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夏春連覇への道・・中京大中京 [2010年02月19日(Fri)]
さて・・長い高校野球の歴史においても・・春夏連覇した学校は4校しかありません。

1931年(昭6)の広島商(広島)・・1938年(昭13)の中京商(愛知)・・1961年(昭36)の法政二(神奈川)・・1983年(昭58)の池田(徳島)の4校しかいません。
この中で覚えているのは・・イレブンの池田高校ぐらしかありませんね。

そして昨年の夏・・48年ぶりに全国制覇した中京大中京が2度目の春夏連覇に挑戦します。前回が昭和13年ですから・・達成すると72年ぶりの快挙!前年の昭和12年夏は・・川上ー吉原と言う熊本工のバッテリー対戦・・3×1で優勝を飾っている。川上はその後巨人に入団・・V9など・・か輝かしい野球人生を歩んだ。戦後のスター選手と言っていいでしょう。
単純に計算して72+17=89・・

・・それだけ・・この連覇がいかに難しいか・・良く分かりますね。・・・高校野球は先輩たちの伝統を受けついで今日があります。
その偉業に挑む・・中京大中京・・選手諸君は・・野球冥利に尽きますね。


(決_勝)昭和12年夏
_熊_本_工 000 000 001 = 1
_中_京_商 020 001 00X = 3
_(熊)川上−吉原_(中)野口二−松井

(決_勝)昭和13年春
_東_邦_商 000 000 000 = 0
_中_京_商 000 000 10X = 1(夏春2連覇)
_(東)久野−日比野_(中)野口二−滝

この昭和13年の春は・・中京商の滝正男さんが正捕手として初優勝を飾っておらます。
昨年の県大会記事のプログで・・滝さんのことは紹介しましたね。
成章が試合後、ナインが球場の外に出ると・・一人に年輩の方がつえを立て・・
待っておられました。

私もその隣で・・様子を見ていたのですが・・誰かな??・・その後、糟谷監督が低姿勢で挨拶されるのを見て・・おおっ・・これは・・ただの人では無いなと思ったのですが・・後日、監督に聞いたら滝さんだと・・お聞きし、ビックリしたものでした。へぇ〜・・あの滝さんでしたか。その滝さんがセンバツ初優勝を飾ったのが昭和13年の春、戦前とはいえ、歴史の重みを感じますね・・

滝正男氏は高校野球の名門・中京商で活躍、中京商の監督も努めた野球界の
大御所。戦前の1938年、中京商のセンバツ初優勝時には正捕手として貢献し、
監督としても中京商を1958年夏・1956年春と優勝に導いています。中京大の
監督就任後も 同大を1970年に全国準優勝させています。 滝氏の教え子であ
る当時の中京大出身者の多くは今でも野球指導者として活躍しているそうです。

川上に敗る 吉原の強肩

 続く十二年夏の大会では準決勝で川上(元巨人監督)吉原 巨人、故人)のバッテリーで名高い熊本工業と対戦した。試合前日、川上のピッチングを見た渥美(滝川中監督ー成章OB)は「これならいける」と思った。

 なぜなら滝川のカーブ投手、湯浅なら熊本の打線を二点以内でくいとめられる力量と経験があった。それに渥美は川上のシュートを打ち下す打法を考案していたからだ。しかし、ゲームは思わぬ方向に動いた。湯浅が病身で球に威力がなく、大量六点を献じてしまったのだ。対する川上のシュート打ちも思うにまかせず、結局完封負けを喫した。

 「負けたという記憶よりも川上君が三塁打を二本放ち、三塁ベースの上で童顔をほころばしている姿の方が印象に強い」と渥美は思い出す。吉原正喜も天下一品の捕手だった。強肩でリードが良く、巨人に入団してから沢村栄治と組んだバッテリーは史上最高。吉原のファイトはファウルを追ってベンチに飛び込み、髪の毛が壁にこびりついたといわれる。

 別当と別所の対戦

 十三年春は二回戦、浪商に9−8で敗れた。別当薫(現野球評論家)は甲子園球場のすぐ隣の甲陽中学の出身。同じ県内で渥美とも親しかった人が野球部長をしていたため、よく練習試合をした。

 「おとなしい子でね、いつも二コニコして優等生でした」と渥美。別当が中等球界で投手として知られ出したのは四年生のころからで、ツルのような上品なフォームからくり出す速球はホームベースの上でホップして、なかなか打てなかった。

 十二年、夏の大会には別当に打ち勝って滝川が出場権を得たが、十三年の同大会予選では逆に完封された。この時の試合に二年生の別所は大会の初陣ながら五回から投げて、別当投手に一歩も譲らず最後まで投げ通した。翌日のスポーツ紙はいっせいに「中等球界に本格的投手出現」と書きたてた。

 別当は翌年慶応に進み、戦後第一回の東京六大学リーグ戦でホームラン打者として活躍し慶応を優勝に導いた。後、プロ入りスマートな強打者として人気があった。
(時習館と甲子園より抜粋)

まさしく、この昭和12から13年にかけては・・戦後のプロ野球のスター選手を生んだ・・
時代の象徴として・・長く語られることでしょう。

数年前から野球王国愛知復活を願ってた管理人も・・
昨年の中京大中京の優勝はうれしかったです。
今回も期待しましょう。
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