やっと四川省成都の魏炬明さんに連絡がついた。
昨日も連絡がつかず、今日も朝早くから電話をしたが電話に出ない状況が続いていた。
光亜学校に第2期に派遣した山本君から朝電話があった。昨年、綜合警備(ALSOK)を退社しお父様が経営する広告代理店に勤務している。まだつながらない旨を伝えた。
本日は埼玉県立白岡高等学校に出張だった。途中、魏さん所縁の与野を通った。駅について電話をしてみると繋がった。
最初は元気が無い声だったので心配した。恐る恐るご家族や光亜学校のことを聞いた。
「大丈夫です。全員無事です。光亜学校も校舎大丈夫でした。生徒も先生も怪我していません。」段々と元気な魏さんの口調に戻ってきた。
「わたし9階にいましたから、この世の終わりと思いました。大丈夫。元気です。ただ・・・たくさんの学生さんが死にました。午後2時半は学生さん学校に戻って勉強ですから・・。今は自分のことより、大変な人たちのことです。都江堰には行けません。今は救助隊とモノを運びます。一般の人ではない。光亜学校へも行けません。」
現地に行っていた3名の空手道部員に連絡した。小塩君は6月に現地へ行くようだ。それまでに自由に入れるようになっているといい。
小塩君が現地で「教員」として勤務していたときに私も彼のところを訪ねた。
宿泊した都江堰のホテルはちょっとすごかった。部屋は広いし、便器は大理石だが、鍾乳洞のように石灰質の垢がこびりついていた。エレベーターは5階で止まらない。4.8階ぐらいで止まる。つまり這い出ないと5階で降りられない。這い出ている最中にエレベーターが動き出したら死ぬなと思いながら降りた。あのホテルは地震に耐えられたのだろうか・・。
一方、大都市・成都で泊まったホテルは、ちょっと高級で非常に清潔で快適だった。ホテルの名前は
西蔵飯店(チベットホテル)。オリンピック前に地震。しかも場所がチベットの脇なのだ。
中国政府がやっと日本の緊急援助隊の受け入れるようだ。救助のタイムリミットは72時間。それ以上になると生存率が極度に低下するそうだ。それでも、現在もがれきの下で心細く助けを待っている人がいるはずだ。絶対に。
追記
と書いておきながら、昨晩は息子と話しながら寝てしまった。話の内容は地震のことではなかった。もうすぐ息子は農山村留学に行く。行きのバスの中で彼が主宰するゲームの話しだった。「世界のナベアツ・ゲームは?」などと下らない話しをしながら、幸せにも寝てしまった。ひどい話しだ。
起き続けることはできないし、思い続けることもできない。しかし格好つけたことを言って、自身に実践がない。恥ずかしい。
将来、日本で大地震が起こり、私が生き埋めになったら、きっと心細く救助を待ちながら、昨晩のことを思い出すのだろう。声を出せたら「世界のナベアツ・ゲーム」をやって、自分を元気づけるつもりが涙を流すことになるのかもしれない。