本日は148歳の誕生日。
1963年10月26日にロンドン・コベントガーデンにある
フリーメーソンズ・アームズというパブで生まれた。フットボールのルール統一のためにパブリックスクールのOBが集まり会議を開いていたが、「キーパー以外は手を使わない」というルールに反対したラグビー校のOBが
「そんなのフットボールではない」
と席を蹴って店を出て、ラグビーとサッカーが分かれたのだ。
行ってみたいね-。
サッカー部員、ラグビー部員と一緒に。
私は先ほどまで新潟県立八海高等学校で450人の高校生を前に『ニセモノがホンモノになる』と題して講演。
新潟県オンリーワンスクール推進事業の最終回。その中で紹介した。
最初はみんな「ニセモノ」だった。
野球は1842年。消防団で始まった。A カートライルがルールを説明するとみんな笑った。それでもやってみたら面白かった。
50年後に日本に伝わった。最初は打球鬼ごっこと言われた。伝えた青年教師
H.ウイルソン(29歳)は,日本のチームができる前にアメリカに帰国した。
日本で急速に普及した野球に対して、100年前=1911年には朝日新聞が「野球と其害毒」という連載がされた。新渡戸稲造をはじめ著名人が野球を批判した。盗塁をすることから「巾着切り=スリのスポーツ」とも批判された。
ウイルソンが来日した年、年末(12月21日 11:30AM)YMCAスプリングフィールド校でバスケットボールは生まれた。サッカーで教室のガラスが割れたことが原因だった。
4年後。同じYMCAの体育教師が、バスケットボールをみて、身体接触があり中年には危ないと考えた。1895年、ネットでチームを分けてボールをやりとりするスポーツを編み出した。ミントネット。のちにバレーボールと呼ばれるようになる。
最初はそんなに格好いいスポーツではなかった。笑われ、相手にされず、批判された。
八海高校の全校生徒から90分頂いた。
避難訓練(ニセモノ)、ベトナムで打っているニセモノの国際武道大学、「ニセモノ」であったスポーツの話、サーフィンのニセモノ=スケートボードの世界(ヘルメットおじさんは体育館で35年前のスケボーに乗りまくった)・・・。
私は最高に楽しい90分であったが、高校生はどうだったろう。
最後に山田教頭先生に「では、もう一度先生に拍手を」と促され高校生達が拍手をしてくれた。そのときにアイコンタクトある高校生がとても多かった。勘違いかもしれないが、おじさんはいい気持ちになって学校をあとにした。