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セレンデップの王子さまが帰朝 [2010年03月18日(Thu)]
あと4日で卒業式を迎える4年生、柳田晃一郎君がスリランカ(セレンディップ)からの帰国報告に来た。

実は、出発前日に研究室の前を通りかかり、私の旅行用スケートボードを貸していた。私がカンボジアに帯同した35年物だ。

トランジットの香港で


お母さんの祖国スリランカで


彼は長野の進学校から来た。剣道部に所属し、1年生の頃から色々な先生の研究室を訪ね歩いていた。私は彼のことを「天才」とよび、彼は私のことを「巨匠」と呼んだ。お互いに呼び名で励まし合った。ただ、私の方は本当に彼を天才と思ってきた。面白い。彼の名前でググってもらうと彼が小学3年生の時に書いた絵がトップに出てくる。いい絵だ。

上級生になって、彼はトレーナーチームのリーダーとなった。多くの卒業生がそうであるように、専門を直接生かしたスポーツトレーナー関係に進むのかと思っていた。トレーナーチームのリーダーは各学年たった1人しかいない、ある意味エリートだ。その方面の様々な選択肢を与えられる。

しかし、彼はその中から選択しなかった。全く別の、「一見」、専門とかけ離れたところでキャリアのスタートをきる。小豆島の小さな旅館。4月以降は私も容易に宿泊できないようなホテルになるらしい。

時代の転換点では、成(な)そうとすることに前例がない。ひな形、モデル、肩書きが無い。突き進む者は無謀に見える。実際、無謀なのだ。後に成した者を、成すことを見通していたと誤解し、無謀でなかったと言うだけだ。

私は心配していない。彼はセレンディップの王子さまだからだ。

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セレンディピティ(serendipity)
イギリスの政治家にして小説家であるホレス・ウォルポールがが子供のときに読んだ『セレンディップ(スリランカ)の3人の王子(The Three Princes of Serendip)』という童話に因んで創った言葉。

ウォルポールがセレンディピティという言葉を初めて用いたのは、友人に宛てた書簡。自分がしたちょっとした発見について説明しているくだりにおいて。

その書簡の原文・・・・

この私の発見はまさに私に言わせれば「セレンディピティ」です。このセレンディピティという言葉はとても表現力に満ちた言葉ですよ。この言葉を理解していただくには、へたに語の定義などするよりも、その物語を引用したほうがずっとよいでしょう。かつて私は『セレンディップの3人の王子』という童話を読んだことがあるのですが、そのお話において、王子たちは旅の途中、いつも意外な出来事と遭遇し、彼らの聡明さによって、彼らがもともと探していなかった何かを発見するのです。

Serendipity: the natural ability to make interesting or valuable discoveries by accident
– Longman Dictionary of contemporary English

幸運ではなく、能力。たまたまラッキーが転がり込んだのではなく、見出し自分のモノにする能力。失敗してもそこから見落としせずに学び取る能力。
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sk8とserendipityさえ持てば、大丈夫。

追記:P.ドラッカー
「変化はコントロールできない。できることは、その先頭に立つことだけである」 
Diarios de longskateboarder [2010年02月05日(Fri)]
あこがれ『モーターサイクリスト・ダイアリーズ』のスケートボード版。
やられた。若いときしかできないことではないが、若いときにやるべきか。



諸君。思い立ったらやろう。こんなことしたからと言って、「自分」は見つからないし、将来も見えない。
でも楽しいではないか。

巨匠、いや神様、アダム・コルトンの作品。現在沖縄に滞在中。体力勝負の厳しい沖縄ツアー中の入試・広報センター斉藤さんにサインゲットの指令を出したいところだ。しかし手がかりはミヤギ先生の秘密道場ということだけ。

I am leaving on Wed. for Okinawa, Japan until Feb. 17th. I am on a quest for Mr. Miyagi, and to film a longboarding video with him at his secret dojo.
小学校4年生 [2010年01月23日(Sat)]
埼玉県立狭山清陵高校で授業。

授業開始前にアメリカ・コンコーディア大学に留学中の穴水にskypeで連絡をとると「いま、午後6時です。今から友達の家に行くんです」とのこと。高校生にそのやり取りを見せることができた。

今朝、穴水から連絡、「英語できなかったと言ってしまってすみません」。
いやいやそれがよかった。多くの高校生が入り口であきらめる。「英語得意で」などと行ってもらうより100倍いい。

教室に入ってきたときは緩やかな雰囲気だった生徒達も、楽しそうな穴水の様子を見てスイッチが入った様子。メモまで取りながら(当たり前と思うなかれ)集中してくれる。

「90分授業と聞いて目眩がしていないか?大丈夫、あっという間の授業にする。これから君たちの人生の作戦会議だ」
どうだったろうか。

終了後、少林寺拳法部の女子が「武道館で国際武道大学の演武見ました。格好良かったです」とわざわざ教えてくれた。学生の評価を外部で聞くとうれしい。私が演武を指導しているわけではないが・・・


比較スポーツ文化論で講師をやっていただいた荒畑潤一(145)氏と午後3時に待ち合わせ。パーカーを拝領しながら、歩道でいろいろ立ち話。今年度の授業の反省会をしていると、学校帰りの小学生達がskateboardに興味を持って145氏を取り囲む。

「ここは危ないから、あっちに行こう」
子ども達は駆けだして145氏を追う。
ランドセルをベンチに投げ置く姿は、小学校のころの自分たちと一緒だ。

小学校4年生の男女10名ほど。10歳。ゴールデンエイジだ。見よう見まねですぐできるようになる。プッシュはアメリカンスタイル。すごいな。危ない転び方をしない。体が柔らかい。初めて30分もしないうちにollieチャレンジ。怖がらない。オーリー養成ギブスなどいらない世代。

何を間違えたのか私にサインを求めてくる。
「スゴイのは、あっちのお兄さん」

「僕はカラテと習字をやっているの。習い事何やっている?」
「公文」と応えそうになった。わたしに何をやっているか聞かれても困る。

145氏の技に感動しながら
「すごーい」
「あーsk8やりたくなっちゃう」
「わたし2000円持っているんだけど買えるかな」

「あーもう見せないで、スケートボード欲しくなっちゃう」と145氏に懇願する女子に感動した。

「ねえ、明日もやろうよ。何時がいい」
「いや、オレは・・」困る145氏。
「部屋の番号教えてょ」
「ダメだよ。ピンポンダッシュするだろっ ははは」

145氏が表紙を飾る別冊Ollieのスケーターズ・バイブルをプレゼント。
145氏インタビュー記事を読んで友達に教える女の子。
「公園で始めたんだよ」

「誰から読む?」
「順番な」
「オレのランドセルにいれとく」
「順番な、順番」

みなさんに順番は回ってこない。書店で。


36年前。4年3組の自分達に再会したような午後だった。
撮影車 [2010年01月21日(Thu)]
夢想していたことを、それを越える具体性で提示されてしまった。long skateboardingはいかにアメリカでも市場がそんなに大きくない世界だ。ハリウッドから借りてきたのだろう。

リアの車体下部に被写体がつっこまないようにガードが下がっている配慮など、いい。ハリウッド映画で、カー(バイク)チェイスを撮影する機材だろうか。


しかし、夢想の具体から、さらに夢想すると、一緒に滑る者が地上20cmぐらいから併走して撮影する映像の方が迫力がある。これは多分、総ての競技にいえること。コース外に敷設されたレール上を疾走するカメラが撮影する映像では、すぐに物足りなくなる。

映像には揺れが必要なのだ。揺れこそが「その場」を感じさせる。
往年の・・・技 [2009年12月30日(Wed)]
年末補講・・・
課題を検討しているうちに脱線して撮影したもの。
あっという間に編集できるのはiMovieのお陰。
あっという間に実演できるのは武大生のお陰

こんな解説だけでできるようになるものではない。しかし、できない私もできるような気がしてしまう。

「できると思うとできる、できないと思うとできない。そういうものです」とは彼らから出た名言。いずれにしても練習無くしてできるようにならない。

練習、練習。
往年の・・第1弾 [2009年12月28日(Mon)]
30年以上前のスケートボードを入手。
保存状態もいい。
映画「ドッグタウン」にも出てくる。

ウレタンウィールによって世界が変わった感動を追体験できる。
世田谷公園工事中 [2009年12月20日(Sun)]
「比較スポーツ文化論」で扱った計画が進行中だ。


大人げない大人になる [2009年12月03日(Thu)]
世田谷公園管理事務所の稲垣豊先生、城南島スケートボードスクール校長の冨田誠先生、世田谷スケートボードスクール校長の増田力也先生をお招きした「比較スポーツ文化論」。

「スケボー兄ちゃん、行政を動かす」がテーマ。
この「スケボー兄ちゃん」の部分に、受講者各自がそれぞれの専門種目に従って、「野球少年」だったり「ラグビーオヤジ」などを入れ込む作業をする。


冨田誠さんは、街中でスケートボードをやっては怒られ、多摩川沿いの空き地にランプをつくっては撤去されるという繰り返しをしてきた。スケートボードを楽しむ場所をつくろうと、地元、東京都大田区に「陳情」をはじめる。しかし「陳情」では行政が動かないことがわかり、今度は「請願」。

sk8人口が多いこと、そして公園は子ども・高齢者だけが利用する場所でいいのだろうか、ということを、仲間と資料をつくり、地域のイベントでsk8スクールを開催したりして訴えた。大田区の承認を勝ち得たが、大田区内でも、騒音問題が起き難い川沿い、沿岸部は管轄が大田区ではなかった。

川沿いは1級河川なので国の管轄、沿岸部の埋め立て地は東京都の管轄・・・。

それであきらめない。今度は東京都庁に通う。結局7年かけて、東京都から3000万円の予算を得て城南島海浜公園にスケボー広場を開設した。

バブルは既にはじけ、税収も減少する中で、実現させている。

行政側で仕事をする稲垣さんは、冨田さんの話を聞きながら的確なコメントを下さる。

「冨田さんの活動のいいところは、1.自分たちのためではなく、多くの他者のニーズがあることを訴え、2.そのためてにお手伝いします、という方向で活動をしていることですね」

きちんと受講生各自の活動にそういうストーリーを作れているだろうか。学生達はメモを取る。


増田さんはもともとスケートボード禁止の世田谷公園でskateboardをしていた。子ども達が自由に遊ぶ場所を作る活動していた方々の協力で、地道な活動を続けた。公園内にスペースをつくるために、1年間スケートボードを自粛した時期もあった。

管理事務所長と掛け合い、人となり、活動を理解してもらう頃に、掛け合ってきた事務所長が転勤。翌年も同じ。また翌年も・・・。

という一見振り出しに戻る活動を10年続けた。子ども達へのスケートボードスクール活動も地道に続けている。一見怖いお兄さんが、小さな子ども達に指導する。終了後に世田谷公園のゴミ拾い清掃活動を続けてきた。毎回多くの子どもと保護者達が集まる。

2008年、そんな活動が実って、やっと公園内にコンクリートをひいたスペースをつくる予算がついた。担当となったのが稲垣さん。

しかし稲垣さんは「本当に欲しいのはこれではないのですが・・でも仕方ない」という増田さんや冨田さんの話を聞いて「本当に欲しいものではないのに、それに税金を使うのは良くない。きちんと欲しいものをつくるべきだ」と思った。

「やめませんか。来年再度、予算を取り直しませんか」
稲垣さんは提案した。この提案は怖かったそうだ。翌年は予算が取れないかもしれない。そうしたら、この人達を裏切ることになる・・・

稲垣さんも熱い。仕事の専門領域をお聞きしようと「ご専門は?」と聞いたら、「サッカーです」という答えが返ってきた。大学時代もサッカーを続け、小さい頃から住んでいた世田谷区に貢献する仕事がしたいと行政マンになった人。そんな人が担当者になると事態は変わる。

稲垣さんには勝算もあった。増田さんが10年地道に活動してきたことで、増田さんの活動に対する信頼、人となりを多くの人たちが理解し共有していたのだ。公園改修の時期とも合致した。


今年、あらためて予算が付いた。
来週月曜日。12月7日。
世田谷公園スケートボード場が着工される。完成は3月末。


「すべての事は繫がっているんです」
「楽しんで活動を続けることです」


大人は道理が分かるので「無理だ」と理解する。
大人げない大人を目指さないといけない。
大人げない大人が世界を変えるように思う。

大学の同僚達を見ていてもそう思う。
感化力ある大学教員は「大人げない」。

学生からのショートレポートの他にこんなメールが届いた。
****************
こんにちは
今日の授業、すごくアツかったです。
講師のみなさんがホントに楽しんでいる表情が最高でした。
行政側の稲垣さんとスケボー兄ちゃんの富田さん達ですが、「マジ」で「ガチ」で話し合うから何でも言い合える関係、信頼できる関係が築くことができるんだと思いました。ここから「良いもの・価値のあるもの」が生まれるんだと思いました。熱い思いを持った人が、その熱い思いをかたちにできる世界になってほしいと思いました。

・「大人げない大人になれ!」=今を楽しんでいる大人
・自分を変えるには追い込む=そのシーンを楽しむこと
・時間をかける、通り過ぎる人にも誠実に=努力はムダじゃない、自分に還って来るんだ
・全てはつながっている
・「大人げない大人」=世界を変える

ホントにアツかったです。
長々とすみませんでした。
ありがとうございました。
********

冨田さんのブログ
南カリフォルニアのレジェンド? [2009年11月28日(Sat)]
チリからの留学生ロドリゴ君が研究室へ。
彼が英語で書いた障害者武道に関するメモが素晴らしかった。

we can change.... という表現について話す。

マイケル香本さん(勝浦整形)に渡す武道論集1,2 をロドリゴに託す。
「Sk8も渡たしてもらおうかな」

実は"Kendo World"の中心人物のお一人、香本師は南カリフォルニア出身。剣道の達人。外見は30代だが、実年齢は私の4-5歳上だ。

水曜日の障害者武道講習会の時に研究室にいらっしゃった。大量に「展示」されたskateboardを見て、真面目な師は拒否反応を示すと想像していた。しかし違った。

「私は小さい頃、スケットボード(発音がいい))に育てられました」
「えー本当ですか」
「よく、学校サボってサーフィンに行った」
「ということはドッグタウンに出てくる人たちの先輩ですね」
「ハハハ」

御自分で「レジェンド」だと自称しないところに信憑性がある。
「最初は鉄のウィール。それからクレイ。ワイドトラックが出て全く別の世界になったと思う」

研究室のコレクションをみて
「これは面白い」
と褒めて下さる。

走行実験場に持ち出して確かめる(多分40年振りぐらいではないか・・)。バランスを崩してからのリカバリーに往年の実力の片鱗が見られる。両腕のあげ方に70年代のスタイルが見える。

「おじさんスケートボードクラブ結成ですね アレックも誘って」
「彼はあぶない」
「剣道の防具付ければ大丈夫」
「防具ね。あはは」

障害者武道の会議の楽しみが1つ増えた。
偽物から本物へ [2009年11月12日(Thu)]
諸説あったとしても、スケートボードの最初の大きな一押しをした人たちはサーファーだったことは否定できないだろう。サーフィンができないときの代替としてのスケートボード。サーフィンの代替=サーフィンの偽物としてスタートしたスケートボードが本物になる過程・・・

失礼な言い方かもしれないが、身近で単純な道具の奥深さに気づいて、「本物化」させる人たちの熱い物語を、昨日の授業「比較スポーツ文化論」では、あえてこのように表現してみた。

授業には、証人お二人を招聘した。日本スケートボード協会初代会長秋山弘宣氏と現事務局長横山純氏。


1974年 日本ローラーサーフィン協会が設立された。サーファーだった秋山青年は、憧れのアメリカに行く理由として第1回世界スケートボード選手権(サンディエゴ)に出場する決意をした。アメリカで創刊されたSkateboard Magazineから「日本からも参加して欲しい」という話もあった。スケートボードすら持っていない青年の、あまりに無謀な決意・・・。

大会4ヶ月前に初任給をはたいて2万5千円のスケートボードを購入した。

4ヶ月間は必死の練習。仕事を終えると練習場にしていた高速道路下に永遠プッシュして出かけ、毎日夜中まで練習6時間以上。当時はまだビデオで学ぶことができない時代。写真を見ながら、これは何回転しているのか等、勝手に想像しながら技を「自己開発」修得していった。

結果はフリースタイル5位。4ヶ月の特訓で8回転スピンができていた。驚異的である。

アメリカではアキ秋山と命名された。本名のHironoriはハイロノリと読まれてしまい発音しにくい。ヒロとは呼ばれなかった。

こうして日本初のプロスケートボーダーが誕生する。日本とアメリカを行ったり来たりする生活が始まった。日本に帰るとマスコミからの依頼が殺到し、渡航費はすぐに捻出できた。アメリカで学校に通い、英語を習得した。

映画『ロード・オブ・ドッグタウン』(日本語監修は秋山氏)に描かれた時期に秋山氏はアメリカに滞在した。

映画にも描かれた、ウレタンウィールの開発が「本物」になる大きなエポックとなった時期だ。1970年代のアメリカ。スケートボードに関わり経済的に大成功するものが出た時代に、映画の主人公達よりも年長者として秋山氏は時代を共有した。

私もその時代に生きていた。「本場」がアメリカだとしても、そういえば、既にタイムラグは無いと感じていた。

その後、秋山氏は普及・教育活動(スケートボードの魅力に感染させる活動)に向かっていく。1982年、日本スケートボード協会を設立して秋山氏は初代会長になった。当時、既に日本ローラーサーフィン協会は活動を終えていた。


組織立ち上げは、関係者にきちんと根回しをしなければ成功しない。しかし、組織設立は基本的には勢いでできる。問題は維持。90年代に入り事務局長をしてきたのが横山純氏。

スケートボードには大きく10年ごとにブームが来ている。80年代始め。雑誌ポパイが「スケボー」という言葉を作りブームがきた。当時の1980年の少年朝日年鑑にもアキ秋山氏は登場している。90年のブーム、2000年のブーム・・・そして来年あたり?

ブームは普及の大きなチャンスであると同時に「猛毒」にもなる。ブームが去れば「まだやってんの? スケボー」ということになる。やっていることが恥ずかしくなる(フラフープ状態)。

だからブームに安易に乗ってはいけない。そのような運営はしたくないと横山氏は言う。丁寧に発信していく活動こそがしっかりとした文化基礎を作るというのが横山氏の考え。

授業は、映像資料、実演を折り込みながら、秋山・横山氏の掛け合い解説であっという間に終わった。

最後は秋山方式のスケートボード教室。野球・テニスなどのスポーツ、武道との体の動きの共通性、不安定な板の上でバランスを維持し、スポーツ・武道における体の動きの基礎を作るスケートボードの魅力をご披露いただいた。

初心者にすぐ楽しめような指導法の工夫に、学生達は大いに刺激をうけた(授業感想シートから)。

授業終了後に高速度カメラで撮影させて頂いた。50歳を越えたおじさんとは思えない。

学生達体験させるために、多くの方がご協力下さった。大切なボードをお貸し下さった方もいる。いちいち解説しなかったが、一部にはトップスケーターが使っていたサイン入りのボードもいくつかあった。

昨日の授業を目撃し体験した学生は幸せ者だ。