11月14日の最終弁論における後藤東陽・原告団長の意見陳述 [2011年11月25日(Fri)]
陳述書
原告107名を代表して原告団団長後藤東陽から、最終陳述をいたします。 私ども原告団の訴えは、自衛隊の情報保全隊がひそかに行ってきた国民監視は、重大な違法行為であり、直ちに、中止されるべきであるというその一点に尽きています。 それは一見、たいした事でないように思われがちですが、その監視活動の実態は、調べれば調べるほど、憲法に違反する重大な侵犯行為であると確信するからであります。 第一に、思想・信条の自由(第十九条)の侵犯であり 第二に、表現の自由(第二十一条)の侵犯であり、 第三に、プライバシーの権利(第十三条)の侵犯であり、要するに、日本国憲法が保障する平和的生存権に対する重大な侵犯であると確信するからであります。 もともと私は、自衛隊を信頼し、敬愛さえしている者ですが、これまでの歴史を通して、北朝鮮の国民やミャンマーのスーチーさんの不幸を嫌になるほど知らされてきました。中国の天安門事件の不幸や、今回のカダフィ大佐の犯罪性もとくと見ているからであります。 1925年、あの天下の悪法治安維持法と同年に生まれた私は、満州事変を前にして、次第に台頭し、仕込杖を持って横行闊歩する右翼に怯える大人達の下で育ったからであります。 10歳、小学校四年生の時、鉄道自殺未遂事件を起こした本人だからであります。 それは、隣村まで三つの神社の床下を調べた上でウンコするなら天皇陛下は神様でない、人間だ。と言った事を学級日誌に書かれ、教師になぐり倒された上、非国民は見せしめの為、放課後駐在所に連れて行き、仙台警察署のブタバコに入れてもらうと脅かされたからでした。 14歳、高等小学校卒業のとき、女子挺身隊の名に騙されて幼い同級生達が危うく戦地に連れて行かれ、従軍慰安婦にされる所を戦地帰りの兄貴の忠告で無事阻止した事さえあるからです。 15歳、勤務先の夜の停車場で南京大虐殺後に除隊帰国して来た先輩の涙ながらに語る日本軍の対中国人残虐非道を聞いた記憶がどうしても消えないからであります。 19歳の春、一銭五厘で兵隊にとられ三カ月間教育で爆薬を背負わされ、米軍戦車への体当たり(自爆テロ)を命じられた身だからであります。 20歳のときは、営倉(軍隊の牢獄)に入れられた知恵遅れの憐れな脱走兵に飯を与えた為、不忠者と憲兵に蹴飛ばされ一生直らぬ腰の障害者になるなど、数え切れない経験から、軍隊は国民にとってモロハの剣であると知りつくしているからでもあります。 そして、仙台空襲では、第二師団の兵として決死隊を第一号で志願したものの、どの隊も軍の命令は市民の負傷者救護や避難等は一切なく、市民による暴動発生警戒任務であることから、国を守る為という軍隊が決して国民を守る事はしない事を学んだからであります。 原告になった私の仲間達107名は、日本国をこよなく愛する者たちです。平和と、民主主義を守る為なら自分を犠牲にしても厭はない人間たちです。それは、最愛の子供や孫達の一生の幸せを願うからであります。 私は、2004年11月、宮城県に「憲法九條を守る運動」を起こし、その代表を勤めております。それがけしからんと、その直後から、右翼から『宣戦布告状』と称する手紙を送りつけられ、更に電話でも「非国民」とののしられ、“国賊抹殺”の予告をされ続けて参りました。 その者達に、やるときは標的をまちがえるなよと伝えて、行動の時は目印の為わざわざ今日のように紋付袴を着ております。 『愛国』『憂国』を標榜して、「官庁」「企業」「個人」から多額の協力金をせしめ、銃弾も通さぬ装甲車で軍歌と演説を大音声でわめき廻って国民の恐怖心を煽ることを仕事にしているのが彼らであります。 情報保全隊の国民監視は、この凶暴な反社会的な連中を側面から応援する行為であります。「法を」「正義」を一番守らなければいけないのは、「国」であり「国家公務員」であります。 然るに国側は、神聖なこの法廷に於いてさえも、自分たちの作った書類の認否さえも拒否し続け、今尚不法行為を行って恥じません。 認否拒否は、公権力による人権侵害を自ら認めているからに他ありません。これを看過するならば、自衛隊の不法行為は徐々にエスカレートして、やがて、国民は、怖くて物を言えない、集会も出来ない、ミャンマー化・北朝鮮化し、あの悪夢の憲兵日本に戻ることは決して杞憂でないと信じております。 裁判長 私はカメラマンです。 65年間に写してきた人は延べおよそ三百万人です。 その経験から、初対面の人でも大よその職業や地位や人物の中味まで見えてしまいます。 裁判長。 ご無礼ですが、あなたは大変立派な人格者です。 私の目に狂いはありません。 出世の為に正義を捨てた宮城県出身のあの検事さんとは対極にあるお人、正義の法曹人と信じて疑いません。 然し、裁判長とて人の子。 生活者、家庭人サラリーマンとしての立場と、法の番人としての良心のハザマでこの四年間、日夜どんなにお苦しみであったか、私には痛いほどよく分かります。心からご同情申し上げ続けて参りました。 私は、この裁判が終わりましたら、二〇〇四年十二月八日に提訴した自衛隊イラク派遣差止め訴訟と合わせて、一冊の本を出します。 全国に7500の組織に属する推定百万人を起す、憲法九條を守る会のメンバーを中心に買ってもらうつもりです。その本の第一頁は今回出される判決文といたします。その際は、裁判長の実名を出させて戴く事をお許しください。 裁判長 お願いです。こんなしがないカメラマンでも、法と正義を守る為、命をかけているのです。 どうか三権分立の砦を守って下さい! お願い申し上げます! 青春の血に燃えて法学部に入学された時のご自分の姿をどうぞ振り返って見て下さい。 法曹界入りを決意されて司法修習を終え、裁判官への道を選択なさった時の滾る情熱と正義感を思い出して下さい。 そしていつの日にか、悠々自適の身になられた時後輩の判事さん達から、司法の政治からの独立と尊厳を守った、あの名判決文を書いた先輩と、仰がれて下さい。 あなたのお子様やお孫さん達に、本当に正しい人間、本当に強い人間の生きざまを見せてあげる判決をなさってください。 これは原告としてだけでなく、一人の親としての強いつよいお願いでもあります。 最後にもう一度だけ言わせて下さい。 裁判長 どうぞ三権分立を守って下さい。 裁判所を国民の良心の前後のより所として職を賭して守って下さい。 お願いいたします。 終わります。 どうも有難うございました。 |