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SCOA CAMP [2008年05月31日(Sat)]
 武大在学中から活躍する青木宝子が取り組んでいる、異文化交流を目的とした英語スポーツキャンプSCOA(スコア)。今年もサマーキャンプの募集が始まった。



 青木宝子が奔走し、企画し、運営するプログラムは以下の通り。今年もキャンプカウンセラーが充実している。ちょっと他にない。

場所:山梨県清里高原 財団法人KEEP協会 松本ユースキャンプ場
1) 7月21日(月)〜23日(水)
2) 7月23日(水)〜25日(金)
3) 7月27日(日)〜29日(火)
4) 7月29日(火)〜31日(水)

場所:千葉県鴨川市 鴨川青年の家
5) 8月 3日(日)〜 5日(火)

対象年齢:小学校2年生〜中学校3年生
参加費用:小学生:38,000円・中学生:43,000円
(2泊3日の宿泊代、1日目夕食、2日目3食、3日目2食、レクリエーション保険、指導費、Tシャツ代が含まれます。)

 詳しくはSCOA CAMPのHP
 HPも青木の力作。うまいね。障害者武道のHPも発注したい。
本日夜9時 FM東京 を [2008年05月29日(Thu)]
時々授業で話す、知的障害ある女の子のドキュメンタリー

TOKYO FM 80.0MHz
5/29(木) 21:00-21:55
幻の金メダリスト達の訪ロ [2008年05月29日(Thu)]
山口義輝先生からの情報を頂いた。幻の金メダリスト達は、ロシアの新大統領メドベージェフ氏(42)と日本人として初めて会食したそうだ。若い新大統領をプーチンはどのように扱っているのか・・・柏崎先生にお聞きしてみたい。

関連情報を頂いたのでご紹介しておきたい。

産経新聞日刊スポーツ読売
"Moscow Times"(山下先生をプーチン首相の『友人』と紹介)

"Radio Australia"

昨年の国スポ授業を契機に始まり、学生達が目撃してきたことが、世界を駆けめぐる。すばらしい初年度授業だったと思う。

望星学塾で、今回の帰国報告を含めて「スポーツと国際社会・政治」をテーマに山下先生の御講演が予定されている。望星講座 6月14日(土)

ハワイ総領事やデンマーク大使等を務められ、イラク復興担当大使の要職にあった小川郷太郎先生を招いた講演会は6月12日(木)。山下先生のNPO法人が主催。

--------特定非営利活動法人柔道教育ソリダリティー---------
------------------第4回講演会-----------------------

 「柔道の世界への浸透と日本」
■開催日時■ 2008年6月12日(木) 18:30-19:30
■開催場所■ 国際文化会館
        東京都港区六本木5‐11‐16 
        Tel:03-3470-4611
■会費■ 1,000円(海外での柔道普及に活用される)

アスリートから政治家へ [2008年05月27日(Tue)]
 本日の国際スポーツ文化学科初年度教育授業「国際スポーツ文化入門」は、特別講師にソウルオリンピック水泳代表で現在、山形市議会議員の武田さとしさんをお招きした。

 山形市議会議員は自分に投票してくれた人だけでなく、山形市民全体を代表する。支持母体と自分の判断がずれたときにどうするか? 学校体育施設の開放についても、すでに既得権(たとえば毎週水曜夜5時からは剣道など)を持つグループがあり、新しいグループが参入することが難しい場合はどのように対応すべきか? ・・・

 など、苦しい質問にもお答え下さった。

 土居学科長のゼミでは、政策スタッフを抱えることが難しい地方議員に、ゼミ生が卒論のために調べた成果を利用してもらい、現実の施策に生かしてもらおうと活動している。山形から国際武道大学に入学した学生が、武田さんのみならず、様々な会派に属する議員にスポーツ振興政策策定支援をする集団になるという土居構想が面白い。

 政策シンクタンクは、一つの調査、提言を使い回してコンサルティングを全国展開する。山形のための提言は、他の都市でも応用が利くだろう。武大生パワーに期待したい。松井ゼミも土居アイデアに追随しよう。

 今日まで、政治家となって「スポーツで社会を豊かにする」というイメージを持っていた学生はほぼいなかったと思う。しかし昨日の授業で、武田さんと土居先生の話にのめり込んでいる数人が気になった。

 かつてはドラマがトレンドを作った。今はどうか・・・。小学校の先生から数ヶ月で総理大臣になるのも夢でないといい。
28年前のボイコット [2008年05月25日(Sun)]
 28年前の今日、柏崎先生は「泣く権利」を得るためにモスクワオリンピック柔道代表選考会に臨んだ。そんなことを思い起こさせてくれたのは、土居先生から頂いた毎日新聞の記事に関する情報だった。

 記事の中で紹介されている伊藤公(いさお)さんの「モスクワ五輪ボイコットの真相」は読み応えがありそうだ。

 1980年5月24日。日本のモスクワオリンピックのボイコットが決まった。試合の前日はニュースも見ずに寝た柏崎先生は、25日に試合会場に行って記者からボイコットが決まったことを聞くことになる。ボイコットのためにオリンピックに出られないと泣くには、代表権を得るしかない。選手達は「泣く権利」を得るために試合に臨んだのだ。

 国際スポーツ文化学科の初年度教育授業で、柏崎先生のお話しを聞いて涙が出た。この授業で話したことを柏崎先生が山下泰裕先生と話しているうちに「かつての代表選手でモスクワを訪ねよう」ということになり、5月10日からの訪ロが実現している。

 プーチンとの会食の話など、柏崎先生にお聞きするのが楽しみだ。柏崎先生はプーチン相手に巴投げの稽古をつけたのだろうか・・。

このビデオはイギリスの方によってアップされ、すでに2万2千回再生されている。



 
王妃から賜りし [2008年05月24日(Sat)]
またまたブログの更新が遅れました。火曜日の話をひとつ。

授業「スポーツマネジメント入門」で、嵐にもかかわらず来てくれた学生達に、YouTube実験アイデアを話した。多くの学生が参加してくれることを期待している。内容は今は内緒・・だ。

話の中で、ヨルダンのラニア王妃のYouTubeチャンネルを紹介した。おきれいな王妃が「アラブはイスラムで、イスラムはテロと戦争を招くというのは誤解です。」とキャンペーンを張っている。他にもアラブ女性の社会進出を扱ったものもある。王妃の「お気に入り」ビデオもいいね。pangea(映像の15分50秒ぐらいからのThe Ballを見てくれ。モザンビークの子供達がコンドームでボールを作ってサッカーをする話からの主張がいい)は恥ずかしながら「おそれおおくも」王妃に教わった。

お金があっても無くてもYouTubeの影響力の大きさを平等に利用できるのだ。王妃も武大生もね。6億円は不要だ。

授業での話を後輩から聞いた陸上競技部4年T君が連絡をくれた。国際武道大学、陸上競技部はYouTubeチャンネルをもっているのだ。

時代の変化に「わくわく」できるだろうか。結果が不確実なチャンレンジには「安全基地」が必要だそうだ。

子供の頃、確実なことなど何も無かったのに「わくわく」していたのは、たとえば親の庇護があったからだ。台風が来て家族と一緒に一部屋で寝た時なんて「わくわく」して興奮して眠れなかった。庭の木は折れて倒れたけど最高の冒険だった。

武大生諸君。そろそろ親からは独立だ。君たちの軸(たとえばスポーツで社会を豊かにするという使命)が「安全基地」となる。軸が見つかるまでは大学が「安全基地」となる。

大学の資源を利用することだ。

追記 The Ballを見つけたので以下に
四川大地震 2 [2008年05月15日(Thu)]
やっと四川省成都の魏炬明さんに連絡がついた。

昨日も連絡がつかず、今日も朝早くから電話をしたが電話に出ない状況が続いていた。

光亜学校に第2期に派遣した山本君から朝電話があった。昨年、綜合警備(ALSOK)を退社しお父様が経営する広告代理店に勤務している。まだつながらない旨を伝えた。

本日は埼玉県立白岡高等学校に出張だった。途中、魏さん所縁の与野を通った。駅について電話をしてみると繋がった。

最初は元気が無い声だったので心配した。恐る恐るご家族や光亜学校のことを聞いた。

「大丈夫です。全員無事です。光亜学校も校舎大丈夫でした。生徒も先生も怪我していません。」段々と元気な魏さんの口調に戻ってきた。

「わたし9階にいましたから、この世の終わりと思いました。大丈夫。元気です。ただ・・・たくさんの学生さんが死にました。午後2時半は学生さん学校に戻って勉強ですから・・。今は自分のことより、大変な人たちのことです。都江堰には行けません。今は救助隊とモノを運びます。一般の人ではない。光亜学校へも行けません。」

現地に行っていた3名の空手道部員に連絡した。小塩君は6月に現地へ行くようだ。それまでに自由に入れるようになっているといい。

小塩君が現地で「教員」として勤務していたときに私も彼のところを訪ねた。

宿泊した都江堰のホテルはちょっとすごかった。部屋は広いし、便器は大理石だが、鍾乳洞のように石灰質の垢がこびりついていた。エレベーターは5階で止まらない。4.8階ぐらいで止まる。つまり這い出ないと5階で降りられない。這い出ている最中にエレベーターが動き出したら死ぬなと思いながら降りた。あのホテルは地震に耐えられたのだろうか・・。

一方、大都市・成都で泊まったホテルは、ちょっと高級で非常に清潔で快適だった。ホテルの名前は西蔵飯店(チベットホテル)。オリンピック前に地震。しかも場所がチベットの脇なのだ。

中国政府がやっと日本の緊急援助隊の受け入れるようだ。救助のタイムリミットは72時間。それ以上になると生存率が極度に低下するそうだ。それでも、現在もがれきの下で心細く助けを待っている人がいるはずだ。絶対に。

追記
 と書いておきながら、昨晩は息子と話しながら寝てしまった。話の内容は地震のことではなかった。もうすぐ息子は農山村留学に行く。行きのバスの中で彼が主宰するゲームの話しだった。「世界のナベアツ・ゲームは?」などと下らない話しをしながら、幸せにも寝てしまった。ひどい話しだ。

 起き続けることはできないし、思い続けることもできない。しかし格好つけたことを言って、自身に実践がない。恥ずかしい。

 将来、日本で大地震が起こり、私が生き埋めになったら、きっと心細く救助を待ちながら、昨晩のことを思い出すのだろう。声を出せたら「世界のナベアツ・ゲーム」をやって、自分を元気づけるつもりが涙を流すことになるのかもしれない。
四川大地震 [2008年05月13日(Tue)]
四川省成都の魏炬明さんのお家に電話している。
電話コールは鳴るが、誰も出ない。

余震が続く成都では市民が戸外で過ごしているという。
ご家族無事であってほしい。

都江堰の光亜学校が心配だ。
そこに空手道部員を教師として派遣していた。
第1期派遣の小塩君に連絡した。
生徒達と連絡は取っているが、いずれも現在四川省以外に住んでいる生徒達らしい。
第3期の池谷君からも連絡が取れないというメールが来た。
いずれも卒業して指導者として頑張っている。

連絡が取れたとして我々に何ができるのか?
武大学生による救助隊構想を持ったことがある。何人かの先生と話した。現地に迷惑をかけずに自給しながら災害初期3-5日間支援に行くものだが、この現地に迷惑をかけないところが難しい。学生のご家族から理解を得るのも難しい。

何ができるのか。
何ができるのか。
「真剣」な「Play」? [2008年05月11日(Sun)]
 地域で行われたコンサートで、地元中学校吹奏楽部の一員として私の娘がステージに立った。パーカッションを担当している。

 吹奏楽部には50名ほどのメンバーがいる。みんな真剣だ。その中で我が娘のみが体を揺らしてリズムを取りながら満面の笑みで演奏している。曲と曲の途中で拍手をもらってお辞儀しているのは指揮者の部員と娘だけだった。

 3曲演奏するなかで、指揮を担当する中学生が「ノリのいい曲なので手拍子お願いします」と緊張で声を震わせながら言った。観客はそれに応えて手拍子をする。中学生の「真剣」顔は真摯で好感がもてる。

 しかし残念ながら「真剣」さは「堅さ」にも感じられる。楽しんでないわけではないが、演奏を楽しむ気持ちが伝わりにくいように私は感じてしまった。

 スポーツをすることも、楽器を演奏することも、英語では「play」で表現する。

 先週のスポーツ・体育行政学の講義でスポーツの広がりマトリクスを黒板に書いて、スポーツを「play」するということを扱った。武道をすることを英語で表現するときは、どうしても「play kendo」ではなく「practice kendo」になる。

 スポーツでも楽器でも、そして様々な局面で「技」に着目しpracticeを重視する文化を日本は持っているからこそ、世界に誇るべきモノ・技を実現してきたんだと思う。それを誇りに思っている。しかし「play」という要素がベースにあることを確認することが、日本の文化、特に普通の人の生活を豊かにするように感ずる。

 吹奏楽にもスタイルがある。コンクールでは真摯さを評価されるという。娘のようにマラカス持って体を揺らしたら、それだけで雑音が出るだろう。次の楽器の準備もしないで音楽にノッていてはコンクールで金賞を取れないかもしれない。

 うーん。それはまずいな。私も「楽しめばいい 勝負は関係ない」という思想を述べるつもりはない。

 いま仕事をしながらNHKをつけている。全国学校音楽コンクールの課題曲の解説をやっている。中学生の課題曲はアンジェラ・アキ作詞作曲の「手紙」だ。いい曲だ。模範演奏している合唱団が、楽譜にない手拍子を入れて歌っているではないか。本番でも自由にやって欲しいと指揮者が言っている。編曲者が「自由にやってくれ。あえて楽譜に指示を書かなかった」と言っている。

 音楽もスポーツも「普通の人(たとえば、草野球を楽しみ、カラオケを楽しむ人。)」の生活を豊かにする営み=文化なのだ。言うまでもなく。

 我が娘は、知的能力と引き替えに音楽を心から楽しむ能力を受け取った。先生方や回りの中学生の支えで成り立っている。演奏が終わってからの後片付けも友達に声をかけられ助けられながらやっている。その優しい仲間を批判しているのではない。助けてもらって、支えてもらって、それに恩返しができるとすると、娘の姿勢だと感じただけだ。いずれ思い出してもらえることがあるとうれしい。
君子之交淡若水 [2008年05月10日(Sat)]
 高校時代のテニス部の仲間と久しぶりに連絡を取った。

 千葉輝夫君を起点にして古山、木全、星野、熊倉、山本。次から次とメールをくれた。彼らやメールCCにある早稲田高校84回卒テニス部面々の特徴あるプレーが回想される。あの頃のように「ひんがら、しんがら、やぎの、きんたま、ほい。」とボールを数えてみた。一人だけプレースタイルがわからない奴もいる。肘を痛めていたTだ。大学卒業後、数年して小田急江ノ島線の中で似た人を見かけた。なぜか躊躇して確認せず、人違いだと思いこんだ。

 昔、海軍にいた父から「君子の交わり淡き水のごとし(徳がそなわった人の交流は、水のようで、友情は変わることがない)」ということをよく聞かされた。父が博学なのではなく、海軍がそういう教育をしていたのだと思う。陸軍とは違うのだ。

 「水のような交わり」?子供のころ私が持ったイメージは、川の流れだった。大きな岩で流れはサッと左右に分かれるが、また何事もなかったように交わり、また左右に分かれていく。

 父の海軍兵学校73期の友人が家に集うことがあった。会社員、役人、建築家、経営者、宗教家・・職は様々だが、紳士に見えた。何十年ぶりに会ったという方も自然だった。戦死した友人の話を昨日のこととのように話す。酒を酌み交わして声は大きくなるが、崩れて子供に絡む人はいなかった。「貴様」「俺」と呼び合うのは同期の桜の歌詞そのまま。まさに水の交わりだった。

 先日母と話していて、「おっ、また」と帰っていった、あの方々の多くが、何年も前に鬼籍に入られたことを知らされた。あの人達は20歳そこそこで職業軍人になり、死を前提に過ごし、戦後を生きたからだと、思っていた。しかしどうやら、そうではないことに気がついた。

 早高84回卒連中のメールアドレスから勤務先も想像できる。しかし、人生折り返し点を過ぎると関係ない。恥ずかしながら10年前ぐらいまでは大きな意味を持っていたかもしれない。でも今は違う。楽しかったり、大変だったり、幸せだったりは、環境の違いこそあれ、みんな同じだと感じている。川の流れのように会い、話しができそうだ。

 私も「君子」の領域に近づいたか・・・。いやいや、まだまだ。木全が大学ホームページで私の写真を見つけたことを契機に「学生時代よりシャープになったんじゃない?」「精悍そうな顔つき」と評価をいただいた。あー2年前のHPの写真には詐欺がある。特に写っていない胸から下に「徳」がない。反省だ。
 
 ちなみに「小人の交わりは甘酒のごとし(ねとねと甘くて切れる)」だそうだ。いくらでも修正できる。君子を目指そう。全体はこちらから
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