔(表情)を見て気持ちを読み取る』これが苦手な子供達だそうです。

いやいや、健常者と呼ばれる人の中にも、微妙な人って沢山います。私も他人からの評価は、許容のデッドラインを軽くオーバー、なんてことになっているのかも知れません…。

障害者手帳を貰えない、しかし、明らかに【困り感】を持っている。そんな人達と私達は、日頃、どう向き合い関わりを持っているのでしょうか?

『あいつは変な奴だから』『無神経過ぎる』『わがままにも限度が…』とかいう理由で、自分の周りから排除してきたのではないか?

色んな疑問が湧いてきます。『輪を乱す』『約束が守れない』『勘に障る』そんな理由で周りから排除してきた私の行動は、果たして正しかったのか…。

それが、障害からくるものであったとしたら…。
(う〜ん参った!)

気を取り直して、先生の言葉より
『出来る事を見つめ合う』『感謝の言葉を贈り合う』
これが大切なようです。

「感謝と承認」を、話し言葉に代えると『ありがとう』(あなたのお陰で)『助かったよ』ってなるらしいんですが、よっぽど気掛けていないと、はしょってしまいそうです。

私の、携帯電話のメモリーから削除してきた『私にとっての困ったチャン』を簡単に許すつもりはありませんが、病気なんだと思えば、少しは怒りが収まりそうです。
(そら、なかろ!) (大嘘つき…。)
済みません、つい嘘をついてしまいました。


…携帯より…
物言わぬ差別(視線) [2006年11月28日(Tue)]
『バスのボタンが押せない』生徒がやっと話してくれた一言です。

熊本県立高等養護学校の前には【養護学校前】という名のバス停があり、そこで降りると正門まですぐなのに、明らかに逆方向から登校してくる?不思議に思った先生が、『どうしたの?』って尋ねても答えてくれない。結局、同級生を通じて先生は理由を知ることになりました。
『養護学校前で、【降ります】のチャイムを鳴らすと、乗客の視線が集まり、嫌な目で見られることもあるんだ。それが嫌なんだと思う。』そう教えてくれたそうです。

他の生徒たちに聞いてみた所、一つ前の停留所で降りたり、している子もいるらしいことがわかったそうです。

『養護学校というたげで…』校長先生はそれ以上は話されませんでしたが、明らかに【差別】です。【人権問題】です。

こういうことを、人権教育の題材に取り上げ、じっくり時間を掛けて、子供達に考えて貰いたいものです。そして我々大人も!

冒頭にある生徒の一言は、女の子のもので、泣ながら話してくれたそうです。養護学校前の停留所で降り際に、バスの中の別の高校生らが『やっと障害者が降りた』と言ったのが聞こえ、そのためだったようです。

発覚後、校長先生と担任で、その高校を尋ね、抗議をしたのは勿論ですが、この先生方の凄い所は、その後、その高校との交流が今も続いているらしいところでです。
(なんとも天晴れ!)

※私たちも…いや、私も、自分では気付かない内に、相手にプレッシャーを掛けるような目で見てはいないか?考えさせられるお話の一場面でした。


…携帯より…

※関連記事こころのセミナーcc熊本講座奮闘記
生まれかわるなら [2006年11月26日(Sun)]
『愛され』『認められ』『役に立って』『感謝される』
今回の講師の先生のいう幸せの条件です。

さて今回の講師の先生は、熊本県立高等養護学校の校長先生です。普通中学からの生徒も沢山いるそうですが、その殆どが普通中学時代にイジメられた経験を持ち、心に傷をもって入学してくるそうです。

人間関係を構築するのが苦手で、社会的な関わりが出来ない。具体的には『人と話しが出来ない』『人の話しが理解出来ない』『チームプレーが出来ない(理解出来ない)』『状態判断が出来ない(場を読んでの行動が出来ない)』などの症状を持っている子供達だそうです。

『学習障害(LD)』『注意欠陥多動性障害(ADHD)』『高機能自閉症』『アスペルガー症候群』と診断を受けた子供達です。

しかし、人間関係、社会的な関わりで悩んでいる子供達のなかには、診断を受けていない子供もそれ以上に存在しています。

いわゆる、『困り感』を持っている子供達です。『友達が出来ない』『話しが出来ない』『一緒に出掛けることが出来ない』悩んでいる子供達の心は、それだけで弱っているのに、追い討ちを掛けるようにイジメられます。殆どの子供が普通高校で悩んでいます。

高等養護に普通中学から入学して来る子供が最初に驚くのは、「喧嘩はあっても、イジメのない」ことだそうです。

【「一人一人が主役になる舞台」を用意してあげると、生徒達が輝いてきます】と言っておられました。

そして、エピソードとして「生まれ代わるとしたら?」という問いに対して、一人の生徒が『頭が良く生まれてきたい』と答えたそうです。すると殆どの生徒が、『俺も』『私も』と口々に言いだしたそうです。

※なんともコメントのしようがありません…。しかし、『おじちゃんに出来ることはない?』そんな思いになった事は事実です。

この続きはまた今度…。


…携帯より…
無責任形骸体制 [2006年11月22日(Wed)]
【まさに『鉄の壁』だった】今日の国会ラジオ中継の中で、野党の方が、教育委員会の一連の問題発生以前の姿勢を表した言葉です。
【『隠蔽形骸体制』は今も続いている】ともおっしゃってました。

数日前のニュースで、イジメの訴えを教育委員会に直訴したお母さんがインタビューの中で、『学校側にどんなにイジメを訴えても、「確認できなかった」の一点張りで、挙げ句には「お宅のお子さんには被害妄想癖がある」と言われ、「お子さんは嘘をついている」とまで言われました。』涙ながらに訴えておられました。

おそらく、学校もイジメの訴えに対して『鉄の壁』だったんでしょう。『隠蔽形骸体制』を自らの保身のために作り上げ、今までどれ程の人達が泣かされて来たことか。胸が痛みます。

教育基本の改正が取り沙汰される中、今、改正されるべきは、教育を取り巻くお役所の解体と再構築です。たぶん危機感が欠如して無くなってしまってたんだろうと思います。

危機感を持ち、一生懸命、職務をまっとうなされている職員の方々が、霞んで見えなくなってしまいそうです。昼夜を問わず問題に取り組んでいる方々が、気の毒でなりません。

私の参加する講座や講演にも、それぞれの縄張りの長と名乗る人達も、講師してやって来ます。しかし、分厚い資料(配りもん)を投影しながら読み上げるだけでは、何の意味もありません。

毎日、奮闘されている現場の方の話が、心を揺さぶられるのとは、明らかに違います。
(眠たくないし…全然!)

今、国会で参考人として呼ばれている方々は、本当は肩書きだけで、『隠蔽形骸体質』に染まってしまった、病人なのかもしれません。
(いや、参考人だけでは、ないな!)


…携帯より…
人権教育とイジメ [2006年11月17日(Fri)]
人権教育が学校のカリキュラムにちゃんとあるのに、一番身近で、切実なイジメの問題が直接的に取り上げられないのは、なぜでしょう?

イジメはある意味『差別』と同じではないでしょうか?人権問題を教えていくことで、(差別はしてはいけません)=(イジメはいけません)
となるでしょうか?
人と違うから、とか弱いからとか、ウッブン晴らし、そんな理由でイジメられる訳ですから、人権教育のそれとは少し違う気がします。

何より、子供たちの身近な所とはかけ離れた題材では、その題材のことは理解できても、自分たちのことに応用なんてできるとは思えません。大人でもおそらく無理です。誰でも自分の悪いところは見え難いものです。

そもそも、人権教育も性教育と同じで、サラッと流すだけの授業になってはいないのか?あるいは、飛ばされた社会科の授業のように、あたかも教えたのごとく粉飾されてはいないか?それが問題です。

児童相談所が専門家以外の介入を嫌うあまり、手一杯で飽和状態なのと同じで、学校も政治や警察権力の介入を嫌う割には、目一杯のようです。失礼な様ですが、今の学校の先生方だけでは、おそらく無理です。

みんなで、子供を育てる、学校を育てる、そして、もちろん我々大人も育てる、そんな社会になればいいなと密かに思っています。

もはや、教育を教師に任せっきりにはできません。それぞれの専門家が、学校に関わり、入っていくことで、少しでも今の状態が改善されることを祈ります。先生方、教師の肩書きを捨てて(時には伏せて)、世間の風に揉まれて見て下さい。忙しいのはあなた達だけではありません。


…携帯より…
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