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本当はできるのに、できるって知らないだけなんだと思う [2012年06月29日(Fri)]
放送は7月1日(日)夜9時


ゼミで扱っているマザーハウスの山口絵里子さんがモデルになっている。しかしどうも、ドラマの中の「マリコ」と「山口絵里子」さんは随分違うようだ

大人げない大人になれるかが勝負だと思う。
山口さんの著書「裸でも生きる」「裸でも生きる2」はゼミ生にも人気だ。

われわれの周りに勇気づけられる物語はたくさんある。
見ていて涙が出ることも何度もある。
でも、行動を始めない。

行動を始めれば、周りがよってたかって「無理だ」「無駄だ」「やるべきことは他にある」と言ってくれる。袋だたきにしてくれる。それでも「できる」「知らないだけだ」と自分を鼓舞し続けられるかが勝負だ。青春の勝負は、感動することではなく、行動テストを受け続けるところにあるんだと思う。

山口さんのインタビューはいいよ。

中学から柔道を始めた山口さんは試合に出るために、「タバコは吸わない」「お酒は飲まない」「茶髪にしない」「バイクに乗らない」「公共物を壊さない」「パチンコ屋に行かない」・・・の約束を先生としたそうだ。そして埼玉県チャンピオンになった。

こんな約束が条件となる山口さんは「貴族」だ。
中学時代のそんなエピソードは今さら努力しても作れない。
「平民」である私たちが勘違いして、今さら髪の毛染めて、酒飲んでたばこ吸ってもしょうがない。

カギは実現させる行動だ。
信じて進めばいいんじゃないよ。「実現」だ。
「山口さんに会いに行きたい」と言った学生がいた。
会いに行かないとダメだ。
でも「夢を追うひと」なんてボヤッとしたイメージで会いに行くと圧倒されると思う。「夢を実現させるひと」だ。

自信が無くなった?

本当はできるのに、できるって知らないだけなんだと思う。
(私が記憶する、以前テレビ取材された時の山口さんのセリフだ)
Google+ハングアウトで授業実施構想 [2012年06月27日(Wed)]
今日の「現代文明論」で日本・ドイツ(柔道部OB 齊藤俊一君)・エチオピア(バスケットボール部OB 伊藤馨君)をGoogle+ハングアウトでつないでテレビ電話会議方式で授業を進めようと画策した。

ドイツの齊藤君に連絡すると、今回も道場に泊まり込んで現地時間、夜中3:30(時差-7時間)からの準備つきあってくれるという。ところがエチオピア・モジョの中学校・高校で活動している伊藤君から返事。

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お久しぶりです。
こんにちは。OKです。
明け方、うちのニワトリが騒がしいので心配ですが。
・・・と言いたいとこなんですが。

先日エチオピア政府の決定で、スカイプ等ネットを使って通話することが禁止になりました。見つかったら懲役15年とか。エチオピアの電話事業の保護が理由だそうです。

残念です。
しかし、任期延長も15年は無理です。
ごめんなさい。

何かネタの提供だけでも、させてください。
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十分なネタだ。
大変なところで活動している。

電話産業の保護は理解できなくはない。しかし、先進国モデルで通信回線を実現しなくても良い様にも思う。先進国でも既に固定電話が今後も本当に必要か疑問がある。情報統制という側面を疑う向きもあろうが、これはネット通話だけでなく、インターネット接続を徹底的に制限しない限り意味は無いだろう。そんな意図だとすると少々愚かだ。

結局、ドイツの齊藤君とだけつないだ。
彼はミュンヘンのスポーツクラブTSV1860で5歳から85歳までを対象に柔道指導をしている。何と今夏は、彼の教え子がドイツ男子73kg級代表としてロンドンオリンピックに出場する。

1年生達は大拍手。自分たちの若き先輩が異国でオリンピック選手を育てているのだ。
「6人までは泊められるからおいで」
齊藤君の誘いに心ときめいた学生もいただろう。
授業レポートを読むのが楽しみだ。

齊藤君、伊藤君、ありがとう。
図書室 [2012年06月22日(Fri)]
出張で富士山へ。
午前6時前に出発して早めに現地に着いた。
雨で富士山は見えない。

仕事の前に、どうしても行きたいところがあった。
山梨県環境科学研究所の図書室(環境情報センター)だ。

昔、知人が富士山の裾野に別荘を持っており、夏の何日か家族で利用させてもらった。その時によく通った。

最初は観光地の1つとして研究所の展示を子供に見せ、森林の中のデッキウオークを歩いた。それはそれで素晴らしかった。

しかし、そのうちに家族で研究所の図書室に通うようになった。決して広くない。8208教室ぐらいだろう。蔵書数は決して多くないが、自然・環境・生命・科学・富士山に特化し、子供用図書も充実していた。せっかく観光地に来ているのにとも思ったが、こういう普通のことが「贅沢」な「別荘ライフ」なのだと感じた。

選書者の意図が感じられた。マックを使い(当時雑誌棚にMAC系月刊誌が入っていた)、富士山の自然に向き合う、博物学者的な髭を生やした40代のおじさんを選書者としてイメージしていた。そんなおじさんが「へへへ、いいだろ」と笑いながら本を並べているような感じがした。

「現代文明論」で紹介した「SEXはなぜ楽しいか」という本もここで出会った。こういう所じゃないと手に取らなかったと思う。今回、ずーっと思い出せずにいた本にも再会できた。
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私は自然科学系の本をあまり読まなかった。そんな私の世界観を変え、その領域への興味を募らせる、たくさんの本に出会った。

書籍が電子化される状況で、どのような図書館を作るべきか。昨年図書館長になってから、何となく「もう一度見に行きたいと」と思っていた。そしてやっとかなった。

研究所を出るとノルボッテン(学生と研修で訪問するスウェーデンの北部地域)の匂いがした。
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夏には気づかなかった。季節の問題なのだと思う。針葉樹が出す匂いだ。スウェーデンでサウナなど、木製の水周りを掃除するときに使うワックスの匂いだ。松の成分でできていると聞いた。

色々なことがあわさって、段々と具体的な像になる。
もう一度、刺激をうけて帰ってきた。
柔道二段 [2012年06月20日(Wed)]
県立高校で柔道部に所属し、柔道二段。大学卒業後は家庭教師や都市ガスの検針員をしながら政治を志した人が、日本の代表として大国の柔道家と相対した。

野田佳彦首相のことだ。

ロシアとの間には領土問題がある(ロシアはないと言っているが・・)。柔道愛好者であるロシアのプーチン大統領との会談で野田首相が
柔道有段者同士「担当大臣・実務者協議を ” 始め!” としたいですね」と切り出した。

日本語を話さないプーチン大統領も「Hajime ! 」はわかる。

プーチン大統領が柔道愛好家だから日本に有利なことをしてくれるわけではない。逆に柔道愛好家であることで日本国内のロシア理解を深めること利用されるという見方もできよう。ロシア外務省の担当者から解説を受けるまでもなく、ニュースを見ていれば野田政権が岐路にたっていることもプーチン大統領は理解されているだろう。ナイーブに柔道を通じて国際理解が・・なんて思わない。

それでも、この会談でのエピソードはいい。

それは、野田首相が高校時代の柔道の稽古を思い出しながら話しただろうと想像できるところだと思う。瞬間、野田首相から野田主将になったかもしれない。そしてそれが、単に汗を流したという思い出だけではなく、「精力善用 自他共栄」という思想と柔道が不可分に結合していることと関係していると思う。

プーチン大統領の行動のどこが「精力善用 自他共栄か?」という意見も聞こえてきそうだ。それでも日本は「精力善用 自他共栄」なんだと思う。ロシア側は日本側の更なる経済投資に期待している。いいじゃないか。自他共栄だ。

確かに、政治家の資質を、実直さ、清貧さ、人相で判断すると誤る。
「個人資産額が史上最低の首相」だからいい人とは限らない。お金に困っているとお金に転ぶからね。親から何億ものお小遣いをもらえる人の方がいい首相かもしれない。

しかし、あの人相を見ていると憎めない。
野田さんがプーチン大統領に嘉納治五郎の話をしたときに「精力善用 自他共栄」を考えていたと思う。

人には色々な側面がある。
100%聖人という人は、まずいない。もちろん私はそうではない。正しくない事も考える。でも時々、他者の事を思って行動すると幸せに感ずる。多くの人が同じだと思う。人間の弱いところ、正しくないところを自分の経験として知っている人が、正しくありたいと努力する姿を見ると応援したくなる。

何人も首相が交代し、そのたびにリーダーとしての資質が論評される。しかし私は、日本はそもそもリーダーが重要でない社会だと理解している。先日も「スポーツ組織論」の授業で学生に実験させて、そのことを体感してもらった。日本という社会は交代でリーダー役とフォロワー役を遂行することがしっくりいく社会なのだと思う。


消費税率のアップに私は賛成だ。
マニフェスト?
私は民主党支持者ではないので、消費税率アップを実現してくれるなら支持する。

柔道の話題きっかけに、野田首相へのシンパシーを強くした自分に気がついた。
雲固の先生 [2012年06月18日(Mon)]
居眠り防止のために研究室のドアを開けている。
前を通る1年生が「あっ、うんこの先生だ」と話しながら通る。
『現代文明論』が原因だ。うれしい限りだ。

新入生を対象とした『現代文明論』を担当させてもらっている。今年は更に担当回数が増えた。光栄なことだ。もちろん内容もバージョンアップさせた。

『現代文明論』は、国際武道大学創設者 松前重義博士が科学史などを扱いながら現代文明がどのように未来を切り拓くかを論じた授業を起源としている。東海大学でも行われているが、国際武道大学では体育学を専門とする学生に適応したものにしたい。少なくとも卒業時に振り返って「大学生」になった瞬間はあの授業だったと思い起こしてものにしたいと思っている。

今回は、"Think out of the box."を実践として理解してもらうために、ガイダンス授業から仕掛けをして、雲固から広がる世界の話をした。雲固は汚い、臭いという思い込みの箱に入っていると見えない世界を見せた。

箱の選択は難しい。例えば性の話の中に言い事例はたくさんあるが、雲固ですら引いてしまう学生がいるのに、性の話は更にその割合を増やす。政治や信仰の話題も扱いにくい。入口で立ち止まってしまう者が多くなるのだ。

Season1は雲固ネタで通した。その結果が「あっ雲固の先生だ」となった原因だ。

毎回授業終了後に学生達はミニレポートを提出する。毎回500通を越えるレポートに目を通すのは楽しい。

「下ネタから世界に繋げる話はスゴイ」と褒められると、「下ネタ」ではないよと言い返したくなる。しかし知ることをおもしろがってもらえているのであるから嬉しい。

もちろん、残念な理解レベルに止まる者もいる。ダメなわけではない。箱から出られずにもがく者や、まだタイミングでない者達だ。そしてそのレポートの中に私の授業を修正させる内容がある。

次回からはもう一段上のレベルに進む。
箱から出た上で、問題を分けて考えることを理解する。
科学的な思考とそうでない思考とに分けて考察出るようになったら成功。

科学的な考察結果のみが正しいという「信仰」は科学的ではないからね。

知るということは最高に楽しい。
1114教室を出るときに世界が違って見えれば大成功だ。
「大学生」になる瞬間だ。
批判する資格も、擁護する資格も無い。 [2012年06月07日(Thu)]
1年ぶりに石巻に来た。女川を抜け、大川小学校を尋ねた。
1年前は写真を撮れなかった。
現実は写真では伝わらないと思ったし、もちろん外部者が写真を撮影することが冒涜になると感じた。

将来教育に携わる学生を育てており、また私自身も学生と海外などで活動する者として,心に刻まなければならないことだ。もちろん、1年経てば許されるというものではないかもしれないが、今回は記録させて頂いた。
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写真中央左の高台(橋のたもと)に避難しようとして、多くの生徒、先生が犠牲になった。私には誘導した先生方を批難する資格も、擁護する資格もない。

小学校の前に立つと海はもちろん、川面も見えない。多分3/11前の私には津波が来るなどという想像力がないだろう。先生方と同じ判断をしてしまったと思う。

一方で、失われた子供達のことを思うと悔しくて,悔しくて、悔しすぎる誘導だ。

一年経って、橋も通れるようになった。
復興は前進しているが、まだまだ復興している部分はごく一部。
翻訳不可能性 [2012年06月06日(Wed)]

英語をを完全に日本語として翻訳することも、広島弁を自分が話す日本語に完全に翻訳することもできない。本当は他者が話している日本語も完全に理解(自分の言葉に翻訳)することだってできない。そういう翻訳不可能性を誠実に受け止めるしかない。

それでも何故か心にしみる。
それは錯覚だと批判してもいい。
しかし、問題は正確性ではない。どこまで行っても理解・達成できないこと(100%の話者理解)、体験できないこと(ジョブスを体験すること)が、自分の中でよりリアリティーを持つ。

世界最高峰のインダストリアル・デザイナーが言いたかったことを、世界最高峰のインダストリアル・デザイナーの職場の話として聞き、また広島のおじちゃんの職場の話と聞く。そんな2点聞きをすると、より立体的な像を結ぶのだろう。形式を変えることで、形式を超えて、本質に近づける気がする。

おすすめ。
調息 [2012年06月03日(Sun)]
30年前、高校時代。
物理を担当下さった土橋先生は、毎回授業の最初に調息を行った。

調息 ・・・ 生徒が呼吸しているか調べるのではない。
座禅、気功、ヨガでも「調息」という用語を使うようだが、呼吸を整え、心を静めるものだ。

母校で同窓会があり、土橋先生がご出席下さった。10年前に高校を定年退職され、現在は故郷である小海(長野県南佐久)にお住まいだ。30年前の土橋先生は現在の私より若かったはずだが、あまり昔と変わらない印象がする。

司会が土橋先生に調息をリクエストした。

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定年退職してから10年が経ちました。私もそう長くはないと思います。

(参加者一同笑い)

まあ、誰しもいずれ死を迎えます。みなさんもそれなりの覚悟があると思いますが、いざ死に直面すると、覚悟通りにはいかないでしょう。
そんなとき調息を思い出してもらうといいかもしれません。

(同窓会参加者一同笑い)

原点に返るということ、生まれたての自分、原点にもどるのです。
そんな練習を日頃からしていると意外とあっさり逝けるかもしれません。

(同窓会参加者一同笑い)

私はみなさんに物理を教えたのですが、退職後10年が経過し、今では物理のことはすっかり忘れました。

(同窓会参加者全員大笑い)

しかし、調息は忘れようがない。忘れるものがない。すなわち、本当に原点に戻るのであれば、忘れるものがない。戻ると迷いが取れる。我に返るのです。

それではやりましょう。

視線は45°ぐらい前方に落として、暫く自分の呼吸を数えましょう。

吸う息を1つと数える。
吐く息を2つと数える。
10まで行ったら、また最初に戻る。

その間に色々な考えが浮かぶと思いますが、
そういうものに囚われない。
それを相手にしない。
邪魔にもしない。
思いが浮かんだらそのままにして、呼吸に気持ちを向ける。
・・・・・・

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2分ほどで終了した。
「高校時代、こんなに真面目に調息していたか?」
と司会。一同が笑ったが、本当に真面目に取り組んだ。

30年前、教室で調息をやった自分を覚えている。
このまま居眠りしてしまうなんて思っていた。
土橋先生は教壇の上から「囚われない心」を持てない生徒の様子を見ながら、それに囚われず調息を続けられたのだと思う。

30年が経過して理解できるようになった。
「物理の授業をしながら精神世界を説いていた」
とは同級生の感想。
生徒の心に時限爆弾をしかけるとはこういうことだなぁ、と思った。

そういう授業ができれば最高だ。