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中京大中京高の全国Vの主将が中京大進学へ [2010年02月28日(Sun)]
27日の中日スポーツに・・
中京大中京高の全国Vの主将が中京大に進学へ・・
見出しで・・山中選手が紹介されていました。
そして・・4年後のは・・プロを目指したいと力強く語っています。
頑張れ!山中君。



中京大中京ではすでに1年前の主将、先輩の矢沢選手がレギューラーとして
頑張っています。これに山中選手が入れば・・さらに層が厚くなりそうです。
大学でも日本一を期待してます。・・さらに中京大にはエース大西投手(成章)が
頑張ってます・・・神宮での大会を夢見て・・密かに応援したいと思ってます。



「甲子園の心を求めて」と箕島高校野球部監督の尾藤公さん [2010年02月27日(Sat)]
この春から甲子園球場にオープンする
「甲子園歴史館」・・・
この立ち上げに携わった顧問に次の方が名を連ねておれます。

作家・神戸夙川学院大学教授の後藤正治様。
ノンフィクション作家の佐山和夫様。
阪神タイガースOB会長の田淵幸一様。
ABCアナウンサーの道上洋三様。
スポーツ記者の長島三奈様。
イラストレーター・漫画家・著述業の成瀬國晴様。
元箕島高校野球部監督の尾藤公様。
阪神タイガース永久欠番選手の吉田義男様。
(五十音順)

その箕島高校野球部監督の尾藤公さんが朝日新聞「惜別」に
昨年亡くなられた「甲子園の心を求めて」の著者、佐藤道輔さんの事が
書かれています。




突然の訃報を聞き、和歌山・箕島高の元監督、尾藤公さん(66)
は一冊の古い本を取り出した。
「初めて読んだ時、泣きました。
 読み返して、また涙が出ました」

本のタイトルは 『甲子園の心を求めて』 

初版は75年。
活力あふれる野球部を作り上げた佐藤さんの奮闘記だ。
練習環境の厳しい中で野球を通じて成長する生徒の姿
が描かれ、高校野球指導者の間でバイブル的な本 となった。
当時すでに選抜大会で全国優勝していた尾藤さんが感動して
手紙を書き、練習試合を申し込んだ。
遠征で互いの自宅をに宿泊し合う間柄になった。
「酒を酌み交わし、朝まで野球の話をしました。
 多大な影響を受けました」


佐藤さんは高校時代に肩を痛め、大学でのプレーを断念。
高校野球の指導者を目指した。
社会科の教諭となり、都立高校4校で通算32年間、監督を
務め、すべての高校をシード校に育てた。
勝利至上主義を嫌い、人間育成に力を注いだ。
レギュラーも補欠も同じ愛情で接し、同じ練習を課した。
ベンチ入りは部員の投票で決め、選手に責任感を持たせた。
78年当時の東大和高校主将は言います。
 「最後まであきらめるな」
「やればできる」
という言葉が今でも心に残っています。
(朝日新聞より) 

尾藤監督が佐藤先生に手紙を出されたと書かれてありますが
成章の前監督、山本さんも「この甲子園の心を求めて」に感激し
手紙をだされたと・・たしか・・成章史に書かれたいたような覚えが
あります・・いずれにしても、高校野球界に残された功績は大ですね。
また・・時間があったら、この本を読み返して見たいと思ってます。
尼宝館 [2010年02月26日(Fri)]
速報!リニューアル甲子園への道・・という野球プログに・・

〜尼宝館〜というタイトルで記事が紹介されています。
愛媛県の宿舎として高校野球の歴史があります。

先日、兵庫県尼崎市にある「尼宝館(にほうかん)」という旅館にお邪魔してきました。
こちらの旅館は1958年から今年までの52年間、甲子園に出場する代表校の宿泊先として、高校球児を支えてきた旅館です。残念ながら、やむを得ない事情で今年閉館することになったそうです…

20年ほど前からは主に愛媛県勢の代表校の定宿になっていたそうで、館内には宿泊した学校の記念の品々がたくさん飾られていました。

この旅館にはあの松山商も宿舎として・・甲子園出場の時には
利用しているそうで・・部屋に書かれた球児のサインが当時を物語っています。

閉館共に・・今度新しく出来た(平成22年3月オープン)甲子園歴史館にも寄贈の品があるとか・・
こちらも楽しみです。甲子園に寄ったついでに・・こちらも見て見たいですね。

尼崎市とい言えば関西成章会の阪本さんのおひざ元・・
関西成章会の皆さん・・ことしも応援よろしくお願いしますね。



延長18回の伝説 松山商×三沢 [2010年02月25日(Thu)]
アポロ11号による人類初の月面着陸の興奮が冷めやらない昭和44年8月18日、甲子園では史上最高といわれたドラマが始まった。決勝戦の松山商(愛媛)−三沢(青森)。
 試合は、松山商・井上と三沢・太田の息詰まる投手戦となった。炎天下の中、気力を振りしぼる両投手、好守の応酬、そしてベンチの情報戦。中でも延長15回、16回裏の満塁の攻防劇は、伝説のイニングとして今も語り継がれている。選手たちは、1点取られたら負け、という極度の緊張感から泣きながらプレーを続けたという。4時間16分に及んだ激闘は、延長18回0−0の引き分け。審判委員長は「勝利に優るもの」と記した色紙を贈り健闘を称えた。
 番組では、人間の持つ素晴らしい力が結集し、戦後スポーツ史の奇跡といわれた「松山商―三沢」の名勝負をたどり、暑かったあの夏を蘇らせる。
(NHKスポ大陸より)

・・そうかアポロ11号の月面着陸の1カ月後にあの伝説・・延長18回が行われたんですね。
私は当時、中学バレーボールの部活で・・学校にいましたね・・図書室のテレビで・・この世紀の一瞬を見ました・・暑かった夏休みのひと時・・人類史上初めての出来ごと・・それから1カ月・・あの延長18回・・見ましたね・・高校野球の素晴らしさを見た思いがしましたね。

先日の成章・糟谷監督の講演会で・・21世紀枠で出場したセンバツで・・昭和44年のあの延長18回の伝説ともなった松山商×三沢の井上投手、太田投手に会われたとお話くださいました。糟谷監督も同年代・・井上さんと2人で撮られたお気に入りに写真だそうです。






「延長18回の伝説〜女子高生がみた松山商×三沢」 1969年(昭和44年)・第51回全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)にて延長18回引き分け再試合となった決勝戦、松山商vs三沢。両チームの選手達や現役高校生のインタビューを交え、球史に残る名勝負の感動が甦ります。青森放送・南海放送 開局55周年記念番組。 (2008年放送)
ユーチュブで5回に分けて公開されています。

延長18回の伝説・・松山商×三沢@
延長18回の伝説・・松山商×三沢A
延長18回の伝説・・松山商×三沢B
延長18回の伝説・・松山商×三沢C
延長18回の伝説・・松山商×三沢D
一期一会・・手束仁のコラム [2010年02月24日(Wed)]
このところ・・春らしいお天気が続いていますね。
日中は・・ほんとポカポカ陽気・・このまま・・春になってほしいですね。

さて野球情報comに・・・

一期一会・・手束仁さんのコラムによる記事が掲載されています。

オフの期間をどのように過ごすのか・

この冬をどう乗り切るとか・・中京大中京の取材の記事も紹介されています。
興味のある方はどうぞ・・ご覧ください。

手塚さんと言えば・・『甲子園出場を目指すならコノ高校(増補改訂)』(駿台曜曜社)、等の著書が有名ですね・・
愛知県出身だと知ってたのですが・・
プロフィルを見ると・・半田高の出身なんですね。

半田高と言えば昨年、夏の大会で阿久比球場まで試合を見に行ったことが
ありましたね。今年も機会があれば・・半田工、半田商の試合も見たいと思ってます。


カーリング娘が熱い!ジャンプ、ジャンプ [2010年02月23日(Tue)]
昨日は月1回の有志による飲み会でした・・
場所は田原市内にある「きらく」さん・・いつもお世話になっております。・・ここはあの「はんにゃ」の金田君と関係のあるお店・・店内には・・はんにゃの写真が飾られています。最初に用意されているのが、お刺身と揚げ物のセット・・これがまた・・おいしい!メンバーの大半が農家の方ばかり・・キャベツ、トマト、ダイコンなど・・作っておられます。お刺身は地元の伊良湖直送の新鮮な魚ばかり・・おいしいのは言うまでもありません。この感触、あああ・・生きててよかった。






連日、にぎわいを見せてる冬季オリンピック・・その中でも注目しているのが
カーリング・・・ジャンプ!、ジャンプ!、ピンマイクから聞こえるカーリング娘の声が
いいですね・・最近、ようやく・・得点の付き方が分かるようになってきた。
3勝3敗と・・苦しいJAPAN何とか決勝トーナメントに残ってほしいですね。






チーム青森、ドイツに敗れ決勝トーナメント進出へ黄信号


 バンクーバー冬季五輪カーリング女子(21日=日本時間22日、五輪センター)日本代表のチーム青森は、1次リーグ第6戦でドイツに6−7で敗れ、通算3勝3敗となった。

 決勝Tへ黄信号…チーム青森、ドイツに惜敗

 この日、1戦目のロシア戦で6点差を逆転した日本だったが、2戦目は調子が上がらず、第10エンドまでに3点のリードを許す苦しい展開になった。

 なんとしても3点が欲しい日本は、手前に置いたガードストーンの後ろにストーンを隠すカム・アラウンドを多用。ドイツにプレッシャーをかけていくが、ドイツも引き下がらず、正確にハウス内のストーンを弾き出していく。後がなくなった日本は目黒萌絵(25)=みちのく銀行=のストーンに全てを託した。ハウスの中にはドイツのストーンが2つと日本のストーンが2つ。目黒の放ったストーンは隙間を抜け、ドイツのナンバー1ストーンをはじき出す。同点かと思われたが、サードストーンはドイツが獲得し、最終第10エンドは2得点にとどまり、わずかに1点及ばなかった。

 予選通過の予想ラインは6勝3敗で、日本は決勝トーナメント進出のためには1敗もできない状況になった。次戦は22日(日本時間23日)にスイスと対戦する。
(サンケイスポーツより)
坂東英二さん講演会・・ [2010年02月22日(Mon)]
昨日は夜・・ヤクルト×中日のオープン戦試合が放送されていました。
2時間ほど・・じっくりと見ましたが・・
一軍ではほとんど・・名前を聞くことのない選手がほとんどでしたので・・見ていて面白かったです・・堂上兄弟や・・新人選手など・・早く1軍での活躍が見たいものです。



今や元プロ野球選手としてテレビ、マスコミで活躍中の板東さん・・
徳島商のエースとして活躍・・1958年の夏の大会で記録した83奪三振は高校野球の一大会における通算奪三振の最多記録であり、50年以上経った現在も破られていない。その実績が買われて・・卒業後にドラゴンズに入団しましたが・・そのいきさつで・・もめごとがあったそうで・・
WEB上から・・記事を抜粋。

板東英二の中日入団までのもめごとは、当然ありましたよ。
板東さんは、徳島商業高校卒業後は、大学進学が決まっており、実際に、東京で六大学野球の慶應大学のセレクションに参加しています。大学進学は既定路線でした。
しかし、甲子園での活躍が、プロ野球球団のし烈な獲得競争を招きます。特に熱心だったのが、阪神と中日です。阪神がセーターを手みやげにもってきたのを聞いて、中日は手みやげをテレビに変更したといいます。
そして、中日入団の何よりの決め手は、板東さんがその著書「赤い手」の中で自ら書いているように、契約金の額でした。札束が飛び交う争奪戦でした。六大学のスター長嶋茂雄の巨人入団の1,500万円、王貞治の1,800万円をさらに上回る2,000万円!。当時の大卒初任給が約1万円で、現在の約20分の1の物価であることを考えると、現在に直して考えると、なんと6億円の契約金(現在は最高額が1億5,000万円が最高額と定められています)!


いや〜さすがは板東さんらしい・・エピーソードですね。
そんな板東さんですが・・実は・・・うん十年前・・tamoさんとお会いしています。猫

えっ!お会いしたんですか・・と皆さんから、質問を受けそうですが・・
実は学生時代に・・板東さんの講演会があったんです・・
講演会終了の後、質問コーナーがあって・・約500名の聴衆の中で・・
3人ほどの・・質問がありました・・
一人の方は投球の前に唇?舌をペロッと・・やるのはなぜですか・・だったかな・・
など・ほとんどが野球に関する質問でした・・

さらに質問のある方は・・との問いについつい・・tamoさんが手を挙げてしまったのです。
あら〜どうしましょう。ワオッ!!困った

おおおおっ!無謀にも・・きっと・・絵理さんをはじめ・・このプログのご覧の方は
何を質問したんだろうと・・思われるかも知れませんね。

実は前から聞きたい事があって・・自然と手が挙がってしまったのが本音です。
よく、いいますよね。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥・・
当時のことを思えば・・なつかしいです・・
そして・・500名の中・・同級生や先生が見守る中、一人だけ立って・・板東さんに質問しました・・

緊張で・・少し声が上ずってましたが・・落ち込み
念願通りの・・質問が出来ました。

その質問とは・・何でしょうはてな
板東さんもえええっと!鳥びっくり・・してましたよ!ヒヨコ
何しろ野球以外の事を質問したわけですから・・
そうりゃ!板東さんが驚かれるの・・ご想像の通り・・
もちろん、板東さんと大いに関係のある質問でした。

ええっ・・何で君はこんなこと知ってるの?見たいな顔で
笑顔で質問に応えてくえました。笑顔


果たしてこの質問が何だったか分かる方は?さすがに・・いないだろうな・・
カット打法の練習方法 佐藤涼平(花巻東)に学ぶ [2010年02月21日(Sun)]
またまた・・野球情報comさんに・・花巻東の佐藤涼平選手のカット打法が紹介されています。身長155センチの佐藤君が2番打者として・・いかに仕事をするか。
監督さんからは・・ヒットでもいい、四球でもいい・・とにかく塁に出る事が・・佐藤君の与えられた仕事。カット打法は臭い球をカットし自分の有利なカウントに持ち込む。投手は臭い球をカットされると・・投げる球が無くなり・・ボールが甘くなって痛打される・・
それ以外にも投手に球をたくさん、投げさせるという・・チームの戦術もある・

カット打法の練習方法 佐藤涼平(花巻東)に学ぶ


もし佐藤選手と同じような立場の球児がいたら・・
試しに実銭して見るのもいい・・
簡単ではないが・・自分の技術の向上にもつながるかも知れない。
佐藤選手はベンチプレスで100K上げると・・コラムに書いてありましたが

たしか中京大中京のの選手も100K以上あげる選手が10人以上いると
大藤監督が言ったコメントを思い出した。

この高校野球情報comには・・高校野球プログで神戸っ子の記事が掲載されています。


広陵、元阪神・御子柴氏の長男が登場…センバツ [2010年02月20日(Sat)]
広陵、元阪神・御子柴氏の長男が登場…センバツ

御子柴投手と言えば・・サイドから切れのあるボールを投げてましたね・・
私はリリーフの御子柴投手をよく見た印象があります・・




元阪神の進さんを父に持つ、広陵の3番・御子柴 甲子園に懐かしい名前が帰ってくる。「一戦一戦勝ち抜いて必死で頑張りたい」。3年ぶりの朗報が届いた広陵の中堅手・御子柴大輝(2年)の父は、元阪神投手の進氏(45、現スコアラー)。横手から変幻自在の投球で、プロ15年間で251試合に登板した父が歓声を受けた聖地で、今度は長男が注目を集める。

 高校入学後、二塁手から投手に挑戦したが、右肩を痛めて2年夏から外野手へ転向。プロ注目の145キロ右腕・有原航平(2年)を堅守で支え、昨秋の中国大会4強に導いた。「野球を知っていて、周りにアドバイスができる」。中井哲之監督(48)が評価する性格は、人気野球漫画「ROOKIES」で「ニコガク野球部」をまとめる主将「御子柴徹」をほうふつとさせる“陰の主将”だ。

 全国的にも珍しい名字は「初めての人にも覚えてもらいやすい」とお気に入り。父の引退試合以来、13年ぶりに立つ甲子園で「御子柴」が再び歓声を集める。

 阪神・御子柴進スコアラー「けがをせず、チームのために全力で頑張ってほしい。それしかないですね」

夏春連覇への道・・中京大中京 [2010年02月19日(Fri)]
さて・・長い高校野球の歴史においても・・春夏連覇した学校は4校しかありません。

1931年(昭6)の広島商(広島)・・1938年(昭13)の中京商(愛知)・・1961年(昭36)の法政二(神奈川)・・1983年(昭58)の池田(徳島)の4校しかいません。
この中で覚えているのは・・イレブンの池田高校ぐらしかありませんね。

そして昨年の夏・・48年ぶりに全国制覇した中京大中京が2度目の春夏連覇に挑戦します。前回が昭和13年ですから・・達成すると72年ぶりの快挙!前年の昭和12年夏は・・川上ー吉原と言う熊本工のバッテリー対戦・・3×1で優勝を飾っている。川上はその後巨人に入団・・V9など・・か輝かしい野球人生を歩んだ。戦後のスター選手と言っていいでしょう。
単純に計算して72+17=89・・

・・それだけ・・この連覇がいかに難しいか・・良く分かりますね。・・・高校野球は先輩たちの伝統を受けついで今日があります。
その偉業に挑む・・中京大中京・・選手諸君は・・野球冥利に尽きますね。


(決_勝)昭和12年夏
_熊_本_工 000 000 001 = 1
_中_京_商 020 001 00X = 3
_(熊)川上−吉原_(中)野口二−松井

(決_勝)昭和13年春
_東_邦_商 000 000 000 = 0
_中_京_商 000 000 10X = 1(夏春2連覇)
_(東)久野−日比野_(中)野口二−滝

この昭和13年の春は・・中京商の滝正男さんが正捕手として初優勝を飾っておらます。
昨年の県大会記事のプログで・・滝さんのことは紹介しましたね。
成章が試合後、ナインが球場の外に出ると・・一人に年輩の方がつえを立て・・
待っておられました。

私もその隣で・・様子を見ていたのですが・・誰かな??・・その後、糟谷監督が低姿勢で挨拶されるのを見て・・おおっ・・これは・・ただの人では無いなと思ったのですが・・後日、監督に聞いたら滝さんだと・・お聞きし、ビックリしたものでした。へぇ〜・・あの滝さんでしたか。その滝さんがセンバツ初優勝を飾ったのが昭和13年の春、戦前とはいえ、歴史の重みを感じますね・・

滝正男氏は高校野球の名門・中京商で活躍、中京商の監督も努めた野球界の
大御所。戦前の1938年、中京商のセンバツ初優勝時には正捕手として貢献し、
監督としても中京商を1958年夏・1956年春と優勝に導いています。中京大の
監督就任後も 同大を1970年に全国準優勝させています。 滝氏の教え子であ
る当時の中京大出身者の多くは今でも野球指導者として活躍しているそうです。

川上に敗る 吉原の強肩

 続く十二年夏の大会では準決勝で川上(元巨人監督)吉原 巨人、故人)のバッテリーで名高い熊本工業と対戦した。試合前日、川上のピッチングを見た渥美(滝川中監督ー成章OB)は「これならいける」と思った。

 なぜなら滝川のカーブ投手、湯浅なら熊本の打線を二点以内でくいとめられる力量と経験があった。それに渥美は川上のシュートを打ち下す打法を考案していたからだ。しかし、ゲームは思わぬ方向に動いた。湯浅が病身で球に威力がなく、大量六点を献じてしまったのだ。対する川上のシュート打ちも思うにまかせず、結局完封負けを喫した。

 「負けたという記憶よりも川上君が三塁打を二本放ち、三塁ベースの上で童顔をほころばしている姿の方が印象に強い」と渥美は思い出す。吉原正喜も天下一品の捕手だった。強肩でリードが良く、巨人に入団してから沢村栄治と組んだバッテリーは史上最高。吉原のファイトはファウルを追ってベンチに飛び込み、髪の毛が壁にこびりついたといわれる。

 別当と別所の対戦

 十三年春は二回戦、浪商に9−8で敗れた。別当薫(現野球評論家)は甲子園球場のすぐ隣の甲陽中学の出身。同じ県内で渥美とも親しかった人が野球部長をしていたため、よく練習試合をした。

 「おとなしい子でね、いつも二コニコして優等生でした」と渥美。別当が中等球界で投手として知られ出したのは四年生のころからで、ツルのような上品なフォームからくり出す速球はホームベースの上でホップして、なかなか打てなかった。

 十二年、夏の大会には別当に打ち勝って滝川が出場権を得たが、十三年の同大会予選では逆に完封された。この時の試合に二年生の別所は大会の初陣ながら五回から投げて、別当投手に一歩も譲らず最後まで投げ通した。翌日のスポーツ紙はいっせいに「中等球界に本格的投手出現」と書きたてた。

 別当は翌年慶応に進み、戦後第一回の東京六大学リーグ戦でホームラン打者として活躍し慶応を優勝に導いた。後、プロ入りスマートな強打者として人気があった。
(時習館と甲子園より抜粋)

まさしく、この昭和12から13年にかけては・・戦後のプロ野球のスター選手を生んだ・・
時代の象徴として・・長く語られることでしょう。

数年前から野球王国愛知復活を願ってた管理人も・・
昨年の中京大中京の優勝はうれしかったです。
今回も期待しましょう。
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