世田谷公園スケートパークのオープニング・セレモニーがあった。
苦節17年。増田力也校長(世田谷スケートボードスクール)の努力は何度も振り出しに戻った。公園管理の責任者と信頼関係を結ぶと別部署に転勤になるのを繰り返した。
セレモニーには200名を超える人が集まっただろうか。世田谷区役所関係者もこんなオープンイング・セレモニーは無いと言う。人・人・人。
人数ではない。一人一人の発する熱気が違う。
増田力也の挨拶で始まった。
「ついにこのときが来ました。何かいろいろ活動してきて大変でしたけど・・気がついたら17年たってて・・かなりオッサンになったんですけど・・・活動の中で・・・行政の方、スケート・・・ボードの仲・・間・・うーん・・・」
言葉に詰まる。万感の思いがこもった挨拶に拍手が鳴り響く。みんな知っているのだ。増田校長が人生をかけてきたことを・・・。
「みんなの思いが本当に入った場所です」
挨拶は続く。日本スケートボード協会、横山事務局長の苦言を呈する挨拶も観衆を引き締める。「もう既にゴミが落ちている」・・・「いい思い出を作っていきましょう。そして日本を代表するスケーターをここから育てましょう」
世田谷区役所の稲垣さんが呼ばれた。サプライズだ。増田校長が「稲垣さんがいなければ、できなかった」と花束贈呈。
振り出しに何度も戻りながら区役所の様々な部署で働く幹部のなかで信頼の輪を広げていった増田さん。そして2008年、やっと公園内にコンクリートをひいたスペースをつくる予算がついた。担当となったのが稲垣さん。
しかし稲垣さんは「本当に欲しいのはこれではないのですが・・でも仕方ない」という増田さんや冨田誠(5050)さんの話を聞いて「本当に欲しいものではないのに、それに税金を使うのは良くない。きちんと欲しいものをつくるべきだ」と思った。
「やめませんか。来年再度、予算を取り直しませんか」
稲垣さんは提案した。この提案は怖かったそうだ。翌年は予算が取れないかもしれない。そうしたら、この人達を裏切ることになる・・・
稲垣さんも熱い。仕事の専門領域をお聞きしようと「ご専門は?」と聞いたら、「サッカーです」という答えが返ってきた。大学時代もサッカーを続け、小さい頃から住んでいた世田谷区に貢献する仕事がしたいと行政マンになった人。そんな人が担当者になると事態は変わる。
稲垣さんには勝算もあった。増田さんが10年地道に活動してきたことで、増田さんの活動に対する信頼、人となりを多くの人たちが理解し共有していたのだ。公園改修の時期とも合致した。
花束を贈呈された、いつもの作業着姿の稲垣さんが声を詰まらせた。
「こういうサプライズがあると思わなかったです・・・。わたしは、世田谷区に育って、公園が好きでこういう仕事に就いた。力也さんたちと会って、ああ、公園を舞台に、こういう世界があったんだということを感じることができました。ありがとうございました。いいパークにしていきましょう」
見ているものも目頭あつくなる。
デモのMCとして上田豪さんが紹介された。
「もうこれで終わりでいいんじゃないかっていう盛り上がりだ。話すべきことは、みんなが話しちまった。俺が話すことはない。すぐデモ、行こう」
格好いい。
花束を抱えた稲垣さんを追いかけて話を聞いた。
「こんなことあるんだ。本当にまわりのことを考えてくれる人たちです。一人の区職員のためにもこんな風に考えてくれるんだというのが・・・うれしいです。」
17年間の思い。最後を決めた様々な人の行動。みんなでテープを握り合って、事務用はさみでテープカットした手作りのオープニング・セレモニー。
本当によかった。
今後試される。公園は生きている。施設はできた。パークは利用者が育て続ける。