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クラシックを表現する [2010年03月07日(日)]
昨日は世田谷美術館講堂でコンサート。
先天的に左手の指が無い12歳の少女のピアノ演奏を聞いた。

ショパン『幻想即興曲』
左手で和音を弾けない。それでも彼女は深遠なクラシックの世界を奏でる。私が着席した位置からは彼女の手の動きが見えない。耳でよーく聞くと下の音に和音が無いことがやっとわかる。

背が高く美しい彼女は、立ってお辞儀をする時、右手で左手を包んだ。歩くときもさりげなくドレスのひだに隠れる。

おじさんは勝手だ。
「隠さなくていい」とも思ったし、一方で「自分が持つ感化力に気づかないままでいてくれ」とも思った。

本当に勝手だ。転びバテレンのおじさんは思うのだな。
神がいるなら、神に見捨てられたのではなく、選ばれたんだと。
でも、神に選ばれたことを御旗にしちゃだめなんだ。

神の名を語ったときに力は落ちる。畏れと謙虚さを持って進もう。

しかし、気づかないまま、誠実に過ごすことなんてできるんだろうか。
せめても日々反省するしかないのか。
とにかく汚れちまった自分の卑しさが恥ずかしい。


クラシック音楽の伝統的表現という意味では違う。しかし、新しい深遠な世界が立ち上るように感じた。障害があるから表現が稚拙でもいいではないかと言っているのではない。

伝統的表現ではないが、別の大きな力を持っていた。

聴覚が無い青年が弾くリスト『ラ・カンパネラ』は、聞き慣れたメロディーとは異なった。しかし、その鐘(カンパネラ)の表現が聞き慣れたものより激しく迫ってきた。

視覚を4歳で失い、四肢に障害をもつ女性のドビッシー『月光』は聞いていると、低くもやのかかった湖上に静かに月が浮かんでいる光景が見えるように感じた。

美化していない。本当に感じた。
予測していなかった意外な感想を持った。