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33年ぶりの石川県 [2008年09月30日(Tue)]
6時にホテルを出て七尾へ。途中、羽咋の休暇村で休憩。ここで家族でキャンプをした記憶。新築したばかりの大浴場の目隠しが出来ていなくて、丸見えだった記憶がある。確かにここだ。
シジミを捕った海岸。

姉が私のラジカセで録った波の音。そのバックに
母「いたいた。いたいたいた。足に貝がさわるのね。」
父「一番喜んでいるのはママだな。」
という会話が録音されていたのを思い出す。

七尾市。鵬学園を訪ねる。礼儀正しい生徒達。

曾祖母が生まれたのは130年ほど前。まだ七尾港が開港される前だ。道の真ん中にふらふら立っている老人がいた。この老人も近親者かもしれないと想像すると、にこやかに徐行できる。

所詮地球上の人類は「みな近親者」と考えるとゆったり生きられる。

金沢に戻り遊学館へ。兼六園を抜けて金沢特有の細い道。カンボジアへの体育授業輸出に興味を持っていただく。来月半ばにはカンボジアへ来春プロジェクトの調整に行く。カウンターパートのオクサレットさんと前の晩にやっと連絡が取れた。

カンボジアの山平からもメールあり。オクサレットさんがホテルの予約、空港への迎えの手配をしてくれているようだ。

レンタカーを返し、ホテルのロビーで仕事。午後から、かなざわ総合スポーツクラブの竹井マネージャーと県立武道館、窪田柔道倶楽部を訪ねる。窪田先生を講師に障害者武道講習会をやりたいという気持ちになった。

竹井勘兵衛君の能の稽古にお伴する。さすが小京都。藪俊彦先生のご指導もゆったりとした独特のリズム。

その後、夜の理事会に向けて、一度、竹井さんと分かれ、金沢21世紀美術館へ。休館日だが自由スペースを10分で駆け抜ける。
貸出用の車椅子もデザインされている。


急いで夕食に。たまたま大学時代の後輩の事務所を見つける。15年ぶりぐらいでは無かろうか・・・。仕事は成功し、広く活躍している様子。金沢星陵大学まで送っていただいた。

総合スポーツクラブ理事会。障害者武道講習会について説明の機会をいただく。豊かな社会とは多様性ある社会であると決めつけ、学生檄入用のビデオまでみせてしまう大暴走。

反省しながら19時過ぎに星陵大学を後にした。しばらく歩き、タクシーをひろう。運転手さんに頼み銭湯(運転手さんご推薦の大和温泉)へ。急いで身を清め、21時には金沢駅へ。

駅でギネスを1.5パイントとプリンアラモード。甘いビールに甘いつまみ。意外な組み合わせが美味しい。この初めての味わいを脳は楽しむ。脳によい食べ物なのだ。一日駆け抜けたご褒美。


翌日の1時間目の授業に間に合うように22時30分発で東京へ。
みなさま、お疲れ様でした。
存立 [2008年09月28日(Sun)]
午前11時から新宿で打ち合わせ。午後2時前に中座して羽田空港へ。

15時30分の飛行機で小松へ飛ぶ。ANAの機内ではいつも寄席を聞くことにしている。聞いている内に熟睡。サービスにも気づかず。

気がつくと金色に輝くもやに包まれた山々が見えた。石川県は初めてだと思っていた。記憶をたどると小学校6年生の時に家族で羽咋の国民宿舎でキャンプをしたことを思い出した。

「あれ、羽咋だったよね」
昨日オープンキャンパスが終わって母に電話した。母に話を聞いているうちに、今回の目的地の一つである七尾市にも当時寄っていることもわかった。

「なんで行ったの?」
「七尾はね、おばあちゃんのお母さんの故郷なのよ」
知らなかった・・・

祖母は東京日本橋の出身の江戸っ子。色白で背が高く、はっきりした顔をしていた。戦時中に母は「おまえの母さんは敵性人だ」と言われ「ドイツ系だ」と大ボラで黙らせたという話を聞いたことがある。

そのときに「曾おばあちゃんがロシアに近い北の方が来ているからね」と冗談めかして聞いたことはあった。祖父方のポリネシアン系の容姿を引き継いだ私からは想像できないかもしれないが・・。

曾祖母は生まれて直ぐに東京にもらわれていったようだ。曾祖母は双子で、お兄さんがいたらしい。当時はあまり男女の双子が歓迎されず、誕生も秘されてもらわれていったというのが母の解釈だった。

七尾の実家に関する情報は全くない。もらわれていった東京の家で実子として育てられ、曾祖母もあまり自分の来歴を知らされなかったのだろうか。

私の8分の1は、石川県・七尾から来ているのだ。明日は様々な人に会う。もしかすると相当近い人かもしれない。そう思いながら過ごすことになるだろう。


夜、マシンガントーク吉田からメール
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松井先生

こんばんは。
インカレ無事終了しました!
武大のぼりを貸していただきありがとうございました。
とても目立っていて注目度満点でした!

結果は男子は総合三位!女子は六位でした!
男子は四年ぶりの表彰台で、女子は史上初の最高な結果でした!
みんな主将の「藤本大志を表彰台にのせる」というのを目標に掲げて練習してきたので、それが実現できて最高に嬉しい気持ちでいっぱいです!

以上報告でした!

吉田茜
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ライフセービング部のみなさん、おめでとう。
国際武道大学のぼりを貸し出している。希望者は入試・広報センターへ。
9月オープンキャンパス [2008年09月27日(Sat)]
特別授業の担当。いつも学生の面接実演の時間を取って怒られる。申し訳ない。
今回担当の阿弓君から「5分はいいですよ」といわれたので、ありがたく5分超過。

「スポーツで世界を変えられる」ということを信ずる話をした。

追記
日曜夜、天才柳田からメール
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中央線内で流れているANAの電光掲示広告がすごくいいです。

私は鳥肌たちました。
障害者武道のスポンサーについてもらっているけど、
より深いつながりになるのではないかと思いました。
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彼が感動したのは「8年後の選手達へ。」

こういうことだな。
シリア代表空手チーム [2008年09月26日(Fri)]
日本シリア友好協会のシハブさんが来学した。

11月に日本で行われる世界空手道選手権に出場する選手14名、役員6名が大会前1週間、国際武道大学に滞在する調整にいらした。

シハブさんが日本語に堪能であることに気づかずに、空手道部員が
「シリアってどこ?」というと
「アジアです」とシハブさんが答えた。

日本人のアジア概念はどこまで広がっているだろうか?
イラクはアジアですか?
インドはアジアですか?

精々東南アジアまでがアジアになっていないだろうか。
イラク、シリアは中東であってアジアでないと考えていないか?

<アジア地図>

シリアは左端。トルコの下、イラクの上。
日本は右端。

シハブさんにとって日本は同じ「アジア」の国なのだ。
滞在は11月4〜12日までの予定。


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三島南高校で授業 [2008年09月25日(Thu)]
本日は静岡県立三島南高校。
三島南高校はスウェーデン研修最初の年、02チーム堀井君の出身校。彼はこのグランドで野球に打ち込んだのだろうか・・・彼が卒業する時期と学校が改築する時期が重なっている。
接写モードでぼけてしまった。

受講してくれたのはバスケットボール部・野球部の生徒達。
02チーム堀井君の映像を見せるところから授業は始まった。

90分間の授業に良くついてきてくれた。最後まで目の輝きは消えなかった。なにか湧き出る力をもった生徒達だった。

進路御担当の先生からOB教員の活躍、今年現役合格した学生のことを本当に喜んで下さっていた。A評価を頂きながら合格できなかった学生の名前を伝え、用水路の脇を駅に向かった。

この道を通ったのだろうか。伊豆箱根鉄道に乗りながら、それぞれの学生が高校時代にいろいろな体験をしてきたことを思った。

長生高校で授業 [2008年09月24日(Wed)]
千葉県立長生(ちょうせい)高校で1年生対象の授業。進路について「働く意義」から考えるという設定がなされていた。

大学院の時に一緒だった斉藤君が長生高校出身だった。長生高校は地域中学校のクラストップが集う高校。

クラスで事前準備が行われており、「働く意義」について意見が集約され発表された。お金のため、家族のため、自分の成長のため、満足のため・・・。

黒板に絵を書いて説明した。
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「私は大学で学生を指導して給料をもらっている。そのお金で生活している。お金のために働いている側面があるね。家族を養っている。家族のために働いている側面があるね。みなさんの意見は、いちいち正しい。

でもね・・・例えばお金のために働いている側面があると言ったけど、私は学生を食い物にしていると思い悩む必要があるだろうか? また私が家に帰って家族に「おまえ達の為に苦しい仕事にも耐えている」と言ったとしたら、それは格好いいお父さんか?

僕は働くことで、お金をもらい、家族を養っている。それは一つの働く効果だが、「意義」とは考えないことにしている(単なるルールね)。もっと純粋に働くこと自体を見つめることの方が重要。

世の中には様々な職業人がいる。例えば先生でも、すごい先生と、このひと何が楽しくて教師をやっているんだろうという人がいないか? 駅員さんでもファストフード店員でもそう。楽しそうに仕事をやっている人とそうでない人がいる。

わたしにとっては楽しいことが基準だ。楽しければいいといっているのではない。楽しくなければ働かないと言っているのでもない。楽しさを見つけることが才能なのだ。

人間の脳は人のために行動するとドーパミンが出るそうだ。楽しいと感ずるのだ。

すべての仕事は、その仕事を通じて社会貢献をしているのだ。

どうだろう。人生の使命(mission)をとりあえず「**で社会を豊かにする」ということにおいて、進路(vision)を考えてみてくれないだろうか。今後どんどん変わって構わない。一番重要なのはmissionとvisionを実現させる情熱(passion)だ。」
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といった話をした。どうか長生高校で最高のピアプレッシャーを受けながら学ぶことができる者の責任を全うして欲しい。中途半端な自尊心のために自己防衛をし、結局何も行動をしない人になるな。

年明けには一連の授業の集大成として生徒達は発表を行うらしい。そのときには是非、missionとvisionを宣言してほしい。そのことで実現性が高まるはずだ。後に方向を変えても構わない。具体的に希望を描き、進んだ人間の9割がやりがいのある職に就くのだ。心配するな。悠々と進め。


「29年前にもどって、高校1年生の松井完太郎にもし話ができるのなら伝えたいことをしゃべる。」と宣言して始まった授業。段取りを無視するので司会担当の生徒は困っただろう。

でも勉強ができる君たちだ。応用力で勝負しよう。柔軟に変化に対応してくれてありがとう。みんなと接することができて本当に楽しかった。
台湾で発見 [2008年09月23日(Tue)]
1,熊田君発見
「卒業」したゼミ生、熊田大輔が台湾からメール。国立中央大学で勉強しているとのこと。携帯もつながらなくなったので心配していた。当初の方向からはシュート気味。いずれにしてもシュートボール。がんばってくれ。台湾に行く人がいれば彼のところへ。来年はデフリンピックが台湾で開催される。

2,吉良君発見
柏崎先生が9月4日〜11日に台湾で行われたデフリンピックのプレ大会に柔道競技役員として行かれた。審判は理解するとやるとでは違う。聴覚障害者の柔道では「待て」の場合選手方をタップする。通常の試合では「待て」をかけると審判は選手から離れるが、逆に近寄って言ってタップする。審判はいつもと逆の行動をなかなかとれないそうだ。武大卒業生、吉良君が優勝した。おめでとう。


3.小島君発見
柏崎先生がお持ちになったデフリンピックプレ大会の新聞を見ていると空手も種目になっていた。デフリンピックで種目になったことはない。感動して記事の読んでいると「KOJIMA TAKAHIRO」の名前。

なんとこの3月卒業した空手道部主将、小島祟寛が優勝しているではないか。
小島にメールを出すと返事がきた。
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プレ大会は、招待国が決まっており、空手道はアルゼンチン、アメリカ、日本、中華台北、ロシアのみ。そのため、参加人数も少なかったです。

私は、70kgアンダーでエントリーしていましたが、私1人しかいませんでした。他の各階級も少なかった。そこで審判団から、プレ大会の特別ルールが設けられ、6つあった階級を統合し以下の3つの階級に分けられました。

『65kg以下(軽量級)、65〜75kg(中量級)、75kg以上(重量級)』

そして、私は中量級クラスに出場することになりましたが、JPN(自分を含めて2名)、ロシア1名しかおらず、結局、この3人でリーグ戦を行いました。

最初にJPN同士で戦うことに…。結果としては、11−3で私が勝利しました。相手の3ポイントは全て、私の強打反則で・・・^^;

次にロシアと対戦すると思いきや、ロシアが突然、試合を棄権。おそらく、レベルの違いにビビったのでしょう(メンホーなし。世界空手道連盟ルール)。

という訳で外国人と試合することなく、JPN同士の決勝という感じだけで優勝しました。正直言って、つまらなかったし、寂しかったですが…。苦笑)

それでも交流は本当に楽しかったです。台湾を知ることも出来ましたし、他国の聴覚者と友達が出来ました。言葉は違うけど、聴覚者は身振りの工夫や理解に長けているので、すぐに会話が出来る状態でした。
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ブログで繋がる [2008年09月22日(Mon)]
夕刻に着信履歴。

電話をしてみると「ブログを見て電話した」という方。プロフィールに携帯電話番号を公開している。「スケートボード大会の審査員を」という依頼だった。

トップスケーターの大会。あこがれの選手も出る。しかし、全日本スケートボード協会の横山事務局長が言っていた。「審査員資格は「あいつ誰?」と言われないこと」。到底無理だ。

「スケートボードは大好きだが自分は審査をする実力がない。一般客として行きたい。」と申し上げた。「一般客も審査する大会」らしい。

しかし会場にどんな面下げていくのだろう。「若者文化」に理解ある大学教授・・最低だな。そんな上から目線は信用できん。

1,自前の私服(無理してると思われそうだな)
2,背広(場違いな感じ)
3,体育教員スタイル(ミズノのジャージにTシャツはもっと場違い)

Open mind. 何でもいい。下手でも乗れない日は禁断症状が出るのだ。それで十分。格好は関係ない。

しかし、本当に光栄な話だ。多くの人と繋がることができるチャンスだ。後期の比較スポーツ文化論に来ていただける方がいるかもしれない。
高田晃一さん帰国 [2008年09月21日(Sun)]
パラリンピック日本代表、高田晃一選手のコーラー吉川さんからメールがあった。
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成田前泊から21日間、あの素晴らしい競技場を高田さん、伴走の金城君と共に味わい昨晩帰国致しました。これほどの貴重な経験は二度とないであろうと思っています。

あの場に立ちたかった選手が世界中にたくさんいることを覚え、心して北京の地を踏みました。

共に北京直前の追突事故で痛めた体を推しての競技となり言葉にできないくらいの辛い状況下でありましたが、お陰様でLongJampにおいて5位入賞を果たすことができました。

私のコーラーとしての力がまだまだ及ばす申し訳なく思っておりますが、たくさんの方々の応援や支えがあってあの場に立つことができた喜びと感謝でいっぱいです。

来月11日から大分国体が開催され、12日の競技に出場し今年の競技が全て終わります。少しでも良い状態で臨めるよう調整していきたいと思いますので、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

北京に向けて様々なご支援を賜り心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

吉川
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山平教え子60人が教員に [2008年09月20日(Sat)]
カンボジアの山平(小学校教員養成学校)からのメール。教え子60名が巣立ちカンボジア全土に赴任することになったようだ。山平の教え子を通じてカンボジアの子供達に日本が、国際武道大学が、支援活動学生が積み重ねてきたものが広がっていくと想像するとわくわくする。そんな勝手な想像(思いこみ)を日本にいる我々に与えてくれる最前線の山平に感謝。

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松井先生

こんにちは。先ほどはお忙し中お電話ありがとうございました。タカちゃんから10月の予定を連絡するようメールを受け取り本日連絡する予定でした。1歩遅かったですね、すみません。

さて、9月17日に卒業生の小学校配属先決定会議ありました。私もなぜかドキドキ緊張しました。

会議では6月に実施された卒業試験順位順に本人の意思で小学校を選ぶ事ができます。希望通りに決まった先生、順位が最後の方で思ったように決まらなかった先生、その時の表情は様々でした。船を乗り継いで行く島になった学生もいますからね。ただ25期生60名全員全て小学校に配属されたのでそれがなによりでした。

カンボジアの教育現場に出ていく卒業生の背中が誇らしげでとても嬉しく思いました。初めて感じた気持ちでした。教師冥利はこういうところにあるでしょうか。

巡回指導が楽しみです。

8月末には1年生の学年末試験を実施。試験は模擬授業形式で行いました。1年間カウンターパートといちから指導した学生です。

期待しないようにと思いながらも、やはり期待している自分がいました。まだ上手く授業を組み立てることができない学生もいましたが、予想よりはよい模擬授業を展開できていたと思います。

また日頃あまり意見は言わないカウンターパートから「学生が選択種目が偏り過ぎで同じ授業展開にばかりだから、次回はこっちで体操や種目を指定してやろう。」という意見がでました。

カウンターパートも1年で変わりました。カンボジアでは行動して先にやってみせることも大切ですが、カンボジアの人々の考えをじっくり待つことも大切だと気付きました。かなり待ちますけどね。笑

10月のシェムリアップの件、了解しました。10月2日の新学期が始まりますが、おそらく17日〜19日大丈夫です。また詳しい日程が決まりましたらご連絡下さい。

すみません、長くなりました。
では、また。

19年度2次隊
カンボジア・体育
山平芳美
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