「甲子園の心を求めて」佐藤道輔さん死去 [2009年06月23日(Tue)]
このプログでも度々、紹介している「甲子園の心を求めて」の著者、佐藤道輔さんが死去されたと・・報道されていました。ご冥福をお祈り申しあげます。
<訃報>佐藤道輔さん71歳=元都立東大和高野球部監督 6月20日18時27分配信 毎日新聞 佐藤道輔さん71歳(さとう・みちすけ=元東京都高校野球連盟理事長、元都立東大和高野球部監督)16日、脳梗塞(こうそく)のため死去。葬儀は親族のみで済ませた。 78年と85年に都立東大和高を率いて全国高校野球選手権西東京大会決勝まで進み、「都立の星」と話題になった。04〜06年に東京都高野連理事長を務めた。著書に「甲子園の心を求めて」などがある。 当時の高校野球界に・・・大いに刺激を与えた東大和高校・・ その高校の監督が佐藤さんでした。 私が愛知県立成章高校の山本、糟谷両先生に初めてお会いしたのは昭和51年11月、秋の明治神宮野球大会、高校の部に中部地区を代表して参加した成章高校野球部宿舎を本郷に訪ねた時のことだった。同校OBの吉沢建志さんの好意にある仲介によるものである。吉沢さんは自らの高校時代に好きな野球を諸々の事情でやることが出来なかった。その無念さが後輩へのあたたか配慮となっていた。吉沢さんは山本先生は高校の同級生であることも人間、吉沢の母校と郷土への思幕を一層高めている。 初対面の山本、糟谷両先生は快く私を迎い入れ、しばし高校野球談議に時を過ごした。私はその大らかな人柄と野球に対する愛情に打たれたのである。春夏秋冬、グランドの選手を追いかけまわし、その多忙さが故に視野を狭くしがちな私にとってこの夜の出来事「いろんな野球があるんだな」という実感・・ この出会いをきっかけに・・野球を通した交流が始まった。 (続甲子園の心を求めてより抜粋) この交流をきっかけに・・あの闘魂の横断幕が東大和高校より贈られました。 そして、昨年、成章は36年ぶりの甲子園出場・・ テレビに映る糟谷監督、そして応援団席にいた山本前監督・・ 佐藤先生は・・どんな思いで・・この試合をご覧になったのであろうか・ きっと・・・・あの30年前の出会いをなつかしく・・思われたかも知れませんね。 野球はいろんな出会いがありドラマがあり・・そこに又・・高校野球の奥深さが・・ あります。多くの高校野球監督に・・本を通じて・・高校野球の素晴らしさを説いた佐藤先生のその功績は・・永久に語り続けられると思います。 |