• もっと見る
« 2011年09月 | Main | 2011年11月»
現在の閲覧者数:
最新記事
<< 2011年10月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
リンク集
カテゴリアーカイブ
最新コメント
月別アーカイブ
楽天・・山崎、仙台ファンに涙の別れ・・ [2011年10月12日(Wed)]
こんなに寂しいヒーローインタビューは初めてだね・・・山崎選手が・・ヒーローインタビューで涙した・・悲しい



とても・・つらいインタビューではあるが仙台ファンからこよなく愛された・・男が泣いた!プロだから・・成績が悪ければ・・監督から・・見放される・・仕方ない。

年齢的にもぎりぎりだが・・・もう一度・・悔いなくやりたかったのだろう・・
それも山崎選手の気持ちだ・・ここでのプレーは球界を去った後でも生きることでしょう。次は新天地で頑張れ!山崎選手・・・これからもずっと応援していくよ!



キラキラ私が楽天ファンになれたのも・・あなたの存在が大きかったからだ。

楽天・山崎、男泣き…仙台にさよなら打

2011/10/11 09:51更新

パ・リーグ、楽天6−1ロッテ、22回戦、楽天15勝6敗1分、10日、Kスタ宮城)さらば、タケシ−。今季限りの退団を発表した楽天・山崎武司内野手(42)が10日、ロッテ22回戦(Kスタ宮城)の七回に代打で出場。吉見祐治投手(33)から中前打を放ち、楽天でのラストゲームを飾った。2005年の球団創設から主砲としてチームを支えてきたベテランは来季も現役続行を希望。仙台のファンに別れを告げ、新天地に向かう。

 マー君も、岩隈も、ナインはみんな泣いていた。スタンドからは「ヤマサキ」コールが鳴り響く。これがKスタ宮城で最後のお立ち台。満員のファンから拍手で迎えられた山崎が、大粒の涙をこぼした。

 「こんなに寂しいヒーローインタビューは初めてだね。こんな不調な僕を代打で出してもらって、『ヒットなんて打てるわけねえよ』と思いながら打席に入ったけど、最高の思い出ができました」

 中日時代からの恩師・星野監督らしい粋な計らいだった。七回一死で闘将が送り出したのは、“定位置”の4番の打順。「代打・山崎武司」がコールされると、スタンドからは大歓声が起きた。カウント0−1から吉見の外角141キロの直球をとらえた打球は、鋭いライナーで中前に。10試合ぶりの出場とは思えぬフルスイングで、楽天での最終打席を飾った。

 ゼロからスタートした弱小球団の歴史を築いた男だった。初年度は最下位に沈んだ。2007年には2冠に輝いた。野村監督時代の09年には初のクライマックスシリーズにも進出した。「このチームにとっての功労者で顔だった」と米田球団代表。球団もコーチのポストを準備して引き留めにかかった。

 ときには仲間にも厳しい言葉を投げかけ、チームを奮い立たせた。中日時代からの後輩・小山は「僕がふがいない投球をしたときは、投手コーチより先に怒られた。そのときは『クソー!!』と思ったけど、あんなことを言ってくれる人は他にいない」。選手会長の嶋も「ときには殴られたこともあったけど、今年、『お前が先頭になってやってほしい』と言ってもらえて、うれしかった」と涙を流した。

 現役続行を表明しているにも関わらず、最後は仲間が左翼付近に集まり、人生初の胴上げをしてくれた。体重100キロの巨体が計6度、宙を舞った。前日から準備したという寄せ書き入りの背番号「7」のユニホームも手渡された。

 「俺がやってきたことが間違いじゃないと思ってうれしかったね。仙台から離れるけど、この恩は一生忘れない」

 今後は出場選手登録を外れ、本人の希望で自由契約の身となる。現役生活をスタートした中日が獲得に興味を示しているほか、他球団からのオファーを待つ。東北に愛され、東北を愛した42歳。「ミスター・イーグルス」が杜の都を去る。 
(サンスポより)






| 次へ