仕事納め。[2007年12月28日(金)]
東京大学は本日が仕事納めです。
とはいえ、研究所、研究室は、仕事や実験で忙しくて年末年始など関係ない、という研究者や学生の方も多いことでしょう。ここ三崎臨海実験所もそうです。
さて、今年も三崎臨海実験所の野外で行われる実習、採集および調査は、無事故で一年を締めくくることができました。
三崎臨海実験所の年間利用者は延べ一万人。国公立・私立大学等の実習だけでも年に20〜30回行われます。今年は学生、研究者、教員のほか、自然観察会等に参加する子どもまで、様々な方が臨海実験所を訪れ、野外での活動を行いました。
無事故の継続には、技術職員をはじめとする教職員のたゆまぬ努力があります。
今年もお世話になりました。
来年も充実した一年となりますように。
なお、三崎臨海実験所の年始は1月4日からです。
来年もよろしくお願いいたします。

とはいえ、研究所、研究室は、仕事や実験で忙しくて年末年始など関係ない、という研究者や学生の方も多いことでしょう。ここ三崎臨海実験所もそうです。
さて、今年も三崎臨海実験所の野外で行われる実習、採集および調査は、無事故で一年を締めくくることができました。
三崎臨海実験所の年間利用者は延べ一万人。国公立・私立大学等の実習だけでも年に20〜30回行われます。今年は学生、研究者、教員のほか、自然観察会等に参加する子どもまで、様々な方が臨海実験所を訪れ、野外での活動を行いました。
無事故の継続には、技術職員をはじめとする教職員のたゆまぬ努力があります。
今年もお世話になりました。
来年も充実した一年となりますように。
なお、三崎臨海実験所の年始は1月4日からです。
来年もよろしくお願いいたします。

実習生を乗せて採集に向かう臨海丸。写真は8月撮影。
天気が良い日は、富士山と相模湾を背景に、このような景色が望めます。
天気が良い日は、富士山と相模湾を背景に、このような景色が望めます。
明治の木造建築[2007年12月26日(水)]
以前のブログで、三崎臨海実験所は明治時代に設立されたこと、先日121年を迎えたことなどを紹介しました。
三崎臨海実験所には、日本海洋生物学100周年記念館(旧本館、昭和11年建造)、水族館(昭和7年建造)など、時代を象徴する建物が現存します。また、建物内には明治時代の標本棚などの備品も置かれ、それらは今も現役で使用されています。
そのなかでも最も古く、数多くの研究者に利用され、長年親しまれてきたシンボルといえる建築物があります。

相模湾の海と富士山を背景に建つグリーンハウスは、明治43年(1910年)の大拡張工事の際に建てられた木造の研究棟です。近年まで大学院生が宿泊所として使用していました。
全部で4室ある部屋は、「諸磯」、「小網代」などの三崎の地名が方角にあわせて名付けられています。
また、各室内の天井には、当時の教官が図案化した海産動物の透かし彫りがほどこされ、大変格調の高い造りです。




たくさんの小魚と錨(いかり)を配しているようですが、他は不明です。
三崎臨海実験所には、日本海洋生物学100周年記念館(旧本館、昭和11年建造)、水族館(昭和7年建造)など、時代を象徴する建物が現存します。また、建物内には明治時代の標本棚などの備品も置かれ、それらは今も現役で使用されています。
そのなかでも最も古く、数多くの研究者に利用され、長年親しまれてきたシンボルといえる建築物があります。

(12月撮影)
明治の木造建築、グリーンハウスです。相模湾の海と富士山を背景に建つグリーンハウスは、明治43年(1910年)の大拡張工事の際に建てられた木造の研究棟です。近年まで大学院生が宿泊所として使用していました。
全部で4室ある部屋は、「諸磯」、「小網代」などの三崎の地名が方角にあわせて名付けられています。
また、各室内の天井には、当時の教官が図案化した海産動物の透かし彫りがほどこされ、大変格調の高い造りです。

2個のウミテング。

伊勢エビとカブトガニの甲羅の模様に見えます。

ウニ、精子、クラゲなどの諸説があります。

たくさんの小魚と錨(いかり)を配しているようですが、他は不明です。
相模湾生物カレンダー[2007年12月19日(水)]
東京大学臨海実験所・相模湾生物ネットワーク(SBnet)からのお知らせです。
毎年恒例の、相模湾生物カレンダーの平成20(2008)年版が出来上がりました。

今回のカレンダーは、写真撮影・解説文作成=伊勢優史(臨海実験所 博士研究員)、構成・編集=福本実穂子(同 教務補佐員)です。カレンダーはSBnetホームページでご覧になれます。
また、並行して、SBnetホームページをリニューアルしました
。トップページには、このブログのリンク等も設けました。
相模湾生物カレンダーの作成は、平成14(2002)年版からです。気付けば、はや7年間になります。毎年この時期に翌年分を作成してホームページ上で公開しており、ご自由にご利用いただけます。
最近では、SBnetの会員の方や学内の方ばかりでなく、学外の方からも「カレンダー使っていますよ
」という嬉しいお話を思いがけなく伺うことがあります。カレンダーを毎年楽しみにしていて下さっている方もいらっしゃるようで、ありがたいことだと思います。
カレンダーに掲載する動物の写真は、その年度の実習や観察会等で採集した動物たちから選び、季節感なども多少考慮して構成しています。また、毎月の暦欄には、磯採集には不可欠な情報である大潮の日が一目で分かるように、満月と新月を表示しています
。
過去7ヵ年のカレンダーで掲載した動物は、89種にのぼります。それらの写真および解説文の一部は、同ホームページの「『今月の動物』ギャラリー」に掲載しています。こちらもあわせてご覧下さい。
毎年恒例の、相模湾生物カレンダーの平成20(2008)年版が出来上がりました。

今回のカレンダーは、写真撮影・解説文作成=伊勢優史(臨海実験所 博士研究員)、構成・編集=福本実穂子(同 教務補佐員)です。カレンダーはSBnetホームページでご覧になれます。
また、並行して、SBnetホームページをリニューアルしました
。トップページには、このブログのリンク等も設けました。相模湾生物カレンダーの作成は、平成14(2002)年版からです。気付けば、はや7年間になります。毎年この時期に翌年分を作成してホームページ上で公開しており、ご自由にご利用いただけます。
最近では、SBnetの会員の方や学内の方ばかりでなく、学外の方からも「カレンダー使っていますよ
」という嬉しいお話を思いがけなく伺うことがあります。カレンダーを毎年楽しみにしていて下さっている方もいらっしゃるようで、ありがたいことだと思います。カレンダーに掲載する動物の写真は、その年度の実習や観察会等で採集した動物たちから選び、季節感なども多少考慮して構成しています。また、毎月の暦欄には、磯採集には不可欠な情報である大潮の日が一目で分かるように、満月と新月を表示しています
。過去7ヵ年のカレンダーで掲載した動物は、89種にのぼります。それらの写真および解説文の一部は、同ホームページの「『今月の動物』ギャラリー」に掲載しています。こちらもあわせてご覧下さい。
モース博士と臨海実験所[2007年12月13日(木)]
本日、三崎臨海実験所は設立121年を迎えました。
本日は、今年夏にシャミセンガイ(腕足類)が採集された時に登場したE.S.モース博士と臨海実験所との深い関わりについて紹介したいと思います。
東京大学動物学教室初代教授のモース博士は、明治初期に大森貝塚を発見したことで有名ですが、腕足類の研究者であり、その研究のために来日しました。また、太平洋初の海洋生物研究所である「臨海実験所」を創設し、日本の動物学の基礎を築きました。しかしながら、これらのことは、生物学を学んだ方でも知る方は意外に少ないようです。
モース博士は、1838年にアメリカの東海岸の港町、ポートランドで誕生し、少年時代から貝類の収集家として生物に関心を持っていました。来日前にはアメリカのハーバード大学で臨海実習の講師を務めたことがあり、海洋生物の研究、教育における臨海実験所の重要性を熟知していました。
1877年、モース博士は日本が腕足類の宝庫であることを知り、その研究のために3ヶ月の予定で来日しました。来日するやいなや、東京大学から動物学教室の初代教授となることを依頼されたモース博士は、その教授就任の条件として、腕足類が豊富な江ノ島に施設を設けて研究することを希望し、東京大学に援助してもらい、「臨海実験所」を開設しました。その施設こそ、太平洋発の海洋生物研究所でした。
しかし、その実験所は漁師小屋を改造したもので、わずか1ヶ月で閉じられました。そのため、モース博士は教授として在任中も、永続的な臨海実験所を設立するように大学側に進言しました。
その後、モース博士はアメリカに帰国しましたが、その後を継いだ2代目教授のホイットマン、3代目教授の箕作佳吉も同様に、動物学の研究と教育には臨海実験所が欠かせない存在であることをアメリカで学んで来ていたため、モース博士による進言の重要性を認識していました。
こうして、永続的な臨海実験所の設立の動きが東京大学の中で強まり、三崎に臨海実験所が造られることになりました。
三崎臨海実験所は、1886(明治19)年、現在の場所より南方2kmに位置する、三崎町入船の幕府船番所跡の敷地に建設され、箕作佳吉教授が初代教授をつとめました。その11年後の1897(明治30)年に油壺の地に移転し、現在に至っています。

本日は、今年夏にシャミセンガイ(腕足類)が採集された時に登場したE.S.モース博士と臨海実験所との深い関わりについて紹介したいと思います。
東京大学動物学教室初代教授のモース博士は、明治初期に大森貝塚を発見したことで有名ですが、腕足類の研究者であり、その研究のために来日しました。また、太平洋初の海洋生物研究所である「臨海実験所」を創設し、日本の動物学の基礎を築きました。しかしながら、これらのことは、生物学を学んだ方でも知る方は意外に少ないようです。
モース博士は、1838年にアメリカの東海岸の港町、ポートランドで誕生し、少年時代から貝類の収集家として生物に関心を持っていました。来日前にはアメリカのハーバード大学で臨海実習の講師を務めたことがあり、海洋生物の研究、教育における臨海実験所の重要性を熟知していました。
1877年、モース博士は日本が腕足類の宝庫であることを知り、その研究のために3ヶ月の予定で来日しました。来日するやいなや、東京大学から動物学教室の初代教授となることを依頼されたモース博士は、その教授就任の条件として、腕足類が豊富な江ノ島に施設を設けて研究することを希望し、東京大学に援助してもらい、「臨海実験所」を開設しました。その施設こそ、太平洋発の海洋生物研究所でした。
しかし、その実験所は漁師小屋を改造したもので、わずか1ヶ月で閉じられました。そのため、モース博士は教授として在任中も、永続的な臨海実験所を設立するように大学側に進言しました。
その後、モース博士はアメリカに帰国しましたが、その後を継いだ2代目教授のホイットマン、3代目教授の箕作佳吉も同様に、動物学の研究と教育には臨海実験所が欠かせない存在であることをアメリカで学んで来ていたため、モース博士による進言の重要性を認識していました。
こうして、永続的な臨海実験所の設立の動きが東京大学の中で強まり、三崎に臨海実験所が造られることになりました。
三崎臨海実験所は、1886(明治19)年、現在の場所より南方2kmに位置する、三崎町入船の幕府船番所跡の敷地に建設され、箕作佳吉教授が初代教授をつとめました。その11年後の1897(明治30)年に油壺の地に移転し、現在に至っています。

構内に咲くヒメツバキ



