花の礼文島紀行 パート12 [2016年10月09日(Sun)]
野生のウスユキソウ群生を探し求めて歩き出していたが、群落には着かず数件の番屋がある小さな漁港に着いてしまった。ここが、宇遠内であることが後で分かることになる。
一軒の番屋からラジオの音がして、建物の煙突から煙が上がっていた。人がいるのかを確かめるために「ごめんください。」と声をかけたが、だれも出てこない。 隣の家に行くこと、カタカナで「ウエンナイ休憩所」と書かれた張り紙があった。声をかけると中から女性の声が聞こえてきた。「どうぞ、休んでいってください。」という。とってもお話し好きの漁師の奥さんが、私たちを向かい入れてくれた。朝早くから、旦那さんがナマコを取りに船を出して漁をしているという話から、会話の内容が広がっていった。 「どこから来たのか。」と尋ねられ、地元北海道の夕張と答えたところ、夕張に知人がいるという。夕張の本町というところで商売をしていた人らしく、昔、夕張に行った際 風致公園でジンギスカンをごちそうになったと話す。「へぇ、そうなんですか。」と簡単に合図地を打つが、家内の亡き父も本町で商売をしていたこともあって、名前を聞きたくなり、「苗字はなんて言いますか。」と尋ねると、驚くなかれ亡き父と同業者の名前があがった。 偶然にしては、背筋がゾクゾクするような感じがし、広い北海道の中で小さな島の小さな番屋で出会うなんて驚きを隠せなかった。 今回出会った漁師の奥さんは、礼文島の出身で旦那さんも同じだという。現在は、小樽市に住宅もあるようで夏場の漁期だけ、ここで生活し仕事をするという。夕張の接点という話になり、学校を卒業して、やはり島を離れて札幌に出て来た。色々な職業をしていたようであるが、当時夕張に進出する企業(家電・レコード楽器店)の店員兼事務をしていたようで、夕張は来ていないが、札幌の店で勤めていたらしい。 「あの当時は、夕張はとっても景気良いように感じた。炭鉱があり、鉱員募集で人がたくさん集まっていたように思うよ。」と昭和30年代前半の様子を話してくれた。 ひょっとしたら亡き父も、この奥さんと会っていたかもしれないと感じた。 休憩のために、一時戻ってきた旦那さんにご挨拶して、再び、元来た道を戻るとする。 宇遠内の番屋のすぐ北にある滝。名前は分からない。 帰り道、豪華客船アスカが利尻島から出航 追伸ですが、磯汁(貝汁)は、その場でしか味うことができない代物でした。また、知り合いのおばあちゃんが作ったという海苔ですが、形や色合いなど今一つですが、香りや味については、今までで食べた海苔の中で一番でした。 |