CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« スウェーデン | Main
現実 [2011年07月07日(Thu)]
夜7時過ぎに勝浦を出て東北道を北上した。東北道は中古車を積んだキャリアトレーラーが多い。途中サービスエリアで仮眠しながら夜が明ける前に石巻に着いた。

津波被害に遭って1ヶ月で営業再開した「すき家」に午前4時前に入る。店員さんと話をしながら食事して、外に出ると空がうっすらと明るくなり始めていた。

もうすぐ震災から4ヶ月が経過する。
たくましく復旧している中に、まだまだ生々しい災害の跡が残されている。窓を開けて匂いをかぐ。

石巻などに学生達がボランティア活動に行った時には、レポートや写真を送ってもらっていた。そこから多くを感じた。

報道は見ていたし、目に入ってくる形式としての情報は既に「知っている」ものだった。その場に立てば、それは「知っている」ことを上回るなんてことは十分予想していた。

それでも、現実にその場に立って、やっと彼らが言っていたことや、写真で彼らが伝えたかったことが本当に理解できたように感じた。

ナビに従って、古川に向かった。途中、大きな薄緑色の橋が通行止めになっており、迂回路を確認していて気づいた。

目の前で通行止めになったいる橋が新北上大橋で、自分が車を止めているところが、全児童の約7割、74名が行方不明もしくは亡くなった大川小学校の生徒達が避難しようと目指していた場所だった。小学校が少し下ったところにあった。

車を降りて外に出た。ハエが車内に5匹ぐらい入ってくる。橋のたもとに設置された祭壇の前に立って亡くなった先生方が生徒を誘導して目の前の坂を上って来る様子を想像した。悔しかった。私に先生方を批判する資格はない。親の気持ちを思うといたたまれない。

とても、写真は撮れなかった。
撮ったとしても伝わらないと諦めた。
写真や映像は多くを語るが、語りきらない。
災害時のホームページ [2011年06月03日(Fri)]
国際武道大学のホームページは、大学が長い時間停電したり、光回線が寸断されると閲覧できなくなる。緊急災害時に大学からのメッセージをどのように外に発信するか問題となっていた。

外部にバックアップサーバーを設置することも検討した。高額な費用がかかってもやるべきだとも考えた。しかし、技術的な問題もあった。

ところが昨日、東京で打ち合わせをしていて思いついた。無料で素晴らしい緊急時大学ホームページを入手する方法だ。

YouTubeの大学公式サイトを使えばいい。YouTubeのサーバーは日本が災害時にダウンしないであろうサーバーだ。大学の公式チャンネルとしておけば外からの信頼性も高い。通常は動画のストレージとして利用しながら、緊急時には本当の意味で「公式チャンネル」になる。

現在着手している作業を、いつ起こるかわからない災害に向けて急がねばならない。


追記:テストアップしてみた。

携帯電話で撮影した動画を携帯電話からアップロードした。これなら大学の状況、学長のインタビューなど、携帯電話回線が復活すればアップできる。
レベル6 [2011年05月07日(Sat)]
1114教室で学年ごとに災害対応訓練を実施。

4回とも、災害対応訓練の説明を担当させていただいた。「災害対応訓練をやるから」と言われてきょう日の学生は集まるのか?不安に思っていたが、これが集まるのだ。8割を越える学生が集まった。来なかった学生には補講をやろう。

夕方からは、教員が2000名を越える学生達の災害伝言板のメッセージを確認する訓練を行った。

国際武道大学には特殊性がある。学生達のほとんどが大学の周辺に下宿しているのだ。「朝4:30集、大学集合!」で本当に集まる。授業中だろうが、夜中だろうが震災の時には学生相互に助けあう場所にある。

大学は救助を必要とする学生を捜すことになる。自分が無事である情報を家族や大学に提供することが、救助を必要としている仲間へ一刻も早い到達を手伝うことになる。

大学のような機関の電話は優先的に回復する。しかしその貴重な電話回線が「うちの息子は?」「娘は?」という問い合わせでふさがり、人員は対応と捜索に動員され、結果として「良かったな-」を2000回繰り返している間に救助が手遅れになる。そうさせてはいけないのだ。

「緊急時にはケータイ災害伝言板で家族と連絡を取り合う約束をしてほしい」ということだ。


前回の記事も書いたが、訓練は「レベル6」を前提とした。
「レベル6=携帯電話でインターネットに接続できる状況、というのはわかりますが、その他のレベルってどんな状況なんですか?」
という質問を頂いた。

その時点で状況がどうか。それを説明する概念が「レベル○」というやつだ。

多くの人は、あらゆる状況を分類するものだと思っている。よく考えてほしい。そんなことしたら様々な小さいが重要な条件を無視しないと5とか10のレベルに分けられるわけないのだ。福島第一原子力発電所をチェルノブイリと同じに分類したら、怒る人もいるし、遅すぎると怒る人もいるのは当然だ。

もう一度言う。状況を説明するためのものだ。分類することに意味があるのではない、と私は考える。

私が作り出した今回の「レベル6」は、訓練の条件を設定するものとしてのみ意味がある。

レベル6と私が表現したとき、あるのはレベル7(インターネットが使えず、ほぼ旧来の手立て、例えば手書きの安否情報カードなどでしか安否を確認できない状況)と、レベル5.5(レベル6からさらに何らかの手立てが使える状況。例えば電源が確保されているなどの状況)だけだ。

レベル1〜5をキレイに定義する意味はない。
レベル6に至るまでに相当の段階があり、しかし東日本大震災レベルが来ると容易に到達するレベル、ということがイメージできれば十分だ。
災害ボランティアに行くにあたって [2011年04月25日(Mon)]
前回、災害ボランティアに行きたいと相談に来た学生達にOGの活動を紹介してしまった。出発前に学生達の保護者に連絡し承諾を得て、学生本人にサインしてもらった文書を公開しておきたい。

責任逃れだろうか?
私はそう思わない。

*****************************************
災害ボランティアに行くにあたって

 災害ボランティアに行くのに、既に現地で活動して信頼関係や活動機会を確保していると方と一緒に行くと、より多くの支援ができます。自動車で行く人に同乗させてもらえば楽に移動もできます。ものを出す人や金銭面の支援をしてくれる人もいるでしょう。

 ところが、ひとたび事故が起こると事情が変わります。例えば好意で同乗させ運転していた方も、法律上事故で死傷した同乗者に対して責任を負うことになります。

 ですから、実力有る人は1人で行った方が安全です。貢献したい気持ちがあっても何も関わらない方が安心、ということになります。

 しかし、それでは社会全体がお互いに支え合ったり、助け合ったりする関係が無くなってしまいます。「ボランティア」は、度胸があって馬鹿な奴の別名になるでしょう。そして、あらゆる組織は構成員の活動を禁止することで安心する道を選ぶようになりかねません。

 それは私が理想とする社会ではありません。

 先ほどの事例。運転ミスをしているのですから責任を負うのは当たり前かもしれません。しかし、「責任とれないから乗せられない」という態度を取らなかった人に賠償請求するのは信義に反すると私は思います。

 ですからこういう事例では、責任追求は保険でカバーする限度にする合意を持ちたいと思います。そういう信頼関係を持つ仲間で行動し,社会全体にその和を広げるべきです。

 そうすれば、広く「がんばろう日本、支え合おう日本」の活動が、スローガンにとどまらず、現実のものになるはずです。総ての結果を他人のせいにするのではなく、すべての原因を自分の中に探す日本独特の文化を維持したいのです。この趣旨を理解し、総てにおいて自己責任で行動することを再度確認した場合のみサインして下さい。


2011年4月 日 

*****************************************      
災害ボランティア活動への単位認定 ? [2011年04月18日(Mon)]
石巻から戻った学生達からそれぞれに報告レポートが提出された。金曜日の夕刻に戻って月曜日に提出。

疲れていただろうに早い。内容がどうあれ、早く出すことが重要。
拙速主義。速さが勝負だ。
特に今回は次に千葉沖で大震災が起こったときの準備の意味もある。その意味では一刻を争う。

もっと嬉しいのは、今回、私はレポート提出を要求もしていないし、単位を出す枠組みにも乗っていないことだ。

確かに、国際武道大学では既に自分で企画し実施し検証評価した活動に対して単位認定する授業枠組みを持っている。例えばカンボジアでの活動がそうだ。この国際スポーツ文化学科の授業枠組みの中で事後に履修登録し一定基準を満たすレポートが書かれれば単位認定は既に可能だ。

文部科学省はボランティアの単位化の検討をせよと言ってくる。
大丈夫。既にある。

しかしだからといってパック旅行のように他者が運営する企画に乗って、作業して、日記を書いて、良い経験でしたで単位は出せない。そんなに安易ではない。当たり前だ。

「単位認定されれば学生が参加しやすい」と表現されると、単位欲しさに学生達が行動するかのように誤解されないか?学生達は基本的に単位欲しさに活動するのではない。単位欲しさに報告書を書くのでもなかった。

彼らは災害地への支援に行くべきと判断し、資金、物資の提供をしてくれた人たちや仲間達と自分たちの経験を共有しなければならないと行動した。彼らの士気が現れていると思う。

それが嬉しい。


彼らのレポートを読んでいると、表現はともかく悩みが出ていていい。電話などで途中経過を聞いていた私には具体的な像が結ばれる。

例えば、ボランティアゼッケンにどのように自分の能力を書くか、その表現で道が開かれたりする経験をしている。

学びは深い。帰ってからもどんどん醸成される。


研究室に来た彼らから深刻な話もたくさん聞いた。
聞いているだけで涙が出そうになる。

面白い話もあった。
彼らが一緒に子供達へのプログラムをしていたサッカー上手な青年は、ナオト・インティライミーだったそうだ。
石巻へ再び 5 [2011年04月15日(Fri)]
今朝、石巻を出発して学生達が戻ってきた。
全員元気。
ご支援下さったみなさん、ありがとうございました。

昨日の活動の様子。解説無しでわかる。





災害ボランティアは自己満足か?
「ありがとう」と言われていい気になっているのか?

青木が一緒に活動した方がブログに書いている記事が参考になる。
石巻へ再び 4 [2011年04月14日(Thu)]
昨晩はゼミの顔合わせミーティング。私の宿舎で恒例の餃子作り。それぞれの性格がわかる。全員合格。1人欠席。石巻に行っている林万里子だ。その場から全員で連絡した。

林は整体・マッサージ班について活動したそうだ。
「私のスキルでも役立つことがたくさんあるんですよ」

「もんでけさいん」(もんでくれる?)

おばあさんに頼まれて肩をもみ、背中をマッサージする。
マッサージされながら、おばあさんは色々な話をしてくれる。
そんな話を聞きながら、彼女は相づちをうち、手に力を入れる。

傍観者は「孫の肩たたき」と言うかもしれない。
でもすごく意味があると思う。

様々な不安、悩みを抱え、心が厳しい状況にある方もいる。そういう方に最初から「心のケア」とゼッケンをつけた人が接するよりも、林のような武大にたくさん居る人材が接する方が入口としては意味があるように思う。

自分の「未熟な」スキルが、別の大きな意義を持っていることに林は気づき始めていた。

彼女は家族に頼まれて子供へのマッサージも行ったそうだ。
子供とも家族とも話す。親しくなって一緒に写真も撮ったそうだ。
「明日、近くに行くと思うので寄ろうと思っています」

原田は力仕事。大きな家財の移動仕事。
ゼッケンに「体育大生です。ハンマー投げてます。力仕事何でもやります」と書いているらしい。

「イカの匂いとれたか?」
「ははは。4日目にして風呂行っちゃいました」

力仕事仲間で行ったらしい。
営業している銭湯だと思う。整理券が配られ順番に入るらしい。
「湯船は汚いか」
「一瞬躊躇しましたけど、風呂ですからねぇ。入りました。あはは」

別活動で風呂に言っていない女子3人には「ふざけんなよ」と怒られたらしい。

イカまみれになっても、風呂に入れなくても文句は言わない。
笑いながらガンガン働いて、気が抜ける所できちんと気を抜く。

夕食はカップラーメンから脱して、ハンバーグと餅の炊き出しにありついたらしい。

「ボランティアがそんなの食べて被災地に負担をかけるな」なんて言う無かれ。
物資が十分に入り始め、自前で準備できないボランティアも受け入れる体制が整いつつあるのかもしれない。気を抜いてはいけないところで抜かない原田が食べたのだ。そういうことだと思う。朗報だ。

「明日が実質的最終日。充実させます」

「がんばってな」
「気をつけて」
とskypeを通じてみんなで声をかけてきった。
バレーボール [2011年04月13日(Wed)]
昨日は全員で青木宝子のマッサージ班での活動について避難所回り。バレーボール部から預かったボールは避難所となっている寄磯小学校で役だったようだ。
******************************
中学校2年生でバレーボール部員というはるかさん。
友達のあすかさんも一緒に15分ほどバレーボールをやりました。

キャッチボールで肩ならししてから、オーバーハンドパス、アンダーハンドパス、バックパスの個人レッスン。バックパスのフォーム綺麗になりましたし、アンダーハンドパスも「ボールの下を見て」の一言で劇的に変化しました。中学校バレーボール部での練習が再開された時に思い出してくれたらうれしいです。
******************************
指導する山平が背中に張っているのがボランティアのゼッケン。

上の青いゼッケンには可能な言語サービス。クメール語でクメール語と書いてある。下の緑色のゼッケンには子供の指導が書いてあるらしい。

原田は緑色のゼッケンに子供の指導だけでなく「ハンマー投げます」と書いたらしい。子供達に大人気で3人ぐらい持ち上げて走り回ったらしい。

林は赤いゼッケンにスポーツトレーナー、青木は赤いゼッケンにスポーツマッサージと緑色のゼッケンにEnglishと書いて活動している。

林はポールストレッチ指導をしたようだ。
最初は「私はいいわ-」と遠慮がちらしいが、一度やると、「これはいいわ」ということになる。武大トレーナーチームから預かったストレッチポールを1本渡してきたそうだ。

**********************
「高校に進学してもバレーボールやってね」
と国際武道大学バレーボール部のボールをはるかちゃんに渡しました。
「国際武道大学って関東でも強いんだよ」
「へぇ〜そんな強い大学のボールもらっていいんですかぁ?嬉しい〜」
と笑顔でした。
**********************

学生達に気をつかって「嬉しい」と言ってくれたのかもしれないと想像した。

あー。現場に居ない者(私)は勝手に論評する。往々にして正論だが外れている。

学生達だって私程度する論評はわかりきっている。
特に青木、山平は多くの現場を知っている。

しかし僅か15分間でものボールのやりとりが前提になっているのだ。小さいときに友達とキャッチボールをやったことがある人は思い出してもらいたい。15分は短いが十分だ。

少なくとも「嬉しい」と表現した瞬間に偽りがないと思い直した。

現地での活動はあと2日。
釜石市ポスター [2011年04月12日(Tue)]




解説はいらないだろう。
Twitter上で見つけた。
わたしたちは彼らを支援すると同時に、自分たちの町をもう一度見直す必要がある。

勝浦のこと。ふるさとのこと。

こちらで総てを見ることができる。

「一緒にかなしむことよりも、あなたの仕事を一生懸命やってほしい。
それが沿岸を、岩手を元気にうる力になると思うから。」
石巻へ再び 2 [2011年04月11日(Mon)]
青木以外の「新人」3名は力仕事。

石巻で活動するボランティアの中でも有名になっているイカ処理。震災時にイカ加工工場から民家に流れ込んだイカを処理する。1ヶ月経過した大量のイカ。体中がイカ臭くなる。

「途中着替えてもダメでした。テントの中はイカ臭です」と電話で話す原田。「勉強になりました」と声は明るい。林も「今晩はイカの匂いでパスタを食べます」と言っていた。

山平から「テントの中はマックの匂い」というツイート。
現地でお金を使えたら使うと言っていたので、マクドナルドが営業再開かと思ったら、クメール語でイカのことを「マック」と言うらしい。

イカ臭い,と言っている彼らは不謹慎だろうか?

多分、そう批判する人は現場を踏まずに評論だけする人だと思う。彼らはきつい匂いに負けずに一日中仕事をした。まとわりつき消えない匂いを自分たちを笑ってうっちゃろうとしている。

彼らはイカと接しているだけではない。石巻の人とも接している。彼らは現場の写真をほとんど送ってこない。電話では明るく話す林も写真の話になると神妙に「カメラを向けることは、どうしてもできません」と言っていた。彼らは石巻の人たちと深い思いの共有することと同時にもう一方でバランスを取ろうとしている。そうでないと長続きしない。

私は彼らを通じて彼らが感じた100分の1でも感じたい。電話口で彼らが発する言葉だけでなく、すべてに耳を澄ます。

周辺の家屋の屋根には流れてきたバレーボールが引っかかっている。唯一送られてきた写真。
彼らは武大男子バレーボール部から「避難所の子供達へ」と預かったボールをもって行っている。

この後、暫くすると、彼らも写真をいくつか送ってくるようになるのではないかと予測している。このことを消えてしまう前に伝えないといけないと思うことができたら、そうなると思う。
| 次へ